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始まりは 7年目の物語 5

 本日は秋水と凪風の晴れ舞台、花魁道中を行う日である。


「ここ曲がってるぞ」

「あ、本当だ。ありがとう秋水」

「しょうがない奴だよな、幾つんなっても」


 私の直垂の結び目を秋水が丁寧に直してくれる。呆れた顔をしながら私の頭をガシガシと手でかく彼は、私をいつまでも『しょうがない奴』と言い、新造になり道中で隣を歩くようになった今になってもその認識は一ミリも変わらなかったらしい。これでも結構しっかりしていると思うんだけどな自分。



 道中に参加する者はいつもより三時間は早く起きて支度を始める。今私がいる広い一室では、道中に必要な花魁と、花魁になる新造に、まだ新造の者と禿の皆で一緒になってお着替え中である。

 畳に広がる色鮮やかな着物や飾りに化粧道具は、窓から射し込む朝日に照らされてよりいっそう鮮やかに輝いている。もっとも、それが一番輝きを増す時は遊男達が身に纏う時だけれども。


「野菊兄ィさま、これで良いのでしょうか?」

「か、可愛い…うんうん、合ってるよ。小さいのにとっても立派だね」

「兄ィさまも素敵ですよ!」


 そう言ってくれるのは、滅茶苦茶かわゆい禿の男の子。

 器量が良いとか悪いとかは無しにして、禿の子達は皆物すんごくかわゆい。


「世辞だぞ野菊。良かったな」

「秋水五月蝿い」


 秋水達が私と最初に会った時と同じ年齢だけれども、奴等を可愛いと感じた事は一度も無い。(ツンデレ蘭菊には反応しているが)


「うぅ~可愛いなーこいつめ~っ」

「わぁ野菊兄ィさま!」

「楽しそうだなお前等~。俺も混ぜてみな」

「わぁっ、!」


 着替え前なのか単衣姿の羅紋兄ィさまが現れて、いきなり禿ちゃんを抱っこしている私ごと持ち上げだした。形としてはお姫様抱っこと言うやつで、たいへん力持ちなお方である。

 そんな行動に似合わず兄ィさまからは朝露に濡れた深緑の草木の香りがした。とても爽やかだ。外に出てはいない筈なのに何故そんな香りがするのかは不思議だが、兄ィさまから何かアロマテラピー的な物が出ているんだろうなー、とか思えば特に気にはならない。体臭じゃなく、アロマねアロマ。


 だが取り敢えず支度も続けたいし降ろしても欲しいので足をバタバタしていれば、『暴れるな暴れるな』と言い何が面白いのかニヤリと笑って急にグルグルとその場でまわりだした。


「ほれほれ~」

「羅紋兄ィさまーもっともっとー!」


 …ええい!やめんかい!!と大声で叫びたいところだけれど私の腕の中にいる禿ちゃんはたいそう楽しそうな声を上げているので、咄嗟にお口のチャックをしめる。

 

「む、…ムガぅふ!?」


 痛っ、ちょっちょっと舌噛んじゃったじゃんよ!いってぇぇ!!

 チャックするんじゃなかった、…と言うか『ムガぅふ』って何だ私。


「あの羅紋兄ィさん、この瑪瑙の耳飾りを借りても良いですか?」

「ほーれ…ん?」


 凪風の声が聞こえたと思ったら、羅紋兄ィさまの動きが止まった。

 着替えを終えた凪風がグルグル周っている兄ィさまに話掛けたので、どうやら話す為に一時的にグルグルを止めたようだ。

 うぅ゛~気持ち゛悪い。吐くっ吐く!!舌も痛いよ。

 降ろせぇ!!


「ああ、良いぜ。凪風に良く似合うだろうよ。あ、ちょっと待て。今日は揃いで行こうぜ?俺も瑪瑙の耳飾り付ける」

「えぇー。兄ィさんと一緒ですか」

「何だ何だ、不満かコラ」


 止まったら止まったで頭が急な停止についていけずまだまだ脳ミソだけがグラグラと揺れに揺れている。禿ちゃんはやはり楽しかったようで、目も揺々している私の視界から見ても笑顔がうーっすらと分かった。

 そうかそうか、楽しかったか。うん、君が楽しかったなら私はもう何も言うまいよ…。

 とりあえず私はベロにつける薬が欲しい。


「不満は無いですよ」

「だったら眉間のシワを伸ばせ馬鹿ちんが」


 まだ話をしている二人。実を言えば凪風は羅紋兄ィさまの部屋付き。

 凪風にデコピンをお見舞いする兄ィさまとの仲は、その態度に似合わず良好なようで、今も眉間にシワを寄せ嫌そうな顔をしているが、こうして会話をするのが楽しいのか右の口角が少し上がっているのが見える。羅紋兄ィさまもそれが分かっているのか、本気で彼を怒りはしない。悪魔にも可愛いところはあるらしい。…あ、可愛いって言っちゃった。



