始まりは 7年目の物語 6
2日目の道中を終えた夕前。
空は澄んだ青からやんわりと紅に変わろうという刻。
「いいですか?閨では基本、着物は脱ぎません」
チラ、と長い髪を背中へ流し、自分の着ている長着の襟を捲る無駄に色っぽい宇治野兄ィさま。
いや、もはや兄ィさまでは無いぞ。姉ェさまと呼ばせて頂こうではないか!!
「俺もう知っています」
「でも野菊は知らないでしょう?」
「むうぅ。付き合わせてゴメンね蘭ちゃん」
あれだけの大きなイベントがあっても稽古をしないワケではなく、夜のお座敷まで時間があるので、今現在も宇治野兄ィさまのお部屋で部屋付きの蘭菊と一緒に兄ィさまから花魁のいろはを学んでいる最中である。
「あの」
「何ですか?」
本日は閨での基本事項を教えて頂いている。
色は売らないぜ!とおやじ様から言われているのだが、何故今私は学ばされているのだろうかと微かな疑問を感じながら宇治野兄ィさまの話を正座して聞いて頷いている。
しかし、閨と言えば。
「あの、秋水が…」
秋水と凪風は床技の最終チェック中。
本番前に花魁の兄ィさまからそれについての指導が入るのだ。客が慣れているとはいえ、こちら側からの粗相は無いようにしたい為、念には念をと言うことだ。
内容を聞いていてあまり気持ちの良いものでは無い。
だって、良く知る人に夜のチョメチョメについてを学ばされるんですぜ。いたたまれないよ私。しかもギリギリだけど実践することもあるらしいから、はたから見ればまるでBLの世界ですよ。
まぁ、皆良い男だからそうだとしても萌え…ぐふふ。
「?秋水がどうかしたのですか?」
「元気が無くて…」
終始笑顔だった彼が唯一顔を崩したあの瞬間。
私はその表情の理由が分からないと言う程馬鹿ではない。この世界にある程度いれば、その顔が示す思いは正確では無いにしろ大体どんな物なのかは勘づくであろう。
あの表情は『恐怖』と『少しの好奇心』が入り交じった、なんとも形容しがたい哀しい顔だった。
出来るならそんな顔をして欲しくは無かったのだが、本人も出来るならそんな顔をしたくは無かったのだと思う。なんせ私みたいなお子ちゃま(秋水にとってはですよ)が隣にいたのだから。弱い部分を普段私や皆に一ミリたりとも見せたがらない彼だから、相当な事だ。雷の時本人は1度も怖いなんて言った事はなかったし、能面顔になるだけだったし。少なくとも弱い部分は見せない様にしていたと思う。
蘭菊も分かっている。
「凪風も同じだ。淕様に茶屋で会った時。…俺、元気づけられる言葉掛けらんなかった」
「蘭ちゃんの役立たずめ」
「おま、」
「私も役立たずめ……能無しめ…」
「……」
いくら芸を習って手管を学んだとしても、こんな時には全くの役に立たないのが腹立たしい。
「二人とも、行って来なさい」
「え?」
二人して落ち込んでいると、格子の外の夕陽に顔を向けながら自分の隣に置いてある三味線を撫でている宇治野兄ィさまが溜め息をつく様にそう言った。
つり目の目尻はいつもより少し垂れていて、視線の先を追うも、空の先の先を見つめていて、なんだか遠い何かに思いを馳せているように見えた。
「まだ閨の時間まで少しある筈です。二人の所に行ってあげなさい」
「稽古は、」
「稽古ならいつでも出来ますから。でもあの二人が子どもでいられる時間はあと少ししか無いんです。行ってあげなさい」
赦すように言われたその言葉に、私達は弾かれるかの様に立ち上がった。
しかし私は忘れていた。
「野菊行くぞ!」
「うっうう…うう゛うん!」
「?」
ずっと正座でいて足が痺れていた事を。←(バカ)
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「二人ともなにか用か?」
「ニャーン」
目的の部屋に着くと、夜に向けて艶やかな長着を着た秋水が、座りながら膝に護を乗せて宇治野兄ィさまと同じく格子の外の夕陽を眺めていた。青色をした頭が赤に照らされて紫に見える。なんかパレットみたい。
どうやら兄ィさまからの指導は終わっていたようで、秋水の部屋には彼しかいなかった。
私達に気づき振り返り此方を見ている相も変わらず晴れない顔をした秋水は、分かりやすい程に口がへの字になっている。こら秋水、そんな顔をしているとブサ……まぁ格好いいからそんな顔をしていてもサマになるだけなんだけど。はい。
いや…と言うか護、何であんた其処に。
「どーしたんだよお前等」
「あ、と…。えっと」
「その、なんだ。あれだあれ」
そう言えば、勢いで来たのは良いけれど何を話したら良いのかを考えていなかった。蘭菊も同じだったのか身振り手振りしながら何かを伝えようとしているも言葉が『あれ』しか出てきていない。間抜けにしか見えない。私もだけど。
ちょっ、ちょっと待ってね。今考えるから。3分頂戴……。…いや、やっぱちょっと待ってね。やっぱもう1分追加で。
「ええとね、」
頑張れ、は違うと思うし。
「なんだよ」
眉間にシワを寄せている秋水さま。…すいません、すいません!怒らないでください!
