始まりは 7年目の物語 2
「逃げないでよ」
「馬鹿言えっ、逃げるっつーの!!」
清水兄ィさまから逃げる羅紋兄ィさま。事の成り行きが気になるが、私が今目で追っているのは兄ィさま達では無い。
「しゅーすいー!凪風ー?らんちゃ~ん!」
『やれー!やれー!』とヤジが飛ぶ鬼退治騒動の中、私は目と声で秋水達を探す。ずっと兄ィさま達に囲まれていたので引込の皆が全然見えなかった。だから開けた今なら見つけられる筈。
本当は立って探しに行きたいのだが『俺の事が嫌いですか?』と宇治野兄ィさまに眉尻を下げながら言われてしまい、結局それに敵わず兄ィさまに背中を向けて抱かれたままになってしまっていた。
くっ…ズルい!ズルいぞあれは!!
あんな捨てられそうな顔をされたら行けまいだろうが!
花魁の手練手管の使いどころ間違っています!全く恐ろしい子っ。
「秋水ー…凪風…らんちゃー…ん」
広いと言っても一つの部屋。探そうと思えば直ぐに見つかる筈…なのに、それらしき人物達が見つからない。あ、人がいすぎる空間だから混同しちゃってるとか?
…うーん。いや、でもなぁ。あの3人の容姿で目立たない事は無いと思うのだが…。
ベシンッ
「痛!!」
「あっ野菊、」
するといきなり後ろから頭をひっぱたかれた。ビックリして思わず宇治野兄ィさまの腕から思いきり飛び出てしまう。
うぉ~滅茶苦茶痛い、ヒリヒリするよ。…お願いだから頭に過度な刺激を与えるのは止めて頂きたい。頭部が薄くなってきたらどうしてくれるんだ。全く…一体誰だ馬鹿野郎!!
私の背後にいたのは宇治野兄ィさま…だけども、兄ィさまがこんな事しないのは確か。そしてこんな手厚い歓迎をするのは、兄ィさま達以外だとあの奴等しかいない。
それは、
「もう!蘭ぎ…ぇ」
そこにいたのは、
「ぁ…だ、だ…れ…」
後ろを振り返り、攻撃してきた人物へと目を向けた私の瞳に入って来たのは…。
青色のサラサラな髪は首元を撫で、青い瞳は切れ長ではあるがまだ少し幼さを感じる大きさ。身長は兄ィさま達同様に、見上げなければ顔が見えない程。右の耳たぶには、針で穴を開けたのか小さな翡翠の耳飾りが二つ輝いている。
青藍色の着流しを身に纏う、端正な顔をした美青年と呼ぶに値するこの男の子は…
「…いや、えっと、あれ?秋水?」
「久しぶりだな」
せ、成長期スゲェ!!
何、なな何なのっ?変わり過ぎじゃないの!?
3年会わない内になんでこうも変わるのさ!
「え。僕らの事3年で忘れちゃうの?頭大丈夫?」
首を傾げて私に向かい失礼な発言をする長髪の銀髪野郎。瞳は灰色で背が秋水よりも更に高く、烏羽色の着流しを着たこちらの美男子。羅紋兄ィさまのように少し垂れた目尻は優しそうな感じだ…がしかし。
私を可笑しそうに、でも馬鹿にしているような視線を寄越して来るのはあの悪魔。
「凪風?」
「お前、やっぱ馬鹿だよな」
赤く燃えるような短髪に赤黒い瞳、葡萄色の着流しを纏う少年の粋をまだ超えない整った容姿をしたこの無駄に綺麗で生意気な小僧は、
「蘭ちゃんは全然変わってないね!!」
「でしょ?」
「はぁ!?背とか伸びただろーが!何か見つけろよ!」
え。いや、変わってないよ。
だって相変わらず喧しいもん。
「野菊も背がまぁ高くなったよな。蘭菊とそう変わんないだろ。…蘭菊、お前野菊に散々チビっつってたけど、もしかしたら…」
「おい秋水!それ以上言ったら俺の拳が飛ん」
「蘭菊が一番チビになるかもね」
「凪風この野郎!!」
相変わらずの3人に私の口角が上がる。
「あ。野菊、お前今笑ったな…」
「え、うん」
「っ畜生今に見てろよ!!お前よりぜってーデカイ男になってやる!」
左の握り拳を胸に当てて明後日の方向へ何かを誓う蘭菊に、成長期の神様が微笑んでくれるのか否かは数年後のお楽しみである。
「私は背がデカく無くても心のデカイ男になるからいい」
「お前…男を上げたな」
目をハッとさせ、口を手で覆いながらそう言う秋水。
…ちょっとわざとらしい動作が癪に来るが、お褒めに預かり光栄ですよ。はい。
「そう言えば野菊、明後日の花魁道中宜しくね」
「道中?」
腕を組んで私の目の前に立っている凪風が、唐突にそう話を切り出した。
何でいきなり花魁道中?