「ねぇ」


 と、いきなりこの空間に割って入るそんな声が聞こえた途端、私の上に黒い影が落ちる。誰だ。


「ねぇ羅紋、早く着替えちゃいなよ。ほら…こっちにおいで」

「だ、大丈夫ですよ。あの、今羅紋兄ィさまに降ろして貰いますから!」


 声と影の正体は清水兄ィさまだった。

 やはりまだ低い声の兄ィさまには慣れなくて、声だけ聞いても誰だか判別出来ない現状なのである。何か…良く分からないけど凄くゴメンなさい兄ィさま。けして認識出来ないワケじゃ無いんです。『え~と、え~と、うーん。あーこの声は…きよ……いや、ええと』みたいな感じであやふやになるだけなんです。すいません!すいません!!


「野菊、嫌なの?」

「いっいえ!滅相も御座いません…が…」


 他の禿や新造達の着替えを終えた清水兄ィさまは未だ単衣姿の羅紋兄ィさまを促すべく私達を回収しようと、私と禿ちゃんをそのまま羅紋兄ィさまから抱き上げようとしてくれていた。

 が、清水兄ィさまの申し出は断る。

 綺麗な鴨羽色かものはいろの着物に着替えていると言うのに、私達を抱っこしたら崩れてしまうじゃないか。

 もうちょっと其処を気にしてくださいよ兄ィさま!


「野菊兄ィさま、聞いておいた方が…」

「お前にわざわざやらなくとも、普通に降ろせば良いだろうが。なー?」


 羅紋兄ィさまは頬を膨らませながら清水兄ィさまにブーブー言うと、溜め息をつきながら私と禿ちゃんを畳に降ろしてくれた。

 にに、兄ィさま!今の表情メチャメチャ可愛いかったです!!ほっぺがプゥーって、ほっぺがプゥゥーって……ワンモアプリーズぅ!!

 あー良いもの見ちゃったな~。ふんふんふ~ん。らんらんら~ん。


 ラン。

 あ、そう言えば。


「清水兄ィさま、蘭ちゃんはどこですか?」

「蘭菊?」


 朝起きた時以降、一度も見ていない気がする。視界の端にあの赤がチラチラ見えていたのは確かなのだが…。


「蘭菊なら厠だよ。かれこれもう13回は行ってるかな」


 あぁ、なるほど。緊張しているのか…


「お披露目だから見物人も凄いだろうしね、蘭菊の気持ちは分かるよ」

「……」

「禿や新造の動作一つ一つも主役である秋水や凪風の品を左右するからね」

「……」

「野菊?」

「ちょっと私も厠に行ってきます!!」


 兄ィさまの言葉を遮りダッシュで厠へと私も向かい出す。…あぁ~畜生!結局私もか!!

 清水兄ィさまの話を大人しく聞いていたら腹の中の筋肉が締まり尿意が突然襲ってきた。

 どうやら蘭菊の緊張の種が自分にも移ってしまったようである。

 いやぁ!チビりたくない!!


「うわっ、あ…なんだ野菊か」

「そうそう私ですよ!早くそこ退いてー!!」


 厠の前に立ちはだかる赤い小僧を恨めしく見詰めながらバシバシと相手の肩を叩く。眉を潜めるもそれに対し文句を言い返さない彼はいつもより可笑しく、やはり厠から出た直ぐでもやっぱり緊張しているらしい。…まぁ厠で流せるのは物理的に言えば排泄物だけだからね。不安や緊張は流れませんからね。


「もしかして緊張してんのかお前」

「厠13回目の蘭ちゃんは私に何を言いたいのさ」

「っあの変態野郎!!」


 地団駄を踏みながら頭から湯気が出そうな程に真っ赤になる蘭菊。今は…とりあえず早く其処から退いて欲しいんだけど。

 私の無言の睨みにやっと反応した彼は厠の入口から一歩離れて道を開けた。

 なんだ、やれば出来るじゃないか君。ふっ。


「ほら、早く言って来いよ。待っててやる。一人でいるより同じ立ち位置の奴が一緒にいた方が安心するもんだろ」

「っ蘭ちゃん!………………安心したいのか」

「お前なぁ!!」


 さも『俺がいてやる』的な事を言っているが、ようは自分の心も安定させる為の口実に過ぎない事だというのを私は見抜いていますよ。


「ま、まぁ取り敢えず。野菊、深呼吸だ。深呼吸」

「すぅーはぁ~~」


 便乗しますけどね。(結局同じ)

