第1話:先輩美女と一緒に、オンボーディング?
(あああっ! またこいつ今朝も、私の大好きな7番席にぃぃっ!)
リサはファミレスに入るや、すぐにお目当てのテーブルに駆けつけたものの、悠々と座っている男を見て、いつものようにイラッとしている。
(なんでこいつはいつも、私の愛する7番席を占領するわけ? 他にも空いてる席、いっぱいあるじゃんっ!)
リサは心の中でいつものように叫びながらも、完全に当てつけで、その隣りの8番席にドスンと座った。
早朝6時台のファミレスはガラガラだ。リサはいつも早起きして、大学に行く前にここに寄って、授業前までノーパソをいじっているのが一番の楽しみ。それが一日の授業やバイトを乗り切る活力になる。
ここには朝5時から10時まで注文できるモーニングがある。リサはいつも玉子雑炊セット。本当は飲み物だけでいいのだが、ドリンクバーの単品が469円なのに、モーニングの玉子雑炊セットは299円でドリンクバー付き。雑炊がついてきたほうが安い。どういう価格設定なんだ。
店の奥の角席の7番テーブルが、リサのお気に入りだ。広い窓だらけの見通しのいい店内で、二方向を壁に囲まれてPC画面を覗かれる心配のない孤島エリア。広い4人席だけど、早朝はお客が少ないので一人で使っても問題ないですよと、店員さんにも確認済み。そして何より、ドリンクバーが近い。
リサは高校生の頃から、その7番席が朝の定位置だった。高校時代はお小遣いにも限りがあって毎朝は無理だったけど、大学生になってバイトを始めてからはほぼ毎朝入り浸り。ところが今月頃から、いま目の前に座っているこの男が、やたらここに座るようになった。
小綺麗なネイビースーツ姿の若い男性。多分会社員だから年上なのだろうが、爽やかな短髪、顔はあどけない感じで大学生の自分と同学年と言っても信じてもらえるんじゃないか。まあ清潔感はあるし、おとなしいから、よく8時過ぎから集団でやってきて、やたら社会への文句を言い合ってる定年退職後の散歩サークルみたいなクッソうるさいオジサマ集団よりははるかにマシだ。あいつらホント何なん。早々に免許返納でもしてほしいよ。
この若いリーマンがいつも、リサのお気に入りの7番席に陣取って、ノートPCを使ったり資料を広げてメモを取ったり、お仕事の準備っぽいことをしている。出社前のルーティンなのだろう。
そして、いつも優雅にパフェなんか食べている。今日なんてストロベリーフロマージュパフェだ。数あるデザートメニューの中でも高めのやつ。しかも飲み物はお冷。
(あんたはドリンクバー頼んでないんだから、別にその席じゃなくてもいいだろっ。朝からその席でそんな豪華なパフェタイムしちゃって。当てつけか。フロマージュって語感で選んだだろそれ。飲み会でアヒージョって言ってみたかっただけで食べもしないアヒージョ注文する奴かよ)
隣りの8番席に座ったリサは内心で文句を言いながら、愛用のノーパソをテーブルに広げる。ここは7番の4人席と違って、2人席の小さいテーブルだ。4人席だらけの店内でわざわざここに座るのは、ただただこの男性への無言の抗議。こっちも当てつけ。でも、彼は全く気にしていないようで、なんならニコニコしながらお仕事してて、ときどきパフェを食べてる。朝からパフェを食うな。
注文終えてドリンクバーから温かなカプチーノを注いで持ってきたリサは、一口飲んでホッと落ち着くと、赤いヘアピンで前髪をすっきり留め直して、男性のテーブルをチラ見しながらニヤッと笑う。
(ふっふっふ。私の聖域7番テーブルを占拠する征服者コンキスタドールくんよ。キミのことは既に調べさせてもらってるよ。カイくんというお名前であることも、超美人な先輩社員に憧れていることもね)
不敵な笑みを浮かべたまま、リサはカチャカチャとキーボードを叩く。
画面に表示されたのは、有名な大手SNS。アカウント名は「めぐ」と書いてある。リサは隣りの彼に画面を見られないように、PCの角度に気を配る。PCがボロくて画面のヒビが恥ずかしいというのもある。背面に貼ったトラのステッカーもダサいけど。
リサは調べたがりだ。幼少の頃から何でも調べたがった。何なら苗字も「白辺」と書いて「しらべ」だ。白辺リサは、気になることがあれば、何でも調べる。同級生どもを尾行して恋愛相関図も作ったし、先生が説明を濁した怪しい単語も中央図書館に行ってでも調べた。母親が作ったというキャラ弁を毎回自慢する男の子の弁当箱を、先に見てみたくて中休みに勝手に開けてキモがられた過去は忘れたい。
パソコンを手に入れてからはネット検索しまくり。検索力があるのか洞察力があるのか、難なく情報に行き着いてしまう。スマホの小さな画面でちまちま調べるのは慣れてなくて苦手で、一度に大量の情報が目に入るパソコンのほうが好きだ。気になるアイドルの住所を特定するのも、ニュースで見た暴走事故の加害者の素性を突き止めるのもお手のもの。かといって晒したり拡散したりするわけでもなく、ただ情報に行き着くのが楽しいだけ。
