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始まる 受難の日々 8

 私の自室。

 畳は少し赤みの強い龍髭表(りゅうびんおもて)縁付き畳。太陽の光に当てて出された赤みは、其処らの畳の色と違ってくる。なんにせよ手間隙のかかる高級畳だと言うことには変わりない。

 部屋の広さは十畳程。

 外を見渡せる柵が赤い格子窓は、戸を開ければ直ぐ目の前に見える。

 夜になれば一番役に立つ少し高さのある点灯は、昼間は部屋の隅。自分の着物をしまう花蝶彫りの高級箪笥は、あまり目立たせたくは無いのでこちらも部屋の隅。自身の三味線や箏など大きい物は押し入れに保管している。

 テーブルなんてものは無く、読み書きの際に使う脚付きの四角い台が申し訳程度にあるだけ。客への手紙を書く際に使う紙や筆、墨は木箱に入れてその台の下に置いている。

 そして家具の中でも一番のお気に入りである漆塗の黒い化粧台は、窓からの太陽光を考えて逆光にならないよう格子窓の横に置いてある。鏡付きのそれは化粧をする際には欠かせない。


「化粧に、何か秘密でもあるのでしょうか」


 そんなお気に入りの化粧台の前に座っている緑黄の長着に身を包んだ梅木は、この部屋の主である私へ唐突に質問をしてきた。


「秘密?」


 彼はまじまじと絵の具のパレットのように並ぶ化粧道具を観察する。


「座敷だと兄ィさんが男に見えるのです。昼間は完全に女子としか見えないのですが」

「あれま。最後のそれはちょっと問題だ」


 未だ化粧道具を見つめる好奇心旺盛な弟子に、あらあら…と微笑ましい気持ちになった。


 チャッピー専用の壷に水を入れている私は横を向く。

 青色の暖とりである火鉢は、パチパチと火の粉を噴いていた。


「男らしく見えるように、工夫は色々してるよ」

「た、例えばどんな感じでしょうか!」


 化粧道具を見ていた彼は、私の言葉を聞いてサッと素早くこちらに振り向いた。声が歌うように弾みだし、瞳が心なしか輝いて見える。

 そこまで興味深々に聞かれてしまえば、ウズウズと話したくなってしまうのは仕方が無い事だと思います。


 壷の隣に置いてある座布団の上にて。

 仰向けで寝こけているチャッピーの白い腹をプヨプヨと触りながら、何から話そうかと思案する。


「ゲッ」


 あ、ゴメン。強く押しすぎた。


「喉仏があるよう見せるために、首の真ん中に黒・茶・白を上手く使って薄く影を作るのと、首が少しでも太く見えるように多少首の両端を明るくしたりね」

「なるほど」

「顔に関しては少しまゆを太くするくらい。あと手は一番性別や年齢が出やすいから、一番気が抜けない場所かな。常に力を入れて角ばった状態でいないといけないから」


 常に男としていないといけないわけだが、どう頑張っても所詮女の体は女。どう見せなければならないのかは、兄ィさまたちを散々観察して考えた。


 首は皆やはり若干女性よりも太く、腕や手も骨張っている。

 そして何よりも女の体は柔らかく、対して男は硬いというのが特徴。

 なので筋肉もつけなければと筋トレもした。

 腹筋背筋上腕二頭筋。

 休むな怯むな私の体!

 と成長期十三歳、十四歳の年は日々肉体を精進し励んだ。兄ィさま達のようなパーフェクトボディを手にいれる事が第一。目指すは六つに割れた素晴らしき腹、美しい肉体。

 人間最高。


 と意気込んだのはいいものの。


『おっかしいなぁ…』


 結局ムキムキにはならず。

 まぁ硬くなったかな?程度で、マッスル期間は約二年で終わりを迎えた。

 果たしてダイエットと筋トレをやるならばどっちのほうが結果的にマシなのだろうか…と挫折した直後本気で悩んだ事は記憶に懐かしい。

 ぶっちゃけ最終的にどっちも変わらないし、ダイエットも筋トレも同じもんだと気づいたのは大分後。

 だがやらないより良かったと今では思う。


 前にお客から『私、腕が逞しい人って素敵だと思うの』と腕をペタペタと触られ、その際『(やばい)』と焦り渾身の力を腕の筋肉に入れてどうにかその場を凌ごうとした事がある。