な、なんかやっぱり、この行動は本人にとって余計なお世話なのかもしれない。
もしかしたらこう言う時は一人になりたい物なのかもしれない。誰かに何を言われたって、所詮他人事に聞こえてしまうのかもしれない。
そう思うと……う~ああ、もう!難しいよ人間。人間の馬鹿野郎!!
「あの、」
でも本当に、ただ心配だったのだ。
前に思ったように同情とかの気持ちでは無い、友人・仲間として当たり前の感情で。
――きゅ、
「わぁっ、…え」
頭の中で色々考えていると、思いきり何かに抱き着かれる。
瞬間私の身体に伝わったのは、その何かの微かな震えだった。
「なぁ、俺は立派か?」
視界の隅に入ったのは青い髪で。
この震えている人は秋水なんだと数秒後認識した。
「立派だよ」
「誇れる人間か?」
「私は尊敬してるよ」
こんな秋水を見た事が無いから対処の仕方なんてよく分からない。何かにすがるような声をしているが、秋水の問いにただ素直に答える事しか今の私には出来なかった。
「お前は男か?女か?」
「え、お、男だよ」
「そうか」
…今聞く必要あるのかそれ。
「お前は俺を嫌わないか?」
「寧ろ好きだよ」
「本当に?」
「本当に本当」
彼の顔は私から全然見えない。見えるとしたら、抱き込まれている左の肩端と着ている長着の黒柳色に賽の目柄が少し。あと、口をパカパカ開けて此方を見ているアホ面をした蘭菊のみ。
だから私の視界からでは秋水がどんな表情をしているのかが全く判断出来ない。
それでも。
「お、おい秋水、何してんだ」
「羨ましいのかお前」
「ちっげーし!!」
今再び彼の体から伝わった震えが、恐怖からくる震えでは無いと言う事は確かだと感じる事は出来た。
スー…ガタっ
「あれ、二人とも稽古じゃなかったの?」
「凪風!」
秋水の次に突撃しようとしていたターゲットが、部屋の戸をタイミング良く開けて現れる。見れば彼も立派な長着に身を包んでいた。
「おっ。よし、良いところに来たな凪風!俺が今からとっておきの秘策を教えてやる」
「は?」
「いいか秋水、凪風!雪野様と淕様をじゃがいもだと思うんだ!」
いきなり何を言い出したかと思えば、冗談なのかふざけているのか、典型的な緊張ほぐしの伝授だった。凪風なんかは若干呆れた目をしている。
しかし冗談ではなく、それを本気でアドバイスしていると言うなら、私は口から出掛けた言葉を飲み込んで心の中で叫ぼうと思う。
――――馬鹿かお前!!
