最終話:そんなキミと、シェアリングエコノミー!
(あああっ! 私のお気に入りの、最愛の7番席が……、あ、あ、空いてる……っ!)
リサは昨日よりちょっと早く来てみたが、いつもネイビースーツ姿の爽やか会社員くんが先にいて座れない大好きな7番テーブルに、今日は誰も座ってない。ピカピカテカテカの空席。
早朝6時台のファミレスはいつもガッラガラ。広いガラス窓に面した席ばかりの中、7番席は二方向を壁に囲まれた角席で作業に集中できる神席。しかもドリンクバーに近くて最高。この数百日、ずっとずっと座れなかったあの神席が、今朝は空いているのだ。なんて日だ。
今朝のリサは、いつものラフな通学ファッションと違い、リクルートスーツ姿。いつもは下ろしっぱなしの髪も後ろで束ねて首元はスッキリ。空いている広い4人席の7番テーブルを見ながら、隣りの小さな2人席の8番テーブルに座る。いつものポジションだが、注文もいつものモーニングの雑炊セットではなく、今朝はドリンクバーだけ。
いつもとは何もかもが違うリサ。カプチーノを注いできて8番席に座ると、何だかソワソワしている。今朝チェックをしたSNSのせいだ。いつも7番席に先に座っている「調所 廻」くん、アカウント名「めぐ」のツイートが、何となく気になって調べた。
めぐ『毎月この日になると心が締め付けられて、気が塞ぐ。僕は本当に、二人の分まで幸せな人生を送れているのだろうか。今日は元気に会社に行けるのだろうか』
先月のこの日にも同じようなツイートをしているのに気づいて、過去に遡ってみると、毎月この日にはそんな哀しげな投稿をしている。そして確かにその日はいつものスイーツを食べていなかったり、一点を見つめてたりと、廻くんは元気がなかった。気になって過去の全ツイートを見てやっと分かった。毎月この日は、廻くんのお姉さんと妹さんの月命日だった。
いきなり身内の位牌が二つも増えてしまう悲しみの大きさは、リサにも痛いほどよく分かる。廻くんの過去の投稿を見ていくたびに、忌まわしい記憶が脳裏に甦り、胸に刺さる。
桜舞う快晴だった、兄の大学の入学式のあの朝。誇らしげな父と希望に満ちた兄のスーツ姿をカッコよく感じて、夜は入学祝いに三人でファミレスに行こうと約束して、高2のリサは喜んでスキップしながら登校した。それが、二人を見た最後の姿だった。
大きなニュースになっていた。名門大学の入学式終了後、校門付近の歩道に高齢者が運転する自動車が猛スピードで突っ込み、入学式帰りの父兄を次々に跳ねて11人が重傷、6人が死亡する大事故となったと。
運転者の70代男性は糖尿病だったそうで、運転中に低血糖による意識障害が起きたという。運転手は幸いにも命を取り留めたと盛んに報じられていたが、死者の中には新入生の「白辺大河」とその父「白辺大陽」の名もあった。高校生のリサは一瞬にして、家族全員を失った。リサは一晩で一生分泣いて、涙が枯れた。
母方の伯母が、社会的体面もあってリサを引き取ると言ってきた。伯母の一家は長年、低学歴で貧乏な父を見下し続けて疎遠だったが、兄が名門大学に合格したのを知ると、態度を軟化させてきた。兄に合格祝いとしてお金を渡してきたが、兄は今まで父を馬鹿にされてきた恨みを忘れず突っぱねたらしい。でもリサは頭を下げて、その時のお金で父と兄のお葬式代を出してくださいと膝をついて伯母一家に頼んだ。
お父さんの働く町工場の人や、その取引先のロックテムズの重役や担当者の人たち、お兄ちゃんの同級生や塾の生徒たちなど、たくさんの人が弔問に来てくれた。その恩もあって、リサは伯母の家に住むことになった。
遺品が返ってきた。血まみれのネイビースーツ。兄に贈ったネクタイ。父が夜にファミレスで兄に渡そうと隠し持っていたらしい、潰れた小さなプレゼント箱。画面が割れた兄のラップトップPC。遺品が返ってきたって、二人は帰ってこない。伯母の家族からは、位牌ぐらいは仕方がないが、血痕のある遺品など家に置きたくないから全部棄ててほしいと言われ、これからお世話になるリサは処分せざるを得なかった。
遺品は棄てる前に全部を写真に撮って、血のついた衣類は財布に入れられる大きさに切って2枚残した。プレゼント箱に入っていた黒いスケルトン腕時計は、男物だけど自分の腕に巻いた。事故の衝撃で割れた兄のパソコンは、起動できたので今こうして持ち歩いて愛用している。パスワードが妹の名前って、どういうことだよ。
それからのリサは猛勉強して、強引な語呂合わせを使ってでも必死にいろんなことを覚えて入試に臨み、兄と同じ大学に入学できた。伯母は親戚中の名誉だから超高級レストランでお祝いしてあげると言ってきたが、もっと良い店を知っているので断った。その後も「位牌ぐらい」などと平気で言える伯母の家族に頼りたくなかったので、学費は奨学金と自分のバイト代で何とかした。朝食を世話されるのも嫌なので、ファミレスに行って自分のお金で食べた。入学式だけで通学できなかった兄の分、家庭の事情で進学できなかった父の分、大学で一生懸命に勉強した。