 もしこの裏を覗かれ暴かれていたら、張りぼても甚だしい奴だと失笑されてしまうだろうな、などと一抹の不安と立ち直れない自分を潜かに想像しながら唾を飲み込んでいたのは苦い思い出。


『あら…』


 しかし、筋トレのおかげなのだろうか。

 相当それは硬くなったらしく『少し細いですけど、硬い筋肉で素敵だわ?』と思いの外褒められ難を逃れる、という幸福が舞い降りて来たのは日々の私の行いのお陰だったのか。


 備えあれば憂い無し。

 とはまさにこういう事。


「普段はのんきにしているのに、やはり努力の賜物ですね」

「最初のはどういうことなの。褒められてるのか貶されているのか分かんないんだけど」


 頷きながら感心している彼に、至極真面目な顔で返す。

 最近梅木が秋水に見えてしまうは気のせいなのか。言動が似てきている感じが否めない。私も共に教えているというのに何故なんだ。

 私に似なさい良い子だから。


「でも梅木はそこまでしなくても十分男の子だからね。目尻に線を引くとかで良いと思うよ」


 そう言って化粧台の近くに行き、漆の小箱から筆を取る。目元を弄りたいので、極小サイズの小筆をチョイス。


 この世界の江戸時代には化粧の種類がたくさんある。色もそう。どう作られているのかは甚だ疑問だが、ファンデーションのような肌色の粉や、紫・緑・黄土色など色々と顔に彩りを与えられる物が多い。まるで絵の具のようだ。

 これだけ元の世界と人種も何もかも違えば、そんな点が発展していてもおかしくは無いなと頷ける。


 膝立ちをして目の前に来た私を見て、梅木が嬉しそうな顔をしだした。


「やっていただけるのですか」

「お風呂ではちゃんと落としてね」


 手を梅木の顔にかざせば、それが合図だと言うかのように自然と瞼を閉じてくれる。


 そんなちょっとした事に、心が何となくほっこりした。


 まだ雄々しくない幼さの残る顔。

 これが男に向ける言葉かどうかは個々の感じかた次第だが、花開く頃が待ち遠しい、と染々思う。

 艶やかな金の髪に碧い瞳、赤みのある白い肌を持つ彼は本当にお人形さんみたいで。女の子だったならフランス人形みたいだなんて称賛出来たのにな、などと些か本人的には失礼な事を考えてしまう。


