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始まりは 7年目の物語 10



「今日は起請彫りについて教えますね」

「起請彫り?ですか」


 今日も今日とて花魁の指南。

 昼前の今は、空腹の為か妙に集中力がアップしている。


「手管の一つです。手管には色々ありますが『心中』と呼ばれている技は知っていますか?」

「しっ、心中!?」

「正しくは『心中立』と言うのですが…。全部で6つありまして、誓詞せいし放爪ほうそう、 断髪、入れ墨、切り指、貫肉とあります」


 「心中」は本来「しんちゅう」と読み、「まことの心意、まごころ」を意味する言葉だが、それが転じて「他人に対して義理立てをする」意味から、「心中立」(しんじゅうだて)とされ、特に男女が愛情を守り通すこと、男女の相愛をいうようになったそうだ。

 また、相愛の男女がその愛の変わらぬ証として、髪を切ったり、切指や爪を抜いたり、誓紙を交わす等、の行為もいうようになり、そして、究極の形として相愛の男女の相対死あいたいじにを指すようになったとも言う。


「昔は相対死をやってしまう遊男が多く、吉原内で問題になりました」

「し…死んじゃうんですもんね…」

「本当、嘆かわしい事でしたよ」


 『誓詞』は「起請文」ともいい、分かりやすく言えば『血の契約書』みたいな感じだそうで。書いてあるのは浮気しねーから、裏切らねーから、お前だけだから、な風の内容。そして約束の印として自分の指の血を使って「血判」を用紙にブチュッと押すのである。

まるで闇の儀式みたいだ。


 「放爪」は「爪印」ともいって、爪を抜き客に渡す事で誠意を見せたのだと言う。…わかんねぇぜ。


 断髪は、頭髪を切り女に贈り、他意の無いことを示す。


 入れ墨は、「いれぼくろ」、「起請彫」ともいい、客の女の名を彫る。たとえば「雪野」であれば「ゆきの命」と「命」の字を名の下に付ける場合もあった。これは命の限り思うという意だそうで。

 「橋架」であれば「きょう命」、「清水」であれば「きよ命」、ときには名字の片字、名乗の片字を上腕に彫り込むと言う。針を束にしてその箇所を刺し、兼ねて書いたとおりに墨を入れるのだが、本気で入れる人は少ないらしく、殆ど筆で腕に名前を書いただけの偽物を見せる人が多いらしい。


 切り指「切り指」は、手の指先を切り落とすこと。


 貫肉は、腕であれ腿であれ、刀の刃にかけて肉を貫くこと。…もうワケが分からない。とにかく痛いよ。色々。


「試しにやってみます?俺と心中を」

「あ、…ええ!?」


 笑いながら、しかもこんなライトに『心中やろうぜ!』な誘いを受けたのは初めてだ。

 しかも心中の内容が内容なだけに恐ろしい。


「あはは、指を切ったり髪を切ったり爪剥がしたりなんてしませんよ」

「じゃあ」

「筆で。お互いの名前を体に書いてみましょうか」


 どうやら一番命を削らない入れ墨をやるようだ。良かった。爪を剥がせ、なんて言われた日には発狂する自信がある。…私遊男に向いてないのかな。いや、そもそもその行為自体があり得んのだ。

でも…そんなあり得ない行為をするからこそ、愛の証明になったのだと思うけれど…。

バイオレンスだよ。


「それでは、と」


 宇治野兄ィさまは筆と墨を引き出しから出すと、髪を一つに括って墨をすりだす。背筋を伸ばし、とても綺麗なフォームで墨をすっているが、目的が書道では無く、言ってしまえば落書きの為に使われると思うと、なんとも言えない笑いが込み上げてくる。

 無論、兄ィさまの前で盛大に笑いはしない。後で思い出し笑いをして発散させようと思う。


「では汚れ無いように上は脱ぎましょう」


 そして、いそいそと二人して着物に墨が付かないように着物を脱いで上半身裸になる。

 毎日男に混じってお風呂に入っているのだ。特に抵抗は無い。それに胸にはサラシを巻いているため、見た目的に可笑しな事になっているようには見えまい。(充分おかしい)


「野菊~」

「?」

「えい、」

「にょわっ」


 まだ墨の付いていないまっさらな筆で頬っぺたをなでられる。てか『えい、』って!!可愛いんですけど!

 お茶目なんだからもう。


「では。うじの命、と書きますね」


 正座をした私の正面に座り、胡座をかく兄ィさま。普段礼儀正しい彼が胡座をかく姿は意外に貴重で。内心私の心は踊っている。なんて言うんだっけコレ。…ギャップ萌え?あれ、違うかな。

 とにかく男らしい姿だ。…落書きするだけなのに。しかし…いやはや、兄ィさまの裸体(あ、上半身)はいつもながら美しい。ムキムキのマッチョでは無く細マッチョでもない、顔との均等をとれた程よいマッチョ感。腹は割れすぎでは無いが6つに割れているのが目で分かる。着物を着ていると普段は分からないので、閨でこれを見れる馴染みの客はラッキーだろうな。

 …あれ、でも閨の時着物は脱がないんだっけ?


