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【異世界恋愛2】独立した短編・中編・長編

ハニトラしてこいと言われたので、本気を出してみた

「お前には、この先重要な仕事は任せられない」


 ある日、上司である騎士団長ハワードから呼び出されたフィンレイは、突然にその事実を突きつけられた。

 ここ最近、仕事で大きなミスはなかったはずで、まさに寝耳に水である。

 さらに言えば、フィンレイは団員のみならず世間からも「謹厳実直・品行方正・模範的な勤務態度で、騎士の鑑」とまで言われてきた自負がある。

その評判に自惚れて(おご)らないようにしようと、常に自分を厳しく律してきたため、私生活においても不祥事などないはずだった。


「団長、讒言(ざんげん)でも耳にされましたか? 日頃の俺を知っているであろう団長の心証が、まさかそんなことになっているとは。いったい、どういうことですか?」


 フィンレイが柄にもなく感情を高ぶらせ、問い(ただ)す口ぶりになったのは、ハワードとフィンレイがただの上司と部下ではなく、義理の親子関係であったのも大きい。

 幼い頃に両親を亡くしたフィンレイを、伯父で侯爵のハワードが養子として引き取り、我が子同然に育て上げたのであった。フィンレイが十八歳で騎士団に入ってから、この五年間は家を出て寮暮らしをしているとはいえ、職場では毎日顔を合わせている。休暇になると「実家」に帰り、のんびり酒を酌み交わすこともある仲だ。

 公私ともに浅からぬ関係で、信頼を失うようなことは何もしていないはずなのに、どうして見放されてしまったのか。


 ハワードは、執務机の上で指を組み合わせ、眉を寄せて深刻そうな溜め息をついた。


「これは私の育て方にも問題があったと言わざるを得ないのだが……、お前のその清廉潔白過ぎる性格が問題なのだ。良い意味でまっすぐで、素直だ。だが、裏表がなさすぎて、私情を交えず複雑な判断を要する任務は不向きと言わざるを得ない」


「そんなことはありません! どんな内容であれ、それが任務であれば完璧に遂行します! 騎士の剣にかけて!」


 机の前に立ったフィンレイは、己の胸に手を当てて、猛然と言い切った。

 しかし、ハワードの反応は芳しくない。

 ちらっと上目遣いでフィンレイを見て、渋みのある端整な顔に悩ましげな表情を浮かべて低い声で言った。


「暗殺でも? 正々堂々としていない、騎士らしくないって言い出すんじゃないか?」

「……っ。いえ、任務であれば。自分の持てる限りの知識・技能を用いて対象者を確実に抹殺してきます。ぜひお申し付けください」


 一瞬怯んだものの、フィンレイは真に迫った調子で答えた。その顔は、すでに暗殺者のそれである。

 少しの沈黙の後、ハワードはもう一度深く息を吐きだすと、椅子の上で姿勢を正した。


「まあ、そうだな。暗殺であれば、できるのかもしれない。だが、うまくひとから情報を聞き出したり、うわさ話を流したりする諜報活動は? ……お前は、容姿が目立つからもともと隠密行動は不向きと言えば不向きなんだが」


 ハワードの視線が、フィンレイの顔に向けられる。

 漆黒の髪に、澄んだ琥珀色の瞳。顔立ちは精巧に整っていて品があり、身長はずば抜けて高い。よく鍛えた引き締まった体つきに、騎士団の制服が様になる。どこにいても人目をひく美丈夫であった。


 実際、女性たちから常日頃熱い視線を送られていて、上司で義父であるハワード宛に「便宜を図るように」と持ち込まれている縁談も多い。だが、本人は「断ってください」の一点張りである。「自分はまだまだ仕事のことしか考えられません。家庭を持つのは早すぎます」と。


 その考え自体はまったく問題はないものの、ハワードとしては「早すぎる」がいつまで続く断り文句なのか、若干気がかりなのであった。放っておけば、死ぬまで言いかねないのが、フィンレイという男なのだ。


