始まりは 7年目の物語 1
今日は快晴。超良い天気。すんごくいい天気。
そんな中、天月妓楼内の広い一室の戸の前に、おやじさまと並ぶ私。
「そんな緊張すんな野菊」
「……」
ゴクリ…。今、この戸の向こうには、秋水達や兄ィさま達がいます。
「言い忘れていたが、明けましておめでとうだな」
「…明けましておめでとうございます」
…いや、あの。それに緊張しているのもあるけど、何よりも私が今ビビってるのは、おやじさまの左手にある金棒のせいだよ。
何ですかそれ。そんな物騒なもんで元旦から何しようってのおやっさん。餅叩き?
「まぁ、会っちまえば緊張も解けるだろうよ」
私は今日、葵色の直垂を纏い天月へと戻る。
一応引込が戻ると言う事で、妓楼の一室で歓迎会ならぬ帰還迎会を行うらしい。
大切で貴重な正月休みに、んな大袈裟なもんなぞやらなくても良いよ良いよ、普通に挨拶回りでいいじゃない。と思うのだが、毎回引込が戻る度に行う物だそうで、秋水や凪風、蘭菊も盛大にやられたらしい。
…そんな事聞かされたら拒否するわけにはいかないじゃないか。
とか思いながらも、それ以上に嬉しい気持ちがあるのも事実。…うひょひょ。
「ニャンニャー(僕がついてるさ)」
「おおぅ。ありがとうよ~護」
護が『僕がついてるさ』みたいなニュアンスの鳴き声をあげたので都合の良いように解釈をする。
腕の中に護を抱えあげ、肩にはチャッピーを乗せている私。
…いや、あの、ペットショップの店員でも、小学校の生き物係りでもないよ。勘違いしないでね。
「ちゃんと挨拶するんだぞ」
「はっ、はい」
しかし。
…き、緊張してきた。
わ、分かるかなぁ。
皆どんな感じになっているのだろう。と此処に来て皆の顔を一人一人思い出していく。
えーと、えーと阿多夜兄ィさまと波渚兄ィさま、多摩時兄ィさまに…朱の……
あ…ん?あっ、いやちょっと待て。
その前に私の事をそもそも覚えているのかな、兄ィさま達。
2年前に文をくれた花魁の兄ィさま達はギリギリ覚えてくれていると思うが…
『野菊?…あーそういやいたな。そんな奴』
『え、野菊…ですか?いましたっけ?』
『俺ぁ知りませんよ、引っ込みは3人だけでしょ?えっもう一人いたんでしたっけ?』
とかこんな感じだったらどーしよう。有り得なくないよコレ。うわぁ…。
と、あるかもしれない数分後の未来に恐怖する。
「野菊、ちゃっぴいと護は一旦此処に置いとけ」
「!!…うぅ」
一人焦っていると、隣にいるおやじさまが二匹を指さして言う。
あ…そ、そうですよねー。
良く考えたら、挨拶するのに猫抱いて蛙を肩に乗せる奴なんか変ですもんね。失礼ですもんね。
何だかんだずっと一緒だったから、感覚が鈍くなってしまっていた。
「ニャー(えー)」
「ゲコ(頑張れよ)」
「じゃあ…待っててね」
二匹をそっと廊下に置く。ちなみに鳴き声を私なりに解釈しているので、本当に話せているわけではない。あくまで妄想です。
えーと、チャッピーの近くには布で包んだ懐炉と、乾燥したらいけないので一応底が少し深い小皿に水を張った物を用意しようと…したのだが。護が丸まって廊下に横になると、その暖かそうな中心に飛び込み、暖を取り出した様子。
ほわぁ、暖かそう。
じゃあ水だけで充分かな。
「じゃあ俺の後に続けな」
「はい」
チャッピーと護の事に気を取られ思考を中断してしまったが、忘れられてたら…と再びそう思うと『私です!野菊です!』みたいな顔をして入っていってしまう自分が、何だか恥ずかしくなってきてしまう。と言うかしていなくても居たたまれない。
自分の精神へのダメージが、こ、怖いから下を見ながら部屋へと入る事にしようかな。
うん。予防線張っとこう、予防線。
スッ―――
「お前等、騒ぐなよ。あと野菊が話すまで喋るな」
おやじさまが少し戸を開け、部屋の中にいる皆に向かってそう話している。
いや、そんな。やめてくださいよ。なんか偉そうな奴になっちゃうじゃないか。
忘れられた上に、偉そうな奴カテゴリを加えられたら私っ耐えられないよ!!馬鹿野郎!
