赤子流し
「誰かが子を流すと、こんな話が流行ったもんだよ」
そう言って、元は吉原の太夫だった|という(多分に眉唾物だが)、今は岡場所で勝手勤めをしている三十になるその大年増は笑った。
「おめぇたちみてぇな商売してる女にゃ、よけい恐ろしく感じるんだろうけどなぁ」
馴染みの男は、自分にとっては大して恐ろしくないと言外に言って、布団に寝そべったまま枕元に煙草盆を引き寄せた。
目を細め女は天井を仰ぐ。
「でもさ。誰の子かわかりゃしないし、よしんば産んだとしても、男なら店の用心棒……っちゃあまだしも聞こえはいいけど、女を嬲るだけの与太者の下で働かされることになる。女なら小さいときにゃ禿、年頃になりゃ男の慰みもんだ。子供だって生まれてこないほうが幸せだろうよ」
自身にも身に覚えのある話なのだろう。一瞬その面に苦しげな表情が浮かんで、消えた。
「それよりもおめぇ、あの話考えてくれたか?」
男は白い煙を吐き出し、女のほうを見ずに問いかけた。
「あの話って……」
その後の句が継げず、女は困惑するばかりだ。
「あの話っちゃあ、あの話よ」
殊更ゆっくりとそう言うと、煙管を置いて身体を起こし、女のほうに向き直った。
「俺にゃ身寄りなんてものはねぇから、おめぇのことをとやかく言う連中はいねぇ。稼ぎはしれてるが、おめぇと二人食っていくぐらいできらぁ」
男は思いの丈を込めて語りかけたが、男が真摯になればなるほど女は俯いていく。
「なにも俺ぁ伊達や酔狂で言ってるわけじゃあねぇ。ちゃあんと先々のことまで考えて言ってるんだ」
襦袢を羽織っただけの肩にそっと触れると、女が小刻みに震えているのがわかった。
逡巡の末、男は女の背中に手を回し、抱き締めた。
「なぁ。俺のとこに来るって言ってくれよ。……なぁ」
どんなに男が言葉を尽くしても、優しく抱き締めても、女は俯き震えながら泣くだけで、そのうち泣き疲れて寝てしまった。
女を布団に寝かせてやってから行灯の灯を消し、男は女の横に身体を滑り込ませた。
しばらくして男はいつものように目を開け、すぐ横で眠る女を見た。
正確には、女に群がる者たちを。
顔のあたりに、一人。
胸のあたりに、二人。
そして、ふわふわと女の周りを行ったり来たりしているのが、一人。
たぶん女がこれまでに流してきた子だと思われる、赤子の亡霊たちだった。
初めて見たときには大層驚き怖がりもしたが、今ではそんな感情は浮かんでこない。
今あるのは憎悪――それだけだ。
他の男がこの女に触れた証。
他の男がこの女を支配した証。
そして今もこの女の心を占める痛みの証。
男にとって、許せるはずのない者たちだった。
「死んだ奴らが纏わり付くんじゃねえ」
低く、低く呟いて、男は赤子たちを睨み付けた。
この赤子たちが消えてなくなれば、女は自分の元にやって来るだろう。
そう思い、憎んでも憎み足りぬ者たちに手を伸ばす。
けれども手で触れることはかなわず、したがって握り潰すこともできなかった。
――死んじまったもんは、さっさとあの世に行きやがれってんだ。
心の中で悪態を吐き、
「おまえたちなんざ、消えちまえっ」
苛立ったまま小さく吐き捨てて、男は女を抱き寄せて目を瞑った。
夜が明ける兆しは、遠かった。




