始まりは 7年目の物語 7
なんかオデコが冷たい。
シットリしてるような、いや、私のオデコがシットリしてるのではなくて、シットリした何かがオデコに…
「おい起きろ!」
「ゲ~コ」
ゲ~コ?
あぁ、蛙か。
蛙、んー…蛙と言えば緑だよね。緑、緑緑…緑と言ったら羅紋兄ィさまでしょ、そんで羅紋兄ィさまと言ったら泣き黒子。泣き黒子は黒い、黒、黒~…と言ったら清水兄ィさま。兄ィさまと言ったら綺麗、綺麗と言ったら夕陽、夕陽と言ったら赤い。赤いと言ったら…
「らぁ…んちゃん…」
「なっ、」
蘭ちゃんと言ったら
「お、…」
「お?」
「お、ばか…」
「…何だとチビが!馬鹿はお前だ!早く起きろっつーの!!」
「ゲコ!」
ベシッ
オデコのシットリが無くなったと思ったら次に訪れたのは突然の打撃だった。
…おいおい、なんだ誰だバカ野郎。痛いじゃないのさ。まだ頭じゃなくて良かったよ、もう。
え?だって禿げるからさ。
「…あ…おはよう」
さすがの衝撃に微睡みからゆっくりと瞼を開き目を醒ますと、私の顔を苛々しながら覗き込んでいる赤い坊主がいた。手にはチャッピーを乗せているのが見える。チャッピーは私が起きたと確信したのか、蘭菊の手からピョンと飛んで、未だ横たわったままの私のオデコの上に着地した。
ん?このシットリ感…。
あ、 もしかしてシットリの正体チャッピー?
「ゲコゲー(俺だ)」
あぁ、やっぱりね。そうだと思ったよ。うんうん。
それから顔を動かして窓の外を見てみれば、晴れ渡る空が良く見えて、雀がチュンチュンと格子の向こう側で伸び伸びと飛んでいる姿が目に映った。
とても爽や……………あ…わ。え……ウェェ。今雀が口に咥えてたのもしかして虫?
ウェェ。爽やかな寝起きに見るもんじゃないよ。
まぁ、自然界のピラミッドからするに仕方のない光景だけどさ。朝一で見たく無かったな。
「おはよう…じゃねーよ。早く部屋掃除しねーとおやじ様が来るだろうが!!急げ馬鹿!」
「…え。…あっうわわ!ゴメン蘭ちゃん!!今布団も仕舞うからっ」
座敷の時以外で着る着流しに身を包んだ蘭菊が、布団の上で上半身を起こした私の隣に腕を組んで立ちながら怒鳴る。
なんだ偉そうにこの野郎が!!と言いたいが、今の状況では完全に私に否があるのでそんな事は言えない。素直に謝ります。ごめんなさい蘭ちゃん。と言うか私も寝惚け頭で多分『蘭菊はお馬鹿』とか別に言っちゃったような気がするのでお相子で。
「お前今日は羅紋兄ィさんの座敷だっけか?」
「うん」
窓の砂を布ではたきながら綺麗に掃除していく。話しながらだが、比例して手が動いていないワケでは無いので良いのです。
「ゲコ(おい、ちょっと)」
…あ、チャッピーの水取り換えようかな。
「…何かほんとにお前たらい回しだよなー。その内秋水と凪風の座敷にも出るんじゃねーの」
「どうかなぁ」
秋水達が花魁になって、あれから2ヶ月。
別段これといってそれからの二人の様子に変わった所は無い。ただ一つ変わったとすれば大人っぽくなったかな?と全体の雰囲気で感じるくらいで。
あと前以上に私や蘭菊をチビ扱い子供扱いする事が増えたとかかな。
あんにゃろうどもめぇ、調子ノリやがってこん畜生。やんなっちゃうよね本当。
「あー、でも今月座敷に出るのは今日で終わりだよな野菊。やっぱねぇか」
私や蘭菊、引込新造が座敷に出る回数は制限されている。