「入れ」
ぅぅ…と前を歩くおやじさまの足を見ながら、言葉通り足を踏み出し入ると…あ、畳みの目に傷が。
あ、此処にはシミが。ん?そっちにもだ。
オイオイおやじさま、そろそろ変えた方が良いんじゃないですかねコレ。この畳み。
…お、ここもしかして置物とか置いてあったのかな。へこんでるへこんでる。ひょ~。
とか緊張を少しでも感じないように、色々どーでも良い事を考える。
「野菊、そこに座れ」
「はい…」
前を歩いていたおやじさまに言われ、指定の場所に直垂の裾を押さえて正座をする。と同時におやじさまも隣に座ってくれた。
グッジョブ!!私の安定剤!(いつからだよ)
しかし正座をした私は、まだ皆の方を見れない。
と、取り敢えず挨拶をしなければ何も始まらないのは確か。
手を前に着いて下を向き、目を瞑りながら言葉を紡ぐ。
あぁ、神様。
「明けましておめでとうございます。天月の、み、皆様。兄ィさま、新造、禿の皆様。今度は引っ込み新造として、この野菊、お世話になります。今日からまた宜しくお願い致します!」
『きょうから、よろしくおねがいいたします』
―――…こんな時にだが、何だか最初の頃を思い出す。
ワケの分からないまま流れに流された私は、そう言えばこうやって皆の前に座って挨拶したんだっけ。
懐かしいなぁ。
まだまだ小さな私は、今よりずっと口が廻らなく、つたない挨拶とお辞儀でガチガチに緊張していた。清水の舞台からなんて、とてもじゃないけど飛び降りれない。
でも、そんな私に優しく声を掛けてくれた兄ィさまは。
『これは可愛い童子だね。おなごが女相手に商売をするのは大変だが、一人立ち出来るよう私達がしっかりと教育してあげるからね。5歳だと此処では一番下になるから、皆を自分の兄さんと思って頼ると良いよ』
そう笑ってくれて。
思い出しただけで、何だか安心する。
今言われたわけでも無いのになぁ。ふふ。
「野菊?」
すると目の前に座っている誰かに名前を呼ばれた。それと同時に家出していた緊張さんが再び戻ってくる。
…だ、誰だろう。
確認するには顔を上げれば良いのだが、中々上を向けない。
ええい!ヘタれが‼顔上げんかいゴラァ!!
と、もう一人の私が脳味噌をブッ叩く。…ケっ畜生。
「ねぇ野菊、顔を見せてごらん?」
「へ、」
再び前の人に声を掛けられる。
―あれ?
この話し方。
この話し方は…。
記憶にある声より少し声が低くて若干違うけれど、もしかしてこの人は、
「私だよ、分かるかい?」
その言葉を皮切りにゆっくりと顔を上げていく野菊。
「…!」
そして次の瞬間瞳に映ったのは、黒鳶色の着流しを纏った妖艶の如き黒髪の美男。
鎖骨辺り迄の柔らかそうな黒髪に、少し長い前髪から覗く瞳は相変わらず黒真珠の様に黒く深く輝いており、流し目をされたら客はひとたまりも無いであろう程。
シュっとしている輪郭は無駄な肉が付いていないと言う事が一瞬で分かる。
…女性を惑わさんばかりに妖しいほど艶かしく美しく、上品であるか否かは、もはや問題にはならない程の色男で…。
「きっ、」
パぁパパパパっ、パワーアップしてる!!
なんか色々レベルがUPしてる!!
え、あの方だよね。そうだよね。
唯でさえ凄かったのに…こんな、
「き、清水、兄ィさま…?」
「っそうだよ、そう」
とても嬉しそうな笑顔を見せてくれたのと同時に、兄ィさまの両手がスローモーションを見ているかのようにゆっくりと私の方へ伸びて来た。
がばっ
ドタン――っ
「あぁ野菊、良かった!!」
すると勢い良く前から抱き着かれて、うしろへと倒れる。一瞬だった。スローモーションを見ているかのよう、ではなく見ていたのか。そして今私の目には木造の天井しか見えていない。
「にっ兄ィさまっ」
「うん」
ぎゅうぅぅ~っと息が出来ないくらいに、兄ィさまの両腕に抱き巻きつかれている。首筋に息が当たって、少しくすぐったい。
だが…ぐ、ぐるじい…。でも、あ、なんか良い匂~い…。とか場違いな事を思う私だけれど、けっして私は変態ではない。
「…野菊」
兄ィさまの腕は6年前より逞しくなっていて。私が想像していた昔の兄ィさまの手首は細かったのに、今では少し太く骨張っていて『男性』の手になっていた。
最後に会ったのは兄ィさまが16歳の時。そりゃ変わるのも当然である。
「おい清水!!ちょっと一回離れろ!俺が抱き着けねー」
