その恋は緑茶のように。
「貴女の事が好きです!
付き合ってください!!」
そう言いながら、目の前の少女は私に向かって手を伸ばした。
殆ど直角に腰を曲げ、体を震わせ……、
一体どれ程の勇気でその言葉を告げたのだろうか。
「君は…えっと一年生かな?
面識は無いと思うんだけど……」
「はい! 体育の授業をしている先輩を見て一目惚れしました!」
そうか……一目惚れ、か。
面識の無い人に告白されるのは、
不思議な気分になる。
昔から、そういう事は少なく無かった。
男女問わず、好意を向けられる。
友人曰く、そう言うオーラが出てるらしいとの事だが、
私には良く分からない。
……まぁいいか。
理由はともかく、私はその想いに応えられないのだから。
「すまない……私には君を幸せにすることは出来ない」
曰く。恋は良いもの、原動力で活力である。
だが残念な事に、私にはまだその感情は芽生えていない。
断られた後輩が悲しそうに涙をにじませる姿は、私の心を締め付けていく。
チクリと罪悪感だけが残るこの感覚はいつまでも慣れない。
同じ想いを返せない以上、了承するには誠意に欠ける。
だが、断ったら断ったで相手を悲しませてしまう。
板挟みで残酷な現実。
私みたいな女を好きになってしまったばかりに、彼女は傷付く事になったんだ。
「……どうか、泣かないで欲しい。
君は何も悪くないし、その勇気は立派だと思う」
私は、泣きそうな彼女を抱き寄せる。
激情をぶつけられたり、嫌味、妬みを言われるのはまだ良い。
だが、泣かれるのだけは苦手なんだ。
振られた相手に抱き締められても嬉しくないだろうが、
私にはこうする事しか出来ない。
昔、泣き虫だった私は、母親や友人からいつもこうされていた。
だからという訳では無いが、泣いている顔を見るとこういう行動に出てしまう。
褒められた事ではない癖。自制しようにも上手く行かないのが恨めしい。
『そんな風に抱き締めて心のケアをしてたら、
沼に堕ちる人が増えるよ!』
なんて良く友人は言っているが……。
あいつの言葉はたまに良く分からない。
それから暫く経ち、少女の方を見れば、
どうやら涙は収まった様だ。
少し頬を染めているから、恥ずかしいのだろう。
そんな彼女を見送って一人溜め息をつく。
時刻は昼休憩が始まったばかり。
食欲はあまり無い。
かといってやる事も無い。
じゃあ、このまま教室に戻るか?
……帰っても色々と聞かれそうだ。
ならばと、普段通らない道を通り、
普段使わない階段を上がる。
少しだけ疲れてしまった。
せめて、今くらいは……。
人が少ない所で一休みしよう。
そうしてたどり着いた場所は、
薄暗く、使われていない空き教室が並ぶ廊下。
人の気配が全く無いその場所は、
少しだけ怖いが、心を休めるには良いのかもしれない。
(ここならきっと……誰も来ない気がする。
良い事ばかりとは言えないが……)
一応、念のため。
近くに防災ブザーの位置がある事を認識して、
どうせならと奥まで歩く事にした。
(少しだけ埃っぽいが、意外と綺麗だな……定期的に掃除に来ているのだろうか)
そこそこ大きいこの学校は、掃除も一苦労だろう。
だが、業者か……はたまた教師だろうか?
生徒が掃除を行わない場所をしているらしい。
慣れてくれば意外とここで過ごすのもありかもしれないな。
なんて考えながら歩いていると、
奥に薄明かりに照らされた何かが見える。
「自動販売機……こんな所に?」
近づいてみれば、その正体は自動販売機だった。
廊下の奥隅、死角になっている場所で悲しく佇んでいる。
売り切れの表記は無いし、稼働もしている。
比較的新しめの機体だと思う。
だが、どうしてこんな所に……?
「……買う人は居るのか?」
品ぞろえに軽く目を通す。
一般的なものだが、種類が多い。
お茶、コーヒー、ジュース、水。
人通りが多い所に置いてあればさぞ人気になるだろう。
でも、現実は人知れず放置されてしまっている。
「そうだな……何かの縁だろう。一つ飲み物でも貰おうか」
なんとなく、自販機に話しかけながら硬貨を投入してみると、
ボタンに光が灯る。
良かった。どうやら無駄にならずに済みそうだ。
そこまで喉は乾いていないので、
小さなタイプの緑茶を選択すると、ガコンッと商品が出てくる。
「ありがとう。っと……あ、あれ……?」
取り出し口から商品を取ろうとしたのだが、
どうしてか上手く取れない。
プラスチックの蓋の建付けが悪いようだ。
「おいおい……ここまで来てそれはずるいんじゃないのか……?
まさか商品が取れない罠があるなんてな……」
こうなれば意地だ。何としてでも取ってやろう。
お金を払っている以上、多少は目を瞑って貰えるんじゃないか?
