始まりは 2年の月日 4.5
私は秋水に抱き込まれながらも、1年前の兄ィさま達と別れる直前の夜の事を思い出す。
似たような状況だったなぁ。
私や秋水達が移動してしまう最後の3日間。兄ィさま達の希望で私は各々と一緒に夜は寝る事となっていた。
だが兄ィさま達には閨の日があるので各々の閨の仕事がない日にお邪魔すると言う感じに。
一日目は宇治野兄ィさまで、座敷が御開きになった兄ィさまを迎えに行き、一緒に湯浴みをした後部屋へとそのまま向かう。
部屋へと入ればそこにはいつもの風景が広がっていて。
格子窓が一つあり、奥には着物や飾りが入った黒の漆塗りの箪笥が、隣には三味線が一つ横になり置かれている。化粧台は戸の隣にあり上には紅指す筆が乗っている。
女優部屋か!!
「ほら、お布団出しますよ」
「はーい」
色んな物を目に焼き付けておいたあと、兄ィさまと押し入れを開けて布団を一緒に敷く。最後に枕を二つ並べたら準備は完了。
「転がって転がってー」
「うきゃー!」
途中宇治野兄ィさまが面白がって敷布団に私を包み込んでコロコロしたりと楽しそうに遊んでいた。『一度やってみたかったんですよ』と満足気に話されたが、希望を叶えられて良かったです。
とても茶目っ気のある可愛い人だとしんみり思う。
私より数倍女性っぽいよ兄ィさま。色々負けました。
「はい、隣へどうぞ」
「はい!」
微笑みながら布団上自分の隣のスペースをポンポン叩き私をそこへと促してくれる。いそいそと隣へ入らせてもらえば宇治野兄ィさまからとても良い薫りがした。風呂上がりのあのなんとも言えない薫りである。それに兄ィさまが布団に先に入っていたので、とても温かかった。
眠る為に蝋燭の火を消すと一気に暗くなったが、窓から漏れる月の光に照らされて、隣で寝てくれている宇治野兄ィさまの顔が良く見える。
肘をついて頭を支えながら寝そべり、私のお腹をポンポンとしながら寝かしつけてくれるこのお方。
ほっ保母さん!!保母さんだよ!
て言うか私いくつだよ!お前大人だろうが!何ポンポンされてんだ!!恥ずかしっ
と頭の中のもう一人の私がベシベシと脳ミソを叩くが気にしない。へっ。
「野菊は兄ィさま達が好きですか?」
「すっすきです」
唐突に言われた言葉に瞬時に返事をする。
そりゃ好きに決まっている。この一年私にこれまでか!!って位にお世話を焼いて面倒見てくれたのだ。お陰で芸事も段々出来るようになってきたし感謝感激物です。
好きじゃ足りないくらいに、大好きなのだ。兄ィさま達が。
「俺も好きですよ。たまには思い出してくださいね」
ポンポンと一定のリズムで優しく叩いてくれる兄ィさまの声を聞きながらうつらうつらとしてきた私。瞼が段々重くなってきて薄目になってくる。まだ起きてたいので必死に寄り目をしたり目ん玉をギョロギョロ動かしたりしたが無意味で。きっとその時の私の顔は化け物並に気持ち悪かっただろうな。
でも薄目でチラリと兄ィさまの顔を見れば、なんとも優しげな顔をしていて。
やっぱり宇治野兄ィさまはお母さんのような人だと思う。本人には失礼な話かもしれないが。
瞼を完全に閉じた私に『おやすみなさい』という声を掛けてくれた兄ィさまの音が聞こえて、一日目のお泊まりの時間は過ぎて行ったのだった。
翌朝の私がいた位置は、言わなくても分かっていただけるとありがたい。てぃー。じ。
「野菊ここにおいで」
次の日は清水兄ィさま。
流れは昨日の宇治野兄ィさまと同じで、布団を敷き終わった早々隣へと導かれる。あ、同じって言っても布団コロコロはやってないけど。
