始まる 受難の日々1
日が徐々に沈み、仕事までの時間が刻一刻と迫っている。
私は愛理ちゃんと宇治野兄ィさまを見送った後、護とチャッピーを両脇に鎮座させながら一人考えていた。
頭に浮かんだあの場面と事に至るまでの経緯を。
さっきのアレは何だったのだろうか。
愛理ちゃんの恋の邪魔をしようとしたから?いやでも邪魔をしているつもりはないし、そもそも邪魔なんてしたくもないし。
そんな趣味悪くないし。
有り得なくは無いけど、もしかして愛理ちゃんが(主人公が)野菊が邪魔をしていると認識すれば、ゲーム通りの展開になっちゃうとか?
でもこの世界で本当にゲームの通りにいくのか。
色々ズレているし私が遊男になっている時点でそのような展開に至るまでには無理があると思う。
『野菊さんと話しているのを見ているのも駄目で…』
しかし、話しているだけで駄目…か。
くぅっ。女子の世界はなんて厳しいのだろう。
乙女心は可愛いと思うけれど私本人からしてみれば無茶振り以外の何者でも無いわい、という感じだ。
さっきも話しながら思ったが、誰かも分からないんじゃ対策の仕様が無い。あの状況を見れば宇治野兄ィさまっぽいかな、とは思うが確実ではない。
本人から聞いたわけではないので、憶測だけで判断するのは大変よろしくない。
でもじゃあコレで私がいつもの通りに花魁の皆に接したとしよう。
さてどうなるか。
「………うー…」
まぁどうであれ素直に皆から距離を置くことは当然できないので、しばらくはいつも通りにいってみた方が良いかもしれない。
それで何かゲームの通りに私『野菊』が悪者の立場になってしまうようなことが起きたら考えてみよう。
「野菊ちょっといいか」
「おやじ様?」
廊下からの声に反応する。
おやじ様の声だ。
「ええとあの、どうぞ」
「おー悪いな、仕事前に」
こんな時間になんの用だろう。
仕事ももうすぐ始まるし、と思いながらも戸を開けておやじ様を部屋へと導く。
ズカズカと上がってきたのはいいが、何だ。
部屋の掃除の抜き打ちチェックか!!
「?」
とか構える私の視線はジーっとおやじ様の手元へいく。何故か着物でも巾着でも手拭いでもなく、赤と青のただの布切れをその手に持っていたのだ。一体何に使うのだろうか、そんな布切れ。ちょっと気になるぞ。
巾着でも作れと言うのか。
「どうするかねぇ~」
「…何がですか」
布を持ちながら顎に手を当て、質問にもなりきれていない質問をしてくる。
いや、そもそも私に向けた質問なのか。
自問自答している気がする。
というか今日訪問者多くない?
「んん…」
「……」
布切れを私の襟元に交互に被せてしばらく思案しているオヤジ。
もう何してんの。
すんごい真剣な瞳で眉間に皺寄せているけど。
この行動にそんな唸るほどの何かがあるの?
ひたすら無言でそんな事をされている私の頭の上には「?」がたくさんついている。
「あ、」
そういえば。
話は変わるが、いまや私の背はおやじ様を越える一歩手前。それゆえか私の目線はおやじ様の頭にいく。
おやじ様がいつ禿るか昔皆と予想し合っていたけど、あれ私の勝ちだな。
まだ全然あるよ毛。
「よし!」
「?」
「じゃあ座敷頑張れよ」
唸っていたおやじ様はいきなり納得したような声を上げると、直ぐにそのまま部屋から去っていった。
は?
「え、何?ちょっと、おやじ様―?今の何ですかー!?」
意味が分からないままに私の声は空気中へと消える。
私の頭の上には更に大量の「?」マークが出現。
目をパチクリとさせ、その後数秒動きを止めたままチラリと視線を横に向け外を見てみれば、吉原の町中の灯りが点々と点き始めていた。
どうやらもうすぐ夜見世の時間になるらしい。
そろそろ私も着替えて準備をしなければならないようだ。おやじ様に気をとられている場合では無い。
というか時間って過ぎるの早いなぁ。
一日二十四時間だけど、たまに三十時間になったりしないのかなーとか中学生みたいなことを考える事がある。
休日限定でだけど。
まぁそもそも無理だけど。休日年に二日しか無いし。
「…ふぅ」
さて、と立ち上がり箪笥から今日着る着物を取り出すことにする。昨日は濃緑地の金蝶を着たから、今回は青色のまた色が落ち着いたものでいくとしようか。
着物って洋服みたいに何十種類も形があるわけではないけど、柄や色に関しては和服特有の洋服では到底出せない魅力があるから見ても着ても楽しい。
…あ、でも。
そういえば赤とかは滅多に着た事が無いな。と、さっきのおやじ様が持っていた赤い布切れを思い出してみる。
赤い色を最後に着たのはおやじ様が『桃の節句だ!』と言って無理やり女物の着物を着せられたあの時の一度きり。それからも毎年着させられそうになったが、丁重に毎回断らせてもらっている。
花魁道中の時も、黒地に金の花の刺繍が入った長着に葵色の羽織を着たりと色味は明るくない。
客の好みに合わせて着物を着る時もあるが、やはり明るい色は着ていない。
「ニャーン」
「もう来る?」