「羅紋兄ィさま!!」
「よっしゃ!覚えてたか~っ清水どけっての!!」
そう言って、清水兄ィさまの肩口から見えたのは緑髪短髪の美丈夫。垂れ目の右下には泣き黒子があり、漏れだす色気は健在。少し荒い喋りの兄貴肌な二枚目、この人は羅紋兄ィさまだ。声も清水兄ィさま同様に少し低くなっており、髪もだいぶ短くなっていた為、直ぐには分からなかったが特徴を一つ一つ見れば明らかで。
「野菊が苦しそうですから離してあげなさい。大丈夫ですか?野菊」
「うっ宇治野兄ィさま?わぁ…宇治野兄ィさま!」
「…清水。早く離しなさい」
清水兄ィさまの肩をむんずと掴む、紫色の髪をしたハンサムなお方。
若干つり目でキツそうだけど、丁寧な言葉遣いに落ち着いた声色をしたこの人は、宇治野兄ィさまだ。
背中迄の長い御髪は先を一つに結んで前に垂らしていて、短い髪型しか見たことのなかった私は違和感を禁じ得ない。でも優しい雰囲気に良く似合っているのでグッド。やっぱり格好いいです。
確か今のお歳は27。大人の色気が出ています。
「野菊!俺覚えてるか?」
「朱禾兄ィさま!!」
「おちび、でかくなったなぁ!!」
「染時兄ィさまっ」
「僕の事も覚えてるよね!」
「お前~綺麗になっちまってよ~っ」
「優座目兄さま、梨野兄さまに蟻目兄さま、皆、皆覚えています!」
ワラワラと周りに集まる久しぶりの兄ィさま達に、瞳の奥がジワジワと洪水の予感を告げる。
ちょっ、早い!早いって私!
やめやめやめろ。
目ん玉ひん剥いて耐えろ私!!
出来る、出来るぞお前なら。
ポンポン。
「?」
そう歯を喰い縛って化け物並みの目ん玉になり頑張っていると、大きな手で頭を撫で付けられる感覚がした。
その懐かしい感じと手の平の暖かい温もりが脳の奥まで伝わって、自然と口角が上がる。
その暖かい手の正体は私を抱き締めている兄ィさま。
「凄く凄く君に会いたかったよ」
…コツン、
清水兄ィさまが頭を撫で微笑みながらそう言うと、今度は私のおでこに自分のおでこをゴっつんこしてきた。私の黒瞳と兄ィさまの黒瞳がピタリとかち合う。
「あ…」
うっ―な、何してくれとんじゃい!!
こちとら必死で、必死で、
「あ…の゛ぅ」
「ん?」
必死でなぁ!!
「ろぐっね゛んん、あっ、あいだがっだんでずっ」
「うん、私もだよ」
「おい。俺達も!だぞ清水」
「ゃっど、っやっどあえまじだぁ」
結局最後は清水兄ィさまの攻撃にヤられ。
顔がグッチャグチャになりながらも、目の前の兄ィさまにしがみつく私は完全に泣き虫な子ども。
全然大人なんかじゃない。
「ほらほら、野菊此方に来なさい」
「うじのにィざまぁー」
「…清水、いい加減手を離しなさい」
「…じゃあ直ぐに返してね」
全く…と言いながらも、12歳になり大きくなって重い筈の私の体を、そうっと抱き上げて包み込んでくれる宇治野兄ィさま。
涙の跡を親指できゅっと拭ってくれる。
うぅ…ひっ久しぶりお母さん!!!!
背中をポンポンと叩いてくれる兄ィさまは、仕草が全然変わっていなくて。それにも少しホロリとしたのは仕方がないと思います。
「ほら、野菊。お前の好きな焼きまんじゅうだぞ。笑え笑え、な?」
「らおふひーはは(羅紋兄ィさま)」
そんな私の頬をグーっと摘まんで、焼きまんじゅうをチラつかせてくる羅紋兄ィさま。
どうやら私は焼きまんじゅう一つでどうにかなる奴だと認識されているらしい。
…フッ。当たりですけども。
「ほら、此方向いてみな」
「あ゛い、」
ちゅ――っ
「?」
「ん!よし、泣き止んだな」
頬っぺたに柔らかい物が触れたと思ったら、羅紋兄ィさまが満面の笑みでそう言って頭をクシャクシャっと撫でる。わぁお!と、ちょっとビックリして涙が引っ込んだ。
ちゅ、ちゅーちゅータコかい…な?
「ねぇ…羅紋」
「何だ何だ…ってオイ!!清水!その金棒どっから持って来たんだよ!!」
「ん?あぁ。おやじさま、ありがとうございます」
「ヤっちゃって下さい清水兄ィさん!!」
「思いっきりでいいっすよ!!」
正月なのに、2月の豆まきの鬼退治並みの騒ぎが始まるのであった。
『待て!待て清水!!』
『何?遺言かな』
『あ…あの、宇治野兄ィさま、きっきき清水兄ィさまが!!』
『そうですねぇ…まぁ、あれは放って置くのが一番ですよ』
次回は同期組です(*´∀`)




