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始まる 受難の日々 10

 あの後桜さんは無言でずっと隣に居てくれたが、何だかんだ言って結局は浮世絵師に絵姿を描いてもらわなきゃマズいからと仕方なく妓楼に戻って行った。

 私はというと、相も変わらず木箱の裏でジメジメと一人座り腐っている。両腕で抱え込んだ足は固く閉じ、首をうずめ若干半目になりながら下唇を出している姿は端から見れば親に叱られて剥れているチビッ子と大差は無い。しかしチビッ子では無い分可愛いげの欠片も無いと思う。

 まさに大人気ない大人。


「あぁ、いた。野菊」

「へ?」


 途端、頭上からそんな声がした。

 いきなりだったので、蘭菊から逃げているというのにも関わらず反射的に声がした方へ顔を向けてしまう。隠れている意味は全く無し。


「どうしたの」


 返事をしたのと同時に自分の失態に気づき、口を開けたまま微妙な苦い顔をしていれば、目線の先には清水兄ィさまが木箱に肘をついて右手を頬杖にし、上から地べたに座る私を眺めている姿があった。縁側で見かけた時と同じ鈍色の長着を着ていたが、髪は一つ結びと言う名のポニーテールスタイルになっていた。外国人は上手い言葉を考えたもんだ。確かに馬の尻尾にほど良く近い形をしているもの。

 顔は下を覗くように前に傾けている為、首筋にはハラリと絹糸のようにサラサラした毛先がいたずらにかかっていた。

 縛ってない時よりラフさを感じるのは何でだろう。


 いやいやいや、それよりも何で兄ィさまが此処に居るのだろうか。


「こんな所にいたら悪い人に連れて行かれてしまうよ。そろそろ戻っておいで」


 左手で『おいでおいで』と私に手招きをしている姿は、小さい子を誘拐しようとする悪い人に見えなくもない。しかし兄ィさまは本物の悪い人では無いし、寧ろその優しい語り口調に少し安堵する。

 とりあえず何で私がいる場所が分かったのか、何の用事で私を探していたのかとかがとても気になるが。蘭菊も私を探していたけど、それも関係しているのだろうか。


「そうだ。今愛理からちょっと逃げていて。私を匿ってくれる?」

「に、逃げ…?」


 話しながら木箱の後ろ側、はやく言えば私の隣まで歩いて来ると、そこにちょこんと膝を抱えて座りだす清水兄ィさま。

 え、座るの!?此処に!?よ、汚れるよ尻が。

 そんな平然と座る姿に、着物が汚れたらいけないと思い私は袖から青い手拭いを取り出したのだが、その手は兄ィさまの手で押さえられ首を振られた。


 要らないならしょうがないのでイソイソと袖に手拭いを戻す事にする。ついでに隣との距離を図ろうと、座ったままの形から腰を少し上げゆっくりと足を横に動かし離れた。


 というか愛理ちゃんから逃げているってどういう…。話が見えない。

 気になる。

 もの凄く気になる。


 疑問が顔に出ていたのか、そんな私を見てクスリと咳をする様に兄ィさまが笑った。


「羽織を着ていないから、どうしたのかと言われてね。野菊に貸したと言ったら自分のを貸すと言い出したんだ」

「あ、あれですか」

「生憎着るものには困って無いんだけど、何故か聞かなくて。立ち入り禁止なのに野菊の部屋に行く勢いだったから私が先に見つけようと、ね」

「それは、普通に借りれば良いんじゃ」

「君のほうが何倍も大事だから。何か言われてしまっては堪ったもんじゃ無い」


 違う違う違う。



 人の話を聞かない人ばかりで困る。


「っあの…兄ィさま、私なんか気にしないで下さい。自分酷いんですよ、皆の事無視して、避けて、嘘ついて、思いやりのおの字も無いし自分の事ばっかりで、」


 少し熱くなった首筋にひんやりした手を当て、視線を兄ィさまから反らし拙い言葉で必死に伝える。そんな事を言って貰える程の存在ではないし、いい加減放っておいて欲しい。馬鹿馬鹿しい。

 これで構って欲しくはないという私の意思が伝われば万々歳なのだが。


 そう思って目の端で相手の反応を確認してみるけれど、…おい。

 ずっと微笑んでいるのは何故だ。

 少しは顔色を変えてくれても良いじゃないか。


「だから!んっ、むぐ…」


 その様子に意地になり尚も必死で話そうとする私の口に、兄ィさまが手をかざす。


「酷いかどうかは私が決める事。君じゃない」


 咎めるような声でそう言われた。

 真剣な瞳は微笑んでいたさっきとは打って変わり、纏う空気が鋭くなる。その様子に少しビクリとしてしまい、話題を変えようと目をキョロキョロさせて何か案を見つけ出そうと思考を巡らせる私だけれど、兄ィさまを茶化す度胸も冗談を言う馬鹿な勇気も無い為そのまま無言になった。さ迷わせていた視線も口元にある兄ィさまの大きな手に自然と止まる。