 洗練された所作も王宮勤務の騎士の(たしな)みとして身につけていて、黙っていれば無骨さのない貴族の男だというのに、口を開けばいわゆる「脳筋」に近い仁義や精神論が飛び出す。

何かと思考が硬直化していて、人間関係や金銭に潔癖すぎるきらいがある。

 人に使われる立場で終わるのであればそれも個性のひとつかもしれないが、上に立つ者としての度量は不足しているように見える、それがハワードの偽らざる本音であった。

 ゆえに呼び出した上での忠告となったのだが、これを最後通告とするほど切羽詰まっているわけではない。

そのいくつか手前の、注意喚起の段階であった。


 しかし、なにしろフィンレイは一本気な男である。白か黒かが気になって仕方ない性質(たち)であり、曖昧な表現では心に響くところがない。ハワードとしても、気を引き締めて現実を突きつける必要があった。

 そのため、「何を言われてもまっとうします!」の決然とした表情を浮かべているフィンレイに対して、ずばりと用件を告げた。


「フィンレイに特別任務を命じる。お前の今後を決める重要な仕事だと認識し、真剣に取り組んでほしい」

「心得てございます」


 はきはきと答えたフィンレイに、机の上に伏せて置いてあった書類を差し出す。

 受け取ったフィンレイが目を通し、顔を上げて「まさか、この方を暗殺しろと?」と物騒なことを言い出したところで、咳払いをして任務の内容を口にした。


「殺しではない。その調書に書かれているご令嬢を籠絡してこい。いわゆるハニートラップだ。失敗したら後がないと思え。以上だ」


 * * *


 セルマ・ランスは伯爵家の一人娘である。

 父親の領地運営も商会経営も順風満帆、金銭的には何不自由なく育ち、上の兄二人は結婚して子どももいることから、跡継ぎ問題とも無縁。栗色の髪に水色の瞳で、顔立ちに派手さはないが子どもの頃から非常に可憐と身内の間では評判だった。

 母親を病気で早く亡くしたこともあり、父と兄二人はセルマを溺愛して甘やかして育ててきた。


 その一方で。

 敏腕経営者として音に聞こえた男たちは本質的に非常に厳格であり、わがままには容赦なく、その教育の賜物としてセルマは節度ある振る舞いを心得た、誠実な人柄の娘として育った。

 どこに出しても恥ずかしくない貴族のご令嬢として、これは将来が楽しみ――と、父と兄で口々に言い合っていたのもいまは昔。


 礼節をわきまえ、火遊びには興味も示さず、常に折り目正しい言動のセルマは、羽目を外すことなく粛々と年齢を重ねて、現在二十七歳。この国の貴族女性の、結婚適齢期からはすでに外れている。

 もちろん、当初は父も兄も縁談はすすめていたのだ。

 だが、セルマは首を縦にふることがなかった。


 たとえば、多くの貴族の令嬢が婚約を結ぶ女学校時代。


「友達が、婚約者と親密な関係になり、身ごもったというのです。卒業後は結婚するということですが、体がお辛いようで授業はほとんど欠席となりまして……。もしものことを考えると、私に婚約者はまだ早いように思いました。卒業後でも、良いのではないかと」


 これには、家族も同意せざるを得ない説得力があった。

 では改めてとそこで話は終わり、いざ卒業後。


 一時的に国中が不作で領地での税収が危機に陥ったり、商会経営も振るわずといった期間があり、家族一丸となって乗り越えよう! と一致団結した結果、セルマは伯爵夫人不在の家を忙しい父やすでに家を出ている兄たちに代わってしっかり守り抜いた。

それだけではなく、自分もできるところから手伝いますと商会に顔を出して経理業務などに携わっているうちに、めきめきと頭角をあらわし、家でも商会でもなくてはならない存在となった。


