始まる 物語6
ところで今までスルーをしていたが、私は一つ重大な問題を全く深く考えていなかった。
私『野菊』は話の中で悪役、悪者、人格破綻者である。大変不本意だが。
今の自分はそうでないにしろ、前に思ったとおりゲーム通りの行動こそしていないが、そのような状況になりかけてしまう事が少々?あった。
ということは私が遊郭に売られてしまう事態や仕置きをされてしまう何かが起きる可能性が完全に無いとは言いきれない。
ぶっちゃけ怖い。
お化け屋敷の中に住んでいる感覚に近い。
いつ何が出てくる(ラブいイベントと自分の破滅イベント)か分からない。本当に恐ろしいことである。
「兄ィさん、次は?」
「え?あ、ああゴメン。次はね」
正月休み明けの三日目。
私は仕事までの間の時間に梅木に稽古をつけている。
禿を卒業した梅木は、今や私と秋水の下に付いている。
しかし何故秋水だけではなく私の下にも付いているのか。
それはおやじ様の粋な様でアホらしい考えがあったからである。
もちろん最初は秋水だけでも良かったらしいのだが、私がある日『きっと女の本音からすると~』と梅木に食事中何やら客の女性のことを話していたのを見かけ、急にピンとひらめいたらしいのだ。
(もし遊男としての秋水と女心が分かる野菊の二人に手管を仕込まれたならば…それ最強だよな)
なにが最強なんだ何が。
そして結局迷いもせず、最終的にそのような考えに至ったおやじ様は早速二人に頼んだ。ということである。
だが真面目な話、女と言っても長年男をやり続けている私に女心が完全に理解できているのかは怪しい。
以前の記憶も無ければ、この世界で恋すらしていないのだから。
「座敷の最後で使う手管なんだけど」
私がこの世界のことを知って四日目になるが、これと言って変わったことは無いし、これからの皆の展開を予測するのも難しい。
色々今の私たち…というか皆の関係に若干ズレがあるからゲームの話通りにいくかは微妙だし。
今のところ何をどーしたらいいのかは正直分からない。
だって知らずに生きてきたもんだから。
知らずにここまで来ちゃったもんだから。
遊男になっちゃったもんだから。
今更全く皆と関わらないというのは無理な話だろう。
「お客が帰る時、ん~…別れ際?が大事なんだなぁコレが」
「何をするのですか」
「例えば相手の女の人の頭を撫でながら『もう行ってしまうの?』とか言ったり、ぎゅ~っと抱きしめて頬に接吻したり『まだまだ別れたくない』という仕草をくど過ぎない程度でやるんだよ」
「ゲコ」
そう言って腕を胸の前で交差し、抱きしめる仕草をしながら梅木のほうを向き説明することに集中する。
あぁしかし、この私が誰かに指導する日が来るとは…。感慨深いものがある。
一日一善。
三歩進んで二歩下がる。
苦は楽の種。
思う念力岩をも通す。
石の上にも三年。
けして楽ばかりじゃなかった日々。
最初なんか字は読めないし、和歌の歌の意味もわかんなかったし。書道の半紙は毎回シミが付着するし筝の弦をブチッたこともあるし、皆より古典の呑みこみは遅かったし寝坊はするしやっぱり寝坊はするし。
最初の頃は失敗続きで駄目なお饅頭野郎だったけれど、それも我慢強く続けて何年もすればまぁまぁ美味しい焼き饅頭になれた感じはする。
継続は力なり。
「そうするとどうなるのですか?」
「自分(私)の事が別れたくないくらい好きなのね、この人は…と少なくとも思うはず。まぁ本当に遊びなれた人にはあまり向かない手だけど」
「女性とはなるほど、そういうものなのですね」
「ゲコ」
私の向かいに正座をしながら腕を組んで首を捻る梅木はなかなか可愛らしい。
引っ込み禿を卒業した彼は、花魁に付いて女性への手練手管を学ぶ。ちなみに芸事はおやじ様の下で完全に仕込まれているから、そっちのほうは教えなくても構わないのだ。