「もしかして聞いてない?」
「俺達2人15歳になっただろ?遊男になる俺達の元服みたいなもんでさ、突き出しをやるんだ。まぁ、だから隣を蘭菊と一緒に歩いてくれ。宜しくな」
あ、なるほど。
男の子は15で成人だもんね。
そんでもって花魁デビューか。華々しい一日になりそうである。
引込新造が15歳になり、正式に遊男としてお客を取り始める日、つまり遊男デビューを「突き出し」と言う。
引込新造は基本一人の花魁の元に付いているのだが、突き出しの費用は兄遊男である花魁が御役と称し一切を負担し、その費用は二百両から五百両する。コレばかりは天月のお金では賄わない。何故だかはまだ知らないけど。
兄遊男は引込新造と一緒に2日間花魁道中をして馴染の茶屋へ新しく花魁になる新造の披露に訪れ、馴染み客を伴い見世に戻り、取り巻きの男芸者に対して定紋入りの羽織を与え、馴染客の茶屋へは祝儀を出し、見世の親しい妓楼屋・茶屋にまで餅菓子を配るのが習慣。
なので、引込新造を抱えることは一般の遊男では無理なのだ。
突き出しした引込新造の最初の馴染客となる者は、寝具一式を送る定めになっており、それを用いて床入りすることになっている。
この寝具の費用は三枚重ねの敷蒲団、夜着一枚で五十両位かかるそう。
基本的には兄遊男の超お得意様のお客が、此れから花魁になる新造と最初にチョメチョメする相手役となるので、遊び慣れたぐらいの年の人が多い。
当然、お金も暇もあり、最初のお客だから新造に作法も教えられるくらい遊び方も心得たお客でないと勤まらない。この時ばかりは花魁の馴染みの客が新造と床入りしても浮気にはならないのだ。だって寧ろ此方からお願いしてるんだもんね。
でも、
「秋水、凪風」
「何?」
「どーしたんだよ、お前。浮かない顔して」
軽く説明しただけだが、床入り…つまり2人は色を売り出すと言うことになる。
「ううん、何でもない。…道中の日は精一杯お供致しますとも!!ね、蘭ちゃん」
「あ?…お、おう!」
「よし蘭菊、明後日から俺を兄ィさんと呼ぶんだな」
「誰が呼ぶかよバァーカ!!」
辛くは無いのか…と私が聞いた所で何が変わるのワケでは無い。分かりきっている事を改めて確認する必要も無いのだから。
それに聞いても『辛くなんかねーよ』『辛く無いよ』と返されるに決まっている。そんな言葉を思いとは裏腹に本人に言わせたいワケじゃ無いから聞きはしない。
「凪風兄ィさまー」
「あ、なんか良いねコレ」
「野菊!お前に屈辱心は無ぇーのか!!」
今はただ、隣にいて、笑って、騒いで、日常の幸せを共有していく事を一番に考えよう。彼等の未来を嘆く事はしない。
この気持ちはけして同情なんて物では無い、とは言い切れないが、此れから花魁になっていく者への敬意が大半である。
彼等にとっても、同情なんて腹の足しにもならないだろうし、された所でこの運命から逃れられる事は出来無い。
光と闇が交差する吉原の花魁と言う名の高い場所で、屈せずに華々しく咲き誇っていく彼等に尊敬の念を込めて。
「よっ、秋水花魁!凪風花魁!!超格好いいぜ!」
二人に向かい親指をグっと上に立てる。
「野菊、男みたいだよ」
「いいんですぅー。男になるんですぅー。…あ、そうだ。久しぶりに皆で抱き合おうよ!」
「はぁ?んな子どもみてーな事…」
「蘭菊は仲間外れで良いみたいだね」
「じゃあ3人でするか」
「な、何だよお前ら。ふっ別に俺」
ぎゅっ
「これ暖かいよねぇ。あ、秋水と凪風、結構筋肉付いてる」
「お前胸が板だぞ。女じゃ無くなったのか遂に」
「…秋水がそう言う冗談をいつか客に言わないか僕心配だよ」
秋水を中心に抱き合う私達3人。
「べっ、別に俺」
「秋水本当に背が高くなったね。私の顔が完全に胸下だよ」
「凪風の方がデカイけどな」
「僕昔から皆より大きかったからねー」
ぎ、ぎゅうっ
「何だよ蘭菊」
「…うるせー」
「素直じゃないね」
「ぷふ。蘭ちゃん、照れ屋だもんね」
「悪かったな!!」
疎外感に耐えられなくなった蘭菊が、抱き合う私達3人に抱き着いて来た。耳の上が少し赤くなっている彼に込み上げる笑いが隠せない。ムフフ可愛い奴。
「道中、皆で頑張ろうね」
「ふん。当たり前だろ!」
訂正。ツンデレ蘭菊は変わった。
前よりも扱いやすくなりました。
「ゲコ」
「ニャー」
「何だよ今の鳴き声」
「蘭菊の鳴き声?」
「ちげーよ!!お前は俺を何だと思ってんだ!」
「あ、」
何だか実に聞き覚えのある声がし、足元を見てみるとチャッピーと護がいた。いつまでも廊下で待たされてたから痺れを切らしたのだろう。うぅ…すまなかった。怒ってる?怒ってるのかい?