兄ィさまの部屋は宇治野兄ィさまより、少し殺風景。箪笥や化粧台に布を被せているせいだろうか、色味はあまり感じられない。
しかし導かれたのは良いのだが、今私がいるのは清水兄ィさまの上、腹の上なのである。うつ伏せで顔が兄さまの鎖骨辺りに来ているこの状況はもう、赤ちゃんである。
おまけに背中を撫でられているものだからよりいっそうなんとも言えない気分になる。
いや、嬉しいけどもさ。温かいよ?温かくて安心するけれども。宇治野兄ィさまにも昨日ポンポンされていたけれども。
私は大人大人大人大人大人大人大人大人大人大人大人大人大人大人…
「野菊…」
現実逃避ならぬ自己暗示を掛けていると、背中を撫でる手を止めた兄ィさまに名前を呼ばれる。
もしやなんか感じ取ったのだろうか。パァワァ~。
「はい」
「…いや、なんでもないよ。おやすみ」
何か用があったのでは、と思いながら顔をあげて清水兄ィさまの顔を見上げると、兄ィさまの顔はしんみりと何処か暗い、あの初日に会った時のような顔をしていて。いつもより口数が少ないし、何かちょっと変な感じがしてならない。
お話が沢山出来るのかと思っていた私はちょっとだけ落ち込んでしまった。
どうしたのかと気になったものの、おやすみと言われてしまっては私が話出す事は出来ない。
きっとお仕事で疲れがたまってしまっているのだろう。そんな中私と寝てくれているんだから、それだけでも有りがたい事なんだ。
落ち込むなんて自分勝手だぞ!!
初心を思い出せー思い出せ~、謙虚だったあの頃を思い出すんだぁ!!
あ。謙虚って言うかただのビビりだった事は思い出した。
まっまぁ、ともかく。
温かい胸板に流れる兄ィさまの黒髪を握りしめながら、私はウトウトと眠りに落ちていったのだった。
ちなみに翌朝の私はちゃんと兄ィさまの上にいた。
やれば出来るじゃんよ私!!
そして最終日は羅紋兄ィさま。
「清水達とは楽しく寝られたか?」
「…き…はい!」
羅紋兄ィさまとは、お互い敷布団に肘をつきアゴに手を当てながら、格子窓の外に見える月を見ながらお話をしていた。
羅紋兄ィさまの部屋は色んな物が置いてある。客に貰ったんであろうビードロや、提灯?みたいな物、ちゃぶ台に乗っている煙管に扇子。羅紋兄ィさまらしい部屋だ。
へへっ、ガキんちょ部屋だガキんちょ部屋。
「き?なんだ?」
「なっなんでもありません」
清水兄ィさまが気になっていたので、口に出そうとしたが止めた。人の事をベラベラと話すもんじゃないか、やっぱり。
「でも6年かー。なげーなぁ」
「はい」
6年は長い。6年で皆どう変わっていくのだろうか。兄さま達は変わらず天月にいるのだろうか、歳をとった姿はどんなものなのか、それに自分はどうなっているのだろうかと未知に溢れた想像が頭を駆け巡る。
…あれ?………あっ!!
そこでハッとするが、そう言えば私は女。年頃になればあれがやって来るアレが………………生理が。
私には血にまみれた未来が待っているのをすっかり忘れていた。
くそ!!そしたらどうにかしてこの時代の生理の対処の仕方を見つけなければ!!
取り敢えず時期になったら周りの人に聞いて………
あ。男ばっかりだ。
「野菊はどうなってんだろうなー」
「ゎほっ」
「ほーらよっ」
男ばかりの事実にフリーズしていると、兄ィさまが上を向いて寝転がりながら私を持ち上げて、高い高ーいをしてくる。ぶーらんぶーらんだ。わー。
「チビだから記憶が心配だなぁ。俺等の事忘れねーでくれよ」
「わーすぅれっま、せん!」
子供の記憶力を舐めないで頂きたい!!
100%、いや1000%忘れない自信があります!!
