草原の向こうに揺れる記憶
依頼票を手に、私はもう一度カウンターへと足を運んだ。
「こちらの依頼、受けたいです」
そう告げると、先ほどの女性職員が笑顔で頷いた。
「はい、薬草採取ですね。【ドーム東】の指定エリアに群生している《クレハ草》を十束集めてください。報酬は400リル。場所は指輪に登録されてますから、転移で向かえますよ」
そう言って手渡された小さなメモには、薬草の特徴と注意点が書かれていた。
《クレハ草》:細長い葉が特徴。ほのかに甘い香りを放つ。似た雑草に注意。
※周囲にスモッグラット(小型モンスター)が出没する場合あり。警戒を怠らぬこと。
「モンスター……いるんですね」
「はい。でもご安心ください。ここは初心者向けのエリアですし、訓練所での経験があれば、問題ないと思いますよ」
そう言ってくれたけれど、不安が消えるわけじゃない。けれど私は、決意を込めて頷いた。
400リル……今日の家賃500リルを引いても、少しは残る。やらなきゃ
「……行ってきます」
「お気をつけて。ご無事のご帰還を!」
─────
ギルドを出た私は、ギルド前にある転移陣へと足を運んだ。
中央に埋め込まれた赤い輝石の上に立ち、意識を指輪へと向ける。
《転移先選択:自室/始まりの洞/冒険者ギルド前/ドーム北/ドーム東/ドーム南/ドーム西》
私は「ドーム東」を選択し、深く息を吸い込んだ。
ここまでは、何度もやってきた。大丈夫……
転移の光が体を包み、目を閉じた瞬間……
風が変わった。
次に目を開けたときには、私はドーム東の転移陣に立っていた。
外の景色が、目の前に広がっている。ドームの壁を挟んで、その向こうには、見渡すかぎりの草原。
草は風に揺れ、遠くに森の影がかすんでいる。静かで、穏やかな風景。
初心者向けだと、ギルドの人が言っていたのも納得だ。
私はゆっくりと転移場を離れ、ドームの膜へと近づいていく。
怖くない。怖くなんて……
そう言い聞かせながら、私は一歩、ドームの膜に足を踏み入れた。
その瞬間だった。
視界が揺れる。
土の匂い。湿った空気。小さな足で草をかき分け、どこかへ向かって必死に走っている。
息が切れて、胸が苦しい。怖くて、涙が止まらない。
ここがどこなのかも、どうしてひとりなのかも、わからなかった。
ドームの壁……その膜が目の前にある。
私は、気づけばそこを越えようとしていた。気づけば、肩までが膜を通過していた。次の一歩で完全に、外だった。
あと少しで、完全に出てしまう。
「何をしとるんじゃ!」
鋭い怒鳴り声が飛ぶ。
その声と同時に、片腕をぐいと掴まれる感触。
私は勢いよく内側へと引き戻され、どすんと尻餅をついた。
見上げた先には、年配の女性がいた。
その顔は、はっきり見えない。
でもその声だけは、どこか懐かしい。
その直後、ずしん、と地響きのような音が響く。
見ると、ドームの外側……さっきまで自分が立っていた場所に、牛のようなただれたモンスターが突進してきて、ドームに激突していた。
あれは……
その光景が焼きつくより早く、視界がぐらりと揺れて……
私は、現実へと戻っていた。
ドーム東。今、自分が立っている場所。風に揺れる草原の、ただの入り口。
「……え……?」
声が漏れる。
私は思わず頭を押さえた。ずきん、と鈍い痛みが走る。
あれは、夢? 幻?
でも……現実感がありすぎた。
今のは……私の記憶? でも、こんな記憶、知らない……
混乱の中、私は足元を見下ろし、そしてもう一度空を見上げた。
この外の世界に、私は今日初めて踏み出した。
そのはずなのに。なぜか「知っている気がする」。
記憶の底で何かがかすかに揺れている。
それでも、今は立ち止まっていられない。
痛む頭に手を当てながら、それでも足を前へと踏み出す。
目の前に広がる草原。その先にある、採取ポイントを目指して。
そうしなければ、生きていけないのだから。




