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始まる 受難の日々 13

誤字訂正しました。

 ちびちゃんは可愛い。

 もうそれはずっと撫で撫でしていたいくらいに可愛い。

 変態だなんだと思われても良いから一日中愛でていたい。


 オロオロしながら手をギュっと握りしめ、一生懸命に私へ挨拶をしようと口を金魚のようにパクパクとして立っている目の前の八歳の男の子は、私が買った真新しい黒の野袴に身を包んでいる。とりあえず何かよくわからん優越感に満たされた。


「さっきも、挨拶しましゅっし…たが、」

「うんうん。ゆっくりで良いよ」


 そんなに怯えなくても良いんだよ。となるべく怖がらせないように、膝を折りしゃがんで目線を合わせ笑う。


 準備も昨日の内にきちんと終わり、禿が今日妓楼へとやって来る日になった。人数は合計九人。やはり年々禿の数が増えている気がしたのは気のせいでは無かったようだ。

 私は一人、凪風は一人、羅紋兄ィさまには二人、清水兄ィさまには三人、蘭菊は一人、朱禾兄ィさまには一人、と禿が新たに付く。

 秋水にはまだまだ新造にならない歳の禿がいるため、今回は0人。宇治野兄ィさまは、年季を明けるまでの年数があと僅かなので新しく禿を付けることは無いらしい。

 こんな不謹慎な事を言うのもどうかとは思うが、ちょっと寂しい気がする。


 …あ、だめだめだめ。

 気持ちを切り替えていかなきゃ。


 首を横に振り意識をちびちゃんに再び戻してニッコリと笑う。


和泉(いずみ)です、よろしくおねがいいたします!」

「はい。宜しくお願いします」


 語尾を強めに発音し言い切れば、逞しさ100%とはいかないものの、それなりに覚悟を決めたような勇ましい顔をのぞかせてくれた。


 あぁ、やだわ。大きくならないでおくれチビちゃん。


 しかしそんな甘っちょろい事を考えている場合ではない。ちゃんと此処での生活に慣れて貰って、いずれは遊男として働いてもらう事になるのだから気合いを入れていかなければ。他の皆に付いている禿に少しは教えた事はあるけれど、一から教えると言う事はお初なので手探り状態。前にそんな不安を漏らしていたら、睦月あたりに『大丈夫ですよ。お上手です』と背中を撫でられながら大変心強いお言葉をいただいた。

 しかしだ。まだ小さい禿ちゃんに気を使わせ励まされているその時点で駄目駄目だぞお前。


 頬を力士のように叩いて気合いを入れ直す。


「じゃあ今日は私の着替えをね、…あっ」

「はい?」


 仕事内容の説明をしようとしたが、そもそもの話、自分が女だという話をし忘れている事に今更ながら気づく。和泉ちゃんは何かおやじ様から言われてはいないのだろうか。お前の兄ィさんは、男だけど、男だけど、女なんだよ、とそれとなく伝えてくれてはいないのだろうか。

 目の前にちょこんと正座した禿を凝視する。

 私の視線に少し居たたまれ無いのか、口を引き結んで瞳を泳がせ始めた。う、なんかごめん。

 そう言う事についてはおやじ様に何にも言われて無かったので、聞いておけば良かったと数時間前の自分を叱咤したい。


 考えていてもキリがないので、意を決して話を切り出す。


「その前に、私の事なんだけど」

「ぁっはい」

「『女』だって、聞いてる?おやじ様に」

「それは、あの、しょっそうですね。きいてましゅっ…す」


 頬を赤くして目を瞑る和泉ちゃん。

 大丈夫かな。どうせ付くなら私みたいな得たいの知れない似非花魁よりも、ちゃんとした男の花魁のほうが良かったのでは無いのかなと心配になる。

 なんだか本当、心配事の連続だな。と自分自身に呆れた。


「嫌じゃない?私で大丈夫?今更こんな事を言っても変えられるワケじゃ無いんだけどさ」


 そこまで言って、ふと昔を思い出す。

 確か清水兄ィさまにもこんな事を言われた覚えがあった。初対面で私が兄ィさまに対し、不覚にもビクついてしまったあの時。

 今なら清水兄ィさまの気持ちも分からなくは無いと思える。なんでこの人はこんな事を言うのだろうかと不思議だったが、今にして思えば、初対面の子供に自分がビビられているのだと感じられれば誰だって臆してしまうだろう。

 慎重になる気持ちも分かるというものだ。


 私の言葉に閉じていた目蓋を開き潤ませた瞳を上げると、次には真っ直ぐにこちらを見つめてきた。


「ずっと、ついてゆきます」



 それを聞いた三秒後には盛大に抱きついていた。


**************



「ニャー、ニャー」

「ゲーコ」

「あはは、くすぐったいっです」


 護、チャッピーと戯れる和泉ちゃんについつい笑みが零れた。


「ふぅ」


 笑いながら箪笥前に座る。

 目当ては、その横に置いてある黒い小箱。それの蓋をあければ、赤黒に染まっている布が姿を見せた。

 重いものではないので片手でその布を持てば、格子窓の外へと私は目を向ける。


「いい天気だし…」


 さて、この隙に血塗れのもこちゃんを洗いに行くことにしようかな。


 最近まで続いていた生理もようやく終わったし、今日みたいに良く晴れた日には洗濯物が良く乾く。暫くはチャッピーと護が和泉ちゃんの相手をしてくれる事だろうし、最初から根を詰めても皆息苦しいもの。ちょっとぐらい遊び心があったほうが仕事も楽しいと言うもの。

