始まりは 10年目の世界で 2
《妓楼の一室。》
《私が呼ばれた部屋にいたのは……だった。》
『あんたなんか死んじゃえばいいのよ!!』
『きゃあっ』
《罵声を浴びせられた。》
《そして首を掴まれ、格子窓に顔を押し付けられる。》
《誰かっ!》
1●……に助けを呼ぶ。
2●……に助けを呼ぶ。
3●耐えて唇を噛み締める。
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―――――……
「ぅ…さんばーん」
「起きろ」
「う―――」
「おい、」
「ん~…やっぱ」
「野菊!」
「うぁ!?」
大声で自分の名前を呼ばれ、眠りから目を覚ます。
弾かれたように飛び起きれば、青い髪の青年が目の前に。…あ、秋水か。寝起きからサラッサラの綺麗な髪を見せつけてくれてありがとう。
しかしまだ成長するのかお宅は。骨張った手や腕は、もう青年と言うか成年と言うか。
「んー…。こんちくしょー」
「寝ぼけてんな」
今年で18歳になった秋水。
深いブルーの瞳は、元服した時よりいっそう精鋭。その瞳が時折笑う様に垂れる瞬間が御客いわく『たまらない!』んだそう。
髪型は全然変わらなくて、秋水は肩下以上伸ばす気は無いようだ。小さい頃から一番変わって無いかもしれない。あ、髪型にかんしてね。
身長は伸びているし肩幅も大分広い。
ちなみに色気度で言えば、清水兄ィさまや羅紋兄ィさまが色気駄々漏れなら、秋水は隠れエロス。と言う感じだろうか。具体的に?と言われても説明があまり得意では無いため、ご想像におまかせします。
それにしても格子から入る太陽の光が私の顔に直撃して鬱陶しい。
…太陽の光が直撃………?
「あ!」
「外行く約束してんのに起きて来ねーと思ったらコレだかんなお前は。もう昼飯だぞ。それに今日はお前が梅木に稽古つけるんだろ」
「……頭がクラクラする。てか寒っ!」
「二日酔いだな」
両手をクロスして腕を必死に擦る。摩擦パァワぁ~。
しかし、太陽が輝いていると言うのにこの寒さ。
江戸時代の冬の寒さは侮れない。
普段寝相が悪く、寝ているうちにあちこちへと散歩する私の体だが、寒い為か布団の中からはみ出す事はなく見事収まっていたらしい。
…色んな意味で正直な体だ。
これだけ寒いと流石のチャッピーも冬眠するだろ。
「ゲーコ…クヮッ」
「……」
と思うだろうが、奴はそんじゃ其処らの蛙じゃない。
私の布団の隣にある座蒲団の上。そこには厚手の小さな毛布がある。その中には木炭を入れ周りを手拭いで包んだ懐炉が。
そしてその近くには緑色の小さな生命体。
…いや、地球外生命体が鎮座している。
「ゲーゲーゲーコ」
「あー…ちょっと静かにしてチャッピー。頭にキーンてくるから。キーンて」
相変わらず元気ですよコイツは。
「うぅー…」
「大丈夫か?」
15歳になった私は、無事?に花魁となっていた。まぁ、私が生物学上女だという時点で色々無事では無いけれど。
私の元服は、皆と同じように花魁道中を行った。やれ着物やら隣は誰が歩くやらとゴタゴタしていたが、無事に道中を終えました。
だが、閨の部分は花田様の協力もあり、何故か閨を共にしていないのに、私は知らない女の人と閨を共にしたと言う事になっていた。どういう事だ。
「変な奴だ。客の前で酒飲んでもシレッとしてるくせに、客がいなくなった途端酔うとか」
「地味~に気を張ってるんだよ」
色を売らない。
と言う噂を聞き付けた色々な客が、野菊の元へやって来る。どうにかして色を売らせようと半ば挑戦的に訪れるのだ。
だが、断り続ければ諦め、飽きる物。
こんなこと続けてたら私…客付かなくね?と野菊が思っていたのもつかの間。
彼女が禿の頃から今まで、必死に磨きあげてきた技。教養。そのどれもが一流で秀でていた。五歳と言う幼さ過ぎる歳から花魁として学ばされていた野菊の技は、他の誰よりも美しく、賢く、また鮮やかで。客の心を魅了していった。
器量も男の中では美しく、中性的で、今現在数ある花魁の中では一番女性か男性かの区別がつかない者だとして有名になりつつある。だがそれでも男、だと言う事実が吉原には流れているため、そんなにも美しい男に愛を囁かれてみたい。と言う客が多々いるのだ。
色を売らない。…いや、売れない野菊は技と手管で客を惹き付けるしかない。それを考えれば、この結果は楼主の龍沂からしてみたら出来て当たり前の事なのかもしれない。
また、色を売らない=誰のものにもなっていない。と言う客の解釈により、野菊が繰り出す愛の囁きだけで『私だけなのね…』と言う勘違いを普通の遊男や花魁にくらべて受けやすくなっている。
少ないとは言え、一生床入りをしなかった花魁はいる。
そして野菊のこの状態を目の当たりにした龍沂は、
『飲み食いの接待だけの座敷とか、出来ねーもんかねぇ』
色を売らずに稼ぐ事が出来るなら皆にそうさせたい。
だが、そうしたら料金を下げなければならない。床入りが出来なくても、料金は下がるため客は変わらず入って来るだろうが、いかんせん料金が低くなったから年季明け後も借金が残ってしまう。
それに今の野菊の状態は、本人の力も勿論あるだろうが、皆が色を売っているからこそ。と言うのもある。異色の存在だからこそなのだ。
だがしかし。
そこをどうにかして吉原の根本的な事から変えていけないのか?というのが、最近もっぱら龍沂の頭の中を巡る悩みなのであった。
「風呂はちゃんと入ったんだろうな」
「皆の後にちゃーんと入りましたよ~だ」
15歳の現在。私はいままで皆と一緒にお風呂に入っていたのだが、1年前くらいから別に入るようになっていた。
14を過ぎたら辺りから、胸に巻いているサラシが妙にキツくなってきたのは記憶に新しい。
そんな私の身体の成長にいち早く気づいたのは、なんと羅紋兄ィさま。
風呂に変わらず一緒に入っている私を見て、ある日一言、
『もう…駄目だろコレ』
『良く言ってくれました羅紋兄ィさん!』
何が駄目なんだ何が。
胸か。胸なのか?もげちまえバカ野郎!!
