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短編

情は情でも非愛情?

作者: 暇 隣人







「……そろそろ部費でクーラーとか設置してくれないのかな」

 机に突っ伏したまま水奈みなが言う。もはや動かす余裕もないらしい両腕の表面には、内側からどんどん滲み出る汗がきらきらと光って浮かんでいる。アスリート体質な水奈にしては肌が真っ白なのがやけに不自然で眩しい。

 ていうか暑い。

「廃部寸前の弱小文化部にそんな優遇措置誰が取ってくれんだ……」

「いやそれはそうだけどさ? わかるけどさ? でもこの暑さはおかしいでしょって話でさ? ねぇ、なんかもっとこう、そういう気配りぐらいあっていいと思うの、あたし」

「……クーラー設置までいくと気配りの域を超えてると思うが」

「じゃあもう扇風機でいいからちょうだいよ……ねぇ出雲いづも、今度家から持ってきてくれない?」

「何を?」

「だから、扇風機」

「やだよそんな重いの」

「手伝うからさぁーあーねぇーえーもってきてよぉーいーづーもぉー」

「うるせぇ」余計暑苦しいわ!

 さっきからずっと下敷きで顔をあおいでるせいで、いい加減腕の筋肉が限界に近づいてきた。少しだけスピードダウンすると、額のあたりに一気にどばっと汗が噴き出てくるのがわかる。あぁーいやだ。暑い暑い。

 よくよく考えると、カーテンを閉めて日を遮ればある程度は済む話なのだが、この部室は何より空気の回りが悪いので、カーテンまで閉めてしまうと風がなかなか通らなくなり途端に蒸し風呂状態になる。俺や水奈にとってはそっちの方が地獄だ。さすがに一年以上もここにいるとそれぐらいのことは二人ともわかっていた。

 日が当たらないように机の場所ぐらい動かしてもいいとは思うが、今のところ提案したことはない。そもそもこの部室は狭いから少し動かしたところで大して変わりはない。あらゆる点で面倒。そして弱小。部員はたったの二人。

 もはや部活かどうかすらわからなくなってきた漫画部の部室はまさに、こんな惨状だ。

「……最後に漫画描いたのって、いつだったっけ」

「おい部長」

「いや、冗談冗談、覚えてるから……ええと……二か月前……いや三か月……?」

「…………」

 ほんと大丈夫かなこいつ……。

 今のやりとりを見てもわかる通り、まともな活動は入部当初からほとんどしていない。去年は三年生に一人だけ先輩がいて、その人の情熱だけで成り立っていたようなものだったから俺ら二人は大して仕事をした覚えがない。

 進級して部員が二人だけになってからは、これといって新入部員集めをするでもなく、たまに新聞部とか生徒会とかが出す広報誌やプリントで、余りのスペースが埋められない時に臨時でイラストや四コマ漫画を入れる程度の仕事をするぐらいで、あとは毎日ぐうたら三昧。ゲームをするでもなく話をするでもなく、だらだらーと日々を過ごしているだけ。

 たったそれだけで一年半近くも続いてきたんだから、思ってみれば大したもんだ。

「……ねぇー、出雲」

 水奈が怠そうに顔を上げて喋る。一挙一動がまだるっこしいので話しかけられる俺の返事も適当な感じにならざるをえない。

「……なに」

「…………」なんか言えよ。

 半分死んでるような目でじっと見つめてくる水奈。これが熱中症の症状か……覚えとこ。

「あんたさ……ほら、こないだ」

「んん?」

「なんかさ、あったでしょ」

「……はい?」

 水奈の言ってる意味がよくわからない。

「だから、ほら……あの子。あんたと同じクラスの」

「同じクラス…………ああ」

 なるほど。俺はようやく思い当たった。

 水奈には教えてなかったはずだが、どこかしこから情報が伝わったのか……。おそらく女子の独自ネットワークの仕業だ。学校の噂って怖いな。

「あれでしょ。告白、されたんでしょ」

「……おう」

 事実だが曖昧にうなずく。やましいわけではなくリアクションが面倒なだけだ。……疲れすぎて。

「ふぅん……本当だったんだ、やっぱり」

「まぁな。まさか、されるとは思わなかったけど」

 告白されたのは、つい三日前ぐらいの話だ。相手は今まであんまり話したことのない女子だったからなおさら驚いた。名前も、告白されるまで苗字しか覚えてなかったし。

「そう? 何回かあったんじゃないの、今までにも」

「ないことはない。でも数えられる程度」

「数えられないほど告白されるってどんなイケメンプレイボーイよ……」

 プレイボーイって若干古いよなとちょっと思った。

「それで?」

 だるそうにしながらも、水奈はしつこく質問してくる。

「それで……って、なにがだ?」

「受けたの、それ?」

 水奈の憔悴しきった喉から出てくる声はどんどんかすれて小さくなる。水でも飲めよと言いたいがあいにく今ここにはない。たぶん買いにいく余力もないだろう。

 俺はちょっと答えに迷って、汗だらけの首を手で拭いながら呟いた。

「……受けたよ」

「…………」

 ついさっきまで光も潤いもなかった水奈の目がいきなり見開かれた。普通に怖い。どうしたこいつほんとに大丈夫か?