家には居場所がないから、いつも課題はファミレスや大学図書館。授業とバイトで、サークルや恋愛なんかの暇もない。二つ年下で母親と同じくリサの一家を軽蔑し続けていた従妹は同じ大学の受験に失敗したらしく、同じ屋根の下に暮らしてはいるが自分だけ苗字も違うし、知ったこっちゃない。塾講師と家庭教師のバイトでお金も少しずつ貯まってきたし、内定が取れたら、すぐに伯母の家を出ようと決めていた。
そして就職活動の時期が来た。今日はいよいよ、あの窓の向こうに本社ビルの見える第一志望、株式会社ロックテムズの面接だ。お父さんが褒めてた我が国のテクノロジーの第一線を走る一流企業。お兄ちゃんも目指してたっぽい会社。お母さんが勤めていたらしい会社。面接が終わったら、みんなの月命日のお墓参りに行くんだ。
8番席でリサがぽつんと待っていると、やがて廻くんはお店にやって来た。リサはホッとして笑みを浮かべる。でも廻くんはやっぱり元気がなさそう。セルフのお冷のグラスを持ちながら、ひょこひょこと片足を引きずって、いつもの7番席に座る。隣りの席でちゃんとその7番席を他のお客から守ってあげてたんだからね、ちょっとは感謝してよね。リサは何故かちょっと誇らしげ。
この1ヶ月、彼のSNSを隅から隅まで調べ回ったから、廻くんのことはよく分かる。
ご両親は既に他界している上、2年前に事故に遭ってお姉さんと妹さんも亡くなり、廻くんだけが奇跡的に助かったんだよね。
いつもお冷なのは、事故の後遺症で足が悪くて、いちいちドリンクバーに立つのが大変だったからだよね。
SNSをやってるのは、亡きお姉さんと妹さんへの日報だったんだよね。
「めぐ」というアカウント名はネカマじゃなくて、生前のお姉さんや妹さんに本名を略してそう呼ばれてたからなんだよね。
「Yノ先輩」とは姉のように慕う実在する夢野先輩という同僚のことだけど、度々アップされてた女性の写真はどれもその夢野先輩ではなく、お姉さんの「柚芽乃さん」の生前の写真だったんだよね。
パフェをよく食べているのは、スイーツ大好きだった生前の妹さんに「大学に入学できたらお店のスイーツを全制覇しよう!」って約束してたからなんだよね。
でも、ここのファミレスは期間限定のパフェをいろいろ出してくるから、いつまでも全制覇できなくて大変なんだよね。
今まで、いろいろと誤解しててごめんね。
本当に、ごめんね。
お冷を前に、うつむいたままの廻くん。月命日のたびにそんなに暗くなっちゃって。涙なんてとっくに枯れたこっちも、なんか悲しくなっちゃうよ。
「あ、あの……!」
「……?」
「……!」
リサは我に返って焦る。無意識のうちに立ち上がり、7番席の廻くんの真正面に立って、履歴書を手にしたまま廻くんに声をかけてしまっていたのだ。廻くんは目を丸くし、こちらの目を見つめたまま。リサの顔は一気に紅潮する。何か、何か話を繋げなきゃ。
「あの……、少々よろしいでしょうか」
「あ……、はい」
「私のこと……、分かりますか……?」
「えっと……、ごめんなさい、どこかでお会いしましたでしょうか」
廻くんは、思い出せず申し訳なさそうな表情で、首をすくめている。
(そっか……。やっぱり、いつもずっと隣りにいたこと、全然知られてなかったんだ……)
リサは自分の存在に全く気付かれていなかったことを確認できて、肩を落としかける。しかし、逆に何かが吹っ切れて、思い切って話を続ける。
「あの……、私、いま偶然隣りの席に座ってた大学生なんですが……、現在就職活動中で、この後にも面接があるんですけど、その……、大学の研究が忙しくて合同説明会とか行けてなくて、サークルとか入ってないから話を聞けるOBやOGもいなくて……、もしお時間あったら、お仕事のお話とか、ほんの少しでもいいので、聞かせてもらったりしてもいいでしょうか……」
リサは顔を赤く沸騰させながらも、真っ白な頭の中から何とか言葉を矢継ぎ早に絞り出す。廻くんはかなり驚いてキョトンとしながらも、目の前の席を手で示し勧めた。
「出社時間まででもよかったら、いいですよ。どうぞ」
「あ……、ありがとうございます。失礼します」
リサはパッと笑顔になって、廻くんの真正面のチェアに座る。恥ずかしさよりも、久々に大好きな7番席に座れたことに、ジーンと妙な感動を覚えている。
「えっと……」
廻くんが何か言おうとしたのを遮って、リサは思い出したように廻くんに言った。
「あ、あの、その前に一つ、いいでしょうか……」
