あれから彼らは
梅木視点
朝の目覚めは良いほうだ。
習慣的に遅起きをしていたせいで始めの頃は早く起きることが出来なかったが、習慣とはやはり恐ろしいもので、今では自然と日ののぼりと共に目が覚めるようになっていた。
吉原がなくなり、早十一年。きっかけはどうであれ、愛理さんには感謝をしている。野菊兄さんにしたことはけして許されるものではなく、許すつもりもないが、吉原が失くなったのは愛理さんが妓楼に火を放ったせいだ。不謹慎ではあるし、複雑ではあるが、その点では原因の一端として思うところもある。
十二歳だった僕は二十三歳になり、今はまだ見ぬ野菊兄さん達の歳をとうに超えてしまっていた。
この年になって分かるが、僕が大人だと思っていた彼らは、思うよりもずっと大人だったのだと身に染みて感じている。十六、十八の頃の己を思い起こすも、あんなにしっかりとした人間だっただろうかと溜め息を吐いてしまうほどだ。
野菊兄さん達がこの地から去るときは寂しくてしょうがなく、意地を張って見送ることを拒んでいた僕は、あの日の行動を痛く後悔している。
「魚と菜の花と……機屋で赤色の織布?」
「おやじ様って基本女子供に弱い人だよね。それより買い出しが僕らだけって、他に暇な人いなかったっけ」
「いるっちゃいるけど珠房は釣りに行くっていってたし、和泉は向かいのはなちゃんと逢瀬するらしいし」
「僕らより早く所帯もちそう」
江戸の町を佐久穂と二人並んで歩く。
夕飯の買い出しは当番制なのだが、今日の当番は阿倉兄さん。あの人はそういう決まり事を無視することがしょっちゅうで、本当は今日は僕の番ではないのだけれど、佐久穂が一人では大変そうだったので、自分の仕事は早めに終わらせ付き合っていた。
兄さん曰く『今日は買い出しより大切なことがあるんだ!』とのことで、朝餉を食べた後は、この春めでたく婿へ行った朱禾兄さんと隣町まで出かけている。
いい加減、阿倉兄さんにも身を固めて欲しいと思っているのだが、本人は一人の方が何かと楽だと言っているので、当分その気配はなさそうだった。一人の方が楽というよりも、皆との暮らしが楽しいからという理由の方が大きい気はする。
夕飯の席はいつも大勢なので毎日が宴会のようだった。そこの点では、吉原時代と変わりはない。身売りから真っ当な仕事に変わった分、感じかたは違うが。
しかし最近では宇治野兄さんの帰りが遅く、朝帰りをしていることがある。
兄さんを歌舞伎一座に入れようとしていた人たちは、宣言通り僕が豆を撒いて追い払ったのでそこに通っているということはないだろうが、それ以外に何かあるとしたら、僕にはあとは女性関係のことしか考えられない。兄さん程の人がいつまでも独身なワケもないので、それはそれで喜ばしいことなのだけれど、いざそう言うことかもしれないとなると、やはり複雑な気分なるのは仕方のないことだ。母親に再婚相手が出来たような気分である。
手入れの行き届いた紫の御髪は変わらず長いままで、何も変わらない。お歳は四十二になったというのに、驚くほど容姿が衰えないのはどういうからくりなのか。朱禾兄さんあたりには『化け物だ』『御仏か』などと比喩されている。それは正直言いすぎだ。宇治野兄さんもしっかりと歳をとっている。本人も言っていた。この頃息が上がるのが早いのだと。……やはり複雑だ。
「羅紋兄さんと十義さんが飯当番だったっけ」
「絶対ご飯にキノコ入ってるよ。僕苦手だって言ってるのにな」
「結局全部平らげてるから大丈夫だって思ってるんじゃない?」
羅紋兄さんには浮いた噂が一切ない。ただ彼を狙う女性が周りに多く、たまに店の前で言い争っている姿を見かけた。もちろん兄さんが言い争いをしているのではなく、女性達が勝手にやっているのだ。
仕事は自分の好きなことを自由にやっていて、月の半分はおやじ様の稼業を、もう半分は悪人を捕まえるという仕事を、形は思うような姿ではなかったらしいが生き生きとやっている。調理場から魚を盗んだ猫を追いかけたのがきっかけで、その足の早さをたまたま目にした奉行様の口添えで現状にいたっているが、奉行様はなんと、あの雪野様のお父様である。
幸い剣術も花魁の嗜みとして習っていたようで、教養も十分にある人だ。昔の出来事もあいまり、快く引き受けたらしい。なんでもそつなくこなせる人なので、僕はそれがとてもうらやましかった。
「俺達、結局のところ、ここに来て良かったんだな」
「なに急に」
「人それぞれ思うところはあるかもしれないけどさ」
買い出しの帰り、佐久穂がしみじみとそう言う。
僕は結局、花魁にはならなかった。
それはそれで良いことだ。身を売るということ自体、好きなものでも好きなことでもない。
けれど。
「そうだね。でも僕は一度でいいから、兄さん達と同じ場所から、同じ景色を眺めてみたかったな」
今の生活を手放すつもりなんて更々ないが、たまに清水兄さんに禿としてついていた昔を思い出しては、そんな自分が顔を出す。
吉原焼失と共に、姿を消した清水兄さん。
清水兄さんは僕の思う限り、一番花魁らしい人だった。吉原と共にあり、吉原と共に消え去る。禿として清水兄さんにずっとついていたので贔屓目もあるだろうが、あの人以上に夜を美しく輝かせられる人はいなかった。新造時代にお世話になった秋水兄さんにも通ずるところがある。
また同じく野菊兄さんも、清水兄さん秋水兄さんとは違う美しさを持っていた。太陽と月で表すなら、月が清水兄さんと秋水兄さんで、太陽が野菊兄さんである。周りを明るく照らす、彼女は天高くある太陽のような人だった。
いつも笑わせてくれて、頭を撫でてくれて、苦しいくらい抱き締めてくれた。苦しくなって肩を叩くと、ごめんと言われてまた抱き締められて倒れこんだ。
ああ、こんな人となら、お金なんてなくたって、どこでだって、一生傍にいられたらなと思ったんだ。
「やっと店に帰れ――あ!」
「佐久穂?」
「見ろよ!」
興奮気味に言う佐久穂に促され、顔を上げる。
僕達の働く店の前、つまり家も同然の道の前に旅装姿の五人組がいた。
銀髪の男、赤髪の男、青髪の男、黒髪の男……のような人影の隣には、同じく黒髪の背の高い男。
「あれって――っおい梅木待てよ!」
買った物を地面に投げ捨てて、僕は駆け出した。
空に見え始めた月を背に、太陽に向かって。
他二本は、諸事情によりまた後日に更新致します。
お待たせしてしまい申し訳ありません。
 