その自信たっぷりな返事を聞いた兄ィさまは、笑いながら私を隣へと降ろす。
「ならいーけどな」
「はぁい!!」
真夜中だと言うのにでっけーでっけー声で返事した私を注意するでもなく、布団を首まで掛けてくれる羅紋兄ィさまは何処か楽しそうだった。
翌朝、ぎゅうっと何かに包まれている感覚がして微睡みから目をうっすら開けると、男の人の胸板が目の前にあった。あ、羅紋兄ィさまか。
でも、何故か黒い髪の毛が胸板に流れ落ちている。羅紋兄ィさま?緑色じゃなかったっけか。
あ、もしかして朝方は髪色が変わるタイプ?
いやどんなタイプだよそれ。
「ぁ…起きたの?おはよう野菊」
「!?き、ちょっぃき、よみず兄ィさまっ」
あるはずの無い声が上から聞こえてビックリする。見れば気だるげな表情をした清水兄ィさまが。
確か私は羅紋兄ィさまの所にいた筈。
なのに何で清水兄ィさまが目の前にいらっしゃるんだ。記憶が正しければ清水兄ィさま、昨日は閨の日ではなかったか。
と言うか朝から黒の単衣が肌蹴て色気が駄々漏れだよ。格子窓から照らされる朝日が兄ィさまにもろ当たってて目が眩しいよ。目が潰れてしまうよ。
いや、しかし何でだ。
ハッ!も、もしかして私夢遊病?深夜徘徊?それで清水兄ィさまの所まで来ちゃったのか?
なんて傍迷惑なんだ!!
寝相悪い奴が更に進化するととうとう歩いて移動するようになるのか、恐ろしい。今度秋水に私を綱で縛りつけて貰えるようにお願いしてみよう。
え。違うよ、マゾヒストじゃないよ。
「ごめんね。もうちょっとだけ寝ていて?」
「?」
「後少し…そしたら離してあげるから」
起きた私にそう言って再び抱き込むと、布団の中でダンゴ虫のように丸まってぎゅぎゅっとしてくる。
清水兄ィさまの良い匂いが身体全体を包み込む。
「いつか君が、」
「?」
布団に入っているので声がくぐもっているが、私の耳の側で話しているので良く聞こえる。ちょっと擽ったい、と思ったらコツン、と私の額と兄ィさまの額がごっつんこされた。
暗い布団の中でもキラキラと輝く黒真珠のような瞳が見える。
「いつか君が大人になって、此処を出てもし誰かと契ってしまっても」
「ち?」
契って?
「その前に一度だけで良いから、私とお刺身を食べてくれるかい?」
「お、おさしみ?」
「食べてくれる?」
「おさしみ、たべます!」
契るって結婚?今からそんなこと言うなんてやっぱり過保護な兄ィさまだ。大体私より早く天月から出るのは兄ィさまなのに、それに兄ィさまの事だから身請けだってされるかもしれないのに。お刺身だってあればいくらだって一緒に食べるのに。
と言うか。あ、暑い!
息が、息がぁぁあ!!
とは思いながらも、羅紋兄ィさまは一体どうしたんだろうとか、いつからこんな状態だったんだろうとかは頭の隅に置いといて。
清水兄ィさまの腕の温もりに暫く包まれるのに専念したのだった。
兄ィさまがクスッと笑う声がする。
「じゃあ約束だよ」
「はい!」
「やっぱり無しは聞かないよ?」
「はい!」
「破ったら無理にでも食べさせるからね」
どんだけ刺身が食べたいんだ。
その数時間後。
『お前勝手に野菊連れていくなよ。大体どうやって』
『羅紋の頭の上にいたからね。簡単だったよ』
『………』
途中でお刺身の意味が分かった方は『おい清水!!?』となっているかもしれませんね。
現実にあった遊郭では『お刺身』はキスをあまり許さない遊女の唇を表していたようです。高級な鮮度の高いお刺身に例えていましたから、とても特別な物だったようです。
『お刺身』=口づけ。