 そして、またたくまに数年が過ぎた。

 気がついたときには、すでに行き遅れの年齢になっていたのである。

 なお、本人はまったく意に介しておらず、父であるランス伯爵がたまに水を向けても楽しげに笑うばかりであった。


「私も、気づいていなかったわけではないんですよ。でも、屋敷の管理も商会の仕事も楽しかったですし、伯爵家は兄様が継ぐわけですから、私に子どもがいなくても問題はないわけですよね。それに、この年齢では、良縁は難しいでしょう。筋の悪い親戚が増えるよりは、未婚の叔母であるほうが、たとえ兄様の子どもが家督を継ぐまで長生きしても、そっとしておいてもらえるのではないでしょうか」


 これまた、一概に否定しにくいことを言う。

 少女の頃はその身持ちの固さは美徳であったが、年齢を重ねたいま「浮いた噂ひとつなく、実際に何もなかった」セルマは、扱いが難しい面もあった。

 性格は明るく、商会の仕事もこなすだけあって人見知りもしないものの、ドレスを作る暇が無いとかエスコートしてくれるひとがいないと言っているうちに、社交界とは完全に距離を置いてしまっているのである。

 女学校時代の友人とはお茶会程度の親交は続いているが、夜会などは断り続けているうちに声がかからなくなって、それっきり。


 すでに、出会いのきっかけすらない。

お前が選んだ相手ならとやかく言うこともないぞ、仕事つながりで気になる相手はいないのかと伯爵は一応言ってはみるものの、セルマは「特にいません」ときっぱり。


 ――これはもう、どうにもならないかもしれない。


 頭を抱えたランス伯爵は、王宮に出仕した際に、義理の息子に対して同じ悩みを持つ騎士団長と出会った。

 堅物娘と、堅物息子の親同士は、そこで同じ言葉を口にする。


 だめもと。


 ここで二人が結ばれるなどという都合の良い展開は、考えない。ただ、恋人がいると楽しいかもしれないという思いを双方が抱いてくれるだけで良い。

 もちろん、現状二人とも婚約者も恋人もいないので、進展があっても何一つ問題はない。

 利害の一致により、事態は動き出したのであった。


 * * *


「ハニートラップだ!! 一身上の都合でハニトラを敢行している! だが、そろそろ行き詰まるかもしれない。留意すべき点があれば教えてくれ!」


 年上の伯爵令嬢セルマなる貴婦人を籠絡する使命を帯びたフィンレイは、騎士団内でも指折りの色男として浮名を流している同僚のアランに詰め寄った。

 仕事終わりの騎士団の寮で、街に出かけようとしていたところで捕まった私服姿のアランは、いかにも女性に好かれそうな甘く整った美貌の持ち主。片方の眉を跳ね上げて、口の端を面白そうに釣り上げる。


「あのフィンレイに、面白い任務がまわってきたものだな。こうやって臆面もなく俺に聞いてくるということは、他言無用の制約はないんだな? それなら相談に乗らなくもない」


 重要な確認を受けて、フィンレイは力強く頷いた。


「場合によっては、識者の協力を仰いでも良いと。ただし、標的に近づくのは俺一人で、手段は合法の範囲内で相手の心身を傷つけないこと。必要な情報を探った後も、定期的な接触の可能性を排除することなく、良好な関係で任務を終えるようにと」


 アランは、フィンレイが並べ立てた情報をふんふんと腕組をして聞き終えた。

そして、少しだけ考える素振りをして言った。


「それはハニトラなのか? どストレートに、その相手と友だちになるってことじゃないのか? もしくは恋人……」


 もっともな疑問だったが、フィンレイは「ハニトラだ!」と勢いよく断言をした。


「任務の完了は、二週間後の王宮主催の夜会に彼女を誘い、エスコートして入場、ダンスを一曲踊ることだ。こんなの、ある程度親しく特別な間柄の女性とでなければ、実現不可能だ。任務で女性と親しくなることを『ハニトラ』以外のなんと言う」


