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始まる 受難の日々 9


「番頭さんっ、花手形!」

「お、おぅ?はいよ」

「ありがとうございます!ちょっと出掛けて来ますねー」


 慌ただしく妓楼の入口を抜けて出ていく遊男を見て、番頭と言われる者達は首を傾げていた。


「あんなに急いでどうしたんだ?野菊花魁は」

「さぁな。猫抱いたまま行ったから散歩かね」


***********


 遠く遠く、遠くへ行きたい。

 そんな事を言っても、日本中の広さと吉原の広さじゃたかがしれている。更に言えば世界中か。

 走って遠くを目指したところで壁という終わりは直ぐに見えるし、この町から唯一出られる大門を見ようと思えば屋根に登ればいいくらいで。


 妓楼から出てある程度走ったところで足を止める。別段誰が追って来るわけでもなく、物質的なものから逃げていたわけでは無いから止まったところで困ることは何もない。

 とにかく文字通り「一人」になりたかっただけ。町に出たところで実質人間は歩いているし、一人になれたわけではないが、天月の自分の部屋にいるよりか一人の気分がするのは間違いない。

 腕の中にいる護は、この際数には入れないでおく。


「ニャ」


 別に疚しい事をしているわけじゃない。


 なのに何でこんなにも焦らなくてはいけないのか。凪風が何を知って、分かって、あんな言葉を私に向けたのかは甚だ疑問だが、それを解決解明すべく道はただ一つ。

 本人に言葉の意図を直接聞くしかない。

 もし私の行動の意味を完全に理解しての発言では無いとしても、どういう意図で発言したのかは聞いておいたほうが良いかもしれない。

 違う方向で私が何かやらかしちゃったのかもしれないし。

 しかし、知っていたとしたら、何故分かるのだろうか。私の行動を見て?

 んな馬鹿な。そこまで察し能力優れていたら最早魔法が使えるレベルだよ。


 それか、私と同じ様にゲームをやっていた人が転生しただけだったりして。だけ、とは軽く言うがそれは結構とんでもない事だと思う。

 まぁ、そもそもそういう意味じゃないのかもだけど。


 …そうは思っても、指の若干の震えが今も続いているのは予感めいた何かを感じているからなのだろうか。あの口振りは、確実に私の今の行動を把握しているような感じを匂わせていた。

 彼の口から下働きという言葉があったが、あれは―――…


「野菊?よぉ、久しぶりー」


 護の頭を撫で撫でしながら天月から大分離れた道の横で突っ立っていると、誰かにそう声を掛けられる。


「っぁあ!桜さん久しぶりですね。散歩ですか?」

「そんなところだ。お前は猫ちゃん連れて散歩か」


 振り返れば茶色の髪と瞳が爽やかな印象を受ける若い男の人が、猫の護を指差しニコリと笑った。天然パーマの髪質もあってか、晴れた日の空の下で見るとキラキラと淡く光っているように見える。


「そんなところです。花田様は元気ですか?」

「あーもうピンピンしてる。当分くたばらねぇぞアレ」


 この桜さんという男の人は花田様の妓楼で働いている遊男である。他の妓楼で働いている遊男の知り合いは結構多く、コミュニティが結構盛ん。それもこれも吉原内を出歩いて良いとなった五年前の、役人達の懐の深さのお蔭である。こんな自由がなければ、私や皆は同じ境遇である籠の中の鳥たちには半生会えなかったのかもしれないのだから。


 こうして昼間や夕前に吉原内を歩いていれば必然的に違う妓楼の遊男と会うことが多く、お互いに一歩踏み出そうと思えば友人にもなれる環境と化している。


「つーか…相変わらず細くね?」

「ちょ、触らないでいただきたい」


 腕に伸びてきた手をペシリと右手で払い落とす。


「つれねーなぁ」


 そこまで強く叩いてはいないというのに、手の甲を痛い痛いとさすり出す桜さん。わざとだとは思うが、心の中でごめんなさいと謝っておくことにする。ごめんなさい。


「じゃ、俺は散歩するので」

「俺だって散歩だし?どこに行こうが自由だし?吉原の中だけだけど」


 離れようとする私に向かい、桜さんはムゥと口を尖らせ地面の砂を蹴る。

 汚なっ!砂が下駄と足の裏に入ったんだけど!


「浮世絵師が今日妓楼に来てんだけどさ、…描かれたく無いわけよ俺」

「もったいないですね。あ、じゃあ今は外に逃げているワケですか」


 桜さんは何も無かったように喋り出す。

 ちょっおいおいお前なんでだ。と文句を言いたいところだが、チマチマと小言を言うのも最早面倒くさいので、グッと唾を飲み込み私は普通に言葉を返した。


「どこがだし。お前だって嫌じゃね?あんなブッサイクに描かれんの」

「……」


 遊男の絵は売れる。

 現代、元の世界で言えばアイドルのグッズと同じ感じで考えてもらうと分かりやすい。流行だってそれで左右されるのだ。男の人にとっては遊男の浮世絵は半ばファッション誌代わりのようなもので、着物の着こなし方や髪型等を参考にしたりしているらしい。だけれど地位の高い者や極端に貧しい者はあまり見ないという。


 遊男、花魁の絵姿は浮世絵師が直接吉原の妓楼に訪れて描かせてもらうスタンス。そして約三両で妓楼に浮世絵師がモデル代を支払う形になる。…搾れる所からはとことん金を搾るのだ。

