始まりは 2年の月日 1
此処へ来て2年になった。
私は1年程前から遊男達が住む所ではなく、今はおやじさまの元で暮らしている。妓楼の主であるおやじさまの生活区域に。
私だけでなく、秋水、凪風、蘭菊も。
引込禿となったのだ。
引込禿とは将来が約束されたエリート、言わば花魁に確実になれる。普通の禿より。
7、8~11引込禿、12~14引込新造、15~花魁となる。
直垂新造が花魁になれる可能性があるのは確かだが教養はそこそこなので、優秀な花魁になれる確率が低い。引込新造はなれるのが確実なのだとか。
じゃあ直垂新造の意味は何なんだ!!あやふやじゃないか!!と思うが、あくまでも可能性を「秘めて」いるため確実じゃないけどもしかしたら…と言う子の集まりだと言う。器量が良くならないまま育てばそれまで、良くなれば花魁だと言う。…本人達にとっては物凄く失礼な話だ。
引込は将来確実に美男になるであろう子が選ばれる。
確かに、器量が悪いのに禿から育てて順調に花魁になるのは、いくら小さい禿からだったとしても美男である、と言う花魁の条件的に不自然だから納得だが。
私はこれを聞いて唖然とした。
最初に教えられていたのとは全然違う。10歳より前に妓楼にいた禿がなるとかでは無かったのかおやじさま!!
ただ身の回りの世話をして、芸事習って、直垂新造になって花魁じゃ無いんじゃんか!!と。
いや、私は花魁になるんじゃなくて芸者なんだけど?
本当はもっと早く引込禿にしたかったらしいが、禿が私達四人しか居なく、引込にしたら花魁に付ける禿がいなくなってしまう為伸ばしていたと言う。
私が入ってから1年で新たに四人の禿が入って来た為、それを見計らって実行したようだ。
と言うか禿って少ないんじゃ無かったのか。
それを言ったら、
「うちは花魁が三人もいるからな。普通は一つの所に一人位しか居ないんだが。まぁ取り敢えずな、男衒がそこそこ良い禿を必死で見つけてきたんだ」
このままでは秋水達が引込禿にならないまま12になってしまう為、急いで禿を探していたらしい。この際その禿の器量が良いかは別として。
後から知ったが、何気に天月妓楼は高級妓楼だったらしい。どうりで花魁級がわんさか居るわけだ。
これで引込禿が花魁になったら将来はプラス3で6人になるもんなぁ。
と言うか私、別に兄さま達の所に居ても良かったのだけど。彼処で禿として居たかったのだけど。芸を売るだけの者として、引込禿にまでならなくても兄ィさま達の所でそこそこ成長出来る筈だ。なのに何故?疑問ばかりが出てくる。
おやじさまの元では、兄さまに教えてもらっていた時以上に厳しく芸事を教えられる。箏なんか指がもげそうだもん。
引込は此処で12歳になるまで普通の禿以上におやじさまの英才教育を受けてから、兄さま達の元へと再び帰り決まった花魁に付いて、そこで初めて男の手練手管を仕込まれる。つまりはおやじさまの元では、芸事・教養を完璧にすることが目的なのだ。
それからも引っ込新造となり妓楼の中で大切に育てられる。
そして気づく不審点。いや、最初から思っていた事だけど。
『わたしは、おとこげいしゃになるのではないのですか…?』
『まぁなぁ。でも最初にお前見てからよ、色を売らないおいらゴニョゴニョ……』
『?』
『いやまぁ、お前には最高の芸者になってもらおうってことでな!』
不安になり思いきって聞いてみたが、後半は何だか口を濁して来たため何を言っているのか分からなかった。まぁなぁって何?物凄く気になるんだけど。
普通だったら禿も座敷に出られるのだそうで、じゃあ何故私や秋水達は出られなかったのか、と聞けば
「引込予定の奴を客の前に出すワケにはいかん」
だと。
私は色々最初から騙されていたらしい。
兄ィさま達は最初から知っていたようで 、清水兄ィさま達は『あんなに離れるのは覚悟していたのに、やはり寂しいよ』と名残惜しく心の内を明かしてくれた。
おやじさまの生活区域に入った為、私達は兄さま達のいる場所へは行けないし兄ィさま達も来ることは出来ない。妓楼の隣にただ移動しただけなのだが、遊男が入ってくることは絶対に禁止である。
引込となったからには御客のいる妓楼の中へは入ってはいけないと言われた。私が引込になれば兄ィさま達の所に戻るのは5年後。12歳になってからなので長く会えない。
秋水達は歳が上なので私より早く戻れるのだが。ズルい。
私はその嘘つきオヤジ(さま)に与えられた一つの部屋で、外の桜を見ながら一枚の折り畳まれた紙を握りしめていた。
『これを』