「なるほど? 待てよ。お前は今まで、そういったこと全然なかったよな。縁談も直接の誘いもすべて遮断してきたよな? それが、夜会の場に堂々と女性と現れたとなると……引っ込みがつかないんじゃないのか?」


「その場合は、相手の気持ちを確認する。迷惑だと言うのなら、俺がそのひとには非がないことを公言し、俺の完全な片思いだったと周知徹底させる。セルマ嬢には、嫌われたくない。……任務後の定期的な接触の可能性を、残しておきたいので」


 真面目そのものの顔で言うフィンレイであったが、落ち着かない様子で視線が泳いだ。「はは~ん」と、アランが相好を崩した。


「すでに相手について、ある程度の調べはついているんだな?」


「もちろんだ。指令が下ってからこの一週間、標的のセルマ・ランス伯爵令嬢について尾行や聞き込みなどで張り付いて、行動パターンも人間性も調査済みだ。すれ違いざまにハンカチを落としてみたら、拾って声をかけてくれた。そのとき、少しだけ会話もした。実に理知的で素晴らしい女性だと思う。任務とはいえ、迷惑をかけたり、彼女の不利益になることはしたくないんだ。幸い、彼女から抜いてくる情報も差し障りのないものなので、現在の彼女の立場を不当に貶めるものではなく良かった……」


 普段、取り澄ました顔をしているフィンレイが、女性にハンカチを拾ってもらった件を熱心に話す様子に、アランは堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。「ハニトラ、がんばってるなぁ!」と、笑いすぎて目に涙をにじませながら、真剣な顔で待機しているフィンレイに尋ねる。


「上々だ。そのときに、お前から相手のご令嬢に名乗ったり、次の約束を取り付けたりしたのか?」


「ハンカチを拾っただけで『我こそはフィンレイ! 騎士である!』と名乗られたら、びっくりしないか? 予定を聞かれて、また会いましょうと言われたら、警戒しないか?」


 フィンレイは、真面目くさった顔で答えた。アランは「あー」と間延びした声を上げて、フィンレイの両肩に両手を置いた。


「お前は素晴らしく安全な男だ。だが、それでは始まる恋も始まらない。ちなみに、標的に近づいて何を探るのが目的なんだ?」


「好きな花だ。おそらく今回の任務は、俺が今後ハニトラ案件をできるかという団長からのテストの意味合いであって、正規任務ではなく、対象も悪事には無縁な女性のように思われる。好きな花についてはもう聞いた。カスミソウだ。いかにも彼女らしいと思った。花束で贈りたい」


 寮の出入り口で話していたせいで、通りすがりの団員たちが立ち止まり、話に耳を傾けている。フィンレイは囲いができていく様子に不思議そうにしながらも、アランに向き直り「彼女に花を贈っても良いものだろうか。ハンカチを拾ってもらっただけなのに」と言った。


「フィンレイ、気になるから教えてほしい。どうやって好きな花を聞いたんだ?」


「そんなこと、百戦錬磨のアランならいくらでも思いつくだろ?」


「いや、俺はお前の言葉で聞きたいんだ」


「ハンカチを受け取るときに『花のような綺麗な手ですね。あなたのお好きな花はなんですか』と聞いたら『私の好きな花はカスミソウです。控えめで落ち着くんです』と。ものすごく可憐な笑顔で、親切にも教えてくれた。花のような女性だ。そのまま悪い男に摘み取られるんじゃないかと心配になって、家に無事帰り着くまで尾行してしまった」


 周囲に集まった騎士たちは、頭を抱える者、呻き声を上げる者、胸をかきむしる者、思い思いのポーズで悶絶していた。フィンレイの、一途と執着紙一重の熱烈な告白を聞き終え、その肩に手を置いたまま直立の姿勢を保っていたアランは「わかった」と深く頷いた。


「ひとりでずいぶん頑張ったんだな、ハニトラ。それはもう立派なハニトラだよ……! こうなったら、相手が他の男に摘み取られないよう、しっかり護衛しながら夜会にエスコートだ。協力は惜しまないぞ。聞いたな、みんな」