護が仕事前に鳴くときは誰かがここへ向かっているという合図。たぶん今は番頭さん辺りが客の訪れを知らせに来てくれようとしているのだろう。
は、早く着替えなければ。
いそいそと着替えを急ぐ。
私など、花魁たちは基本夜見世(格子の中に座り、外から客が自分を選んでくれるのを待つ)には出ず、自分の部屋で客の訪れを待つ。事前に誰が来るのかは妓楼側で分かっているのでその客のための準備をしておくのだが、馴染み以外の客の場合にはそのようなことはしない。
花魁が閨をともにし、夜を過ごしても良いと判断された馴染み客だけが丁重にもてなされる。花魁に馴染みにしてもらうには三度花魁の下へ通わなくてはいけなく、かつ花魁にその間気に入られなければ門前払い。
私の場合は閨を共に出来ないので論外なのだが、閨抜きでもお話や芸事を見せるだけ、という条件で馴染みにしている客たちがいる。
そんな遊男としては有り得ない条件を呑んでくれている客の皆には、感謝しかありません。
大事にしよう。うん。
ここで一つ今更な遊男事情。
遊男を買えるのは一日何人までという決まりは無いが、閨の場合は相手をして良いのは一日一人まで。一日何人もの相手はしない。
それは、妊娠の関係があるからである。
ある意味赤子の種を外部にばら撒くようなものなので、こちらでの責任が持てない。避妊という手もあるにはあるが確実ではない。女性である客が赤子を産むのは自由だが、その赤子が捨てられてしまう可能性が大きく、更に客である女性の命も時に危なくなるので、むやみやたらにすることは出来ないのだ。
だから遊男は閨の相手がいない日もある。
「野菊花魁、春日様です」
「どうぞ」
私の馴染みの一人である春日ノ冬様。
三ヶ月程前から定期的に私の元へ訪れてくれている。
「この間ぶりね。お待ちになって?」
「首を長くしていたよ。天まで届きそうだ」
赤紫の長い御髪は妙に色っぽくて、気の強そうなつり目の碧瞳は本人の性格をそのまま表しているよう。
私のことは噂を聞いて興味本位で買ってみたと言ってくれたのだが、興味本位で花魁を買うなど並みの人間で無いことは確か。
「あら、今日は藍色の着物なの」
「冬の色だからね」
「ふふ、もう。口が上手ね」
座布団の上へ促し座っていただく。
「梅木、筝。雪桜で」
「はい」
今日は梅木が座敷で筝や舞を披露してくれるので私的にはウキウキしている。月に三回しか引込みは座敷に出てはいけなく、更に秋水の座敷と交代交代で出てもらっているものだから、実際には一月に一、二回しか座敷での梅木を見ることが出来ないのだ。
えぇはい、授業参観的な気分ですよ。
やっぱりウチの子が一番よね。とか言っちゃいたいですよ。
私の指示に梅木が頷き、筝を奏で始める。
「ねぇ野菊様、松代とは仲良くしていらっしゃるの?」
「松代と?」
音楽が始まると、それをBGMにして私や客は会話を楽しみだす。
「話を聞けばね『野菊様と今度花見の約束をしたのよ~。あぁ楽しみだわ!』とおっしゃっていたわ。本当?」
「あぁ、春に行う夜桜のことか。ずいぶん先だけれど松代が一番最初に俺との夜桜を希望していたみたいなんだ。まだ一月だけどもう申請が始まっていたのかってびっくりしたよ。冬は誰を希望した?」
「~っ野菊様、それは意地悪です!」
「そうかな」
「…松代には牽制をかけておこうかしら」
松代様は私の馴染みの一人。
松代様と冬様二人の話を聞いている限り、どうやら二人は知り合いらしく。というか幼馴染?時々お互いの家に遊びに行くというのだが、その際に話すことは専ら男についてだそう。
なんとも居た堪れない場である。
この二人が友人ということでなので、二人に関してはあまり下手なことは言えない。
『冬、好きだよ』と言った日には、松代様が数日後『冬が好きなのですか!?』と息をまいて私の元へやってくる。『松代が好きだ』と言えば、数日後には冬が『松代が好き!?この前は…』という感じで来て非情に大変な事になる。
遊郭とは実に三角関係…いや四角、五角関係が多発する非日常な場であると改めて体感した出来事だった。
一つ成長しましたよ私。
「野菊様、女の嫉妬を舐めたらいけませんよ?」
「そう?」
「えぇ、そうですとも。恋敵を陥れるなんて恋する女の十八番なのよ。たちの悪い女限定だけど」
「男を落とすのではなく?」
「女は不思議よね。男に自分の心の刃を向けたりしないの。真っ先に邪魔になりそうな周りの女に刃がいくわ」
「君も?」
「私は、そうね。松代に対抗意識はあるわ。でも奴とは正々堂々と勝負なのよ。それが私の刃の使い方。だから今回の夜桜の件に関しては私が出遅れたのが悪かったわ。まさかもう申請していたなんて…。負けてられない!」
「君は…」
拳を握りながら明日の空を見つめる冬様の瞳はキラキラと輝いている。
何もう超可愛いんだけど何この生き物。
と心の中で悶えながらも冬様の頬に意識が向かう。こんな時はあれだ。あれ。
私は隣に座る冬様の肩を抱き寄せる。
「やっぱり良い女だね」
ちゅ、
「あら、まぁあっ」
頬に接吻をされた冬様は、両頬に手を当ててコレでもかというくらい目をまん丸にして叫んだ。




