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始まりは 10年目の世界で



 今日は天月妓楼のあの人に会いに行く日。

 これで3回目になるけれど、馴染みにしてくれるかしら。

 不安だわ。


「松代様ですね」

「ええ」

「百合の間になります。どうぞ」


 妓楼の中へ入り番頭へ声を掛ければ、直ぐに案内してくれる。もう3回目になるし、郭の規則上妓楼内で買える男は心に決めた一人だけ。私が誰を買いに、会いに来たのかは、続けて会いに来ていたら一発で分かると言うもの。

 大体、前回の時点で予約を入れているから、見世の者も把握してるんでしょうけど。


「では。中にいらっしゃいますので」

「ありがとう」


 暫く歩けば、百合の花が描かれた戸の部屋に到着。


 そう、百合の間だ。



「昨日ぶりですわ」

「ふふ―――そうですね」


 戸から部屋へと入る私に、綺麗な笑顔で応え向かえてくれたのは、私が昼も夜も焦がれて会いたかった(ひと)


「そこへ座るといいですよ」

「嫌だわ。貴方の隣が良いの…。それに敬語も…なんだか淋しいわ」

「…ふ、あはは。貴女は可愛い人だな」


 顔の横の髪を片手でかき上げる目の前のお人。

 長い御髪は女の私から見ても美しくて、見惚れてしまう。

 細い首は女性的で。指は細く長く、綺麗である。視線の合わない少し伏せめがちな瞳には、ふとした瞬間に見つめられると胸が一杯になる。


「今日は箏がいい?それとも舞?」

「では…箏を」


 この方の箏が大好き。

 しなやかな指先で弾かれた弦から生み出される繊細な箏の音色は、雅かつ強さもある。百合の間いっぱいに響く、箏と言う楽器から奏でられる神の歌声はいつまでも聞いていられる程。


 この時がいつまでも続けば良いのに…



「俺の芸だけで良かったのかな。新造の箏や舞も中々上手なんだよ?」


 そんな願いも虚しく、箏を奏で時が経てば演奏は終わってしまう。


「折角ですもの。いっときでも多く二人でいたいのよ、私は」


 箏を奏で終えた後、そう言われたので素直に気持ちを吐露した。本当は、最初に禿や新造が三味線や箏、舞等で座敷を温めて、遊男とお客である私がお酒を飲んだりお喋りをするのだが、敢えて私はそこを(はぶ)いてもらった。

 そんなのが無くても、この方さえいてくれれば私は充分なのよ。


 その私の言葉に愛しい人は優しく微笑んでくれたけれど、次の瞬間には視線をずらして苦しそうな顔をする。

 何故?


「ごめんね。前回も言ったけれど…俺は貴女と床入りすることは無い。貴女の為だ、私にお金を掛けることは無いよ」

「それでも!」

「?」

「また来ますわ。知ってるのよ、貴方、誰の誘いの願いにも乗ってはいないのでしょう?」

「…えぇ、なので」

「なら、貴方に愛される一番最初の女になるのが、私の目標よ」


 まだ彼が体を許した、愛した女性はいない。

 ならば彼が抱いてくれるのをひたすら待てば良い。


「…貴女を抱いてあげる事が出来ないのが、とても苦しい」

「なら、」

「俺は、貴女が好きだよ。こんな可愛い(ひと)に思われて幸せなくらいだ。だからせめて――」


 ドサッ――…


 言葉をそう切った後、私の右手にすかさず、隣にいた愛しい人の左手の指が絡みつく。そして首の後ろを手で支えられながら、押し倒された私。

 近くにある瞳がスッと細くなり、その中の渦に呑み込まれそうになる。

 至近距離で見つめ合う私達。


 握られている手は妙に汗ばんでおり、恥ずかしい為、一度離そうとするも細く長い指が私の指に絡んでいて、簡単には解けない。そして解こうと指を動かすほど拘束が強くなっているのは、果たして私の願望なのであろうか。




 ――ちゅ、


「こうしても…良いでしょうか」

「!!」

「大切な貴女に」


 頬に感じた柔らかな感触。

 耳元で話される言葉は誰の物?

 これは夢?

 床入りはしない、と言う彼から贈られた頬への口付けと囁きは私へ向けられた物なの?

 夢じゃないの?


「あ、あの、これが夢では無いと言う証拠をくださいな」

「?」

「名前を…私の名前を呼んでください」

「じゃあ、貴女も俺の名前を呼んでください。まだ1度も呼ばれた事が無いからね」


 3日間通ってはいるが、名前を呼んだのは1度も無くて。それに気づいてか、この方も私の名前を敢えて呼んでいないようだった。

 最初の日は緊張していたのか、呼ぼう呼ぼうと思っている内に時間が過ぎ、気がついた時にはなんだかもう気恥ずかしくて、この方の名を呼ぶに呼べなくなっていた。


 折角この方がくれた機会。

 今言わなくていつ言えば良いの。


「あ、」

「松代、ほら…」

「の、」

「うん」

「野菊、様―――」





 私の愛しい野菊様。


 郭の男に(まこと)の言葉はあるのか。

 そんな言葉が飛び交う吉原で。

 私は想わずにはいられないのです。

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