十年後
京の都。夏も終わり秋を迎えた今日この頃。
山の色は緑から赤へ、初嵐も過ぎ木の葉が行儀良く舞い落ちる。真っ青に澄み渡る空には、うろこ雲など特徴的な形の雲が現れるようになった。
人々の格好も、着物の上には温かい羽織りを着る姿がちらほらと見え始めている。
「コラ! 今サボってたよね!?」
「いやぁこれはその、お絹はんがえらいかいらしいもんで……」
「仕事中に軟派をするな馬鹿ちんが!」
作業場で餅を丸める手を休めている従業員に、私は怒りの鉄斎を下す。
とは言ってもデコピンを繰り出すくらいで大半は言葉でしかりつけているのだが、なかなかどうにもこのサボリ魔である男には効かない。ぶっ飛ばしてやろうかと拳を握ったことはあるものの、店の皆が『やめてください女将さん!』『あいつ気を引きたいだけなんすよ! やり方は馬鹿なんですけど』等と必死で止めてくるので、未だデコピン止まりのままであった。
「またやってるの? この子は」
「凪風からも言ってよ」
「いやいや僕が言っても聞かないよ。蘭菊辺りに頼んだら?」
「蘭ちゃん最近妙に大人になっちゃって、この前言ってくれるように頼んだんだけど、好きにやらせとけって言われた」
「……ほう。たぶん面倒なだけだろうね。秋水は?」
「秋水は妙に銀治と仲が良いから、笑ってる」
奥から顔を出した凪風に、私は愚痴る。
当のサボり魔男・銀治はニコニコと笑って私達の会話を聞いていた。今どき珍しい肉食系男子。
私達四人が旅に出てから十年。
今は京に腰を落ち着け、饅頭屋を営んでいた。
事の始まりは八年前、旅先で出会った饅頭屋の老夫婦の元で一休みしていた時だった。
旅に出始めて二年、色んな所でみちくさや寝泊まりをし、自分達が今まで習得してきた芸を生かしてお金を稼いだりと、細々とやっていた頃。
やっと京に着いて一息しようと寄ったのが、その老夫婦の店だった。
その時たまたまご主人の方がぎっくり腰になってしまい、お婆さん一人で切り盛りをしていて、大変そうだったものである。
私達が店に入って来た時は、わたわたと忙しなく動いていた。
お茶を持ってきてくれたお婆さんが申し訳なさそうに理由を言ってくれたので事態はつかめたものの、私達が入ってきた後も他の客が来てしまい、見かねて手伝いましょうかと声をかけたのが私達の今日まで至る始まりの話である。
『ご主人、具合はどうですか?』
『先生は、もう長うないて』
私達はそのままお爺さんが良くなるまで手伝っていたのだが、お爺さんはそれから他の病も患ってしまい、寝たきりになってしまった。
お婆さんはお爺さんが寝たきりになってしまった以上、もう店は続けて行くことが出来ないと言っていたのだが、不意に顔を上げて私に言った。
『旅している方に、こないなこと頼むんはお門違いやと思う。やけど、迷惑じゃああらへんのやら、うちに腰落ち着けてみるのはどうでひょか』
『私達がですか?』
『子どももおらへんし、野菊ちゃん京目指してきはったんやろ? もしあてがない言うんなら、うちでこのまま手伝どうてくれへんやろか』
そう言って、お婆さんは私達四人を引き留めた。
私達も、京を目指していたものの明確な目標はない。
私がただ江戸とは真反対の遠い町へ行きたかっただけであり、それにもしかしたら清水兄ィさまの母親がいるかもしれない京で、彼がひょいと現れてくれるのかもしれないと漠然とした願いの元に旅をしていただけだったからだ。
もちろんそれだけではないけれど、旅に出ようとした理由はそれに違いない。
私を除いた三人に意見を聞けば、ちょうど宿に泊まるお金も少なくなってきたし、好きに選んでくれても良いと言ってくれた。
旅の終着地点で働き口が見つかると同時に、宿にも困らない。