そして蘭菊も一緒になって騒いでいたのを覚えている。
ケっ。喧しい奴め。
そんなこんなであれよあれよと話は進み、おやじ様の指示で私は皆の後、つまりは一番最後に入ることになった。
座敷が早く終わったとしても一番最後。
何がなんでも一番最後。残り湯を使うのだ。
別に体が洗えればそれで良いから不満は無いけれど、寝る時間が少し皆より遅くなるのでちょっとしんどい。
「今日はもう時間無いから行けないな」
「…ごめん。えー…じゃ、じゃあ肩たたきを今しますので、それでお許しください!」
「あと背中もな」
「了解であります!」
約束を果たす事が出来なかったので、罪滅ぼしにマッサージをかって出る。
腕が鳴るぜ。
「そういえば松代様、昨日も来てたのか?」
「んー?…うん」
「今日は早瀬様だろ。床入りしないのに、よくやってるよお前」
畳に寝そべり、私に背中のツボをふみふみと押されながら話し出す秋水は、私本人よりもその日に来る客の事を把握している。今日の客は誰なのかをおやじ様に聞きに行こうとしていたのに、手間が省けた。
こやつ…きっと高校生だったら生徒会長とかやってそうだ。
「なんだかさぁ。…私女の人が好きなのかな?」
「勘違いだ。目を覚ませ」
「えー」
お客の人達はとても可愛い。
声を掛ければ赤くなってワタワタするし、笑えば思い切り笑い返してくれる。それにこんな私と一緒に過ごしたいと思ってくれていて、なんだか嬉しくなる。
と同時に申し訳なくなってくるのは仕方がない事。
自分が客からどう見えているのかはあまりよく分からないが、好いてくれているし、少なくとも態度からしてみて抱き合う以上の事を求めている事は明らかである。
だがそんな事は絶対に出来ない私。
なので出来ない代わりに私が出来る精一杯のおもてなしで満足して貰うしか無いのだ。
昨日松代様にも言ったが、誰とも床入りすることはこれからも無い。そんな私を買い続けても気持ちに応える事は出来ないから、どの客にも毎回必ず言うのだ。
『駄目』だと。
芸で満足させる事は出来るが、そう言う意味では満足させる事は出来ないと。
だが、皆口を揃えて『それでも』と言う。私が言えた事じゃないが、健気過ぎて泣けてくる。いや、もうマジでごめんなさい。本当にごめんなさい。
だからそんな彼女達にせめてもの思いで、私も全力で応えているが、少しの罪悪感が今の遊男として、花魁としての私を作っているのは過言ではない。
その代わり、口から出た言葉に偽りは無い。
…あ……や、ちょっと嘘ついた。
ちょっとオーバーに言う時があります。すみません。
だが客である女性は皆可愛いと思うし大切だとも思う。男として閨を共にする事が出来ないのが本当に申し訳無い。
「そういや、凪風が新しい懐炉お前にやるって言ってたぞ」
「今月入って10個目だよ。どんだけくれるのさ」
「ちゃっぴぃの為にでもあるんだろうな」
「なんか妙に仲良くて妬けるよ」
それでも花魁として、あと5年。
皆と頑張っていきたいと思います。
そう言えば、何か夢を見てたような。
なんだった?
あとがき。
『はい、これ懐炉ね。僕と型違いのやつ』
『あ、ありがとう』
『ちゃんと温かくしてる?』
『少なくともチャッピーは生きてるよ』
『良かった』
『野菊は?』
『?』
『ちゃんと温かい?』
『うん。温かい』




