始まりは 10年目の世界で 3
「きゃ、」
「あ、いや、ごめんな」
ガタッ
「わ!ご、ごごごめん!!お邪魔しましたぁ!」
「あ、待て。…おい野菊!」
布団部屋の戸を勢いよく閉める。
「さーて。梅木は用意出来てるかな~」
シャットアウト。閉店ガラガラ。
はい、何も見てませーん。
梅木との約束もあるし、さっさと部屋に戻ろうっと。
「……」
…とか思いながらも、今さっき見た光景を頭の中で思い出しながら、自分の部屋に戻る為廊下を一人歩く。
「うーん…間が悪かった。でもこの前も似たような…」
私、実は最近…
「ラブシーン…?」
最近…妙に人のらぁぶシーンに遭遇するのです。
繰り返そう。らぁぶシーンです。
はい、リピートアフターミー?
ラブシーン。
「しかし次はあの組合せかー…」
今のがいい例だ。布団部屋に敷き布団の交換をしようとやって来た私だけれど。戸を開けた瞬間にまみえたのは目当ての布団ではなく、布団の上に重なるようにして倒れる愛理ちゃんと蘭菊。愛理ちゃんを押し倒していた蘭菊は今や私よりも背がデカイ。だから端から見たら彼女を襲っている様にしか見えなくて。
どういうこっちゃ。
でも愛理ちゃんの顔に恐怖の色は無かったし、どちらかと言えば照れた顔をしていた様な気がする。そりゃ滅茶苦茶嫌がっていたら小僧をぶっ飛ばしてたけど、明らかにそんなんじゃ無かったから。逃げました。ぶっちゃけ親しい人のそう言うシーンて気まずいじゃん。私なんか清水兄ィさまの閨を2度も戸ごしで見て…いや、聞いちゃってるけどさ。
あ、清水兄ィさまと言えば。
そうそう。この前は清水兄ィさまと愛理ちゃんで、私が生理で汚れたモコちゃんを裏で洗っていたら、
『あの…ありがとうございます』
『いや、気にしなくても良いよ。それよりどうしてこんな所に?』
『ええと…、きゃっ』
『危ない!』
ダンッ
『な、何?今の…』
背にしている部屋の中から何か物音がしたので気になり戸を開けて入ってみた。
すると視界に入って来たのは愛理ちゃんを抱き締める清水兄ィさま。
愛理ちゃんもまた清水兄ィさまの背中に手を回していて、端から見たらそりゃもう…
戸を開けた私に気づいた兄ィさまが私を見てニコリと笑う。あら、機嫌が大変よろしいではないか。
『どうしたの?』
『兄ィさま……もうちょっと静かにやりましょう』
『え、』
『で…では、…お邪魔しました!!』
『え?……あ。野菊!』
てか凪風ピンチじゃん。奴は愛理ちゃんに恋してるのに、これじゃお馬鹿な蘭ちゃんや百戦錬磨の兄ィさま達に取られちゃうよ。
この3年奴に動きは全く無く、何も憂いはありませんよ?みたいな感じでフッツーに過ごしている。
まぁ、遊男だし?しかも花魁だし?恋しても一般的には報われない職業だけれども。やはりこんな中じゃ恋なんて積極的に出来ないのかもな。
だが何故だ。
何故私だけ愛理ちゃんとのラブイベント的なものが無いのだ。不公平だぞ。
いや別に話したりはしてるけどね。
『ノギちゃんはどうしてもその道極めるの?』
『極めるっていうか…。極めなきゃいけないというか。まぁ、女の子好きだし。愛理ちゃんとか大好きだし』
『ええっ!?』
『ええ!?』
『ふっ、あははは。ノギちゃんならお嫁さんに来てもいいわ』
『逆じゃない?』
でもこの会話は約3ヶ月前。
そしてその3ヶ月前を境に、愛理ちゃんはなんと―――記憶喪失になった。
ある日、洗い終えた大量の手拭いを持ちながら歩いていたのが悪かったのか、階段を登っている途中、かなり高い場所で段を踏み外し落ちた愛理ちゃん。←(床や階段に散らばっていた大量の手拭いを見たおやじ様の推理)
ドダダダッ…と言う大きな音に皆が駆けつけた。私もその時駆けつけた一人、と言うか第一発見者で階段から自分の部屋はそう離れてはいないので直ぐに行けたのだ。一番最初に愛理ちゃんを見つけた私は、足から血を流している愛理ちゃんを抱き起こし、意識があるのかを頬をパチパチと叩いて確かめた。
