赤子孕み
怪談話です。堕胎などの残酷な描写があります。
とある遊女の話です。
父の借金のかたに売られたその娘は、吉原の遊廓で働くこととなりました。
初恋もまだという幼さで、金で買われてその身を汚されるのです。
たとえ好いた相手ができたとしても、好きでもない男に身を任せ、媚を売り、一晩に幾人も相手をせねばならぬことも多い仕事です。
いつの間にか身体が慣れ、心が悲鳴を上げることなく痛みをやり過ごせるようになる頃には、遊廓の毒が全身に回ってしまっているのです。
病に倒れ無縁仏として葬られる者が多いなか、年季を終えて出ていく者もいます。
しかし娼妓の毒素が染み付いた身には外の世界は生き難いものです。仕方なしに岡場所で勝手勤め|(年季勤めではなく、店に上納金を納めながら自身の意思で働くこと)をしたり、夜鷹になる者も多いそうです。
そのようななか、身請けされるのは幸せなことと思われるでしょう。
たとえ、相手が一人になったというだけで、遊廓となんら変わりのない金で身体を買われる生き地獄なのだとしても。
一年を勤めあげたころ、娘には想い人ができました。
あまり裕福ではなかったためなかなか通ってきてはもらえませんでしたが、幾多の男に身を任せる辛さもその男に抱かれると一時忘れていられたのです。
そんな娘に突然身請けの話が持ち上がりました。
相手は日本橋のさる大店の隠居で、年は四十近くも上でしたが、娘を妾として迎えたいというのです。
娘にとってその客は、数多くの客のなかでもあまり好ましくない客でした。金で買ってやっているという心持ちが態度にありありと表れていたからです。
とはいえ身請けは客と店との間で決められること。遊女が否やを唱えることは許されません。
どんなに嫌な客だとしても店さえ承知すれば請け出されてしまうのです。
ところが思いもかけぬことが起きました。娘が身篭って三月ほどであることがわかったのです。
もちろん父親が誰なのか分かるはずもありません。
愛しい人の子かもしれませんし、身請けを申し出た男の子かもしれません。あるいは名も思い出せない一晩限りの客の一人かもしれないのです。
このことに慌てたのは娘よりも、むしろ店の方でした。
まだ身請けの話がまとまっていないのに、誰の種とも知れぬ子を宿していることが分かっては、この話はご破算になってしまいます。
そうなれば転がり込むはずの大金が手に入らなくなってしまうのです。
すぐさま娘は夜中に外で冷水を浴びさせられ、子を流すよう仕向けられました。けれども子の生きようとする力は強く、お腹のなかに留まったのでございます。
失敗したと見て取ると、店は界隈で「流し婆」と呼ばれる子堕ろし専門の女を連れてきました。
婆は、とある草の根を乾燥させてすり潰したものを極少量、娘に飲ませました。
婆と婆の後継者しか作り方を知らぬ、子殺しの妙薬です。
ひどく苦しみのた打ち回ったすえ、娘の子は血と共に流れ出ました。
よく見なければ人だと分からぬほどに小さな、死んでしまった我が子を見て、娘は初めてその子を思って泣いたのでございます。
泣き続ける娘に、店は正式に身請けが決まったことを告げました。
子を流してから数日。
いまだ毒のせいで力の入らぬ身体、それと痛む腹と心を抱え込んだまま、娘は大店の隠居に請け渡されました。
「旦那さんに身請けされるこんな嬉しい日ぃに、風邪など引いて申し訳ありんせん」
嘘だらけの言葉を、嘘だらけの笑顔に乗せて。
娘は遊郭から請け出されていきました。
娘の具合のことなど気にも留めず、その夜隠居は娘を抱きました。
疲れ果てた娘は、しかし痛む腹のために眠ることができず、ただ横になっていました。
すると闇の中に蒼白く光るものが現れ、娘の元へと漂って来たのです。
小さなそれはよくよく見ると、娘の腹から流れ出た赤子でした。
生まれ出ることを許されなかった赤子は、よほど母親が恋しかったのでしょうか。
触れることはできぬのに、必死になって乳を吸おうとするかのようにその身を寄せてきます。乳を飲めるほど大きくなることができなかったというのに。
娘はその子が不憫で――でも恐ろしくて。目を逸らすこともできぬまま布団の中で震えていました。
強いられたこととはいえ、この赤子を殺めたのは他ならぬ自分自身なのです。恐れを抱いて当たり前といえましょう。
震える娘の胸元にしばらく蹲っていた赤子は、やがてすうっと消えていきました。
それからです。
毎夜、毎晩。
赤子はふわりふわりと漂って娘の胸元へとやってきては、身体を摺り寄せてくるのです。
不思議なことに娘がどんなに深く眠っていても、赤子が来ると自然と目覚めてしまうのです。
娘の恐怖は日増しに強くなっていきました。
それというのも、その赤子が日々育っていくからです。
――ああ、この子は私の中で育てなかったぶん、死んだ今になってから育とうとしているんだ。
やっと人と分かるほどの形だった赤子ですが、目や鼻、手や足の指などが次第にはっきりと形を作り、少しずつ大きくなっていきました。
生きた赤子ではなく、死んだ赤子の育つ様を娘は見続けさせられたのです。
腹の中の子は母親が食べたものを糧に育ちます。
ならば流された子は何を糧に育っているのでしょうか。
娘がそのことに気付いたときには、もう手遅れでした。娘の身体はもはや床から起き上がることもできなくなっていたのです。