直垂新造や芸者は特に制限なく、座敷があれば出られるのだが、引込の場合は違ってくる。
禿の頃と大体理由は同じで、花魁に確実になる予定の新造をそう易々と客の前に出させるワケにはいかないから。だそう。しかし妓楼の奥に引っ込めていても座敷での教養は座敷をある程度経験しなければ覚えないし、場慣れも非常に大切だからと言う事で引込でも座敷に出る事になる。
そんなこんなで、私や蘭菊と言う引込新造が座敷に出るのは月に3回。1、2週間に一回のペースだろうか。座敷では主に箏や三味線を奏でたりしており、私にとっては普段から稽古で鍛えている成果を発揮できる場となっている。もちろん兄ィさま達の客とのやり取り、あしらい方…つまりは手管だが、を演奏しながらもきちんと観察している。
チラチラと見てますよはい。チラチラとね。ムフ。
ちなみに引込は客とは話さない。仮に話し掛けられたとしても言葉を返してはいけない。
お触りも厳禁。
あくまでも芸を見せるのみである。
「よし、終わりだな」
「ありがとうね」
「おぉ、感謝しろ感謝しろ。…あーあ。飯食ったら稽古かー」
ペチャクチャ喋りながらも掃除が終わる。
もう長着に着替えているので二人でご飯を食べに食堂へと向かう事にする。
「羅紋兄ィさま、今日は何を教えてくれるんだろうな~」
「なんか色々適当だけどなあの人」
「何言ってんだよ蘭菊。そこが兄ィさまの長所なんだぜ」
「おい。たまに男喋りになるのやめろ」
そうして午前中の時間は過ぎていった。
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今更だけど『手練手管』の意味とは、思うままに人を操り騙す方法や技術、及び、あの手この手で巧みに人をだます手段や方法の事である。
「手練」は巧みな技、「手管」は人を自由に操る(騙す)手段。ともに人をだます手段や技術のことを指す同義語であり、これを重ねて強調した言葉がそれ。総じて人を巧みな技で思いのままに操ることを意味するのだ。
「口説って分かるか?」
午後は羅紋兄ィさまからの指導になる。
相も変わらず兄ィさま部屋の中は、色んな物で溢れている。溢れていると言っても、ゴチャゴチャ散らかっていると言う意味ではけしてない。
「それは確か…痴話喧嘩をするって事ですよね」
口説は痴話喧嘩の意味。
中々来なかった客に対して、『何で来てくれ無かったの?寂しかったんだけど』『俺の事嫌いになったのかな。…もう知らないよ。フン』とかみたいな事をワザと言って、客に『あぁ、私の事が好きなんだわ。拗ねちゃって…。やっぱり私にはこの人だけよね』とお客の心をくすぐる技である。
しかし…それが万人に効くのかは定かでは無いけれども。
「なぁ野菊、清水と俺のどっちが好きだ?」
「え…」
いきなりどうした。
「あー。いや…やっぱいいや。どうせ清水の方だろ?」
「兄ィさま?…別にそんな事は…。と言いますか、お二人の事は比べようも無いですよ」
「別に良いぜ、気ぃ使わなくても」
「い、いえ、気も何も…」
「はぁ…俺は野菊が一番好きなのにさ。…結局どっち付かずかよ。あーあ」
凄くいじらしく顔を横に背けた羅紋兄ィさま。な、なんか突然で良くわかんないけど可愛いんですけど…………あ。キュン。
え、きゅん?
ん………あ。もしかして。
「ってな感じだ」
「おおー!」
顎に手をあてて此方を見てドヤ顔をする羅紋兄ィさまは、そんな仕草もキマっていて。…か、格好良いっす!!
