ひとりで過ごす、最後の朝
廊下を歩きながら、私は静かに息を吐いた。
昨日までの旅の疲れがすっかり取れているのは、あのふかふかのベッドと、空調の整った部屋のおかげだろう。
けれど、身体が元気でも、心は少しだけ落ち着かない。
(……食堂、どんなところなんだろう)
地図を頭の中でなぞりながら、案内に従って進む。
廊下は清潔で、ほんのりと赤みを帯びた光が優しく照らしていた。
まるで外の世界とは別の空間に来たような、静けさと人工的な温もりに包まれている。
やがて、「食堂」と書かれた表示板を見つけた。
その下には、小さな丸いランプが点灯している。
(ここ……で合ってるよね?)
扉に手をかけた瞬間、自動でスーッと開いた。
中に一歩踏み入れると、ふわっと鼻をくすぐるあたたかい香りが広がる。
パンの焼ける香ばしさと、スープのやさしい匂い。
誰かが準備してくれたような、心をほぐす香りだった。
食堂の中は広々としていて、整然とテーブルとイスが並んでいる。
窓はなかったけれど、壁際にはやわらかい光が灯っていて、穏やかな空間が広がっていた。
(……誰もいないんだ)
時間が早いのか、それともまだ訓練生が来ていないのか。
その静けさが、今の私にはちょうど良かった。
自動配膳機の画面で「朝食セット」を選ぶと、湯気の立つトレイが小さな窓からするりと出てきた。
白いパン、スープ、やわらかそうな野菜の煮物、そして温かい飲み物。
(……こんなにちゃんとしてるんだ)
思わず見惚れながら、私は静かに一番端の席に座った。
誰もいない食堂で、一人きりの朝ごはん。
でも、不思議と寂しさは感じなかった。
明日になれば、きっとこの場所もにぎやかになる。
たくさんの人が集まって、私もその中のひとりになる。
それまでは、もう少しだけ、この静けさをひとりじめしていたいと思った。
───
食堂を出た私は、赤みがかった廊下を戻って自分の部屋へと帰った。
食後の満足感と、ほんの少しの眠気が身体をゆるめていく。
ふかふかのベッドに飛び込みたくなる誘惑をなんとか振り払って、私は机に置いていたマニュアルを手に取った。
「訓練、明日からなんだよね……」
ぽつりと呟いた言葉に返事はない。
でも言葉にするだけで少しだけ、心が軽くなる気がした。
マニュアルには、訓練の開始時間や集合場所、服装の注意などが簡潔に記されていた。
それを読んでいるだけなのに、胸の奥がそわそわして落ち着かなくなる。
(どんな人たちが来るんだろう……)
私はまだ、誰とも顔を合わせていない。
同じ女子棟に誰がいるかすら分からない静けさ。
でも、明日になればきっと私はもう、「ひとり」ではいられなくなる。
それが少し怖くて、でもほんの少し、楽しみでもあった。
「よし」
私はマニュアルを閉じて立ち上がる。
荷物を確認して、明日の服を準備して、
もう一度だけ指輪の機能を復習しておこう。
何もかもが初めてで、不安だらけだけれど。
それでも、やってみるしかない。
私が、私として、ここで生きていくために。




