第6話:先輩美人に隠れて、カスタマージャーニー?
(あああっ! 今朝も私が愛を注ぎ続けた7番席が、こいつの占領下になっている……! うぬぬ)
リサは昨日より数分早く来てみたけれど、今朝も例のネイビースーツの若い爽やかビジネスマンが、リサのお気に入りの7番テーブルで資料とか広げて何やらお仕事してる。いつ来てんのこいつ。
早朝6時台のファミレスはガッラガラ。空いている席はたくさんあって、おひとり様でも4人席を独り占めできる。いいですよって店員さんにも確認済み。そんな数ある4人席の中でも、7番席は二方を壁に囲まれた角席で、人の目を気にせず集中できる神席だ。しかもドリンクバーに近い。
いつも早起きして来て通学時間までノーパソと戯れるリサの超愛用席だったのに、最近はこの若い会社員のほうが先に来て座るようになった。今日は宇治抹茶パフェを呑気に食べてる。そしてやっぱりお冷だけ。
(ドリンクバー使わないなら、その席譲ってよっ。和風スイーツも好きなんかい。ドリンクバーなら玄米茶とか梅昆布茶とかあるんだから、お茶も一緒に嗜みなよ。表千家も裏千家も表裏合わせてきっとそう言うよ。何で毎回お水一択なんだよ。どんな和敬清寂だよ)
リサは心の中で文句をつぶやきながら、あてつけのように左隣りの8番席にドサリと座る。7番席は4人席だけど、隣の8番席は2人席。ノーパソしか置けないけど、無言の抗議のためだけに座ってる。圧迫感あって嫌でしょ、ほれほれ席を譲りたまえ。でも彼は手元のお仕事に集中してて、全く気付いてない。背景な私。
まあ、7番席を合法占拠してること以外は、特に文句はない。スーツもまあ決まってるし、髪型もさっぱり短髪だし、姿勢も良くてスイーツの食べ方もなかなか上品。イケメンとは言わないけど、好感が持てる感じで、その爽やかさがあれば今すぐマルチ商法の営業マンにでも転職できるだろう。素直なうちの父ぐらいは騙せちゃったに違いない。
ほんと、お父さんはすぐ丸め込まれてたな。町工場の工員の安賃金で、生活めちゃ苦しいのに、訪問販売の口車で何十巻もある百科事典全集なんか月賦で買わされちゃって。「俺には学はないが、おまえたちの知識のためには金は惜しまねえぞー」とか虚勢張ってさ。もったいないからめっちゃ読んだよ。おかげで何でも調べる習慣ついちゃって。知識も身についてお兄ちゃんと同じ大学に合格できたけども。とりあえず、マルチ商法と訪問販売はうちに近寄るな。7番席のキミは、人を騙しちゃだめよ。
モーニングセットの注文を終えて、ドリンクバーに行く。今朝はダージリン。ここには10種類以上のティーバッグがあって、自分でお湯を入れるタイプだ。お湯の機械がコーヒーと一緒なので、ブレンドコーヒーを入れてる最中の人がいたら待たなきゃいけないこともある。早朝は人が少ないから大丈夫だけどね。それに、フレーバーがいろいろあって、選ぶのも楽しい。紅茶もあれば中国茶もある。
あれ、ティーバッグだっけ、それともティーパックだっけ。ティーバックではないはずだけど。あー、いつも分からなくなる。それもこれも全部、7番席に居座るあいつと、ウォーズマンに敗北したティーパックマンのせいだ。あのフォルムだとティーカップマンだろ。
ダージリンティーのカップを持って来たリサは、一口飲んでちょっとブリテン気分に浸ると、隣の席の7番席を英国貴族風にチラ見する。
(ふっふっふ。キミはその7番席を完璧な秘密基地と思っているようだけど、キミの秘密はすでに英国スパイを超える「リサーチリサっち」の私にはバレているのだよ。キミの名前がカイくんってことも、「めぐ」というネカマネームでSNSやってるってこともね)
リサはノーパソのSNS画面を見ながら、心の内でつぶやく。勝手に勝利宣言をさせてもらってる。
リサは気になったら何でも調べちゃう性格。特定班級のリサーチ力で、有名芸能人が通っている料理店も分かるし、案内板のない山城の登山口まで発見しちゃう。自分の大学の卒業生から犯罪者が何人出てるかも集計済みだ。
7番席の彼の本名は「調所 廻」だということも分かっている。リサは「シラベドコロ カイ」って呼んでたんだけど、調べたらどうやら苗字は「ずしょ」と読むらしい。薩摩藩の家老にそういう苗字の人がいて、調べてたら調べすぎちゃって、薩摩藩の琉球貿易とか砂糖専売制とかにも詳しくなっちゃった。鹿児島楽しい。天文館で飽きるほど白くま食べてみたい。伊集院駅行って島津義弘騎馬像を写真に撮りたい。
リサの苗字は「白辺」と書いて「しらべ」。異称は「リサーチリサっち」。自分以上にリサーチャーに相応しい名前はいないと思っていたのに、「シラベドコロ カイ」はちょっと気になってしまう。名前がカイくんなのだから、伊勢さんという女性と結婚して「イセ カイ」という名前にでもなるといい。ネットの小説投稿サイト界隈の異世界モノに愛着が湧いて、自称評論家どもの低評価レビューにいちいち傷つくことになるだろう。異世界モノのレベルもピンからキリからキリからキリまで様々なのだよ。