私は両手を直ぐ様胸の前に構えて、例を見せてくれた兄ィさまにパチパチと拍手をする。
いきなり始まったから何かと思ったが、こう実践してもらえるとやっぱり言葉で聞くより結構分かりやすいので、とても為になる。
でも予告はして欲しいです。色々ビビるので。
「そういやな、お前これ知ってるか?」
と言うと羅紋兄ィさまが化粧台の引き出しから何かを取り出した。長方形で、紙が何枚も重なってまとめてある。…本?かな。
「いえ…何ですか?これ」
私に差し出されたのは、表紙に男女が並んでいるイラストが描いてある一冊の本。何だろう…。
「これは『四十八手』って言う本なんだけどな。…つまりは春画だ」
「しゅ、春画ですか」
あぁ、つまりはエロ本ですね。…え、
「春画?」
「見るか?良い勉強になるぞ」
いやいやいや。何その羞恥プレイ。どうやったらあの流れで春画を見ると言う行動に移ろうと思うんだ兄ィさまよ。エロ魔神と呼ぶぞ今日から。大体男と女の営みを兄ィさまと一緒に見るとかどんな拷問ですか。…絵だけどさ、絵だけどさ!?何か嫌だよ!物凄く嫌だよ!!
誰か…誰かヘルプミー!!
ヒュッ――――ザシュッ
「きょっわ!?……え、…簪が…」
「嘘だろ!?春画が!!…オイ!誰だこの野郎!!」
何か突然良く分からない事が起きた。
羅紋兄さまに見せられようとしていた春画が、何処からともなく飛んで来た簪に勢い良く貫かれて、床へと落ちてしまったのだ。羅紋兄ィさまは破れて貫かれたエロ本を見て嘆き悲しんで、春画を台無しにした犯人に怒って叫んでいるが、ぶっちゃけ私自身はそんなに見たい物と言う事でも無い為一ミリたりとも悲しみはしない。どっちかと言うと簪が尋常では無いスピードで飛んで来たと言う事に私の関心は向かっている。
一体どうやったらあんな速さで簪を飛ばせられるんだろう。何か忍者…忍者みたい。シャーッてさ、シュッてさ、スタイリッシュにさ。…うぷぷぷ…カッチョいい。
「あのね、こう言うのは野菊にまだ見せるべきでは無いからやめてくれないかな」
「え」
「やっぱお前かよ!」
戸の方から声がした為振り返ると、向こう側から姿を見せたのは…何か凄んげぇおっかない顔をした清水兄ィさまだった。
こ…怖い、怖いです兄ィさま。
顔が整っているだけに迫力が…。み、見ないようにしよう。
だが兄ィさまはゆっくりと此方へ近づいて来ると、両手を差し出し、
「野菊、羅紋の座敷が始まるまで私が色々教えてあげるから、こっちにおいで」
「おっ、わ」
――ヒョイ。
え、ちょっ………おい兄ィさま。
「に、兄ィさま降ろしてください!無理です重いですよ私!それに恥ずかしいですこの年で!!」
「恥ずかしくない。恥ずかしくない、ね?」
いや、『ね?』って!!
笑いながら小首を傾げるなコノ野郎!可愛いだろうが!!
清水兄ィさまに横抱きに持ち上げられたので、何だかいたたまれなくなり、そうやって抗議を試みた。…が、兄ィさまの仕草に不覚にもやられた。
何か私って…可愛い仕草に弱いのかな。女のも男のも。
「お前、自分に付いてる他の新造達には教え無くて良いのかよ」
「あの子達には普段から座敷に出てもらっているし昼の後一刻程は必ず稽古をつけているから。それに私に一々指導されなくても、理解して自主練習しているよ。皆優秀だからね。………さぁ、それじゃあ失礼するよ」
「え、おい――――」
―――――カタン
羅紋兄ィさまの声を無視して私を抱えたままの清水兄ィさまはスタスタと戸の外へ向かい、そして部屋から出たのであった。
清水の部屋まで向かう二人の会話。
『あの、自分で歩きますよ』
『嫌なの?…あ、そう言えば護がちゃっぴいを頭に乗せて私の部屋に来ていてね 』
『護とチャッピーがですか?(またフリーダムに活動してるなぁ、あの2匹は…)』
『お陰で大切な物を汚されないで助かったよ』
清水が何故羅紋の部屋まで来ていたのか。
…何ででしょうね(笑