 だって顔を見るより断然気が楽だから。


 じぃっと口元にある手を見る私に、兄ィさまは小さな声で『こっちを向いて』と言う。

 そう…言われたら見ないワケにもいかないので、そろりと目線を兄ィさまの顔に合わせるが、目は生憎見れない。ギリギリ見れて口までだろう。それよりも上を見てしまったら絆されそうで怖かった。


 目線を合わせ無い事が不満なのか、ふぅ…と息を吐く音が相手から聞こえる。聞こえる、とか言う以前に現在進行形で私は兄ィさまの口元を見てるいから、確実にため息を吐いた事が分かった。


「優しくしたい人間は自分で決めるし、気にかけたいというのも私の自由だろう」


 瞳を閉じ髪を一房持ち上げられ、ソッとそれに口付けされる。まるで大事なものに触れるかのような流れる仕草にポケーっとする私だが、それも数秒で立ち直り兄ィさまとの距離を置く為に横へズササ…と後ずさるようにして避ける。

 物憂げな表情が一変にして、片眉を吊り上げ不貞腐れ顔になった。


「なっ流されませんよ!」

「はぁ……酷い子だ。人の話は聞くものだよ」


 やれやれ…とでも言うように、いかにも芝居じみたわざとらしい口調で肩を落とす。

 それに人の話を聞かない奴だと認識された。地味に悔しい。

 そらお互い様じゃ!


「清水さーん!どこですかー?」

 

 胡散臭い目を兄ィさまに向けていると、愛理ちゃんの声が微かに風に乗り遠くから聞こえてきた。

 今更だが、本当に追いかけられていたんだなと納得する。


「野菊!」


 蘭菊の声も再び耳に届く。愛理ちゃんの声が聞こえてきた方向と同じ。

 なんだなんだ、今日はなんだ。

 皆何かしら逃げているな今日は。

 てかアイツいつまで私の事探してんの。

 もうしょうがないな、いい加減出て行ってあげようかな。用件を聞くだけ聞いて直ぐ様帰ればいい話だし。


「野菊、手を貸して」

「貸す?」


 覚悟を決めて身を乗り出した私に、そう言って兄ィさまが手を差し出してくる。


「私の手の上に手を乗せて」

「?はい」


 言われるままに私よりも広い掌にそれを乗せれば、すらりとした長い指が動きを封じ込めるように私の手をまるごと包み込む

 どういうこっちゃ。


「一緒に妓楼まで二人に見つからないように戻ろうか」


 目蓋をシパシパと瞬かせ野菊は隣の男を仰ぎ見る。

 言葉のニュアンス的につまりは、戻ろうか=逃げようぜ。という事だろうか。


「でもどうせ妓楼で会いますし、今ここで二人出て行くのでは無く時間をずらしてお互い相手の所に出て行ったほうが後々…」

「でもどうせ妓楼で結局会うのだから、今会わなくても良いよね」

「あ、はい」


 即答で肯定する。

 意思の弱い奴と思うだろうが、この時の兄ィさまの顔はおっかなかったのだ。口角が上がって笑いながら言っているように見えたのに、目は全く笑っていなく真顔ならぬ真眼。そんなに今会うのが嫌なのかね。

 愛理ちゃんが探していたのは私で、清水兄ィさまが探していたのも私で、今愛理ちゃんが探しているのは清水兄ィさまで、えーと、えぇと。

 つまりどんな状況?


「さぁ行こうか。…そうだそうだ、離れたら死ぬと思ってね」

「マジですか!?」


 私的に愛理ちゃんにこの状態を見られたらと思うと死ぬのと同然だよねコレ、と妙に自分の中で納得。

 とりあえず気合いを入れて逃げ妓楼まで帰ろうと思う。

あとがき。


その後、慎重に見世の間や看板を盾に潜りながら進む二人。


『にっ兄ィさまチョイ待ち。駄目です駄目です』

『え、』


てくてく。


『あっいる、いますあそこにヤバい』

『あぁ本当だ』


数分後。


『ストッ…違う違う止まってください!』

『うん』


またまた数分後。


『良いですか?ヒッヒッフーですよ兄ィさま。ヒッヒッフーです』

『野菊、何かが違うよ』


提案した自分より逃げる事に関して案外ノリノリになっている野菊に、未だ繋いでいる大きさの違う手を見ながら微笑む清水だった。

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