「帰り際だからこそ、だからね。覚えておくと良いかも」
「はい!」
「ゲコ」
…なんか横でチャッピーがちょいちょい入ってきて面白いんだけど。
あんた何、手管覚えてるのか。
よし、繁殖期になったら良いメスが捕まえられるように色々レクチャーしようではないか。
「ちゃっぴぃも覚えているのですかね」
「ふふ、かもね」
「じゃあ僕ももっと頑張らないとですね」
今私が教えているのは遊男の手練手管の内の一つ。いわば心理作戦とでも言っておこう。
私の座敷や秋水の座敷に何回か出てはいるが、やはりまだまだ分からない事が本人的、梅木には多い。
そりゃそうだ。目で見ているだけでは、実際どんな物かなんて全然分からない。私だって実践するようになってから大体理解したような感じだし。
でも兄ィさま達はある程度実践を私相手にしてくれていたのでとても分かりやすかった。
あれは凄くタメになった覚えがある。ありがたやー。
あ、そうだ。
「梅木、ちょっとそのままでいてね」
「?はい」
そう言われた梅木はその場でジッとする。
それを見た私は着物の裾を押さえて膝立ちになり、梅木を正面から抱きしめた。
苦しいほどキツくではやり過ぎなので駄目だ。
ちょっと力を一瞬込めるくらいが多分良い。
「…ずーっとこのまま一緒にいれたら良いのに」
「に、兄ィさん…」
ちょっとビクリとした梅木から振動が直に伝わる。そりゃ驚くよね、急にこんな事されたら。
でも梅ちゃん申し訳ない。
私からされても正直迷惑かもしれないが、こういうのはやっておいて損は無いと思うんだ。
自分の経験上。
「と、こんな感じです。ゴメンねいきなり抱きついちゃって」
「い、いいえ。なんとなく分かりました」
「なら良かった」
背中をポンポンと叩いてから腕を解いて少し離れる。
「でも今言ったことは嘘じゃないからね。叶うなら皆とこのまま家族みたいにいれたら良いなって」
そう私が言うと、梅木の瞳がキラキラと輝きだした。
「僕も野菊兄ィさんとずっといれたら良いと常々思っています」
今度はお互いにぎゅっと抱き合う。
ああ、なんて可愛いの君は。
弟が自分にいたらこんな感じなのかな。本当に可愛い、かわい……?おぉ…あら…あらら、ちょっと成長したか?腕の筋肉私より付いてんじゃん。あれ、ていうか背中ちょっと広くない?12歳だよね君。なんでこんなにいっちょ前なの。なんかちょっと男じゃないのよ男。どういうことなの。
ススー…
男に、身体が漢になってきている梅木に若干嫉妬していると部屋の戸が開く音がする。
誰だ。
「野菊ー…おい、何してんだお前ら」
気づいてそちらを見れば秋水が部屋の戸を開けたままポカンとしていた。
そんなマヌケ面も様になっていてイケメンはどこまでもイケメンなんだと地味に実感する今日この頃。
その成分私に分けてください。
少しでいいから。オーラでも良いから。
というかいい加減声を外から掛けてから開けて欲しい。
蘭菊といい秋水といい皆全くもう…。
常識と言う物を学ばんかね。
とりあえず梅木から再び離れて秋水の用件を聞くことにする。
「何か用事?」
「あぁ。稽古中悪いがおやじ様が新しい着物仕立てるとか言うから一応呼んで来いってな」
「梅木?私?」
「梅木だ」
新しい着物か。
そう言えばこの時期は仕立てラッシュだった気がする。
まだ1月なわけであるが、5・6月の温かい時期に向けて今から仕立ててしまうのだ。こんな早く仕立てなくても…と思うのだが、おやじ様がやると言うのだから仕方が無い。
「そっか、じゃあ行ってらっしゃい」
「兄ィさんではまたお願いします」
「うんまたね」
二人して手を振り合い、そうして梅木が部屋から出て行く。
梅木だけ。
秋水は梅木の背中を見送るばかりだ。
あれ、秋水は行かないの?
なんかずっと立ってるけど。
どこにおやじ様がいるのか伝えて無いじゃん。もしや以心伝心?心の中で会話とか出来ちゃうの?