本名はカイくんなのに、SNSのハンドルネームは「めぐ」。角席パフェ朝活のどエロ変態系ネカマめぐっぺなのである。キモっぺなのである。
夢野先輩という憧れの美人の同僚がいるのも判明中。顔は写ってはないが、明らかにスタイルの良いパンツスーツ姿は確認できた。一度は動画まで撮ってやがる。夢野先輩は「やだー、もうー」って笑ってくれてるけど、それマジもんの意味だからなきっと。粘着ネカマの幼虫キモっぺなんて、ナシ寄りのナシなのだよ。
彼のテーブルの上のPCにも同じSNSの画面。虫眼鏡と書籍が重なった「めぐ」のアイコン。彼がカチャカチャ何か入力を始めた。抹茶パフェ食べ終えてからにしろや、溶けるだろ。SNSに投稿したんだな、どれどれ。
めぐ『今度はYノ先輩の力を借りず、カスタマージャーニーマップをしっかりと作った。ペルソナとの関係性を大事にするためにも、カスタマージャーニーはとっても大事なんだ』
キタ━━(゚∀゚)━━!!。変態ネカマめぐっぺが、フォロワー数たった27人の小世界に新投稿を投下してる。27人の中で誰よりも早く読んでしんぜよう。そう、キミのお友達は実質26人以下なのだよ。なになに。ん?
(夢野先輩がいないところで、カスタマージャーニーマップ……? 夢野先輩はどうした? めぐっぺ本名カイくんの憧れの美女だったんじゃないのか。そんな夢野先輩に隠れてまで、何をやろうとしてるってんだ。
カスタマージャーニーがとっても大事……? 何だろう、カスタマーはお客様、ジャーニーは旅行のことだよね。お客様の旅……、お客様と旅……、ん? お客様との旅行?
ペルソナって確か、古代の舞台の仮面のことよね。ペルソナ……、英語のパーソンのラテン語あたりの語源かな。パーソンだから、人格とか人物とか? そうか、誰か人物を濁して表現しているんだな。……おおおおい!
何の仕事か知らないが、顧客の中で美人な奥様に目をつけて、人にバレないように仮にペルソナって呼んで、そのお客様と親密に旅行に行こうって腹だな? だから夢野先輩に言えないんだな、このド腐れドスケベめぐっぺが。それに、カスタマージャーニーマップって、わざわざ女性客との不倫旅行にしっかり「旅のしおり」を制作してんじゃないわよっ。製本作業はコツあるからな、綴じ方が甘くならないように気をつけな。いやそもそも作るな。
だいたい、奥様カスタマーとどこにジャーニーすんだよっ。わざわざジャーニーなんてカタカナで表すってことは……、まさか海外なのか? 旅のしおりまで作るってことは、グアムやサイパンのようなお手軽海外じゃなくて、もっと遠大な、北欧4都市クルージングの旅とかか? めっちゃ長旅。そのペルソナ奥様との関係性を大事にするためって、そのクルージングの長期間何すんの、ねえ? 特に夜、何すんの? いやもうみなまで言うな。魂胆は大まか分かるから。
夢野先輩、こういう低脳社員は早めに会社に密告して、懲戒処分にすべきなんですよ。そしてカイくんは実刑判決食らって、抹茶パフェ注文したのに毎回緑色がなぜか青汁着色の刑を執行されるがよいよ)
リサの妄想洞察が止まらない。
リサの長所は、気になったことは何でもすぐに調べちゃうという行動力。でも、どうしようもないほどのリサの欠点は、情報に辿り着いたら途端に妄想が暴走して、調査もほどほどに終わっちゃうところ。だから今朝も、ただ一人で妄想が止まらないまま、解決できていない。
そうこうしてるうちに通学時間がやってきた。リサはハッと我に返る。モーニングセットの玉子雑炊がすっかり冷めてしまったが、小皿のたくわんを入れてポリポリ感を追加し、雑炊をきれいに食べてお会計へ。飲み放題のドリンクバーなのに、ダージリンティー1杯しか飲めてない。もっと抹茶ラテとか飲みたかった。知らないうちに抹茶に引っ張られている。
彼女は帰宅後に調べ直すまで、結局辿り着いていなかった。カスタマージャーニーとは顧客の購入や利用などの一連のプロセスのことで、カスタマージャーニーマップとはそれを可視化した図のものであることに。ただし、ペルソナがその対象人物を表し、パーソンの語源のラテン語であることはちょっと合ってる。
そして彼女はいまだに分かっていなかった。「めぐ」を名乗る「シラベドコロ カイ」くんの本名が「調所 廻」、「ずしょ めぐる」であるということを……。
■リサが帰宅後に学んだビジネス用語
「カスタマージャーニー」
顧客が商品を認知してから購入、利用、再購入に至るまでの過程のこと。カスタマージャーニーマップはそのプロセスを図解したもので、ペルソナは想定し設定した具体的な顧客像のこと。
<第7話へつづく>
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