不安で、心配でちょっと泣きそうになってしまったのは秘密だ。
『愛理ちゃん!愛理ちゃーん!』
『野菊!今のは…』
『な、なぎがぜぇぇ、でぬ゛ぐい持っでぎでぇえ!』
いや、結果泣きました。
私の後には凪風が駆けつけてくれたので、足の血を拭く手拭いを頼む。
凪風の後からも妓楼の皆が来てくれたので、怪我をして意識の無い愛理ちゃんを部屋まで兄ィさまと運び、布団を敷いてその上に休ませた。取り合えず息はしていたため良かったが、彼女は中々目を覚ましてくれなかった。
そして翌日。
やっと目を覚ました彼女が起きた時には記憶喪失…になっていて、
『え、誰?』
『の、野菊です。愛理ちゃん?』
『野菊!?』
私の名前を聞いて何故かビックリしていたが、謎だ。
それからは、記憶が無くなってしまった愛理ちゃんの為に皆であれこれ教えたり、一から皆自己紹介をしていった。
覚えにムラがあるようで、花魁の皆の名前は一発で覚えたみたいなのだが、他の遊男の名前や、一緒に裏の仕事をする人達の名前は未だ少しあやふやな様で。
…しょうがない。だってインパクトあるもんね花魁の皆。
愛理ちゃんに気をかけている皆や私だが、私だけ何故か圧倒的に接触するのが少ない。
しかも決まって、なんだか花魁の誰かといい感じのシーンに遭遇するのだ。
このままじゃいけない。と、頑張って会いに行った事があるが、
『愛理ちゃん…野菊だけど』
『………』
部屋の中にいる気配はするのに、返事が帰って来ない。とても淋しい気持ちになった。
以前だったら『なーに?ノギちゃん』と鈴の鳴る声で、笑顔でこの戸を開けてくれたのに。
淋しすぎる。
「はぁ……」
ああ、嫌な事を思い出してしまった。
落ち込んでいても事態が変わるワケではないと分かっているけれど。改めて思い返すと、悲しいものである。
…あー。やめやめ。
気分変えて早く梅木の所へ行かなきゃ。
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外出の際に気を付けなければならないのは見世の花手形を忘れずに持つ事と、派手な長着(着流し)は着ない事。そして大門には近づかない事。大門に近づくと、おっかない屈強な門番に睨まれるのだ。女ならいざ知らず、男が近寄ると途端に腰の刀に手をかけだす始末。脅しだと分かっていても、心臓にクるものがある。マジ止めていただきたい。
吉原の町には色んなお店がある。花街だからと言って、妓楼ばかりがあるワケではない。妓楼を出て辺りを見渡せば、大門へと繋がる一直線の道なりのサイドに妓楼と妓楼に挟まれた店が何軒もあり。お菓子屋はあるし本屋もあるし、甘味処や茶屋もある。着物屋は一軒しかないが、軽い浴衣や単が欲しい時にはうってつけの店だ。
ちなみに私の好きなあの老舗の美味い焼きまんじゅうは、吉原には無い。あれはおやじ様が吉原の外で買ってきてくれているため、ゲットは非常に難しい。難しいと言うか最早不可能。老舗じゃなくても良いから、せめて焼きまんじゅうを買い食いしたかった。
「野菊兄ィさん、これはどうでしょう」
「梅木は?」
「簪や結紐ですかね」
「あーなるほど。髪長いからねー」
只今梅木とお出かけ中。
梅木は大きくなった。
しかも今現在、ただ一人の引込新造である。
外人のようなウェーブがかった金の髪に碧の瞳、目鼻立ちはハッキリとしていて非常に綺麗なお姿。小さい頃は天使のような可愛さで、背中にピヨピヨと羽根が生えてそうだった。なのに今は私の背を越えようとしている。否、許すまじ。
「はぁ~。寒いね」
「息が真っ白ですもんね」
息を吐くと、出たのは直ぐに消えちゃう白い雲。
冬の空は灰色。もうすぐ雪でも降るのだろうか。
鳥が鳴く声を暫く聞いていない。皆暖かい所へ避難しているのだろう。
冷たい風が頬を掠めると、全身の毛穴がキュッと引き締まる感じがした。
首に巻いた赤の襟巻きを口元に持っていきながら、もう一度息を吐く。…あ、ちょっと口回りが暖かい。