『?』
『あちらに行ったら読んでね』
そう言われて清水兄ィさまに渡された紙なのだが、1年経った今も未だ開いて読んではいない。
兄ィさまの字を見たら軽くホームシックになりそうなので、箪笥の中に眠らせたままにしていた。
でもやっぱり気になるので時折こうやって紙を持ちジーっと眺めている。
何が書いてあるんだろう。
「野菊、それ何だ?」
「わっ、らんちゃんか。ビックリしたなぁ」
紙を眺めていると、今日の稽古を終えたであろう蘭菊が部屋へと戻って来る。箏をしていたので手が凝っていたのか、指をコキコキ鳴らしながら近寄ってきた。
関節太くなるから止めときなさい、らんちゃん。
2年経ったが蘭菊達がどう変わったのかあまり分からない。近くに居すぎて。
身長はそれぞれちょっと伸びたとは思うが、元々私が一番小さかったので見ても比べようがない。髪の毛は切っていない為秋水も凪風も蘭菊も肩辺りまでは確実に伸びている。蘭菊は髪を一括りにしているため、なんか女の子みたい。本人に言ったら確実に怒るから言わないけど。
「きよみず兄ィさまに貰った文?かな」
「文?なんで疑問系なんだよ」
「まだ開けてないから」
蘭菊は私のいる縁側へとやって来ると、隣に腰を降ろした。
今の皆は遊男の着物に慣れるため長着(着流し)を着用している。勿論私も。
色は紺色で、またもや四人共ペアルック。なんか兄弟みたい。
「ちょっと貸してみろ」
「えっなんで」
腰掛け隣から覗いていた蘭菊が、何を思ったのか私の手から紙をブン捕る。何だ、いつかの焼き饅頭の恨みか!!
そして私からは中身が見えないようにして中身を見る無礼者。え、所有者無視して何してんの!?
「チッ、変態め」
「?」
見終わったのか、そう吐き捨てると縁側とは逆方向の格子窓へと向かう蘭菊。手紙を持って何をするつもりなんだろう。て言うかその中身見たんだよね、見終わったなら返して欲しいのだけれども。
そう思っていると、いきなり格子から紙を持っている手を出した。
え、何何何。
その時強い風がビューと流れる。
「あ!」
「うわ、悪ぃ」
蘭菊の持っていた紙はその手を離れて、見事にその風に流されながら何処かへと落ちていった。
嘘でしょ!!私一度も読んでないのに!
蘭菊め!何してくれてんだぁあ!!
「何だよ。内容か?…元気でやれよ、って感じの文だったぜ」
そんな事を言いたいワケではないのだ私は。
全く、全く全くまったく!何て事を!!
「も、もっ、もぉぉおおお!らんちゃんのバぁカぁぁあ!!!!」
叫びながらも近くにまだあると信じて、私は駆け出した。
「うわ、今の声野菊か?」
「また蘭菊が何かしたんじゃない?それよりこれ捨てても大丈夫かな。名前も無いし、練習用の紙?」
秋水と凪風は稽古を終えて部屋へと戻る途中、視界に入った中庭の小さな池に白い紙がふよふよと浮かんでいるのを見つけた。
おやじさまはこの中庭が大好きな為、ゴミがあったり汚したりすると大変お怒りになる。それを分かっている二人は急いで紙を取り除いたのだが。
『難波潟 みじかきあしの ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや』
見れば百人一首の歌の一つが書かれた紙。
文字は歪んでしまっているが、確かにそう書いてある。
何故こんな物が中庭の池に落ちているのか。
「いらないんじゃないか?もう読めないし使えもしないだろそれ」
「んーそうだね。じゃあ釜戸の火焼に燃やしてもらって処分しようか」
「そう言えば今日の飯何だろう。野菊が嫌いな数の子が出ると良いな、おやじさまに食べるのが遅くて怒られるんだ」
「秋水は意地が悪いよね」
**********
「無いなぁ…ここも」
何処かな、何処かな、兄ィさまの紙。
こんな事になるなら開いて読むんだった。
『おせわになりました!』
『うん。でもまた会えるからね』
『はい!あの、おげんきでっ』
『待って野菊、これを』
『?』
『あちらに行ったら読んでね』
『難波潟 みじかきあしの ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや』
(君のことが大好きだよ。だから君に会えない人生なんて私はまっぴらなんだ。)
『難波潟 みじかきあしの ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや』
<伊勢> 百人一首より
男衒=遊男になる子をスカウトしてくる人。現実にいたのは女衒。