とくだらない事を考えていると、秋水が溜め息をつきだした。
…なんで溜め息よ。
幸せ逃げるぞエリートボーイ。
「ところで今日は何やったんだ?」
「客の帰り際についてをちょっと」
「それであぁなったのか」
どうやら梅木との抱擁が気になっていたらしい。
「野菊はこの後用事とかあるか?」
「ちょっと…まぁ」
「なんだそうか。どうせなら荷物持ちさせようと…チッ」
「今舌打ちした?舌打ちしたよね?」
「それはそうと…」
「あ、逸らした」
「あんまり男に無闇に抱きついたりするな。男だって単純だからな。もしやと思うかもしれないぞ」
何を真剣に話し出すかと思えばなんだ、そんなことか。
そらホモい世界があることだって私も知っている。いくら私でも誰彼構わず抱きついたりなどはしないさ。同期や親しい兄ィさま達以外には。
「梅木はまだ良いが…」
「まぁまぁ大丈夫だって。というか秋水のほうこそ天月の誰かに惚れられちゃったりするんじゃないの~」
「あるわけないだろ馬鹿かお前」
「馬鹿はお前だ」
「なんて言った」
「すいません」
秋水に頭をガシっと片手で掴まれてしまった私はすぐに謝罪する。
もはや恐怖政治。
「明日は?」
「何が?」
「用事だ用事」
「あぁ、明日は無いかも…」
「なら明日吉原の簪屋に行くからお前一緒に来い」
話がまとまりそうだと感じたのか、秋水は開いたままの戸に手をかけだす。
「お!もしかして梅木のやつでしょ?」
「当たりだ。また昔みたいに寝坊すんなよ」
そう少し笑って言うと、後ろ手に手を振りながら部屋から去って行く。
何だあの後ろ姿。
爽やか青年じゃん。
エリートが爽やかになるとかもう完敗なんだけど。
「ふぅ…」
それはさておき。
やっと一人になれた部屋で私は再び考える。自分のことについて。
『野菊』が出てくるのは愛理ちゃんがおやじ様に拾われ天月に来てすぐの事だ。裏方の仕事の先輩として最初は優しかった野菊が癪変するのは愛理が誰かの高感度をある程度上げた時。
つまりは花魁の誰かと良い感じになる少し手前辺りである。
野菊が頑なまでに皆が愛理に惹かれるのを嫌がる理由は、親から受けたこれまでの扱いに理由がある。
2歳で本当の親に捨てられ、そしてまた凪風の家に拾われるも結局はまた捨てられ。そんな捨てられ続きの人生が完全に彼女のトラウマになっていたのだ。
愛理が誰かと結ばれてしまうというのが、せっかくまた新しく出来た家族を取られてしまう・自分はいらなくなって捨てられる、と言う考えに至ってしまう。
…もうちっとこう、プラス思考になれないものか。
新しい家族が出来るんだという思考になれないものかね。
まぁそこはゲームを作った人が悪いんだけどさ。野菊を捨てられ続きの人生にしやがってコノ野郎。
だが更に厄介なのが、愛理…プレイヤーが選択したルートの人物を野菊が好きになっているという事。プレイヤーが蘭菊を選べば蘭菊を好きになっているし、宇治野を選べば野菊も宇治野を好きになっている。
どれを選んでも野菊は恋敵になってしまっているので、この運命はどのルートにいっても免れない。
「……」
「ゲーコ」
今の状況はどうだろう。
別段決定的な何かがあったわけではない。
そして私自身に何かあったわけではないが、愛理ちゃんと花魁の皆の間で何か起るのは間違いない。
実際起こっていたし。
第一この世界がゲーム通りにいくかが分からない。
もしかしたらパラレルワールド的な世界かもしれないし。
私が愛理ちゃんを嫌いになって殺そうとする事は無いと思うし、そもそも恋敵になんてならないだろうし。
考えが落ち着いたら愛理ちゃんのところに行って話でもしてみよう。
記憶が無くなったばかりの頃は避けられていたみたいだけど、私もいつまでもウジウジしてはいられない。
《コンコン》
「はい?」
部屋の戸がノックされる。
誰だろう。
さっき出て行ったけど秋水かな。だとしたら急激な成長を遂げているではないか。開ける前にちゃんと戸を叩くなど。
「あの、野菊…さん。お話がしたいんですけど、お時間ありますか?」
聞こえてきたのは愛理の声だった。
野菊の目は文字どうり点になる。
「っ…え?あ、ちょ、ちょっと待ってね」
「ゲコゲコゲコ!」
ピョンピョン…。
とチャッピーがいきなり凄い鳴き出したと思ったら窓から出て行ってしまった。
「い゛やぁぁあ!ちゃぁっぴぃぃぃぃい!!一人にしないでぇぇ!」
ていうか、ちょ、今冬!今冬だよチャッピー!
あんた死んじゃうって!!
てか何てバッド?ジャスト?タイミングなの!!
心の準備もしないうちに本番がやってきてしまった野菊であった。




