静けさの向こうに、何かがいる
カイルと別れた私は、再び草原の奥へと歩き出していた。
朝露はもうすっかり乾き、草の緑は太陽の光を反射してきらきらと輝いている。けれど、どこか昨日とは違う。空気が、張り詰めている。
草を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
……静かすぎる。
耳を澄ませても、鳥の声や虫の羽音ひとつ聞こえてこない。まるで周囲の命が、息をひそめているようだった。
私は立ち止まり、辺りを見回す。視界は良好。隠れるような木立も、このあたりにはほとんどない。
なのに、何かが潜んでいるような、そんな気配だけが残っている。
ばさっ。
遠くの草むらが揺れた音に、反射的に弓に手が伸びた。だが、何かがいた気配はすぐに消える。慎重に近づいてしゃがみ込むと、そこには複数の小さな足跡が残されていた。
……スモッグラット? けれど、数が多い。単独行動を好むはずの魔物が、群れになって逃げたような痕跡。
「……逃げた?」
その足跡は、何かから逃げるように、一方向へ集中して伸びていた。
胸の奥がざわつく。
強い存在が近くにいれば、弱い魔物たちは本能的に距離を取る。それ自体は珍しくない。けれど……この空気。この静けさ。そして、スモッグラットが群れをなしているという不自然さ。
その瞬間、ずきんと頭痛が走った。目の奥が軽く締めつけられるような感覚。
「……気のせいだといいんだけど」
つぶやいて、私は草をかき分けるようにして数本の薬草を採取したところで、風に流れる視線のような気配を感じ、背後を振り返った。
何も、いない。
それでも、私は奥へ進むのをやめた。魔物が去っていることを実感しながら、警戒を解かずに平原の入り口へと戻る。
そして……
「ひぃっ!? ちょ、ちょっと多くないかっ!?」
遠くからカイルの悲鳴が聞こえた。
急いで駆け戻ると、彼の周囲に集まっていたのは、なんと五体ものスモッグラットだった。
「……入り口に群れって、さすがにおかしいでしょ……!」
私はすぐに弓を構え、戦闘態勢に入る。
────
ひとまずカイルの背後に回り込む。
「大丈夫!? やられてない?」
「う、うん! でも……囲まれそうで焦った!」
カイルは大剣を両手で握り直し、息を整えていた。彼の額には薄っすらと汗がにじみ、必死さが伝わってくる。
「じゃあ、私が囮になる。弓で引きつけるから、カイルは動きが止まったやつを狙って!」
「ま、任せた!」
私は素早く矢を番え、スモッグラットのひとつに狙いを定めて放つ。矢はその鼻先すれすれをかすめ、敵の注意が一瞬こちらへ集中した。
「今っ!」
「うおおおおっ!」
カイルの大剣が風を切り、スモッグラットの一体を真っ二つに両断する。霧のように消えた魔物の跡には、赤く光る輝石と灰色の毛皮が残された。
私はすかさず次の矢を番える。スモッグラットたちは驚いたように散開したが、冷静に追い打ちをかけていく。
二人の連携は思った以上にうまくいった。訓練のときには想像できなかったくらい、カイルの動きも安定していく。
全てのスモッグラットを倒し終えた頃、私たちは地面に散らばる素材を拾い集めていた。
「ふぃー……まさか、こんなに一気に来るとはな」
「珍しいね、入り口にこれだけの数が出るなんて。普通、もっと奥にいるはずなのに」
「だよな。今日はなんか、いろいろ変だ……」
カイルが集めた素材を確認している間、私は軽く息を整える。
「じゃあ、私はこの素材を持ってギルドに向かうね。カイルは?」
「もうちょっとだけやってく。せっかくコツつかめてきたし!」
笑顔で手を振るカイルを見送り、私は指輪に触れて冒険者ギルド前の転移陣へと向かった。
────
ギルド前に転移した私は、すぐに受付へ向かった。
見覚えのある女性職員が、いつものように笑顔で迎えてくれる。
「お疲れさまです! 今日は何をお持ちですか?」
「クレハ草三束と、スイセ花を少し。それと……スモッグラットの素材です。さっき、まとめて3体分」
「3体分!? すごいですね、今日はスモッグラットの報告が多いですよ~。でも、そんなに一気に狩れるなんて!」
彼女は手慣れた様子で素材を広げていき、査定を始める。
「スイセ花、これは珍しいですね。最近はなかなか出てこないので、ちょっと高めに見積もらせていただきます」
「本当ですか?」
「ええ。調合師さんたちが欲しがってましたし、保存状態もいいです。……はい、では本日の換金額は――」
光の板に、数字が浮かび上がる。
「2840リルになります!」
「……良かった。昨日より多い」
「スイセ花とスモッグラットの量が効きましたね~」
私は素材リストを確認しつつ、小さくガッツポーズを取る。
《現在の所持金:780リル → 780+2840=3620リル》
これで、手持ちは780リルから……3620リル。あと少し。
診察代まで、残りは1380リル。明日も同じくらい稼げれば、ようやく治癒院に行ける。
「そういえば、今日はスモッグラットしか持ち込まれてないですね。他の魔物の素材は、今のところ誰からも……」
「え?」
私は顔を上げた。
「なんだか、平原の奥のほうに誰も行ってないみたいなんです。皆さん、入り口でスモッグラットばっかり見かけたって」
「……やっぱり」
私は、草原の異常な静けさと、逃げるように伸びていた足跡を思い出す。
あれは偶然じゃない。
何かが、いる。