「はい」
「その……、何かデザート、注文していいですか……」
赤面しながら、呟くようにリサは言った。朝にスイーツを食べていない廻くんなんて似合わない。でも「注文しないんですか」とは言いづらい。だから、自分から注文するテイでつい言ってみた。
廻くんは一瞬唖然とするも、何か力が抜けたのか、フッとにこやかな明るい笑顔を見せた。立てかけていたメニューブックを手に取って、嬉々として開いて見せる。
「いいですね、朝のデザート! 何にしますか」
「えっと……、じゃあ……、ミニアイスで……」
恥ずかしそうに遠慮がちに言って、先ほど座っていた隣りの8番席のQRコードに手を伸ばそうとするリサを、廻くんは制して言う。
「ここのお店、パフェが美味しいんですよ。ストロベリーフロマージュパフェとか特に。ここは社会人の僕がおごりますから、パフェ食べませんか、パフェ」
廻くんは何だか嬉しそう。リサもとっても嬉しくなってきた。
「いいんですか?」
「もちろん。何でもいいですよ」
「じゃ、じゃあ、お勧めのストロベリーフロマージュパフェで……」
「僕は、マスカルポーネクリームのティラミスパフェにしようかな。あの、よかったらストロベリーフロマージュパフェ、妹もすごく大好きだったパフェで、僕もものすごく好きなので、少し分けてもらってもいいですか」
「は、はい、もちろんです! でも、私もマスカルポーネクリームのティラミスパフェ、字数多くてすごく気になってたので、ちょっと食べてみたいかも……」
「ぜひぜひ。美味しいんですよこれ。よかったらシェアしましょう」
「わー。これぞ、シェアリングエコノミーですね」
「はは……。ちょっと違うかも」
「えへへ……。あの、ドリンクバーでコーヒーとかはいかがですか。私も飲むので、何でも取ってきますから。私のほうがドリンクバー近いですし」
「本当ですか。すごく助かります。実は足が悪くて。ホットブレンド、お願いしてもいいですか」
「もちろんです!」
ドリンクバーからホットブレンドコーヒーを2人分持ってきた。その間に、8番席に置いたままだったリサのドリンクバーの伝票が、カイくんの手元にさりげなく移っていて、リサは恐縮する。きっと妹さんにも優しいお兄さんだったんだろうなと想像できてしまう。
注文した大きなパフェも2つ来た。仕事の話をしながら、大学の話をしながら、勘違いしたビジネス用語の話をしながら、たくさんたくさんいろんな話をしながら、パフェを楽しむ二人。
廻くんがロックテムズの社員だということも、リサは調べているうちにうすうすは気付いていた。でも、だからすり寄ったというわけじゃない。廻くんは人事部じゃないし、平社員。面接に影響ある人ではないだろう。リサは絶対に実力で面接を突破して見せると意気込み、廻くんはがんばってと応援してくれる。
リサは忘れかけていた最高の気分に浸っている。幸せな気分に溺れさせられる甘い刑に処せられているようだ。今までずっとイライラしてきたことは、いったい何だったんだろう。枯れてた涙が、なぜかまたあふれそう。悲しい涙と嬉し涙は、別なのだろうか。
どれだけネットを調べたって、どれだけ事典を調べたって、分からないことはあるんだ。「リサーチリサっち」は調べれば何でも分かるんだと豪語してたけれど、「亡きお母さんに会う方法」も「父と兄が死ななければならなかった理由」も、何度も何度も調べたけど当然分からなかった。
もっとある。家族を失った悲しみの深さも、楽しく分け合うパフェの美味しさの喜びも、偏見や思い込みの先の真実の大切さも、やり甲斐のある会社で働ける喜びの大きさも、人と最高の時間を共有できる幸せの意味も、調べるだけじゃ分からない。
調べたい、だけじゃダメなんだ。もっともっと自分から行動して、もっともっと人と時間を分かち合って、もっともっと人と会話を交わし合って、もっともっと理解し合わないと分からないことが、世の中にはたくさんたくさんあるんだ。リサは深く想った。いつの日か、あの伯母の一家を許せる日も来るのかな。
日々記憶は薄れるけれど、今も鮮明に思い出せる。たった一度だけ、父と兄とパフェを分け合ったあの日のこと。今、まさにその同じテーブルで、私はまた人とパフェを分け合えてる。またこの席から、新しい人生が広がるのかもしれない。きっと、そうだよね。
ここは私の、私たちの、大事な大事な7番席なんだ。
■リサが廻くんから直接教わったビジネス用語
「シェアリングエコノミー」
モノや場所、スキルなどの資産を個人や企業が共有し合うことで、効率よく活用し合う新しい経済の形。
<おわり>
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