 絵師だけでなく彫師・刷師もいて、浮世絵版画は三位一体の作品だとも言える。

 木製版画なので何枚も複製が出来、写真集…ブロマイド的な物をいくつも作れるのだ。絵暦と言って、この時代のカレンダーみたいな物も作るので遊男ファングッズと言っても過言ではない。

 素晴らしきかな江戸の世。


「俺の格好良さがあんなんで伝わるワケないじゃん。なんであんなに目ェ細く描くんだよ。糸じゃねーか」


 いくらゲームの世界で文化や発展力が違うからと言っても、画力はさして私の知る世界の江戸時代の絵と変わらないみたいだった。

 本当に、「ザ・日本の絵」だもん。


「いやでも、あれはあれで味があると思います」

「物は言い様だな」


 宇治野兄ィさまの浮世絵を見たことあるけど、もうちょっと鼻高くて良いんじゃない?と思う程に本人との差が出ていた。そんな事言っても、それはそれで味があるから私は結構好きだけど。

 そう好意的な意見を述べれば面白く無いと言わんばかりの顔で桜さんが鼻を鳴らす。



「野菊ー!」


 と、のんびり会話をしている私の耳に知った声が聞こえて来る。


 だんだん近づいてくるその声の主に私は振り向かず、桜さんを盾にしながら別れの挨拶をすることにする。

 ジリジリと後ずさる私に首を傾げる桜さんは、声のする方向へ視線をやり、また私を見る。


「っうわ…そ、それじゃ桜さん」

「今の蘭菊か?てか走ってこっちに来てる…」

「のぉぉおー!」


 桜さんが言い終わらない内にダッシュで声の反対方向へと走る。

 何で蘭菊が追い掛けてくるんだ。

 何か私に用事でもあるのか。

 後にしてくれ後に!


「おーい野菊ー」

「え、何でついて来るんですかっ」


 桜さんが逃げる私の後を追うように迫り、片手を上げ涼しげな顔でそう呼ぶ。こっちは必死になって走り逃げているのに、なんか笑顔で追いかけてくるから微妙に怖い。

 それに走りが得意なのか、あっという間に隣に並んできた。


「匿ってやろうかと」

「いえ結構です」


 走りながら手を前に出して拒否の意を示す。


 が、何を思ったのかその手を桜さんはガシッと掴むと、私よりも勢いのある速度で蘭菊から逃げる方向に引っ張っていかれた。


「さっ桜さん、足が」

「ニャミッ」


 足が縺れるかと思った。

 その衝撃で抱え込んでいた護は腕から離れ地面に着地する。


「走れ走れ」


 桜さんの背中に声を掛けるが、それがどーしたとでも言うように無視される。

 首をひねり顔を後ろに向ければ、徐々に蘭菊から遠ざかっているのが分かった。相手の方はそれほどスピードが無いせいなのか。

 護は私に付いて来ず、蘭菊の方へと走って行った。

 ちょ、どこ行くのアンタ!


「ほら、こっちだ」

「っうわぉ!」


 真っ直ぐ走っていたのにいきなり左に曲がったと思えば、細い路地裏のような場所にある木箱の後ろに突っ込み押し込まれた。

 少し暗いその場所は、普段道を通っていても横目で気にして見るくらいで踏み入れたことは無い。

 大人しくしてる様にと口に人差し指を立てる桜さんは、逃げる事に私よりも集中している。というか楽しんでいる。

 隠れんぼの様なものだと思われているのか。…癪だ。


 しばらくそうしていると蘭菊の声が近くに聞こえてくるが、それは一瞬の事で直ぐに遠退いていった。


「…よし。行ったな」


 木箱からチラリと本道を確認する桜さんは、私のほうを見て頷く。声がヒソヒソ声なのはまだ気が抜けないからなのかなんなのか。私もヒソヒソ声で静かに応答する。


「行きましたね。というか何でついて来たんですか」


 二人して地べたに座り膝を抱えて体育座りになる。着物が汚れようがお構い無しだ。

 というか護よ、落としてゴメン。


「お前は何で逃げてるんだよ」

「……」


 華麗に私の質問をスルーするこの人は、とにかく人の話を聞かない。いつでも自分のペースである。優しくて話しも面白いから嫌では無いが。

 今だって心配そうな顔で私の顔色を伺ってきて、人生相談所が始まるのが分かる。


「嫌な事でもされたのか?喧嘩か?」

「違う…様な。嫌な事がおきるのを防ぐ、みたいな?別に喧嘩でも無いんですけど、少し距離を置いているというか」


 そうシドロモドロに説明する私へ顔を向けている桜さんの顔には、しかめっ面とは違う難しい表情が浮かんでいた。首をやや傾け顎に手を当てている。


「うぅーん。それは…相手が可哀想だな」

「……」


 歯切れの悪い口調は、慎重に言葉を選んでいるかのようにゆっくりと音を鳴らす。


「何にもしてないのに、友人に避けられたら悲しいだろ普通。落ち込むぜ俺だったら。お前、そんなに守りに入る奴だったか?」

「?」

「昔…つってもお前と知り合って2年しか経ってねーけど。相手の懐に飛び込んで行くくらいの勢いで初めは俺に話し掛けて来てくれたじゃねぇの」


「野菊が変わらなきゃなんねー位、酷い事でも起きるのか?友人を離してまで」


「不幸だぜ、皆」


「いつものお前が好きだぞ。俺は」


 はにかむ笑顔でそう言われる。

 いつもの私ってなんだろう。

 いつもの私は、どうしてたんだろう。


『人間万事塞翁が馬だよ。野菊』


 あぁ何が正解で何が駄目なのか。

 至急誰か答えを教えてください。

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