始まる 物語3
夜はまだまだ長い。
隣りでは依然として凪風が酒をグビクビと飲んでいる。
意外と酒豪なのか顔色が全然変わらない。
ザルだ。ザル様だ。
そして私は何故か皆が体勢を崩して過ごしているというのに正座になりながら徳利を持ち、空っぽになった凪風の盃に酒をとぷとぷと入れるという動作を黙々とこなしている。
「……」
「ゴク……ふぅ。鬼婿もう1本開けようかな」
「……」
…ああ。
未だに勇気も元気もやってこない。
別に無理して「私のお兄ちゃんだよね」とか一々本人に確認して言わなくてもいいんだけどさ。
ゲームの中の凪風は、5年経ってしまっていても野菊が志乃だという事を一発で見抜いているのだ。
つまりどういう事かと言えば、1年も経たない内に志乃もとい野菊に再会した凪風は当然私の事を知っているはず。
でも今まで彼がそんな素振りを見せた事は無い。
1度もだ。
私も私で、本来なら1年足らずで自分の兄である凪風を忘れるなんて事は無かったはず。当の凪風は何も言って来ないし。
記憶喪失だと思われてしまっているのだろうか。
まぁ…ある意味私記憶喪失だけど。
ゲームでの野菊の過去は、凪風ルートでは次のように回想されている。
◇◆◇
家族内での志乃の扱いは酷な物だった。
始まりは凪風が5歳の時。
貧しい家の手伝いの為、河原近くで薪拾いをしていた彼が見つけたのは自分よりもうんと小さな子ども。土だらけで傷だらけのその小さな子どもは息を小刻みにしながら倒れていた。
『…ねぇ、ねぇ』
『…ハァ…ハ』
『苦しいの?』
コクリ
心配になり声をかけてみれば僅かながらも首を縦にふり、反応を返してきた。
その時小さな彼が直ぐに思った事は、
―助けなきゃ。
その言葉だけだった。
薪を地面に置いて、変わりに自分よりも小さな子どもをおんぶする。
幸い自分の家の近くだったので直ぐに家には着いた。
帰れば母親が居て、びっくりしたように彼を見た。
『どうしたんだい!?』
『倒れてたから、つれてきた。くるしいって』
『連れてきたって…。と、取り敢えずそこに寝かせてやりな』
それからは母親の看病もあり、子どもの容態は日に日に回復していった。
そして元気になった彼女に帰る家は?と聞くがどうやら無いらしく、凪風の家でそのまま暮らす事となり母も父も快く彼女を受け入れた。
取り敢えず生活する上で呼ぶことになるだろう名前を本人に聞けば「おまえ」と応えた。
この応えから察するに、どうやら彼女は名前を付けられてはいなかったようだった。それならばと凪風が彼女に付けた名が『志乃』。
彼女が何故あそこで倒れ、傷だらけだったのかはこの時代想像に容易い。
早い話捨てられたのだ。
親に。
だから今度はこの家で幸せになれればいい。
彼女を見て、凪風はそう思った。
そう、思ったのだ。
『おまえ、魚が釣れるまで返って来ちゃいけないからね。…最低でも3匹釣ってきな。あぁ、あとついでに着物は川でちゃんと洗濯しとくんだよ。忘れたら10日は飯無いからね』
『あい!』
『え、母さ』
『凪風はそこの庭の畑で野菜を取って来なね』
『……』
だが。
願う幸せは長くは続かなかった。
『あれ、志乃はまだ?』
『いつまでかかるんだ…ったく』
『アンタ、かりかりしないでおくれ。もういいさ。待ってたらキリ無いから飯にするよ』
『…僕、みてくるから』
『あ、待ちなっ――凪風!!』
あれから一年経つか経たないかの内に、志乃の家庭内での扱いは下働きに近い形になっていた。
前よりも生活が苦しくなってきたせいでもあるのだろう。
もともと3人でも生活がやっとだった家。そこへ1人増えてしまえば、やっとの生活はさらに苦しくなる。
最初は余裕もあり優しい顔をしていた凪風の両親だが、時が経つにつれ生活の余裕も無くなり。自分達の言うことをなんでも聞く志乃の事をいつからか小間使いのように見て扱うようになったのだ。
そう。両親達の志乃への認識は最早『タダ飯喰らいの居候』だった。
『志乃…』
両親の声を振り切り、走って志乃がいる河原へと急ぐ。
『志乃…っ』
人間の思考なんて、所詮そんな物。
綺麗な人間なんて一握り。
この両親はその一握りの綺麗な人間では無かったと言う話。