なんて思っていると、背後から声が聞こえた。
「そ、それ、コツがあるんですよ……」
「ひっぅ……」
急に聞こえた声に油断していた私は叫びそうになるが、
慌てて口を手で覆う。
そして、恐る恐る背後を見れば、
そこには長い前髪の女の子が佇んでいた。
「あっ、ごめんなさい……驚かせるつもりは無かったんです。
えっと……そうだ!
これ、私の生徒手帳で……えっと……決して怪しい人物じゃ……」
驚いた私よりもおどおどしだした少女は、私に生徒手帳を見せて来た。
何ともスムーズな動きだ。
彼女に促されるように、彼女の名前を見てみると、
つい言葉が漏れてしまった。
「百千円? 珍しい苗字だね……?
あっ、すまない! 別に変な意味では無くて」
「……ふふっ、大丈夫です。私も面白い名前だと思ってますので。
千百円の方がもっと面白かったんですけどね」
彼女は気にしていない風にくすくすと笑う。
どうやら、気を悪くはしていないらしい。
っと、いけないな、自己紹介されたなら返すのが筋だろう。
私は自身の手帳を彼女に見せる。
「氷室舞さんですか……強い苗字ですね……?」
「ふふっ……強い、か……。言われた事が無かった反応だ」
「あ、すみません……変な感想で……」
「いやいや。構わないとも。それに、お互い様な所もあるだろう?」
それから互いに笑いあうと、
これからよろしく、と握手をした。
「で……だ。百千さん。この自販機君の反抗期はどう対処すればいいのだろうか?」
私は、そういえば、と自販機を指さした。
彼は私が与えた硬貨を飲み込んだまま、報酬をよこさないのだ。
私の問いに、百千さんは自販機の前でしゃがみ込むと、
取り出し口を横にスライドさせる。
すると、蓋が少し浮いたのか、簡単にお茶を取って見せた。
「少しスライドさせると、蓋が開くようになるんですよ」
「成程……まさかその様な仕掛けになっているとは……」
「あっ、いえ……壊れてるだけですよ?
ここ、補充は来てくれているんですけど修理はまた別みたいで……」
補充は、他の自販機の余りを入れているから問題ないらしいが、
修理に関しては、あまり利用者が居ない事から直すより撤去の線が高いらしい。
道理ではあるが、少し勿体ないと思ってしまう。
互いに飲料を手にして、隣の部屋から椅子を拝借する。
帰る時にきっちり戻せば問題ないだろう。
彼女は椅子に座る事無く、窓から外を見ていた。
飲料片手にゆったりと過ごすその絵は、実に様になっている。
「君は、ここによく来るのか?」
「はい、穴場なんです。ここ」
疲れた時、休みたい時。ここに来れば自由になれる気がする。
窓を少し開け、手すりに体をもたれた彼女は、
隙間風で揺れる前髪を直しながら笑った。
前髪から少しだけ、彼女の瞳が見える。綺麗な瞳だ。
「そうか……それは、邪魔してすまないな」
ここはきっと、彼女のお気に入りの場所なのだろう。
ぽっと出の私が居ていい場所ではないのかもしれない。
だが、百千さんは、慌てた様に私を留めようとする。
「い、いえ! 良いんです。私一人の物ではないですし……。
それに……寧ろ、嬉しいです。
ここには誰も来なかったから。
氷室さんが来た事で、少しだけお気に入りを共有出来たみたいな」
その純粋な言葉に少しだけドキッとした。
何だろうか……少しだけ気恥ずかしい。
「……氷室さんは、どうしてここに?
教室とは結構離れてますよね?」
「……あー……少し一人になりたかったんだ」
私は、今日の出来事を話した。
彼女なら、言いふらしたりしないと思ったから。
話を聞いた彼女は、申し訳なさそうに、
「それは……私の方が邪魔だったのでは?」
「いや、大丈夫だ。一人になりたいというよりか、
落ち着ける場所が欲しかったから……問題ないよ」
それから、心地よい静寂と、時折の会話で時間を過ごす。
飲料の減り具合だけが、時間を教えてくれていた。
だが、終わりは必ず来るものだ。
残り少なくなった飲料をくるくる回していると、
チャイムの音が鳴る。予鈴の知らせだ。
「なんだか、あっという間に過ぎてしまったな」
と、彼女に話せば、「そうですねぇ」と返ってくる。
初めて会ったにも関わらず、すでに気の置けない友人にでもなったかの様だ。
「さて、名残惜しいけど行かないとね。
また、明日来てもいいかな……?」
実に有意義な時間だった。毎日来たいと思えるくらいには。
それに、彼女と過ごす時間も良かった。
そう思いながら、次の約束をしてみると、彼女は了承してくれた。
「はい。あっ……でも一つ言い忘れたことがあって……」
その時言われた言葉をちゃんと理解できたのは、
明日彼女に会ってからだった。
初めて会った、緑茶。
喉を通る互いの言葉は、疲れた心に染み渡る。
その恋は……、
寂寥感から来る苦さと、
明日また逢える約束をした時の、
甘い優しさが残る味だった。