「……へぇ」

 ……それに続けて、ずいぶん気の抜けた返事が返ってくる。お前から聞いたんだからもうちょいましな反応くれよ。でもそんな文句を言う力もすでにない。ああ無情。

「そうなんだ……へぇえ、意外……」

「何が」

「いや、あんたが彼女持ちになるってのが」

「失礼な……あれ、そういえば初めて、だな」

 随分さらっと流してしまってたが……俺結構重大な選択肢を選んじゃったんじゃないか? あれ?

「へぇ……へぇ……」

「なんだよその反応」

「いやいや、何でもないけど……へぇ……」

「…………」いやぁな返事を返しますねこのおなごは。

 一通りへぇを連発すると、水奈は勢いよく机から起き上がって背伸びをする。猫みたいな声を出しながら右に左にゆらゆら。セミロングの茶色がかった髪の毛がさらさらっと動く。本人とは大違いで大変躍動的な様子だ。

「……ふぅん」

 ようやく伸び終えると、わざとらしく口を尖らせながら俺をにらんできた。……なんだなんだ。

「文句あるなら言えよ」

「べっつにー。文句なんてないですぅー」

「じゃあ何があるんだよ」

「…………いや、これといってなにも……」

 正気を取り戻した感じに目をぱちぱちさせる水奈。……これは本当に何も考えてなかった証拠だ。暑さで頭がやられてきてるな。そろそろ救急車呼ぶのも辞さないぞ。

「まぁ、なんだろ……ほんとに意外。あんたらしくないよね」

「そうだな。改めて考えると俺も意外だ」

「なんで受けようと思ったの?」

「んあ……なんで、って言われると困るな……」

「なにそれ……もしかして気まぐれなわけ?」

「……んー、いや、んー」

 さすがに気まぐれで受けたなんてのは相手に失礼すぎるからなんか理由を探そうとしたが、これといって思いつかなかった。……ごめん彼女。

 そんな俺の困り顔を見て、心の底から呆れたらしく水奈はため息をつく。

「ほんっと適当よねぇ、あんたって……あーあ、アホらし」

「しょうがないだろ、昔っからこうなんだから」

「そうね、ほんと昔っから……子供の時から、ずっとそれ」

 水奈の声の調子が微妙に変わる。

 窓の外を見る水奈の横顔が、ほんの少し大人びて見えた。俺はしばらく、その姿に見とれる。

「……ね、出雲」

「……なんだ」

「あたしの時は、どうだったの?」

「は?」

 くるっと顔をこっちに向けて、真剣な表情を見せる水奈。睨みつけるように、俺の顔を見る。

「気まぐれ。――あたしの時は、起こらなかったでしょ」

 ……ふっと、部室の空気が変わった気がした。

「……そう、だな」

「なんで?」

 詰問するような水奈の口調に、俺は思わず身を引く。

「なんで……んん、なんで、か……なんでだろうな……」

 記憶をさかのぼって思い出してみる。

 ――あれはたしか中学生の時。いつもはホームルームが終わるたび、「早く帰ろ、早く帰ろ」と俺を急かしていた水奈が、その日はなぜか俺を屋上まで連れて行った。放課後だから、人はほとんどいなかった。校舎はやけに静かになっていた。

 告白された。俺の人生で一番最初に受けた告白だった。

 俺は返事に困った。……よくある話、当時の俺はあんまり恋愛に興味がなくて、恋人どうしになるということがよくわからないでいた(今もだいたいそうだが)。いきなりのことだったし、正直どうしていいかわからなかった。

 何より、相手が水奈だったということが一番の原因だった。

 水奈とは幼稚園の頃からの付き合いになる。俗にいう幼馴染。いまだにちゃんとした関係が続いているのはあの頃の友達の中でも水奈ぐらいしかいない。それだけ俺と水奈は相性が良くて、水奈と二人でいるのはすごく気持ちが楽で、俺にはとても心地よかった。

 そんな水奈からの告白。

 俺にとっては家族のような、あるいはもう一人の自分のような、そんな水奈からの告白。

 ずっと素のまま向き合ってきて、ずっと素のまま笑いあってきた、そんな水奈からの告白。

 ……違和感がないわけがなかった。

 断るというか、なんというか、混乱していた俺はとにかく自分の思うことすべてを話した。恋愛がなんだかよくわからないということ、水奈は自分にとってどういう存在かということ。いつもと同じように、いつもと変わりなく俺は伝えた。水奈もいつもの調子で俺の話を聞いていた。全部聞き終わって、水奈はまたいつもと変わらない調子で、こう言った。