 アランがその場にいた騎士たちを振り返ると「うぉーっ!!」という雄叫びが上がった。洗練優美が特色の王宮騎士団とはいえ、そこは戦闘職の男集団、気合が入った怒号は凄まじいものがあった。


 通りすがりの文官がびくっと身を引き「戦支度……?」と呟いていたが、やるぞやるぞの空気に満ち溢れた騎士団はもはやそれどころではない。


 かくして、フィンレイのハニトラは(非番等で)暇をしていた騎士団たちの強烈なバックアップを受けて、続行されることとなった。


 * * *


 商会の受付に、カスミソウの花束を持った男が、セルマを訪ねて来ているという。

 取次を受けたセルマは、相手に心当たりがあった。


(最近カスミソウの会話をしたといえば、ハンカチを落とした、あの男性よね? まさかお礼に来てくれたのかしら。ハンカチを拾っただけで?)


 すぐ行きますと答えて、二階の事務室を出て階段を下りる。途中で歩幅を緩めて、そうっと玄関ホールをうかがうと、姿勢の美しい青年が立っていた。その手には、畑の一角を刈り取ってきたのではというほどの大げさな花束が抱えられていて、セルマは怯んで足を止めてしまった。


 青年の体格がしっかりしているので錯覚しそうになるが、どう見ても大砲の砲丸のようなサイズ感である。カスミソウの控えめさが好き、と言った覚えはあるが、その花束に控えめさは感じない。受け取ったら腕が折れそうだ。どうしてそうなってしまったのだろう。


 視線を感じたのか、青年がちらっと階段を見上げてきた。陽の光に透き通るような瞳で、顔立ちもすっきりと整っており、気後れするほどの美男子である。セルマよりもいくつか年下だろう。身なりも良いことから貴族と思われた。

 青年は、セルマと目が合うと、ぱっと顔を輝かせた。


「先日はありがとうございました! お礼をしたくて、突然押しかけてすみません!」

「いえ、あの、もしかしてと心当たりはあったんですけど……。その花束、重くないですか?」


 階段を急いで駆け下りながら、セルマは青年を気遣って尋ねた。


(こういうとき、可愛いお嬢さんならきっと「私のために、ありがとう!」って言うのよね。腕の耐久値を心配するだなんて、侮られたとお怒りにならないかしら)


 本当に自分は面白みのない女だわ、と思いながらセルマは青年の前に立つ。

 カスミソウで前が見えない。

 カスミソウの向こうから、青年が声をかけてきた。


「カスミソウであなたが見えない。やはり大きすぎたか」


 良かった。自分でもやり過ぎに気づいている、とセルマはほっと胸をなでおろして、カスミソウに話しかけてみた。


「すぐに花瓶を用意しますと言いたいところなんですけど……まずは置いてください。腕が」

「腕は大丈夫です、鍛えていますから。ただ、あなたが見えないまま話すのは……」


 答えてから青年はホールの隅にカスミソウを運んで、置いた。ずし、と聞こえた気がした。

 戻ってきてセルマの正面に立つと、青年はにこにこと大変感じよく笑った。


「花を贈るなら、本気が伝わるようにと仲間に言われて……。あっ、すみません、こっちの話です。女性に贈り物をしたことがないので、同僚に指南を受けまして」


 わー。

 セルマはにこにことした表情を変えぬまま、心の中で「うーわー」と叫び続けていた。


(手の内を全部言ってしまってますね、この方。まさかハンカチを拾っただけで、私に本気になったとでも言うのでしょうか。こんな思い込みの強い方初めてお会いしたかもしれませんよ……!?)


