目を開けたまま寝る男と、はじめての交流
教官は教室前方に立ち、静かに口を開いた。
「名乗るのが遅れたな。俺はこの教室を三日間担当する教官だ」
落ち着いた声だった。
「名前はオルド・グラン。もともとは前線任務の専門だったが、今は訓練生の育成に回っている。よろしく頼む」
そう言って、彼は全員を見渡すように目を細める。
「さて、次は君たちの番だ。名前と、養成所に来た目的を簡単に言ってくれ。過去の話は不要だ。必要なのは今と、これからだ」
最前列の青年に視線を向けて続ける。
「じゃあ、そこの君から順に立ってくれ」
最前列に座っていたのは、がっしりした体格の若い男性だった。
「カイル・ブランド。強くなりたいってのと、まあ……食う寝る住むには困らなそうだったから」
どこか飄々とした言い方だったが、それが彼なりの本音なのかもしれない。
続いて立ち上がったのは、眼鏡をかけた細身の青年。
「エルマー・ヴァイン。知識がどこまで実地で通用するか、それを試しに来た」
静かながら、確かな意志が伝わってくる声だった。
三番目に、私の番が来た。
「レイナといいます。……稼ぎたくて来ました」
思った以上に緊張したけれど、今の私にとっては、これがいちばん正直な言葉だった。
最後に立ったのは、小柄で柔和な雰囲気の中年男性。
「ボルド・メイスンと申します。家族のために、まだもう少し働ける体を手に入れたくて来ました」
照れくさそうに笑ったその声に、教室の空気がやわらかくほぐれる。
オルド教官はうなずき、全員を一瞥する。
「いい名乗りだった。では、午前の座学に入る。昼までしっかり頭を使ってもらうぞ」
そこから始まったのは、冒険者として最低限知っておくべき知識の数々だった。
このドームと養成所の仕組み、赤い輝石を使った技術、安全区域と危険区域の違いなど、多岐にわたる内容。
教官は難しい言葉を避け、図解や例えを交えて説明してくれた。
私は、できる限りノートに書き写していく。
(……覚えること、多いな……)
隣の席のエルマーは、迷いなくペンを走らせていた。ちらりと見えた字も整っている。
一方で、前方のカイルの姿に私はふと目を留めた。
(……あれ?)
彼は、まったく動かない。
背筋を伸ばし、真正面を見据えて、目をぱっちりと……完璧に見開いているように見える。
(……でも、絶対に寝てる……)
明らかに焦点が合っていないし、瞬きすらしていない。
(あんなに目を開けたまま寝られる人、初めて見た……!)
しかも自然すぎて、教官すら気づいていないようだった。
私は笑いそうになるのを堪えて、再びノートに視線を戻す。
やがて教官が手元の板を操作し、最後の講義資料を閉じる。
「というわけで、今日の午前の座学はここまで。午後は自由時間だ。無理はするな。初日から飛ばしても疲れるだけだからな」
そう言って、オルド教官は資料をまとめて教室を後にした。
エルマーはすぐに立ち上がり、何も言わずに教室を出て行く。
ボルドは私に会釈し、穏やかな笑顔で扉の方へ向かった。
私はノートを閉じ、教室を見回す。
(……あれ? カイルさん、まだいる)
彼は朝と同じ姿勢のまま、ピクリとも動かない。
(まさか……ずっと寝てたの!?)
私はそっと彼に近づき、恐る恐る声をかける。
「……カイルさん?」
反応がない。
「もう授業、終わりましたよ?」
そっと肩に触れた、その瞬間……
「うわっ!?」
勢いよく椅子から跳ね上がるカイル。
「えっ!? 今、何時!? って、先生どこ!?」
思わずくすっと笑いながら答える。
「全部終わって、先生も帰っちゃいましたよ。みんなも」
「え、うそ!? 俺……寝てたの!? レイナさん……だよね!? お願いだ、マジで教えてくれ!」
椅子に座り直しながら、半泣きの顔で懇願してくる彼に、私はふっと微笑む。
「……いいですよ。でもその代わり、次はちゃんと起きててくださいね?」
「うん、うん……頑張る……多分……」
教室に残されたふたりの笑い声が、小さな空間に心地よく響いた。
私にとって、訓練所での初めての交流は、ちょっと変わった青年とのこんな会話から始まったのだった。