隠居は「いったい何のために身請けをしたと思っているのだ」と、たいそうご立腹でしたが、娘を打ち捨てるようなことはありませんでした。
そればかりか高い金を払って娘を医者に診せ、住み込みの女中まで雇ったのです。
娘が思うほどには嫌な男ではなかったということでしょう。
女中の世話になり、時折訪れる隠居に具合を尋ねられては頭を下げ、そうして夜には赤子に精気を吸われる日々が半年も続きましたでしょうか。
その晩、娘は身体の芯から凍りつきそうな恐怖を感じていました。
鳥肌が立ち、背中を冷たい汗が流れ、歯の根が合わずにカチカチと音を立てます。
ぞくり
悪寒に震えたとき、娘の目の前に赤子が漂ってきました。
もう、誰が見ても立派な赤子です。
見ればすぐに女子だとわかるほどに成長していたのです。
――生まれようとしている。
赤子を見て娘はそう悟りました。
この子は今、これから世に出て行こうとしている、と。
死んだ赤子がどうやって生まれるというのかとお思いになるかも知れませんが、死んだ赤子が日毎育っていったのです。生まれ出ることに何の不思議があるでしょう。
赤子はゆらゆらと漂いながら彼女の腹へと向かっていきます。
赤子は……育ってしまった死んだ赤子は、いつもならば乳に触れようとするだけなのですが、そのときは娘の腹に手を伸ばし、あまつさえその腹の中に入ろうとしたのでございます。
ずにゅり
本当にそんな感触がしたのかは娘にも分かりませんでした。目で見たもののおぞましさに、そんなふうに感じただけかもしれません。
精気を吸い取られ痩せ細った娘の腹に赤子の指先が消え、掌が消え、頭が消え、身体が消えました。
毒をもって無理に外に出した子が、少しずつ娘の腹の中に戻っていくのです。
娘はあまりの恐ろしさに叫び出したかったのですが、どうしたことか声が出ません。
弱った身体を起こそうとするのですが、脂汗が流れるばかりで指先すらほんの少しも動かすことができないのです。
目の玉は唯一動きましたが瞼を動かすことはできず、目を瞑ることができぬまま、赤子が消えた己の腹のあたりを見続けることしかできないのでした。
腹の中で何かが動いた気がして、慌てて娘はその考えを打ち消しました。赤子は幽霊なのだから、そのような感触が伝わるはずがないのだと。
しかし次の瞬間、娘は激痛に襲われました。気が狂うのではないかと思うほどの痛みです。
それは腹の奥、男たちが蹂躙したがるあたりからしました。
ですがどんなに痛くとも身体が全く動かぬため、布団を掴んで痛みを耐えることすらできないのです。
どれほどの間その痛みに耐えていたのでしょうか。
ぐっぐっと押し広げられる感触がありましたが、実際に身体が中から押し広げられていたかは分かりません。
ですが、娘は息んでもいないのに赤子の顔が出始めたように感じたのです。
ずっずっ
頭の一番大きなところが出ると、一息にずるりと首が抜け、今度は身体が出始めます……いえ、出始めたように感じられたのです。
娘は恐ろしくてたまりません。
赤子は母である娘の力など借りずにこの世へと自らの力で生まれ出ようとしているのです。
死んだはずの子に身体をいいように使われ、その子を産まされているのです。
ずる…っ…ぅ
とうとう子が、腹の中から出てしまいました。
すべて、すべて出てしまったのです。
千切れた臍の緒をぶらぶらさせながら、赤子は腹の間から這い出て、娘の胸へと向かいます。
もう空を漂っているようには見えません。手足など動かしていないのに、まるで赤子が這って来るように見えるのです。
ぴた
赤子の小さな手が娘の胸に触れた途端、娘はついに気を失ってしまいました。
冷たい風に頬を打たれ、娘は目覚めました。
障子越しに淡い光が差し込み、夜が明けたことを告げています。
娘は部屋を見渡して赤子がいないかを確かめ、何も見当たらぬことに安堵し、身体を起こしました。
酷く喉が渇いていたので、水を飲もうと立ち上がってから娘は気付きました。
――身体が軽い。
昨日まで布団から起き上がることすら大層だったのに、娘の身体は易々と起き上がることができたのです。
驚きはしましたが、何はともあれ喉の渇きを癒そうと部屋を出てお勝手へと向かいました。
歩いていると、ちょうど厠帰りの女中と出会いました。
「まぁまぁまぁ。起きなさって大丈夫なのですか」
女中は驚きつつも喜び、しかし「無理は禁物。水ならあたしが取ってまいりますから」と、娘を寝所へと返しました。
そうして横にさせるために掛け布団をめくると、一寸ばかりの大きさの犬張子があったのです。
「あら。これを抱いて寝たんですか? やめたほうがいいですよ。寝てる間に壊しちまったら、縁起が悪いですからね」
娘は犬張子など持ってはいませんでした。
けれどもその犬張子を見た瞬間、なぜか昨夜自分が産んだ赤子が張子に形を変えたのだと感じたのでございます。
死んだ後とはいえ「生まれる」ことができた赤子は、犬張子となっていつか生まれてくる自分の弟や妹の成長を見守る立場を選んだのでしょうか。
娘はその犬張子に恐る恐る触れると、そっと撫で、枕元に置いて布団に入りました。
その日から娘の元に赤子が現れることはなくなりました。
娘はその犬張子をとても大切にし、その後は子宝にも恵まれ、隠居との仲も上手くいったということでございます。