 美形なのに大丈夫かな、悪い女の人に騙されないかな、と親戚のおばさんのような気持ちになってくる。弟がいたら、こんな感じかもしれない。危なっかしいので、目を離せない、たとえるならそういう境地である。

 青年は、ジャケットの内ポケットから、封蝋のされた封筒を取り出してセルマに差し出してきた。

 あきらかに高級な紙の使われたそれは、なんらかの招待状に見えた。


 どうぞ、と促されてひとまずセルマは中を確認する。

 王室主催の夜会への招待状であった。紋などがすべて正規のものであると確認し、これを入手できる時点で青年の身元は確かなのだろう、と確信する。


(問題は、なぜこれを、ハンカチを拾っただけの私のところへ持ってきたか、よね)


どう見ても「本気」の激重花束とともに。

 まさか、と視線を向けると、青年は恐ろしく真剣な顔でセルマを見ていた。


「フィンレイ・バントックと申します。騎士団所属で、育ての親で身元保証人は団長のガラハ侯爵です。あなたのことは、少し調べさせて頂きました。現在ご婚約などはされていないとのことで、もし差し支えなければ一緒に参加していただきたいのです。ダンスを踊る相手を必要としています」


 王宮の夜会ということで覚悟はしていたが、想像以上の青年の来歴にセルマは気が遠くなりかけた。


(どうして!? 調べた結果、どうして私なの!? もっといろいろ周りにいるでしょう。それとも、いすぎて問題なのかしら。たとえば、しつこい相手を振り切るために、偽装恋人をお披露目する必要があるとか……。ガラハ侯爵とお父様は商会でつながりもあって仲も悪くないはずだし、これまで社交界に縁遠かった私だったら、一度参加したくらいなら素性までたどられないかもしれないと? 私自身が結婚に期待を抱いていなさそうだから、一夜の相手としては後腐れもないとお考えに……)


 自分のことをわかりすぎているセルマは、そこまで一通り考えた。

その上で、こういった問題は断ったところで他の誰かに行くだけだし、それは時間の無駄というもの、と結論付けた。


「ダンスは、女学校で必要だからと履修した程度で、ここ数年実践の機会がありませんでした。今から特訓しても、付け焼き刃と変わらないでしょう。夜会は参加することがなかったので、ドレスなどは急いで作っても、間に合うかは……。こんなお返事で大丈夫ですか?」


 フィンレイと名乗った青年は、ぱっと顔を輝かせた。


「もしお許し頂けるなら、ドレスや装飾品の手配はお任せください。すでにいくつか仲間に聞いて当たりをつけています。ダンスの練習も、講師を派遣できます。当日は私がお迎えに上がりますので、何もご用意頂く必要はありません」

「そ、そこまで……? 理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 かなり、思い込みが強すぎないだろうか? と不安になって、セルマは尋ねてみた。フィンレイは落ち着いた微笑を浮かべて、きっぱりと言い切った。


「ハンカチを拾って頂いて、好きな花を教えてくださったからです。もっとあなたのことを知りたくなって調べてみたら、俺以外のひとにもすごく親切にしている場面を何度も見ました。それで、遠くから尾行しているだけではなくて、実際に向かい合って話してみたいと思いました」


 あ、やっぱりちょっと思い込みの激しいことを言っているな、とセルマは笑顔の裏ですばやく算段した。セルマとしても、相手がどういった人間であるのか、せっかくだから夜会までの間調べてみようと決める。


(何かとんでもない事実が出てきたら、当日は腹痛がしたと言って家を出なければ良いだけだわ)


 これまで色恋には縁がなかったとはいえ、性格的には決して引っ込み思案ではないセルマは「わかりました」とにこやかに答えた。

 話を切り上げてその場は一度別れてから、ひそかにフィンレイについて調べ始めることにした。

そういったしたたかさが、自分の長所だとセルマは信じている。


 * * *


 ひそかに行動する機会が、ほぼなかった。

セルマの自負する「したたかさ」も、型なしである。

 これは「商会が危機に陥りセルマが異常な忙しさに見舞われた」などの理由ではない。

招待状を受け取った日以降「ドレスのお針子を手配しました」「ダンスの講師を手配しました」と、フィンレイが何かと理由をつけてランス伯爵のタウンハウスを訪れたからである。

