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彼らの旅路

 秋水は懸念していることがあった。


「蘭菊、野菊を軽くいじめてみてほしい」

「は?」


 旅に出て早一ヶ月が経とうとしている。

 吉原をあとにして彼等がいる場所は、江戸から離れて鎌倉辺り。土地勘のない彼等だが、細かく、けれどざっぱに書かれた地図を頼りに西を目指していた。

 今のところ金銭に困ったりはしていないが、それよりも心配なことが秋水にはあった。


「馬っ鹿じゃねぇの。するかよ」


 蘭菊が軽く手を振りから笑いをする。伸びっぱなしの赤い髪もそれに合わせて揺れた。

 彼の返しにやっぱり駄目かと項垂れた秋水に、蘭菊はどうしたんだと訝しげに眉間にシワを寄せて聞く。


「あいつ……泣かないから」


 秋水が言いにくそうに出した言葉。それは蘭菊もずっと心配をしていたことだった。


 野菊が泣かない。


 清水がいなくなってからというもの、旅に出てからというもの、彼女はずっと楽しそうに笑っている。旅芸人として町の人に芸を披露するときも、食べ物を食べるときも、寝る前に交わす雑談のときも、陰ることなくニコニコと。

 笑ってくれているにこしたことはないのだが、秋水にとってはそんな野菊が無理をしているのではないかと心配で堪らなかった。


「いじめたくらいで野菊が泣くかよ。むしろやり返してくるぜあいつ」

「確かに」


 川原で腰を落ち着ける二人。


 今はちょうど野宿をするということで、野菊と凪風は川で魚捕りに勤しんでいる最中であった。バシャバシャと水しぶきを立てては笑い声を響かせる野菊の姿が、二人の視界に映る。


「兄ィさん、貴方はどこにいるんだ」


 秋水は居なくなった兄を思う。


 実のところ、秋水は彼が自分の本当の兄だということを知っている。名前も秋水の場合は源氏名のようなもので、本当の名前は別にあった。


 けれどおやじ様に引き取られたとき、命を狙われては危険だからと、偶然同じ境遇であると語った清水から名前を与えられたのだ。それが『秋水』だ。


 母親が首をはねられた光景は今でも忘れられない。

 妓楼に来たばかりの頃は全く寝入ることができず、清水に『ごめんね、ごめんね、大丈夫だよ』と頭を撫でられながら秋水は毎夜眠りについていた。

 私のせいだと何度も謝る清水に、秋水は何でそこまで謝られるのか分からなかったが、自分達の父親であるという男の代わりに謝っているのかもしれないと深く考えたことはなかった。


「いるならあいつを……」

「あいつを?」


 耽っていると、野菊と川に入っていたはずの凪風が隣に座っていた。

 心地よい暖かな風が銀の長い髪を揺らしている。


「凪風」

「こんなところでどうしたの? 野菊が魚釣り頑張ってるのにさ」


 蘭菊交代ね、と凪風が彼の肩を叩く。交代と言われた蘭菊はしぶしぶ袖を捲りだすと、一直線に川へと走っていった。

 しかし勢いが良すぎた蘭菊は野菊の方へ突っ込んでいき彼女を水の中に押し倒す。

 数秒後には鬼の形相で野菊が蘭菊に回し蹴りを食らわせていた。


「お前はどうなんだ? 慕ってるんだろう」


 もっと蹴ったほうがいいよー、と濡れた着物の袖と裾を搾って笑いながら水気を飛ばしている凪風に、秋水が真剣な表情で聞いた。


「どう? 何が?」

「野菊だ」


 凪風は秋水の問いに片眉を上げる。


「そうだなぁ、生意気な妹ってところかな」


 しばらく間が空いて答えた凪風の言葉は、今度は秋水の片眉を上げさせた。


「嘘つけ」

「嘘もつき続ければ本当になる」

「馬鹿だな」

「君も馬鹿だし、せめて利口だと言ってほしい」

「言わないのかあいつに」


 思ってもみない発言に、何を馬鹿なと凪風は秋水を見た。四人でいつもいるため、このような話をすることは今の今まで一度もなかった。けれどこれからは嫌でも共に過ごしていく仲なのだからと、腹を割って話してくれと秋水は言う。


「真面目もそこまで行くと余計なお世話だなぁ」


 友人の真っ直ぐさには負けると、凪風は内心苦笑いをこぼす。


「僕は――けして野菊に言うものか。あの人が守ったものを僕は守っていくだけ。いつかあの人が姿を現したときに、怪我なく渡せたらそれで十分だよ」

「一生現れなかったとしてもか」

「一生守ればいい。友として、家族としてね」


 野菊は髪をバッサリと切った。秋水より短く、さらに言えば四人の中では一番短い。

 長い髪は旅に出てひと月たった頃、野菊が蘭菊にお願いをして切ってもらっていた。蘭菊は手先が器用で、たまに自分の下についていた新造や禿の髪を切ったり整えたりと、四人の中ではこれまた一番整髪に関しては腕がある。


「もう一度野菊が兄ィさんと話すことがあるなら、それが一生続けば良いって僕は願ってる」


 旅をするには長すぎると言って野菊は蘭菊に任せたが、任された彼の手が少しだけ震えていたことを二人は知っていた。


 出会った頃より断然短くなった、揺れる彼女の髪を遠目に眺めながら、凪風は膝に肘を立て頬杖をついた。

 

「愛理が泣いてたんだ」

「え?」

「火事の中、僕を見ながら」


 唐突にそう切り出した彼に、秋水の目は困惑気味に揺れる。


「詳しくは言えないけど、毒気の抜けた顔でね。やっと会えた感じがして」

「なんだそれ」


 凪風は空を見上げて目を閉じる。


「好きとかじゃないけど、叶うなら、もう一度・・だけ話がしたかったんだ」


 頬から流れ落ちた涙が床に落ちる前に消えた、最後に見た彼女の綺麗な碧い瞳。


「本当の君と」

あとがき。


次話更新は2月18日となります。

少しずつですが人物達のその後を書いていけたらと思います。

時系列バラバラに更新していくため、急に十年後の話になったり、急に天月の兄さん達のいる江戸に場面が変わったりします。ご了承ください。

番外地がありますが、今後はこちらで更新していくため、お話三本を本編に移したあと『番外地』は一週間後に削除する予定です。


コミックス①のほうが2月5日無事発売となりました。

隅です④巻共々よろしくお願いします。


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