 あ、そう言えば舌がもう痛くないや。やったね。





●●●●●●●●●●●●●●


 昼間の太陽は高く、日射しは妙に優しい。まだまだ肌寒いこの季節の空気の中、吉原の通りの両端には人がごった返している。

 ゴミが人のようだ。

 …あ、違う違う。

 人がゴミ山のようだ。…いや、これも何か違うか。まぁ、言いたい事は何となく伝わっているだろう。


 いよいよ道中が始まるのだ。


「緊張する?」


 道中のスタート地点は天月妓楼の前の道。私達はその地点で指定された順番に並びスタンバイしている。並びは秋水のグループが前、凪風のグループが後ろ。

 花魁である兄ィさま達は、それぞれ自分の下に付いていた新造の後ろにつく。私は秋水の隣、蘭菊は凪風の隣で歩いて、此れから花魁になる者のお供をする。

隣で歩く新造は紅い番傘を持ち秋水達の上に差すのだが、これは『花魁になる者』だと分かりやすいようにという目印だと聞いた。


「…正直まだちょっとします。また厠へ走りそうです」

「俺も正直緊張でやられそうです」


 秋水の着物は黒地に大きな紅い菊の花が咲いた柄で、地面まで長さのあるデカい羽織は青墨(あおずみ)色。青髪青眼の彼にピッタリで、端を縁取る金の刺繍が印象的だ。耳には爪楊枝位の長さの金の細い耳飾りがぶら下がっていて良く似合っている。

 顔も凛々しくて…うん、立派な花魁だ。

 しかし平気そうな顔をしていた秋水も実は緊張Maxだったらしい。…そりゃそうか。今日の主役なんだもん。此処にいる誰よりも緊張している筈だ。


「そうかぁ。まぁ、そうだよね。…二人とも今までで楽しかった事とか思い出してごらん?」

「楽しかった事ですか?」

「うん」


 楽しかった事…。


「俺は野菊が風呂に落ちた時とか、野菊がおやじさまに数の子食べらんねーで怒られた時とか、野菊が怪談話で絶叫してた時とか、野菊が…」

「…秋水、殴って良い?」

「野菊や凪風、蘭菊と一つの布団で皆一緒に寝た時とか。あれ、最高に楽しかったぜ」


 人を散々面白がった発言をしていると思えば、急にそう言って私に向かい楽しそうな顔をする彼。ふいを突かれた私はついつられて笑顔になる。


「私もね、秋水達と稽古してた時とか皆にお風呂で毎回膝に乗せて貰ってた時とか、おやじ様の頭がいつ禿げるかを寝ながら皆で討論した時とか、あと」


 指折り数える私の頭の中には沢山の思い出が浮かび上がってきた。秋水達3人だけの思い出ではない、兄ィさま達と過ごした始まりの記憶からの色褪せない日常も走馬灯のように流れだす。

 思えば悲しい事は少なかった。いつも傍には誰かがいたから。おやじ様の家にいた最後の2年はチャッピーや護との出会いもあったし、十義兄ィさまも定期的に遊びに来てくれていたのだ。


 誰かと、皆といる時、最高に楽しかった事を私は覚えている。


「野菊、秋水。皆と、仲間と一緒なら何時だって何だって楽しかったね。いるだけでも勇気だって湧くこともある。私達もついてるんだ、怖い物なんか何も無いだろう?」

「はい!」

「兄ィさんは元気づけるのが上手いですよね」


清水兄ィさまはニコリと笑う。


「秋水ー!野菊ー!」

「凪風?」


 後ろの方にいる凪風が大きな声で秋水と私を呼んでいる。

 振り返り見てみれば、可笑しそうな顔で蘭菊を指差している凪風がいた。

 凪風の着ている着物は帝王紫(ていおうむらさき)の布地に大柄の白い菊の花。羽織は紫紺(しこん)色で羽織紐は銀。耳元には瑪瑙の耳飾りが輝いている。胸まである少し長い銀の髪は瑪瑙の飾り紐で下を束ねて結んで後ろに垂らしている。

 よっ、イケメン。


「道中終わったら部屋で蘭菊が腹芸見せてくれるらしいよー」

「腹……ククッ、それいーな!」

「蘭ちゃん…」


 蘭菊は自分から腹芸するぜ!ってキャラでは無いような気がするんだけど。もしかして…と凪風の後ろにいる羅紋兄ィさまを見る。


「よーし、頑張れよ蘭菊」

「羅紋兄ィさんが変な事言うからじゃないですか!!」


 ふ、やっぱりな。


「さぁ天月の花魁道中!道明け()くのは秋水花魁、凪風花魁だ!!者共、道を塞ぐなよ!!」


―――ワァアアー!!

キャー!

秋水様ー!!


凪風様ー!!


ああっ、清水様よ!?清水様ー!!

羅紋様もいるわ!羅紋様ぁー!

新造も可ぁ愛い~!





 おやじ様の白熱した掛け声に、見物人が見事な歓声を上げて始まった道中は、見事始まりから終わりまで完璧な仕上がりになった。終始秋水は楽しそうな顔をしており、多分彼の頭の中は蘭菊の腹芸の事で満たされていたのだと思う。…時々吹き出しそうになってたし。

 ムフ。蘭ちゃん、良い働きをしたなお主。



 …ただ、気になった所と言えば。

 秋水が最初に床入りする相手の雪野様と引手茶屋で会った時に見せた表情だろうか。

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