 でも、だからと言って甘やかすわけでは無いし、精神のガス抜きと考えれば妥当。


 もっこ褌を片手に立ち上がる。

 蛙&猫と戯れている和泉ちゃんはそれに気がつくと、ペタペタと足音を鳴らしながら、私がいる箪笥の近くまで歩みを進めてきた。

 そして私の所にたどり着くと、彼はそのまま横に立ち、下を向いてもじもじと両手を合わせ指を曲げたり伸ばしたりし始める。


「?」


 かと思えば、ふいに顔を上げて褌を持っている右腕の袖を引っ張ってきた。

 チョイ、なんて控え目な効果音が目に見えて聞こえそうである。


 くそう、あざとかわいい。

 ならばよし。

 この路線で育てていくか。


「ちょっと洗濯物を出してくるから、チャッピー達と一緒にいてね」


 新たな目標を胸に、私は小さな和泉ちゃんの頭をくしゃりと撫でまわすと、襖を開けて廊下に出る。


「は、はい」

「よし!ちゃちゃっと終わらせてくるから」


 ギリギリまで顔を部屋に向けて見せて、最後にそっと襖を閉じた。

 顔が隠れるまで和泉ちゃんにジィーッとこちらをつぶらな瞳で見られていたのだけれど、 なんだかちょっとくすぐったい。捨てられた仔犬のよう…ではなく、餌を取りに行く親鳥を見る雛鳥のような瞳だったなアレ。


 廊下は相変わらず薄暗いけれど、最近まで感じていた肌寒さは無くなっていた。春は近い。と言うかもう春も春だろう。桜はまだ咲いてはいないが陽気は暖かく、ついつい欠伸が出てしまう。

 鼻の奥がツンとする感覚に耐えながら、褌を持っていないほうの手で涙が出た目を擦り拭いた。


 一階に降り妓楼裏の外に出れば、そこには古い井戸がある。少しほうって置けば直ぐに傘屋根へ蜘蛛の巣が張られてしまうのだが、毎日此処を使う下働きの皆さんのお陰で綺麗に保たれている。そしてその近くには表面に凸凹がある洗濯板と木の板でできた桶が置いてあるのだが、私はいつもそれを使い洗濯をしていた。


「米~じる~は素敵ステッキー、木、き~び団子ごりららーめん…」


 誰の特にもならない歌を歌い、今日もいつものように井戸の水を桶に汲んで、米のとぎ汁を足しゴシゴシと念入りに洗濯作業を開始する。


「らーめんののり~りすスパイダー、――っいで!」


 開始早々、あかぎれ気味の指先が痛む。

 今の時代、ハンドクリームなんて物が無いのでカサつくと厄介だ。どんなに顔がよくても手足が荒れていたり、爪に垢がたまっていては興ざめする、と妓楼でも教えられ言われている事から、しもやけやアカギレなんてものはとんでもなく不格好な様であると言えるのだ。

 なのでこのような洗濯をしたあとは椿油を水で薄めて手に塗り込んでいる。

 気をつけなきゃ。


 あぁしかし洗っていると袖が落ちてきてしまい仕方がない。紐で括ればいい話なのだけれど、正直面倒臭くてやっていられないのが本音だ。

 単衣は濡れたってどうせ客の前で堂々と着るものでも無いし、寧ろ下着みたいなもんなので気にする分だけ無駄である。

 だが一方で、立派なお着物は、それはもう洗濯が大変で一度全部解いて反物の形に戻し、水洗い、そしてまた縫うと言う非常に面倒臭い代物。でもまぁ着物はスーツみたいな物なので、直に肌に触れない仕組みになっている事から肌汚れはあまり付かない。直接肌に付く部分はそれなりにこまめに洗えるようになっているので、良く考えられていると思う。


 あ…くそう、上げた袖がまた下がってきた。


「のぎちゃん…」


 段々と捲っていた袖がおりてきたので再び捲っていると、小さくて弱々しい声を耳が拾った。

 私は洗濯板から視線を離して顔を上げ、首をまわし辺りを確認する。

 だがやはり気のせいだったのか、人気は見当たらない。

 じゃあやっぱり空耳だったのかな。

 それか幽霊?


 ちょ…まてよ。気にしない気にしない。

 と現象追求するのをやめて再び褌を洗濯板にかける為に桶へ手を突っ込む。

 あぁ冷た気持ちいい。


「ごめんね」


 いやいやいや、また聞こえてるし。今度ははっきりと聞こえちゃったし。

 今の声は方向的に納屋のほうから聞こえた気がする。近くとも遠くとも言えない距離、十歩程歩いた先にある、扉を開ける度にギシギシというようになった歳を重ねたおばちゃん納屋。因みに十義兄ィさまは千代子と読んでいる。なぜだかは知らない。


 洗濯を中断し水で濡れた手を着物で拭いながら、先程から気にしている声の正体を知ろうと納屋に近づく。本当に幽霊だったらどうしよう。ら、羅紋兄ィさまのせいだからね、羅紋兄ィさまが昔あんなに私を怖がらせなければ平気だったんだからね。

 胸の中で誰へでもなく言い訳をしてゆっくりと歩き続ける。抜き足、差し足、忍び足。両腕を横に広げてバランスをとりながらリズムにのり地面を踏みしめる。

 すると私が今使っていた桶と同じ物が納屋の後ろ側に半分出ているのが見えた。もしかして私と同じく誰かが洗濯をしているのだろうか。

 あはは、そうかそうか。やっぱり人間しかいないよね。


 胸をホッと撫で下ろし、納屋の裏手にまわる。

 裏には大量の箒が壁へ掛けて置いてあり、歩みを止めずにその先へ進んで行くと人影を見つけた。


「あっ…」


 春が良く似合う髪色。

 桃色、とも言えるし桜色とも言える。

 お花のような女の子。


 木箱の上、椅子代わりにもなる腰掛けと化していたそこには愛理ちゃんがスヤスヤと寝ていた。

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