秋水の身体から手を離して2匹の元にしゃがみこむ。
「チャッピー、護」
「わ、蛙?と猫?」
「蛙がチャッピーでね、猫が護って言うんだよ。2年前から一緒にいるんだけど…」
2匹を腕に抱き合げて、不思議そうな顔をする3人に紹介をする。
…あ、ちょ、チャッピー!駄目、駄目だよ頭の上には乗らないでくれぇ!
頭頂部にあまり刺激は…やめ………ほら肩においで。…よーいしょっと。うん、良い子だ。よーしよし。
「ねぇ、蘭ちゃん。チャッピーと護も一緒の部屋で暮らしても良い?」
「は?…まぁ別に良いけどよ…猫は別として、蛙って普通冬眠すんじゃねーの?」
「あー…。えっとね」
チャッピーは冬眠をしなかった。
寒い時期になりそうになると自ら私の部屋の中へ上がり、火鉢のある近くに座るこの蛙。私はそれを見て、取り敢えず水分は無いと困るかなと思い、立派な大きさの壺をおやじさまに貸して貰って、ある日水を張り部屋の中に置いておいた。すると体が乾いてきたのか壺の水へと戻る姿を発見。どうやら役に立ったようで入ってー出て。入ってー出て。入ってー出て。火鉢と壺を行き来するその繰り返しだった。
…不便だよチャッピー。
なんか見てて面倒くさそうなので、火鉢の近くに壺を置いてやった。そしたらピョンピョンと跳ね…嬉しそうだった。
そうしてとうとう冬眠に入らなかったチャッピーは2年目も冬眠せず。
ちなみに生きた餌しか食べない蛙のチャッピーだが食事は私の知らない所で秘密裏に摂っているらしく、一度も捕食姿を見たことがない。
…これ本当に蛙かな。蛙に似せた地球外生命体じゃないよね。
チャッピーの事は憎からず大好きだから宇宙人でも構わないが、いつか捕食姿と冬眠を見せて欲しいと思う私は変な奴なのだろうか。
「何か変な奴だな」
「やっぱり私変?」
「ちげーよ蛙だよ蛙。お前は変な奴じゃ無くて馬鹿だ」
「凪風、秋水、ほら見てみてー」
「へぇ、可愛いね」
「俺この蛙好きだな。目が良いよな目が」
「無視すんな!!」
こう言う時はスルーするのが一番。
でも良かった、蘭菊が蛙嫌いでも猫嫌いでもなくて。寧ろ興味信心て言う感じだったから更にありがたい。
最悪、嫌だと言われたら諦めるしか無かったので嬉しい限りである。
「でも蘭菊が一緒の部屋なんて、野菊は可哀想だね」
「いや、逆に野菊と一緒の方が可哀想だろ。アイツの寝相酷いんだぜ?哀れだな」
なんか失礼な事を言われている。
えい、うるさいぞ。
酷い寝相を意識して直せるもんならとっくに直してるわ。と言うかそこまで哀れむ程の私の寝相って…。……いやまぁ自分でも分かってるけどさ、流石にそう言われてしまうと常識を超えた酷さなのかとショックを隠せない。
ゾク…
するといきなり背中に悪寒が走った。
そして同時に、目の端に映り込む黒い物体が。
ヒュッ
「蘭ちゃん!伏せ!!」
「あ?わ!おい!?」
ドゴンッ
ゴト…
蘭菊に向かい飛んできた物は、壁にぶち当たり下へと落ちる。いかにも重そうな音を立てるこの黒い物体、
「あ、蘭菊ごめんね?怪我してないかな?」
「らんちゃん!大丈夫?」
「あ、ああ」
「野菊、もう蘭菊の上からどいても大丈夫だよ。あと、危ない事はしちゃいけないよ?」
羅紋兄ィさまは一体どうしたのだろうか?見当たらない。彼を追いかけていた筈の、どこからともなくやって来た清水兄ィさまに言われて蘭菊の上からゆっくりと退く。
いやいやいや、滅茶苦茶危ない事をしていたのは清水兄ィさまだと思うよ!?あの私達の後ろの壁にぶつかって下に落ちている金棒は、さっきまで兄ィさまが振り回していたものに100%違いない。
「でも本当にごめんね?」
しかし、言い返す勇気も度胸も無い為、おとなしく頷いておく。
平和、平和が一番です。
と言うか羅紋兄ィさまは何処に。
「俺、長生きしたい」
「うん。私もだよ蘭ちゃん」




