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終わりと始まりの足音 12

 前世の私。

 私は死んだとき、願ったことが二つあった。温かくて淡い光の中だった。

 一つはこの世ではなく、別の世界で生きたいということ。散々な目にしか合わない人生。それを延々と繰り返すこの世に、いたくなんてなかった。二度と戻りたくはない。

 そしてもう一つは、またあの人に会いたいということだった。

 戻りたくないくせに矛盾しているとは思うけれど、せめてもう一度だけ、あの人に会いたかった。大切なことを伝えられていない。伝えられなかった。だってその前に私は死んでしまったから。

 だから神様、と私は願った。

 叶うならば私はそれと引き換えに、好きな人を想うこの気持ちを忘れても良いと。誰も好きにならない、誰を受け入れることもない、大切な心が抜けた人間になる。伝えられなかったあの言葉を、もう一度会えたとしても伝えられなくたっていい。どうせ何度廻っても実らない恋だった。ならば無くしてしまっても同じというもの。

 この世の条理が覆らないというなら、この廻りを終わりにしてくれないというのなら、どうか私を――。


「愛理、ちゃん。私、待って、ねぇ愛理ちゃん」


 熱い胸を押さえて、彼女にもたれ掛かる。


「ノギちゃん、大丈夫よ。大丈夫だから」

「だって、だって私」


 最初から、私は違う誰でもなかった。 

 

――だって私は最初から、野菊その人だったのだから。




◆◇◆




 それは前の前の記憶。


 炎の中で死んだ私は、死の間際に願った通り一度は違う世界で生きた。


 全く違う世界だった。

 妓楼など無い。生活に不自由もない。親に捨てられることもない。

 何もかもがこの世界より発達している、便利な世界で生きた。自分が前世でどんな人生を送って来たのかも忘れて、普通の人生を何不自由に感じることも無く。好きな人がいたことも、どんな人間であったのかも全てを忘れて、何も知らないまま。


 平凡な人生を送る、ごく普通の女性だった。

 高校を卒業して、希望の就職先で働き、親から独り立ちもしている。私に兄弟はいなかった。一人っ子のお姫様で、両親はすこぶる私を可愛がってくれた。何か困ったことがあればいつでも言いなさい、と言ってくれる優しい人達。順風満帆な日々。

 けれど好きな人や彼氏は全くと言っていいほど出来なかった。一人くらいには告白された記憶がある。しかし好きでもない人間と好き合うことも出来ないので、応えることも無かった。心惹かれる男はいない。だからか、両親は優しい人達だが、その分心配性なところもあった。娘がこのまま誰とも結婚しないのではないのかと。一家には私しか子供がいないため、結婚するなら婿を取るのだと何となくは耳に入れられている。