「はい、目を開けても大丈夫」

「わぁ。引くだけで、意外とらしくなる物なんですね~」

「だから化粧は『化ける』って文字が付いてるんだろうね」


 梅木は化粧台に備わっている鏡に自分の顔を映すと、感心の声を上げた。

 施した私自身も満足の出来であると自負する。

 …目尻にライン引いただけだけど。


 小筆を小箱に置いた途端、何だか無性に手が寂しくなる。言うなれば、口寂しい、と似たようなものだろうか。

 手で何かを触っていたい気分。

 掴める物でも何でも良い。


 …あ、そういえば。


「チャッピーちゃーん」


 ちょうどいい。

 チャッピーのプヨプヨなあの素晴らしい腹があるではないか。柔らかい弾力で指を跳ね返されるその腹。

 ぷよんぷよん、プヨンプヨン。


 あの感触を思い出すと堪らなく恋しくなり、手を伸ばせば掴める距離にある座布団を自分の近くへズズ…と引っ張り寄せた。

 スヤスヤと瞼を閉じて未だ眠る奴のピチピチボディ。



 プニ…プニィ。


 うむ。

 やはり気持ちいい。


「その羽織は清水兄ィさんのですか」

「え?あぁ、うん」


 ふぅ、とその気持ち良さに和んでまったりしていると、鏡に顔を向けていた梅木が、ある場所を小さく指差し問うて来た。


 梅木の視線を追えば目に入るそれ。

 実は縁側で団子を食べた後、少し寝こけてしまった私。

 外の空気に晒されているというのに、よく眠れたものだと自分でも感心する。


 時間はさしてそれほど経っていなかったものの、勢い良く起き上がった時には既に身体を包み込むように被さっていた誰かの羽織。

 誰かの…と考えるより前に誰のかが分かってしまうのは、その人物が良く愛用して着ていた物だったから。

 梅木が見て直ぐに分かるくらい。


「返しに行かなくてはですね」

「ゲコォッ」


またしてもチャッピーの腹を強く押しすぎてしまったようだ。

 ごめんチャッピー。


「…そうだよね。返さなきゃ」


 聞こうとする者の耳にしか届かない、消え入りそうな声でポツリと呟いた。

 化粧台の横に皺にならないよう畳んで置いておいた、その唐紅色の羽織。そっと手に取り持ち上げて眺めれば、微かに兄ィさまの香りが届く。それと同時に隙間風のような寂しさが胸を通り抜けたのは、きっと私の気のせい。


 このゲームにはバッドエンドとノーマルエンド、ハッピーエンドが存在する。

 とりあえず野菊はバッドエンドだろうが普通エンドだろうが最悪の事態を迎える事には変わりない。ハッピーエンドでは罰を与えられるし、バッドエンドでも罰を与えられる。

 ノーマルエンドでも。


 ではバッドエンドで野菊が罰を受けたというのに、何故主人公が幸せになれないのか。


 それは、ラブゲージが程々にしか上がっておらず中途半端で、かつその後の選択をミスると相手の花魁が客に身請けされてしまったりする事態が起きるからである。

 また相手によっては、バッドエンドで吉原に大きな火事が起き、そこで主人公を助けて死んでしまうという…何とも予兆不可能な理由でエンディングを迎えてしまう事が。


 このことから、野菊はただの話を盛り上げる為に作られたキャラ、『当て馬』だと言うことが良く分かる。


 ちなみに誰がどのバッドエンド、普通エンドなのかは分かっている。

 何で全ての枝分かれルートを理解してしまっているのかは今更突っ込まないで欲しい。

 …きっと性根からのオタクだったんだ。



「そういえば私…」

「?」

「皆の事、どう思ってたんだろう」


 不思議な事がまた一つ。

 元旦に見たあの夢で、私は確か「和風が好きだから」という理由であのゲームを買ったと回想していた。

 だが野菊や主人公の行動に関心を持っていたようだけど肝心の攻略対象の皆については何一つ、こうだった、ああだった等感じた事を思い出していない。

 普通、ゲームを楽しんでやり込んでいた位ならちょっとでも覚えていておかしくはない筈。


 内容やゲームの進みは分かるのに、その時の自分の想いが分からぬとは何事か。

 『このキャラ超好き!』と言えるキャラが一人はいても良いのに。


「どうかしたのですか?」


 その今更な事実に、顔色は驚きも恐れも見せず私はただただ無表情になった。


 愛理ちゃんにはもう好きな人がいる。それは変えようもないこの世界での事実だ。

 ノーマルエンドならまだ良い。相手が年季明け後、夫婦になろうという話に其々なっていくからだ。そしてハッピーエンドなら尚良い。自分の実の父親達からの身請け話があり、ついには妓楼から年季を明ける前に出られ、また愛理の実家共に公認の中になれるからだ。

 しかしバッドエンドならば、その相手は死ぬか身請けかどちらか。


 だから私はどうにかノーマルエンドかハッピーエンドになって欲しいのだ。その好きな人と。

 ゲームの通りにいかなくても、せめて皆が身請けや死に至る事が無いように。

 身請けは別に、皆が好きな人と一緒になるのなら構わない。

 でもそうではないのなら。

 愛理ちゃんの好きな人が、愛理ちゃんを好きにならずにバッドエンドのようになってしまったら。


 眉間に胸騒ぎめいた黒い影が漂う。

 今皆がどんな感じに愛理ちゃんとの距離を縮めているのかは分かりかねている。蘭菊はだいたい良さそうだけど、他はすっかりで。

 彼女が現れれば姿を消すという事を繰り返しているから、詳しく分からないのは当たり前なのだけれども。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「護ーどこ行ったー」