 伯爵も心得たもので、フィンレイを丁重にもてなし、セルマには仕事の休暇を言い渡して準備に励むようにと言ってきた。


 そこまで気を遣う相手なのですか? と面食らいながら、「せっかくなのでお茶を」「家族向きでご用意もありませんが晩餐をぜひご一緒に」と誘う形になり、自然とフィンレイと一緒に過ごして、会話をする時間が増えた。


 こそこそ探ることなく、正面から向き合ったフィンレイという青年は実直で好感の持てる人柄であり、これならモテるだろうし、もしかしたら偽装恋人は本当に切羽詰まって必要なのだろうとセルマは納得した。その一方で、この時点でもまだ「偽装恋人」の話が一切出てこないことに悩み始めてもいた。

 結局、何が目的なのだろうか?


 カスミソウ以外にも好きな花はありますよ、とうっかり言ってしまったことにより、いまや部屋中がフィンレイから贈られた数多の花で埋め尽くされて、屋敷中の花瓶総動員状態だ。


(こんなに花を贈られたら、たいていの女性は「彼は自分に気がある」と思うのではないの? 私が勘違いしたらどうするの? どう決着をつけるつもりなの、この関係)


 夜会までの二週間は、またたくまに過ぎた。


 * * *


 久しぶりの社交界、セルマはフィンレイと選んだ薄紅色のドレスで臨んだ。

 二週間に渡り、丁寧に肌を整え、きちんと化粧をして盛装に身を包んだセルマは、自分でもびっくりするほど化けた。

 フィンレイは、化ける必要もないくらい出会ったときから美しい青年であったが、騎士団の正装で現れると目を奪われるほどの優美さであった。

 二人で連れ立って夜会の場に姿を見せると、辺りがどよめくのが伝わってきた。


(そうだと思う。フィンレイさんは名前の知れた騎士で、私は正体不明の年増。でも、見た目はまあまあ許容の範囲内? 恋人同士に見えているはず)


 この恋人ごっこは、なんの目的で、いつまで続けるのだろう――


 フィンレイはセルマを舞踏室に誘うと、「一曲踊って頂けますか?」と型通りに尋ねてきた。「もちろん」とセルマが答えたところで、音楽が始まり、二人は踊り始める。

 実は、特訓期間は講師と踊るばかりで、フィンレイと実地で訓練したことはなく、したがってこれが彼との最初のダンスだった。

 だが、伯爵家のダンスホールで見学をしていたフィンレイは、セルマのクセを把握しているらしく、呼吸を合わせて無理なく導くように踊っていた。さすが、騎士だけあって体幹が良い。


 見つめ合い、触れ合う中で、セルマは黙っていることができずに尋ねてしまった。


「いつまで続けるんですか?」

「曲が終わるまで。疲れました?」

「そうじゃなくて。あなたと私のこの、偽装恋人ごっこです」


 フィンレイが、がくりとバランスを崩した。つられてセルマも転びかけたが、すぐにフィンレイが受け止めて、勢いで抱き上げたので、ミスではなく余興と勘違いしたらしい周囲から称賛の声が上がった。

 丁寧な仕草で、フィンレイがセルマを床に下ろしたところで、曲が終わる。


(終わった……)