 けれどいないのだからしょうがない。


 そしてそんな私の興味をそそるものは、この世界で一つ。

 それは「和」だった。


 畳を見れば寝転がりたくなり、離れがたくなる。

 着物を見れば衝動的に着たくなり、働き始めで出たばかりの給料で購入したりした。

 祖父母の暮らす古い家が何より大好きで、小学生から高校生までの夏休みは、山のふもとにあるその家で存分に手足を広げた。

 夏祭りには浴衣を着るのが好きだった。

 屋台の焼き饅頭には目がなかった。

 障子の匂いが好き。風鈴の音が大好き。

 日本人の誇りである、黒く美しい髪も、茶色く染めた色より何倍も輝いて見えた。


『あ、これ……』


 だからだろうか。

 仕事のない休日に買い物に出かけた時、電器ショップのゲームコーナーで心惹かれるソレを見つけてしまったのは。


 私が目にしたそのゲームは『夢見る男遊郭』という、男のキャラクターと恋をする乙女ゲームという物だった。

 吸い寄せられるように手にしたそのパッケージには、黒髪の男の人が微笑みをこちらに向けている。


『これください』


 初めて見るこのゲーム。私は着物を衝動買いしたときのように、すぐに購入してしまった。


 そして自分のアパートに帰って、夢中、とまではいかないが、暇なときはそのゲームをやるようになった。

 乙女ゲームへ手を出してしまった自分にたまに恥ずかしくなる時もあるが、やっている間はそんなことも忘れて、キャラクターに向き合う。

 けれどこのゲームは攻略が難しく、なかなか苦戦した。


 何故なら主人公の愛理が曖昧な動きばかりをするのだ。


 一を選んだと思えば二へ行く。

 二を選んだと思えば一へ行く。お手上げ状態だったが攻略本も売られているわけがなく、ネットで調べるのも負けた気がして嫌だった。


『なにもう無理』


 もしかしたらゲームに出てくる野菊という女の子も、こんな感じで主人公を見ているのかと不思議な気分にもなった。

 主人公の行動の妨げになる人物なうえに、当て馬の役も担う彼女に同情心すら抱く。


『ケホッ、……ゴホ』


 けれどそうこうしているうちに、私は体調を崩した。

 秋になり夜も冷えているというのに、上はタンクトップ一枚という姿で寝起きしていたからだろう。


 そしてそんな時でさえ、私はゲームを手にしていた。

 手放すことのないまま、けして放さないとばかりに。不摂生は身体に悪いというのに、そのまままた過ごしていたのが悪かったのだろうか。


 それから私はとうとう熱を出し、ベットの上で意識を失ってしまった。

 自分以外誰もいない、両親も、友人もいない、一人きりの空間で。


「目が覚めたら、あの川原……」


 思い出した。


 そう、私はあの時熱を出して倒れたのだ。

 そして次に目覚めたときには、あの土手下の川原で横になっていた。


 私は、私だった。

 私は元の世界に戻っただけ。私にとっての普通の世界はあの世界ではなく、この世界こそが私の本当。


 心にすんなりと、その事実が落ちていく。


 あの遊女の着物に懐かしさを感じたのは気のせいでもなく、本当に懐かしかったからなのだ。護を見たときに既視感を感じたのは、前世でその姿を見ていたから。


 けれど私は、それを思い出してますます自分が自分で分からなくなる。ごちゃまぜになる。

 私が恨み募らせていた愛理は、全く違う人格が入っていると分かった。だから隣で私を支えてくれている彼女には何の恨みもない。


 しかし、あの愛理を殺してしまいたいという狂気的な衝動が、私の中でぶり返す。


「愛理ちゃん、ん、私っ誰なんだろう。あのひとを殺してしまいたくなるなんて」


 感情がまぜこぜになった。

 私が誰かと分かっても、今生きている私の身体と心も本当で、別の存在でもない。それと同じく、昔愛理を亡きものにしようとしていた私の心も本当で、その事実も無くなりはしない。

 私は自分が分からなくった。


「ノギちゃん」

「怖いっ」


 どうしてこんな醜い気持ちを持ってしまうのだろう。

 思い出す前は、こんなこと思わなかった。なのにどうして。


「ノギちゃんが、ずっとずっと好きだった人は誰?」

「好き、だった人?」


 頭を抱える私の手の上に、彼女はそっと手を置いた。


「好きな気持ち、誰かを想う気持ち、それがあるから衝突してしまう。ノギちゃんはあそこにいて不思議なくらい誰にも恋をしていなかったね。でも、今は違うよね」


 心臓が、重い。心が息を吹き返したように重い。

 ドクドクと鼓動を立てて、その存在を胸の奥で主張していた。


 この大切な想いは、私が捨てても良いと、無くしてしまえば良いとしていたもの。

 だから私は何もかもを忘れて違う世界で生きられた。

 そして何の因果か、またこの世界に戻り生きることが出来た。

 誰にも恋心を抱かなかったのは、誰かを想う心を無くしていたから、だとでも言うのか。


 私はふと、自分の願った二つのことを思い起こす。


 一つ目の願いは、違う世界で生きること。

 二つ目は、あの人にもう一度会いたいということ。

 この二つの、矛盾した願い。


 ……あの願いは……叶っていたのだ。

 無情にも気づかぬまま。


「あ、ああ――兄ィさま」


 横にいる彼女に抱き着く。首元に顔を埋めて、その冷たい身体を強く抱きしめた。

 愛理ちゃんは変わらず私の背を撫でてくれていた。


「大丈夫。ノギちゃんはまだ死んでなんかいないわ。私のようにまだ身体が生きているからここにいるのよ。それに死の間際に思い出すはずの記憶が蘇ったのは、きっと生死の境を彷徨っているから」


 私はゆっくりと首元から顔を離して、愛理ちゃんの顔が見えるように距離を取った。


「でも」


 死の間際だというのなら、私はそのまま死んでしまうのではないのだろうか。


「でも長くいると、私みたいにおかしな鎖で足を繋がれてしまう。感じるもの。貴女からは命の気配がする」

「なんでそんなに、言い切れるの?」

「分かるわ。私の目から、今の貴女の姿が見えるから。それに、彼女がやったっていうのはもうバレバレみたい。あの人は監視に勘づいて、下働きの一人を囲い込んで貴女の酒に毒を入れたのよ。……ああ、もう火事になって……。火事もその下働きが仕掛けたものね。どのみちバレようがバレまいが、今日この日に皆を死なせて人生をやり直そうとでも思ったのかもしれないわ」


 愛理ちゃんの肩を掴んでいた私の手が、透けていることに気がついた。愛理ちゃんもそれに気がつくと、私をグッと抱き寄せて首元に顔を埋めてきた。グリグリと額を押し付けているのか、振動が体中に伝わる。


「絶対にもう、同じことを繰り返させないから。大丈夫、もうあの子はなくなるから。叶えるべき本当の願いを、今度こそ私は間違えないから」

「愛理ちゃん?」

「大好きよノギちゃん、最後まで信じてくれてありがとう。凪風君と清水さんに、よろしくね」


 本当にありがとう。


 その言葉を耳もとで囁かれた時にはもう、私の意識は反転していた。

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