 梅木を秋水へバトンタッチした後、私は無くし物ならぬ、無くし猫を探していた。


 昨日から全く奴の姿を拝んでいないのだ。

 猫は気まぐれだとは言うけど、ちと飼い主的には寂しい。寧ろ護に飼い主だと思われているのかさえ危うい。

 ただの近くにいる、良く構ってくる人間だとか思われていたらどうしよう。

 もう出会って約六年。

 今まで積み上げてきた信頼関係は幻の偶像だったのかと落胆したくはない。


 廊下をひたすら歩きながら護の名前を呼ぶ。

 一階はさっき見たし(食堂以外)、男衆に聞いても特定の場所で見たという情報は得られなかった。


 特定の場所では見ない…。

 すなわち見掛けるには見掛けるが、留まってはいないため、具体的に何処にいるのかは分からないということ。

 全く…。


「はいはい。お呼びですか?」

「ん?」


 凪風の部屋前にさしかかった所で、私の声に返事をする者がいた。


「にゃー」

「…護使って腹話術するの止めれ」


 何が『にゃん』だ。

 可愛くないんだよ馬鹿者。


 部屋戸を半分開け、護を持ち上げ前足を動かして遊ぶ青年に溜め息が零れる。


「さて、居場所分かったから良しとするかな」


 若干冷めた視線を相手にぶつけながら、来た道を戻ろうと回れ右をして足を踏み出す。


「え、ちょっと待ってよ」

「不審者とは喋らないようにしてるんです」

「うわぁ」


 物凄くわざとらしい不快感全開の声を上げる凪風。

 何かイラッとしました。


「あぁもう…話したくないなら、これだけは言わせて」



「人間万事塞翁が馬、だよ野菊」


 さっきまでおチャラけていた彼が、真面目な面持ちでそう言う。


 人間万事塞翁が馬。

 意味は、一時の幸・不幸は、それを原因として、すぐに逆の立場に変わりうるのであって、軽率に一喜一憂すべきではないということ。

 幸不幸は予期し得ない。

 何が禍福に転じるか分からない。


 昔々、中国の城近くで暮らしていた翁の大事な馬が逃げ出した。不幸だ。

 しかし、帰って来ないと思ったら一頭の馬を連れてその馬が戻って来たので大層喜んだ。幸福がやってきた。

 だが自分の息子がその馬に乗って、落馬して大怪我をした。再び不幸だ。

 その怪我のせいで息子は戦争に行けなくなったのだが、近所の若者はみんなその戦争に行って誰一人戻らなかった。

しかし怪我をした息子は戦争に行かなかったので唯一無事だった。…幸福だ。


 こんなことでは、何が災いで、何が幸いするかは解らないものよ。


 という故事成語。

 人間万事塞翁が馬である。


「?どう…」

「野菊が良かれと思っている事が、幸福に繋がるとは限らない。そのまた逆も積りだけどさ」


 私から視線をそらし、護の両前足の肉球をフミフミしながら続ける。


「君が思う以上に、妓楼の皆は野菊を信頼してる。下働きなんかよりもずっとだ」

「それは、」

「もし、何かあったなら頼ってみても良いんじゃない」


「どう?」というような目つきで此方を伺う彼。

 何かを見透いているその物言いに、私は少し戸惑う。

 なんでそんな事を言うのだろう、と。


「じゃあ護、野菊が迎えに来たみたいだから戻って良いよ」

「ニャア」


 護がトテトテと襖を越え私のいる廊下へと来る。

 一体、彼の言わんとしている事は何なのか。

 

 私は護を抱き抱えて、逃げるように部屋を後にする。

 隠し事がバレた時の子どものように。

あとがき。



 廊下にて。


『…護、私飼い主だよね。いや、友達だよね』

『ニー…(………)』

『…と、友達だよね』

『ニャ(お前は僕の恋人だ)』

『うっそ!やだもう護ったら~!』



 そんなキャッキャと野菊が立ち止まり話している場所の、横にある部屋の中では。


『あいつまた猫と喋ってんぞ』

『蘭菊…何故あんなに楽しそうなんでしょうか。何故猫には話して俺には話してくれないのでしょうか』

『にっ兄ィさん、俺もですからどうか次は弦を無駄にしないでください!』

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