『志乃、さかな釣りやめて帰ろう』
『あ、にぃちゃ…。ううん…ごはんない』
『大丈夫。僕がさかな持ってるから。あ、どうしたのかは聞かないでね。…ひみつだよ?』
そんな生活が2年。
あれから時は経ち最終的に凪風は生活のために妓楼へと売られ、金にならない志乃は両親の所へ残ったのだった。
◇◆◇
と、これが凪風ルートで語られる大まかな志乃の話。
自分の話なのだが私にそんな記憶は無いから少し他人事に思う。なんせこの世界での記憶の始まりはよくわからない河原と、フラフラと歩きさ迷ったゴツゴツした土の道や周りに生えた草。そして初めて言葉を交わした厳ついおやじ様だ。
「野菊、何ボーッとしてるの。僕の話し聞いてる?」
「――っえ?…あ、うん、聞いてる聞いてる」
「鬼婿開けるから持って来て」
オイまだ飲むのかよコイツ。
と呆れたような尊敬のような視線を彼に向ける。周りの皆も飲みに飲んでいるから変では無いけれども。それにしたって飲み過ぎだ。
凪風は普段からそんなに飲むタイプでは無いはずなんだけど。
うむむ。やはり元旦というお祭りムードのせいなのだろうか。テンションあげあげみたいな。
そう考えながらも結局は鬼婿を取りに、正座にしていた足を伸ばし立ち上がろうとした。
のだが、
フッ―――……ポフン。
「えっ」
「スー…スゥー…」
立ち上がる前に膝を軽く重みがある物が落ちてきた。
ゆっくりと視線を下にやる。
「凪風?なーぎーかーぜー」
「ん…ぅ…スー…」
膝の上にはキラキラと光る銀髪を生やした頭が乗っている。
凪風の頭だ。
そして聞き間違えでなければ寝息のようなものが聞こえている。
え、寝てるの?
ていうか潰れた…のか?
「し、しつれい」
「…」
本当に眠っているのかを確かめようと、あっちへ向いている凪風の体と顔を手を使い上へ向かせる。
「なんだコイツ潰れたのか」
「朱禾兄ィさま」
「膝枕なんかして貰いやがって」
「うーん。やっぱり潰れたんですかねコレ」
「まぁ、こんだけ鬼婿飲みゃな」
朱禾兄ィさまが凪風の前に置いてある酒瓶を見て笑う。ザルだザルだと思っていたが…凪風は酔いが後から来るタイプだったようだ。
綺麗な灰色の瞳はキッチリ閉じており、胸は上下に動いている。
どうやら完全に寝ているらしい。
…いやでも凪風の事だから嘘寝かもしれない。
そう思って頬っぺをペチペチと叩いてみる。
「凪風のバーカバーカハーゲハーゲ」
「う……んん…。……」
一瞬眉根を寄せたものの起きる気配は無く。
本当に寝てしまったようだ。
「おろろ、なんだぁ凪風潰れてんのかぁ」
「羅紋兄ィさま、顔凄く赤いですね」
「酒はなー旨いんだぞー」
「飲み過ぎです」
ひとつ隣りで飲んでいた兄ィさまが私と朱禾兄ィさまの後ろへやって来て、顔を赤くしながら膝の上を覗いてくる。
近い近い。
酒臭いわ。
鼻に手を当て、同時に凪風から手を離すと入れ替わるように羅紋兄ィさまの手が凪風の頬へと伸びる。
およよ。私と同じく悪戯でもするのだろうか。
ペチ、
「幸せそーうな顔しやがって。こんにゃろー」
クスリと笑みを浮かべる兄ィさま。
ペチペチと頬を叩くのは私と同じだが、妙に優しい感じだった。悪戯とは違うような。慈しむような感じだろうか。
私も再び下に顔を向ける。
じっと膝の上の彼を見つめた。
綺麗なサラサラした髪の間から見える閉じた瞼は心なしか穏やかで。白い肌の下からほんのり酒のせいで火照った血色の良い頬がなんとも可愛らしくて。両端が少し上がっている、今は静かに結ばれている口はとても綺麗で。
時折私の腹の方へすり寄るようにモゾモゾとくっついてくる仕草がくすぐったくて。
「確かに…可愛いですね」
「可愛いとは言ってねーぞ」
おでこを撫でてみました。
あとがき。
『あ、そういえば蘭ちゃんとかどこにいるんですか?』
『蘭菊は酒飲み過ぎて吐いてな。隣りの部屋で秋水と宇治野に介抱されてるぜ』
『俺さっき見てきたけど、まだ吐いてたぞ』
『清水兄さんは着物の上にに吐かれてたから、多分今は早めに風呂入ってんな』
『だから野菊の看病出来なくてよアイツ。はっはっは!ざまぁみろ』
うわぁ。