(ふっふっふ。「リサーチリサっち」の二つ名の私に、突き止められないものなどないのだよ。キミはその7番席を秘密基地のように思ってるかもしれないが、キミのアカウントはこうやって私の前に晒されていて、キミの秘密は丸見えのダダ漏れなのだよ)
心の中でほくそ笑むリサが覗いている画面には、彼のものと確定したSNSのアカウントが表示されている。アカウント名は「めぐ」。
(何が「めぐ」だよ、涼しい顔して、ネカマやってんじゃないわよっ。キミの本名は「シラベドコロ カイ」だってことは、もう調べがついてんのよ。あ、もしかして、憧れの先輩女子の名前をハンドルネームに無断使用してるとか? わー、きもー。カイくんとやら、キミは神席で朝から呑気にパフェなんか食ってる場合ではないのだよ。恥ずかしがってあっちの24番席あたりに移るべきなのだよ。そして明日からそんな豪華パフェは慎んで、139円のキッズアイスを注文して。それは小学生以下限定のメニューですって怒られるの刑に処されるがよいよ)
リサは謎の優越感に浸りながら、隣りの男性のアカウントをマジマジと見ている。ひとり羞恥プレイ。こっそり隣りの席をチラ見すると、彼のPC画面には、小さな文字はよく見えないけど、明らかにリサが見てる画面と同じレイアウトが映っている。今まさに、何かを入力しているところ。どれどれ。
めぐ『昨晩は、Yノ先輩と一緒にオンボーディング。初めてのことでドキドキ。みんな、定着してくれるかな』
キタ━━(゚∀゚)━━!!。リサの見ている画面に、彼が入力した投稿が現れる。彼の過去の投稿から、「Yノ先輩」というのは彼が憧れる「夢野先輩」という超美人な先輩女子だというのは、既に判明済みだ。イニシャルごときで隠したつもりになるなよ。リサの推理が始まる。
(夢野先輩と一緒にオンボーディング? オンボーディング……って何だ? 先輩って、例の超美人な憧れの先輩よね。美人と一緒にやることといえば……。ちょ、初めてでドキドキって書いてるじゃん? 何の初体験だよ。夢野先輩、キモネカマのめぐっぺが貴女を狙ってますよ。
オンボーディングだから、原型の単語はオンボードだよね……。ボードの上か。サーフボードかな。いや、サーフィンは男女が一緒にボードの上に乗るようなスポーツじゃないか。一緒に乗るボード……。まさか、まさかボードって、ベッドか何かの隠語なのかっ。オンベッドなのかっ。オンベッド→オンバッド→ウォンバット→オンボット→オンボードの5段活用なのか? 動物挟まったが。
そう言えば、機械オタクの兄が「オンボ」とかよく言ってたっけ。あれもオンボードだったはず。マザーボード基板にチップがどうとか……。そもそも、マザーボードって何よ。母親になるためのボード? 母親になるためってことは、結局そっち方面ってことなの? いや、今はマザーボードとファザーボードは関係ないから一旦忘れよう。
あ、最後に「みんな、定着してくれるかな」と書いてるけど。定着……ってどういうことよ。定着って、そこに根を下ろして動かないってことよね。そこにしっかり定着する……、接着する……、着床する……、着床? 着床させること言ってんの? じゃあ「みんな」って何なのよ。漂っているやつ、全部? 夢野先輩、大丈夫なの? 病院に付き添おうか?
そんな自称メグ本名カイを野放しにすると危険なので、オンボーディング罪で逮捕してもらおう。そして毎回パフェ来たら上のフルーツ絶対落ちちゃうの刑に処されるがよいよ)
リサの推理、というか妄想洞察が止まらない。
確かに何でも調べちゃう行動力は、リサの大きな長所である。しかし、リサには困った短所もある。その情報に辿り着いちゃうと、そこで勝手に妄想が暴走しちゃって、そこからさらに詳しく調べるってことを忘れちゃうのである。妄想は完全に脱線しているのに、肝心の核心部分を調べ忘れてしまうのが、リサの惜しいところである。
リサは今日も妄想で通学時間が来てしまい、左腕につけた黒のスケルトンウォッチで時刻を見て焦る。本当の意味を調べる余裕がなくなってしまった。ふやけすぎたぬるい雑炊をかっ込んで、お会計に立つ。おかわり自由のドリンクバーなのに、カプチーノ1杯だけしか飲めてない。もっとアイスティーとか飲みたかった。
彼女は帰宅後に調べ直すまで、結局辿り着いていなかった。オンボーディングとは、新たにチームに加わった人材に、定着率の向上や離職率低下のために、チームに馴染んでもらうプロセスを表すビジネス用語であるということに。
そして彼女はいまだに分かっていなかった。「めぐ」を名乗るネカマの「シラベドコロ カイ」くんだと思っているその男性の本名が「調所 廻」、「ずしょ めぐる」だってことを……。
■リサが帰宅後に学んだビジネス用語
「オンボーディング」
新加入の社員やメンバーが、仕事に慣れたり定着してくれたりするよう、きめ細やかな支援や手ほどきをしてあげること。
<第2話へ続く>
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