この都合の良い展開に戸惑いはしたが、これも何かの縁と快く話を受けた。
それから八年。
小さいけれど客足も来ていた老夫婦の饅頭屋は、今では店の規模も広がり、すっかり町一番の甘味屋として成長を遂げている。
若い手が入ったと喜んだお婆さんは結構好奇心旺盛な人だったのか、かねてより饅頭だけでなくお団子も作りたいと息を巻いていたようで、私達が加わってからは色々な甘味を店に出すようになっていた。
またそれが売れに売れるので、店は常に休憩しに来る人がいっぱいだった。
お金は徐々に貯まっていき、お婆さんは私達の寝床も広げたいと言ってお店を大きく改装した。
以前のこぢんまりとした饅頭屋ではなく、どんと『池野屋』と構えた看板をこさえて出来た新しいお店は、私達の予想をかなり上回っていた。
吉原の妓楼ほどではないが、それなりにとても大きかった。
さらに病で臥せっていたお爺さんは、病状が改善。一体何だったのかと思えるほど、今は走れるくらい元気になっている。
俺達は騙されたんじゃないか、と蘭菊が真顔で相談しに来るくらい健康的だった。
池野屋はそれからも順調に軌道に乗り、現在では従業員も多く雇えるほどの大店おおだなとなっている。
お婆さんは女将さんとして店を切り盛りし、三途の川を行き来していたお爺さんは大店の主人として腰を据えている。
一方の私達は、経営に関してお金の管理から商品の提案までと、女将さんや主人と共に切磋琢磨して働いていた。
従業員の上に立つ立場なので、何かと指導したりと大変なこともあるが、順風満帆の日々を送っている。それに何故か私は『若女将』といつの間にか勝手に呼ばれていて、いや違うと否定したら女将さんがそう呼ぶようにと皆に伝えていたらしかった。
将来は跡を継いで欲しいそうで、最近ではお見合いの話をさりげなくされている。
それぞれ凪風と秋水は今年で二十九歳となり、三十路一歩手前を迎え、蘭菊も二十八歳とそれなりに良い年齢となっていた。
三人ともまだ結婚はしていなく、浮いた話も聞いたことはない。それとなく聞いたことはあるけれど、まだそんな気分にはなれないと皆一様に首を振っていた。
もったいないと思うが、私も今年で二十六歳となり、行き遅れも良いところ。
私も確かにそんな気分にはまだなれないので、気持ちは分からなくもなかった。以前女将さんに三人とはそういう仲になったことが無いのかと聞かれたことがあるが、それは一切ないので否定している。
あの三人もそんな気はないと思うので、私の中では結構な笑い話だ。
池野屋で働き始めてからも、私はたまにしか女物の着物を着ていない。
今はちょうど女の着物を着ているが、さっきまで店に出ていたのでたまたまだ。サラシは付けてないけれど、女将さんも格好をとやかく言う人では無かったので、月の大半は着流しで過ごさせて貰っている。
それに元花魁である三人の影響もあってか、お店には女性の客がひっきりなしに来る。お菓子を買いに来ているのには違いないが、三人目当ての客も少なからずいるので、秋水達の主な仕事は店先に立っての接客が多かった。
私も時折立たされるが、その時は三人と違い女物を着て接客をしている。たまに着流しで出ることもあるけれど、その際は客の視線が突き刺さるのでいつもより早く上がっている。
「あ、そうだ。女将さんから使いに行くように頼むって、野菊に」
「どこに?」
「十軒先の海苔屋の安さんの所。安さんがいそべ餅に使う海苔を分けてくれるから、貰ってきて欲しいんだってさ」
「あても行きまひょか?」
「とりあえず銀治は放っておいて、野菊は早く安さんの所に行っておいで」
凪風がそう言って背中を押してくるので、私は急いで玄関先まで走っていく。
後ろでは銀治と凪風が騒いでいたが、お使いなら早く済ませねばと町に出た。