「それじゃ、あたしたち、ずっと友達どうしだ」

 諦めというより、納得に近い言い方だった。ああやっぱりそうなんだね、といういつもの軽い口調。暗いわけじゃない。明るいわけでもない。ただ淡々と、水奈は言った。

 ……ここまでが過去のハイライト。

「……あたしもね、同じだったよ。あんたなら、わかってると思うけど」

 水奈は物静かに話し始める。さっきまでの疲れ切った雰囲気はどこかに消えて、気後れのしない真面目な空気が漂う。

「あの頃ね、女子の間でいろいろ流行ってたんだ。最初に化粧したのはいつだとか、おしゃれにどれだけ気を遣ってるかとか、そんな感じのちょっとした競争。あたしはあんまり興味なかったけど、恋人がいるかどうかみたいな話に、偶然混ざっちゃってさ。その時に、友達に聞かれたの……」

 ――水奈ちゃんは、好きな人とか、いる?

 中学生なりの素朴な疑問だったんだろうが、どうやら水奈の心には響いたらしい。

「なんていうんだろ……。周りの子が誰を好きとか、誰と付き合ってるのかとか、そういうのが羨ましかったわけじゃなくて、ただ、なんていうか……恋人ってなんなんだろって。恋ってなんなのかなぁって。すごい不思議だった」

「……それで俺に告白したわけか」

「うん。だから別に、一世一代の賭け! とか、そんな感じじゃなくって。あんたはそういうのどう思ってるんだろうって、単純に気になったから聞いてみたの。……聞いてみたっていうか、まぁ一応告白? だったのかなあれ。わかんないけど。ま、そしたら案の定、あんたもあたしと一緒だったってわけ。……いやぁ、安心したねー、すごく」

「そりゃどーも……」

 俺も安心した、とは言わないでおく。

 言わなくても伝わってるとは思うが。

「ま、ちょっと思い出しただけだから。さっきはなんか責めるような言い方しちゃったけど、別にそんなつもりじゃないからね! ……昔は思ったとおりだったけど、今はどう思ってるのかなって。ちょっと気になっただけ」

「ああ……。なんとなく分かってた」

「あは、やっぱり」

「お前らしくなかったからな。ただの確認作業だろ、さっきのあれ」

「そうそう! まさにそれ! さっすが出雲はあたしのことなんでもわかってるなー、いやー、これぞ親友って感じだなー、へへ」

 にやにやしながら水奈が言う。……たぶん、俺の気持ちだってだいたいわかってるんだろうな、こいつ。

 ――それじゃ、あたしたち、ずっと友達どうしだ。

 子供の頃の水奈の声が聞こえる。

 ずっと友達どうし。根拠もなければ確信もない。でもなんだか、心のどこかにある気持ち。きっと、間違いはない。

 水奈もそう思ってるだろう。

「それにしても、まさかあんたに彼女とはねぇ……」

「まだ文句がありそうな顔してんなおい?」

「ないない。せっかくの初めての彼女なんだし、優しくしてあげなよー? 女の子はデリケートだからね、ひひひ」

「お前見てると微塵もそう思えん」

「うるへー」

「はいはい」

 いつの間にか、部屋の暑さはどこかへ消えてしまっていた。外を見ると真っ白な雲がまばらに空に散っている。そうして地面を、空気を、空を、ゆっくりと冷やしていく。

「……やっぱり、変わってくんだね。みんな」

「…………」

 やけに涼しげな水奈の声が耳に残る。

「あたしもそう。知らない間に変わっちゃって……変わりたくないなんて思っても、結局どうにもならなくて。悔しいけど止められなくて、何もかも成り行きに任せちゃうしかないことって、あるよね」

「……まぁ、な」

「うん。でも……でもね、あたし、それでもいいんだ。どんなに時間が経っても、変わらないものがあるんだって知ってるから。今までずっとそうだったもん。これからも、絶対に変わったりなんかしない。そう信じてる。だからいいんだ。これだけ……たった一つ、これだけが変わんなかったら――あたしはずっと、あたしのままでいられる」

 透き通るような水奈の声が、しんと静まった部屋に響く。

 力強く、揺るがない。

 ……こいつには適わんな。

 改めて、俺はそう感じた。

「こほん。……変わるべくして変わるのだ。人なるものは移ろうのだ。だから人なのだ、我々は」

「……それ、なんかの格言か?」

「いや?」

「そうか」

 ……変わるべくして変わる、ねぇ。

「そんなもんかね、人間」

 暗さを増しつつも、爽やかさを誘う夏の空気は肌に吸い込まれるように潤っている。いつもと変わらない、陽気な部活動生たちの声。窓を突き抜ける蝉たちの叫びが、ほんのちょっと、近くまで寄ってきたような気がした。

 ノックの音が聞こえてくるまで、俺と水奈はしばらく空を眺めていた。







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