隣の梅木も私の真似をする。梅木の襟巻きは梅色で、私の赤より少し薄い感じ。
この襟巻きはおやじ様が皆に支給してくれたもの。一人二枚ずつストックがある。
今更だが、この世界の妓楼はいたれにつくせりだとチョビッとだけ思う。私のいた世界の江戸時代の遊女がいた妓楼はもっと過酷なイメージがあった。
というか、ここ10年で大分緩和されている吉原内。
「あ!」
「どうしたの?」
「あそこに宇治野兄ィさんがいますよ!」
そんな緩~い町で見つけたのは天月の母、宇治野花魁。兄ィさまも何かを見に外へ出ていたのだろうか。
楽しそうに兄ィさまを指差し発見した梅木は、思いきり手を振りだす。
「宇治野兄ィさーん!」
大きな声で呼ばれたのに気づいた兄ィさまは、キョロキョロと辺りを見渡すと私達に視線を止めて手を振り返してくれる。
そしてこちらに歩いて来るのが見えた。
「偶然ですね。二人でお出掛けですか?」
「宇治野兄ィさまは、珍しいですね」
「あぁ、花を買いに来ていました」
花を買いに来ていたと言う割りに、その手には何も無く、手ぶらである。これから買うのだろうか?いや、でも過去形で言ってるし…
「毎年この時期に友人へ白い花を贈っているんです。毎年と言いましても、吉原内を出歩ける様になってからですが」
「そうなんですか」
「ここには季節ごとに花売りが来るので助かりますよ」
遊男には月一でお給料日なるものがある。大体次の月の始め頃なのだが…。お給料と言うか、お小遣いに近い。てかもうお小遣いと呼ぼう。
遊男のお小遣いは自分の稼ぎの内の、約0.01%。つまりは10000分の1。
普通の遊男は月に約750万稼いでいるが約0.01%だから、計算すると750円になる。花魁も変わらず0.01%で、月の稼ぎが8000万くらいだとすると小遣いは8000円になる。
0.01%とは言え、好きに出来るお金がある事は遊男にとって幸せな事である。我慢して1年くらい貯めれば普通で9000円貯まるんだ。テンション上がるね。吉原内を出歩けるとなっても、皆あまりお金を使わないでウィンドウショッピングをしているので、貯まる一方なのである。
それにこれは高級妓楼だから出来る事。おやじ様が、皆が年季明けでここを出ても少しは生活の足しになるようにと出してくれているのだ。
「良いのありました?」
「花売りさんに聞いたら明後日に水仙を売りに来るそうなので、明後日にしようかと」
「あ、白い花って言ってましたもんね」
たまに買っても宇治野兄ィさまみたいに花だけだったりする。
お金の有り難みを、ある意味誰よりも知っている遊男達だからこそなのかもしれない。
かく言う私も何かあるかな~と町に繰り出して来たが、特に何かを買うつもりなんて無い。
ただこうやって誰かと一緒に、あれでも無いこれでも無いと、話しながらお買い物モドキをしたいだけなのである。まだ小遣いを貰っていない梅木もたぶんそう。私がお金を使わないのを分かっていながらこんな約束をする。
「はい。…ですから俺はもう妓楼に帰ります。野菊達はどうします?」
「うーん。思いの外、寒いのでもう戻ったほうが良いかもと」
「ですよね。野菊兄ィさん、さっきから腕擦って寒そうですし」
「では一緒に天月へ戻りましょうか」
その誘いに返事をして、3人並んで天月の帰路へとつく。
うん、今日の外出も楽しかった。
あとがき。
野菊、梅木、宇治野と梅木を真ん中に、3人並んで手を繋ぎ歩く帰り道。
『なんだか親子みたい』
『僕と野菊兄ィさんが夫婦で、宇治野兄ィさんが姑ですね』
『待ってください。それおかしいです』
『この場合、野菊が俺のお嫁さんで、梅木がその子供ですよ』
『いや宇治野兄ィさま。それおかしいです』
『宇治野兄ィさまが私達2人のお母さんで、梅木と私が兄弟です』
『『あー…』』
自分の立ち位置はさておき、相手の立ち位置にお互いちょっと納得してしまう2人であった。




