始まる 受難の日々2
「じゃあ野菊、風呂ゆっくりな。俺らは隣の脱衣所使って着替えてるからよ。いつでも風呂から上がって脱衣所使って大丈夫だからな」
「はーい」
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──チャプーン…
一人しかいない浴室に、水の滴る音が響く。
「はぁ。気持ちいー」
仕事が終わり、深夜も深夜。
この時間、広い風呂場を貸切状態で堪能するのが私の仕事後の楽しみとなっている。なんたって一人しかいないもんね。
お湯は若干…微温いけど。残り湯だけど。
「…疲れたな…」
独り言を呟きブクブク…と顔半分を湯に沈め、目を閉じた。
今日の一日を湯に浸かりながら振り返ってみる。
『女の嫉妬をなめたらいけませんよ?』
冬様の言った言葉が頭から不思議と離れない。
昼間に愛理ちゃんとの事があったせいなのだろうか。
女の嫉妬と言ったって愛理ちゃんが私に何かをするなんてあまり想像できない。廊下での出来事も、嫌そうな顔を私に向けただけで実害は無いし。
「…あーもう」
あぁぁ~…。
でも本当なんであの時ゲームの通りの展開になっちゃったんだろう。
「あ、野菊さん」
一人頭を抱えモヤモヤしていると、ガラガラ…とお風呂場の戸が開き可愛らしい声が風呂中に響いた。
「へ──…!?あっあい、」
けしてこれは返事では無い。
アイアイサー。とか言うつもりでもない。
私はびっくりして思わず二度見した。
「愛理ちゃん?あれ、外の銭湯…」
彼女は確か吉原を出て直ぐにある銭湯で入浴をしていたはず。
何故ここに?
「私、今日はこっちのお風呂なんです」
「そ、そうなんだ」
頬に手を当てながら、ニッコリ笑顔で答えてくれる。
「じゃあ早く入ったほうが良いよ。寒いから」
「はい」
「うん、寒いから」
クソッ。なんだか気まずい。
思わず同じことを二回も言ってしまったではないか。
意識しているのは私だけだと思うけど、泣かれてしまった身としては微妙な罪悪感がチクチクと胸に刺さっているのだ。
ガラスのハートかっての。
『あの私、今日はこのお風呂で』
『あぁそう。ならこっち来て入ったら。滑りやすいから手、貸してあげる』
ふと、脳裏をある場面が過ぎる。
これはゲームの中にて、外のいつも野菊と愛理が使用している銭湯が修理のため使えなく、仕方なく妓楼の風呂に入らなければいけなくなったという時の二人の会話。
予想できるだろうが、ここでまた野菊は犯罪に限りなく近い悪さをしてしまうのだ。
それは、
「あの、悪いんですけど…手を貸してもらっても良いですか?」
浴槽の近くまで愛理ちゃんが歩いてやってくる。
浴槽に入るのを手伝う、ということだろうか。どうやらまだ足首が不安定らしく滑らないか心配らしい。
愛理ちゃんが私に向かって手を伸ばしてきた。
「え?あ…」
そう言われて立ち上がり手を差し出そうとするが、私の手は途中でピタリと止まる。
手を、貸す?
もしここで手を貸したら、どうなるのか。
私の記憶じゃ野菊が手を貸した後愛理は、
『バシャンッ』
『う、わ…っぷっつだ、れか…っぷ、』
『簡単に信じて馬鹿みたい。苦しいの?』
野菊に手を掴まれたまま湯船へ押し込まれ溺れさせられてしまう。
これは凪風ルートでの場面なのだが…でも今、何故、どうして。
後にこれはタイミング良く現れた凪風にその場を見られ、野菊は軽い仕置きを受ける流れになっていく。そして数日間主人公は凪風に体調を気遣われたりとラブラブゲージを挙げていくのだ。
「……」
というか…私色々なルートの場面を知っているみたいだけど、全ルートを攻略してたの?どんだけやり込んでたんだ私。
と以前の自分に軽く突っ込む。
「野菊さん?」
ピクリとも動かない私に怪訝そうな顔をして伺ってくる。
今私が愛理ちゃんの手を取ったとしよう。
果たして何が起きるのか。
昼間に起きた様なことが起きるんじゃ?でも…。
「…っ」
私の体は頭ではまだ何も理解できていないはずなのに、愛理ちゃんの差し出してくる手を拒んでいる。
湯に浸かっていたはずなのに体が冷えてくるのは気のせいか。
「野菊さん!」
「う、ん」
でも一か八か、賭けてみようか。
手を貸したとして、私の意志に反して愛理ちゃんを溺れさせてしまうようなことが起きるのか。
それに足首が不安定な女の子を無視する事など出来ないし。
止まっていた手を再び動かし、愛理ちゃんの手をしっかりと握る。
間違いが起こらないように。
ゆっくりと。
「ありがとう…え、わっ!」
「!?」
だが愛理ちゃんがこちらへ入ってこようとした途端、足を直前で滑らせたのか、スローモーションのように浴槽側へ倒れてくるのが分かる。
はぁ!?
慎重モードに入った意味無!!
「冗談じゃ、ないっ」
だが、そうはなるものかと私は腕と足に目一杯チカラを入れて愛理ちゃんを反対側へ押し手を離れさせた。
中々指が離れなかったが思い切り振り払う。
「えっ!?」
愛理ちゃんの見開き顔が驚きに染まる。
よし。これで大丈夫。
と自分の中で頷くも、自分に起きた出来事に気づいたのはもう顔が天を向いた時。
なんと湯船下の床の滑りに自分の足のコントロールを取られたのだ。
や!ちょっ、こ、転ぶぅぅう!!
ツルッ
ゴツン
バッシャーンッ!!
「い、うぶっ…」
ガラッ…
「今の音なんだ!?すっげー音したぞ!!」
この声は羅紋兄ィさま?
というか、い、意識が遠のいて…。
「おい誰か来てくれ!!」
バタバタ
「愛理?お前何か俺に用事があったんじゃ…」
「今はそんな場合じゃねーぞ!」
「野菊!しっかりしろこのバカ!!」
すごく体を揺すられている。
頭も何か痛い。
ていうか馬鹿は余計だ馬鹿は。
私の意識はそれきりフェードアウトしていった。