 それにしても筆が二の腕を這う感触がしてムズムズする。

 しかもゆーっくり、ゆーっくりと書くものだから、


「ふっ、ひゃぁ……あは」

「あ、くすぐったいですか?」


 笑顔で楽しそうに伺ってくるこのお人は、それでも止める事は無く、筆を墨に再びつけ直すとまた書き始める。とても楽しそうに書いているのでそんなに楽しいのかと、私も早く宇治野兄ィさまの腕に書きたくて仕方がない。ウズウズ。


「はい、出来ました」

「おおぅ。うじの命…。なんか兄ィさまの信者みたいですね私」


 ファンみたい。


「では、次は野「失礼しま―…何してるんですか宇治野兄ィさん、野菊」


 兄ィさまに促され私が筆を持とうとした瞬間、戸から入って来たのは、


「あ、凪風」

「どうしました?」

「ええと…」


 私と兄ィさまを交互に見る彼、凪風は額に手を当てて目を瞑ると、次には踵を返して戸から部屋に一歩しか進ませていない足を廊下へと引っ込める。


「いえ、ちょっと野菊に用事があったんですが。…昼後にします」


 何か良からぬ物を見たような感じで部屋の戸前から去って行く凪風。

 え、何。何でそんな感じ?


「あぁ、そう言えば昼ですね丁度。では、心中についてはここらへんにして、野菊は食べて来なさい。凪風も用事があるようですから」

「え…でも。……はーい」


 そう言われてしまったので着物を着直して前を整える。

 ちぇっ。結局宇治野兄ィさまの腕に書けなかったじゃん。書いてみたかったのに。ウズウズを返せバカ野郎。


●●●●●●●●●●●●●





 最近、吉原内で殺傷事件が多発している。

 昨日なんか、お向かいの妓楼で二人が刀で斬りつけられたらしい。二人とも遊男で、その内の一人は花魁だそうで。

 …物騒だ。外が温かくなると変質者が増えるって本当なんだな。なんか、ほら、冬眠から目が覚めるみたいな。


「二人は大丈夫なんか?」

「ああ。一応護身術は覚えさせてたからな。手当てすりゃ治るさ……それよりお前んとこも気を付けろ」

「気を付けるなぁ…気を付けるったってよ…。大門はとじねーのか?」

「どーだろうな。上が閉めないと言っている限り開いたまんまだろう。しかし…まさかこっちの方まで被害に遭うとはな」


 向かいの妓楼『花宵妓楼』の忘八、花田様とうちのおやじ様は仲が良い。幼い頃から忘八として教育されてきた二人は幼馴染みだとも聞く。たまにこうしてお互いの見世の食堂で語り合う事があるのだが、今回の内容はたいへん深刻なものである。


「日中なんだろう?男だったのか、やっぱり」

「うちの奴が言うにはな」


 今は昼時で宇治野兄ィさまの命でご飯を食べに食堂へ来ている私。今日も此処のご飯は美味しい。このお味噌汁に入ってる麩が好きなんだよね。は?味噌汁じゃなくて麩かよ、と言われそうだが、味噌汁が美味しいのは分かりきっている事。その中でも具材として一番好きなのがお麩っていうだけ。桜と紅葉の季節にはカラフルなお麩を入れてくれるから、それもご飯の時の楽しみの一つ。飯炊きの人にさりげな~く頼めばお麩を沢山入れてくれるから、嬉しい限りだ。


「傷口はもうパックリでな、赤い肉の下に骨がちょいと見えてよ。手当てすりゃ治るとは言ったが、あんなグチョッてなった部分は見てるだけで痛ぇよ」


 そんな『お麩お麩~』な私の前の席で繰り広げられるおやじ様達の会話。食堂に私が来た時は確か向こうの方で話していた筈なのに、さっき何故かわざわざ目の前の席に移動してきた。