「俺はじゃがいもと交わるのか…」
「そ、あ…いやっ、違げー!!じゃがいもじゃなくてな」
「蘭ちゃん…言いたい事は分かるけどちょっと静かにしようか」
これ以上二人の心を乱さないでくれお馬鹿。
と思う所なのだが、会話の内容に反して非常に和むやり取りに感じたのは、秋水の頬が上がっているせいなのか、それを見てる私の口からププっと笑い声が漏れたせいなのか、はたまた凪風が蘭菊の頬っぺたをグイグイ引っ張っているせいなのだろうか。
「僕そこまで緊張はして無いんだよね~。これが」
「おひ!はらへぇ!(おい!離せぇ!)」
「あ、そうだ。野菊、」
何かに気づいたように蘭菊の頬からパッと手を離し、そう言いながら私にゆっくりと近づいてくる凪風はニコニコニコニコしていて気味がわる…いやいや元気そうで何よりです。
「ぶひゅっ」
「野菊、ちょっと僕の目を見てみて」
突然両頬を思いきり手で挟まれて顔を凪風の方に固定された。なんてけしからん奴だ。そんな事せずとも言われればちゃんと見るっちゅーに!!
「はにゃひてくはさい(離してください)」
「ん?ちゃんと喋って」
じゃあ離せよゴルァアア゛!!!悪魔!ドSめぇえ!!
…ゴホン、ゴホン。失礼。
とりあえず。しょうがないので彼の瞳をじーっと見つめる。
「ぬぅ……」
ジ―――――――。
…あ。
なんか変な感じがしてきた。
だんだんと凪風の顔じゃ無く見えてきて不思議な感じ。誰ですかおたく。始めましてどーも。
「僕だよ僕」
すいませんでした。
「……」
「……」
お互い無言。
しかし、こうじっくり見てみると凪風の瞳は綺麗だなー。灰色だが艶があり彼の髪のような銀色に輝いている。
いいなー。私もどうせなら赤とか青とか銀とかカラフルな色彩持ってたらなぁ。羨ますぃ~。
「お前等何してんだ?」
凪風に摘ままれていた自分の頬を手で抑えてスリスリしながら、不思議そうに私達を見る蘭菊。
「野菊の瞳を見てるんだ」
はい、そうですね。
「瞳?…………!っまさかお前、」
「あー。ほらほら、蘭菊抱き締めてよ」
「オイお前誤魔化すな!~離せコラ!」
私の顔から手を離し、隣に来ていた蘭菊を抱き締め始めた凪風。
ふぅ。ある種のお見合いタイムが終わりホッとする。
私の目の前で抱き合う彼等は、それはそれはもう仲良しさんで。
「そうだ秋水、おやじ様の所へ一緒に行く約束だったでしょ。だから今呼びに来たんだけど」
「ああ、そうだったな…。じゃあまた明日だ二人とも。…ありがとうな」
「僕も、ありがとう。また明日」
思い出したら早いか、二人はそう言うとあっという間に戸の外へと消えていった。
ありがとうと言われたが、稽古を中断して意気込んでやって来た割にはたいして何も出来ていなかったような気がする。と言うか何もしていない気がする。押し掛けただけな気がする。
気がする。
気がする…。
「なぁ、」
秋水の部屋に二人残されたこの空間に、蘭菊のまだ少し高く変声期を迎えていない声が響く。
「何?」
「…あいつらは馬鹿だ。姿を重ねたとしても、所詮一時の夢を見ているに過ぎないのに。ここは女が夢を見る場所だ…男は夢を見たら終わりなんだぞ。分かってるのかよ」
「蘭ちゃん、」
「…あ~ヤメだヤメだ!ほら、お前今日俺と一緒に宇治野兄ィさんの座敷だろ。支度するぞ」
蘭菊は口早にそう会話を終わらせると、私より3歩先の距離を保ちながら自分達の部屋へと歩き出したのだった。
あとがき。
『あれ?護は?』
『ニャーン!』
『こいつ忍者みてーだな』
『もう…。チャッピーは部屋にちゃんといるのかな~』
『ミーニャーン(部屋で寝てるよ)』
『そっか、寝てるんだね』
『分かるのかよ』
兄ィさま達は頭撫で撫でが主ですが、同期組では抱き合うのが主みたいですね。…外人か。