 これで、当初の申し出の通りの約束は果たしたはず、と思ったセルマの手を取り、自分の方へと注意をひきつけたフィンレイが、低い声で囁いてきた。


「全然足りない。もう一曲踊っていただけますか」


 セルマは、その申し出に対して逡巡した。いくら社交界に疎いと言っても、二度続けてのダンスは「特別な関係にある」と周囲に知らしめる効果があることは知っている。

 悩んでいるうちに、楽団は次なる曲を奏で、フィンレイはしっかりとセルマの手を握り直した。


「お願いします。俺と踊って欲しい」


 透明感のある涼やかな瞳に見つめられ、真摯な態度で懇願されて、セルマはすぐには何も言えなかった。

だが、言わないわけにはいかないと心に決める。

 音楽に合わせて騎士のたくましい腕で腰を抱かれ、ゆるやかに胸元まで抱き寄せられたときにそっと囁いた。


「二度続けてのダンスは、特別な意味を持ってしまいます。噂は確実なものとして広まることでしょう。これは本当にあなたの望みでしたか?」


 言うべきことは言った。フィンレイの反応次第では、ダンスを切り上げて、この場を去ることも覚悟の上で。

 セルマの決意をよそに、フィンレイはセルマを抱き寄せる腕に力を込めて、しっかりと胸元に抱き寄せつつ、耳元に唇を寄せて囁いてきた。


初心(うぶ)な年下の男を相手にしているおつもりかもしれませんが、王宮勤めの俺が二度目のダンスの暗黙の了解を知らないわけがないと思いませんか?」


「では」


 驚いてセルマが顔を上げると、フィンレイは少しだけ照れた様子で頷いた。


「嵌めるつもりではなく、断られたら、引き下がるつもりでした。でも、あなたが知った上で受けてくださったなら俺としてはとても嬉しいです。ダンスはこのまま続けるということで、よろしいですか?」


 言葉もなく、セルマはフィンレイを見つめた。

 長い間、結婚へ至る付き合いも恋愛もすることなく、今から出会って縁を結んでも、慎重な自分のことだから、そこからまた長い時間がかかると思っていた。

 それなのに、思いがけないことが起きているとここでようやく自覚した。


「ハンカチを拾っただけなのに?」

「あれは実は、策略です。拾ってもらうつもりで落としました。本気であなたをトラップにはめるつもりで、まずは話してみたかったんです。いまは、もっと先のことも望んでいる」


 相手を替えて踊るには、もうタイミングを逃してしまっている。二曲目を踊っていることは、もう言い訳することもできないくらい周知された。

セルマは覚悟を決めて、答えた。


「二曲目のダンスを受けましたので、その話も謹んで、お受けします。かなうことなら、今夜はずっとあなたの腕の中で踊っていたいと、思いました」


 言ってしまってから、自分でもずいぶん大胆なセリフだな、と頬が真っ赤になるのがわかった。

 ダンスの相手を替えることなく踊り続けるなんて、破廉恥と誹られても仕方のないマナー違反だ。それくらいだったら、中座してしまったほうがまだましというもの。

 一方のフィンレイもまた、かあっと顔に血を上らせて、しどろもどろな口調で尋ねてきた。


「それは……夜通し……ベッドの中でもという意味ですか?」

「意味じゃない! 違います! そんな色気のあること、私が言うわけないでしょう!?」

「そ、そうですよね。セルマさんが言うわけないですね。俺が妄想しただけです。俺の腕の中で踊り続けるセルマさん」


 ま だ 言 う か。


「もう言わなくていいです! 恥ずかしいから! 妄想は頭の中にしまっておいてください!」

「はい。でも、俺が何を考えているか知りたくなったときは、遠慮せずに聞いてください。俺はあなたに隠し事ができそうにありません」

「聞きません!」


 言い合いになりながら、その一曲も二人で最後まで踊りきった。

 そして、「事の始まりから聞いていただけますか?」と言うフィンレイとともに連れ立って夜会を抜け出し、セルマは自分を取り巻く陰謀をはじめて聞いて、彼の義父と自分の父を思い、大まかな事情を察した。


 そういうことだったの、と笑い飛ばしてから「ハニトラ任務はきっと最初で最後だと思うわ」とほがらかに告げたのだった。


*最後までお読みいただき、どうもありがとうございます!


 たぶん「本気が伝わる花束持って行け!」のアドバイスを真摯に受け止めた結果のカスミソウ。これからは、しっかり者でしたたかなセルマに釣り合う男になるようフィンレイは自分を磨くのでは。努力は苦もなくできるのが長所。のびしろが……ある!


 それではまた次の作品でお目にかかれますように(๑•̀ㅂ•́)و✧

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