 あのですね、私は今ご飯を食べてるんですよお二方。美味しい美味しい鰯の味噌煮を食べているんですよ。

 なのにさっきからパックリだのグチョッだのと…。頭がいらん想像するから止めて欲しい。鰯が食べれなくなる。


「野菊よぉ、お前花宵に手伝いに来ねーか?」

「え、」


 いきなり話を振られたので、箸を止めて目の前の花田様をギョッと見る。

 手伝い?何のよ。と言うかそもそも他の妓楼の奴が違う妓楼に入っても良いのかい。いや、あかんでしょうが。

 もしや…まさか、それ言う為にワザワザ席を此方に移動してきたのか。


「江吉てめぇなに言ってんだ。許可するわけねーだろ俺が」


 溜め息をつきながら『馬鹿じゃねーの』的な目で花田様を見るおやじ様。

 よし、次はもっとえげつない目で見てみようかおやじ様。いける、まだいけるよー。もっと表情の引き出しを開けてみようか。


「座敷に出るワケじゃねーよ。ちょっと斬られた奴の世話を頼みてぇんだ。人手が足りなくてな」

「はぁ?新造とか禿に遣り手やら番頭やらにやらせりゃいーだろうが」

「あいにくうちは龍沂んとこ程人が余ってねーんだよ。なぁ、引込なら座敷には出ないだろ?夜は手、空いてるんだよな?」

「ふざけんな。うちの馬鹿な飯炊きそっちに寄越してやるから野菊は諦めろ」


 花田様が言った「龍沂(りゅうぎ)」とは天月の忘八の名前。つまりはおやじ様の名前である。

 お顔に確かに合う名前で、龍の顔の様に凄みはあるとおもう。おやじ様にその事を言ったことは無いが、言ったらきっとブっ飛ばされるか思いの外誉め言葉と捉えてくれるかの2択だ。


「えー。いーじゃねーか。社会勉強させると思ってさぁ。女だってのを気にしてんなら、別に女の格好で来てくれりゃ隠す必要も無くなるからそれはそれでいーぜ?」


 花田様には私が女であることを、おやじ様が既にバラしている。よっぽど信頼をおける人物なんだろう。おやじ様の家で過ごしていた時期にも私の所へわざわざ来てくれたりしていた。

 バラした理由だが、オヤジ曰く『味方は一人でも多いほうが良い。まぁ、本当に信頼できる奴だけだがな。それで後々助かる事もある』という事らしいが、いまいち良く分からん。

 そもそも、違う妓楼の方に話す必要はあったのだろうか。


「ったく、聞かねーなぁ。…そんなに野菊に来てもらいてーなら、こいつの屍を越えていきな」

「どうも、花田様」


 そうおやじ様が言った後、いきなり声を掛けてきた人物に花田様の顔色が青くなる。


「げっ、清水」

「お久しぶりですね」


 ニコニコ顔で登場したのは清水兄ィさま。ちょ、いつからスタンバってたんですか。

 そして花田様はまるで野生の熊や狼にでも出会ってしまったように固まっている。

 おい、どうした花田。


「で、どういう要件ですか?あ、野菊はそれ下げてあっちに行っておいで。あと凪風が呼んでいたよ、何か約束しているの?」

「外に行く約束をしています」

「…ダーメ」

「ひぁ、」


 伸びてきた兄ィさまの手に頬っぺたをムニュと引っ張られながらお叱りを受ける。



「…ひゃの、」

「駄目だよ、今は物騒なんだから」

「へも…あへから、やふほふひていはのです(でも…前から、約束していたのです)」


 以前から約束していた吉原内でのお買い物。3年前から規則も緩くなり、吉原内を昼の間だけ出歩き出来る事になっていたのだが、1度も私は出た事がない。もう出たくて出たくて仕方がない。我慢できないので誰かとお買い物と言うものをしてみたくて、一番最初に行き合った凪風に冗談ついでに話してみたら快くOKしてくれたのだ。…なんか怖い。

 彼は本を見たいと言っていたし、新しい碁の石も欲しいと言っていた為、外に行くのには全く抵抗は無いらしかった。

 いつもなら嫌味の一つや二つ言いそうなのにな。『え、一人で行けないの?』とか『暇なんだね』とか心を抉るような言葉が飛びだして来るものだと、話しかけながらも若干構えていた私の鋼のハートは拍子抜けであった。


 しかし、うーん。

 やっぱり危ないかな。外をウロウロしちゃ。


「そんなに行きたいの?」

「行きたいっちゃ、行きたいのですが…。よく考えれば危ないですよね今は」

「…じゃあ私と一緒に行くかい?」


 心強いけれど、何か違うぞ。


「いや、お前も出るのは駄目だ」

「何故です?」

「それがな、斬られた奴等に共通するのがよ…」

「…あぁ。斬られた奴全員に共通すんのが『黒い髪』の奴ってとこなんだ。うちのヤられた二人も黒髪だったしよ。黒い髪の奴になんか恨みでもあるんかねぇ?」



 結局そんなこんなで外出は出来ず。凪風も午前中に用があったのはその事だったようで『また今度にしよう』と私に言うつもりだったらしい。

 なんだし。



その日のお風呂にて。


『野菊、その腕のなんだ』

『?今日は宇治野兄ィさまと心中して、…いでっ!イタタタ痛い!痛いよ!?秋水ぃい!!』


 ゴシゴシ、


『清水兄ィさんじゃないだけ感謝しろ馬鹿』

『は?イタっ……いってぇええ!!ちょ、本当に』


 ゴッシゴッシ、


『はぁ…兄ィさんやあいつらが閨の日で良かった』

『イタぁーいよー!!』


 風呂上がり、野菊の左上腕に墨の跡は全く残っていなかったという。



 ちなみに。

 花田様は結局、清水の(しかばね)を超える事はできませんでした。

 チャンチャン。

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