指輪の起動と“メール”という記憶の影
寝室に足を踏み入れると、桃色のセミダブルベッドが目に入った。
その横を通り過ぎながら、私は部屋の奥……
同じく桃色の一人用ソファと小さな机。
そして、一人で使うにはやや大きすぎるクローゼットの方へと歩いていく。
歩きながら、身に着けていた装備、マントや革の胸当てを外し、右手に抱えた。
クローゼットを開け、中に装備を丁寧に収めると、私は布の服と革のブーツだけという軽装になって、ふと部屋の中を見回した。
(……窓、ないんだ)
調理台がある部屋にも窓はなかったけれど、どうやらこの寝室にも同じく窓は存在しないらしい。
「何階なんだろうな……」
少し気になっていただけに、外の景色が見えないことに、ほんのわずかに、残念な気持ちを抱いた。
私はソファに腰を下ろし、目の前の机の上に置かれた紙の束を手に取る。
(……これがマリアさんが言っていた、“マニュアル”か)
一枚一枚、パラパラと目を通していく。
そこには、
・養成所の歴史
・施設の使い方
・地図
・道具や武器・防具の扱い方
などが、細かく記載されていた。
(あっ、これか)
最後の一枚をめくったところに、ひときわ短い説明があった。
初期起動方法
指輪にありし輝石に触れ、
「オン」と唱えよ。
たったそれだけの文だった。
でも、それは確かに――
私の“冒険者としての本当のスタート”を告げる言葉に思えた。
「オン」
私は、マニュアルに記載されていたとおりに、左手の指輪にそっと触れ、言葉を唱えてみた。
起動完了。
目の前に、薄赤色の板状の光がふわりと浮かび上がる。
そこには「起動完了」と文字が表示されて、次の瞬間、すっと消えてしまった。
「えっ……?」
あまりにあっけない出来事に、私は思わず戸惑う。
現れたと思ったら、すぐに消えてしまった“板”。
あれは一体……何だったのだろうか。
もう一度、マニュアルに目を通してみたけれど。
指輪に関する情報は、起動方法しか書かれていなかった。
(どうすればいいんだろう……)
――そのときだった。
ブルブルッ。
突然、左手の指輪が小さく震え、
同時に、赤く点滅を始めた。
そして、再び目の前に薄赤い板が浮かび上がる。
お知らせ:メール 1件
【開く】 【閉じる】
「……メール?」
聞き慣れない言葉に、私は首をかしげた。
“メール”って……何?
意味はわからない。だけど、どこかで……
そう、どこかでこの言葉を聞いたことがあるような……
でも、その“どこか”が思い出せない。
頭の奥が、もやに包まれているような感覚。
(……なんだろう、この感じ)
板は今も、まるで私の反応を待っているかのように宙に浮いていた。
操作方法も、何をすれば良いのかもわからない。
だから私は、とりあえずその“板”に指先で触れてみることにした。
……不思議な感覚だった。
触れているはずなのに、感触がない。
温度も、硬さも、まるで何も感じない。
ただ、私が触れた場所だけが、ぼんやりと淡く光っていた。