承継機グレイブギア
「ねえ、本当にこんな所に“断絶”前のお宝が眠ってるの?」
ミレイ=鈴乃瀬が漏らした疑問の呟きは、まるで拡散することなくコクピット内に反射して、半生体ナノマシンを介して機体を操っているミレイ自身に跳ね返ってきた。
亜麻色の長髪はポニーテールにまとめられて背中へと垂らされ、各パーツが丁寧に配置された顔の造作は、忖度なく美少女と評して差し支えあるまい。
赤みの差した柔らかそうな頬も、やや厚みのある光沢を備えた唇も、大きくぱっちり開かれた瞳も、組み合わせが個々の魅力を損なわず十分に引き出し合っている。
そんな彼女の装いはといえば、こちらはお世辞にも着飾っていると胸を張れる代物ではなかった。
初手からして、薄手のタンクトップにごわつき機械油の染み込んだ作業ズボンなのだ。おまけに耐久性向上のため補強の施されたブーツは、職業的には標準装備に等しいとされているが、おしゃれの観点からすれば色気絶無の実用性一点張りである。
『ハンスがどこかの盗掘屋を懲らしめた時にかっぱらってきた、穴だらけの遺跡マップが正しければね』
通信機越しに今日もクールな音声を届けてくれた親友の返答に、ミレイは曰く言い難い表情を浮かべ毒づきかけてしまうも、文句を言うだけ無駄なのは経験的に明らかであるため、がっくり肩を落とすにとどめる。
とはいえ、信頼性が著しく低くなった根拠に基づいて探索を続ける意欲など、すでに閾値ぎりぎりまで減退しているのも事実であり、この辺りを適当に掘り返して今日はお終いとする案をこっそり検討し始めたその時である。
彼女のグレイブギアがどかした瓦礫の下から思いがけぬものが顔を覗かせ、ミレイは条件反射的に声を漏らしてしまった。
「えっ……?」
『どうかした、ミレイ? まさか本当にお宝が見つかったとか』
言っている当人が一番信じてなさそうな口振りで、通信機の声が茶化してくる。
やっぱりガセネタ前提だった裏付けが積み増されて少しだけムッとするが、それを発声という形で出力するよりも先にやるべきことが、今のミレイには存在した。
取り敢えず、ギアの外部カメラを遠隔地と同期させ、自分の見ている光景を余さず伝えてやる。
「地下空間への入り口らしき扉を発見。潜ってみるから留守番と周囲の警戒はよろしく。お土産は期待せずに待っててね」
『冗談でしょ? え、え、ミレ――』
何事か言いかけた通信を問答無用で打ち切る。
簡潔な意趣返しを済ませると、全高十メートル程の機体の腹部に備えられたコクピットから飛び降りる。機体に背負わせていた貨物運搬用バックパックから探索キットが収められた袋を引っ張り出し、地面と同化するように設えられている扉を改めて見下ろした。
大きさは縦横がそれぞれ二メートル半といったところか。
現在、周囲は廃墟を通り越して瓦礫の山と化しているが、この扉が作られた頃は壁も天井もまだ残っており、扉は地下室への入り口の役割を果たしていたと推察できる。
「とすると、大体この辺りに開錠用の機構が……っと、ビンゴ! しかも電力がまだ生きているなんて、それだけで二十万ゼッカは堅いじゃない。これ、もしかして本当にお宝かも!?」
トレジャーハンターを生業としていて、このシチュエーションに興奮せぬ者がいるとしたら、それは血管どころか神経系まで機械部品に置き換えたラーデンの連中くらいだろう。
ミレイは震える手付きでパスコード解析機を扉に繋ぎ、いざ鍵開けを開始する。
製造当時は最先端のセキュリティだったとしても、アルゴリズムの陳腐化やツールの性能向上に抗い切れるはずもなく、鼻歌を三曲ローテーションするより先に完了を示すグリーンランプが点灯した。
与圧された空気が抜ける音と共に扉が退き、地下への道が黒々と口を開ける。
昂揚を抑えきれないながらも、トラップや崩落個所の有無を確かめながら慎重に進むことしばし、下り階段の先にあったのは、おおよそ十メートル四方はあろう結構な広さの空間と、その中央に鎮座する一台のカプセルであった。
「倉庫? ……にしてはあまりにも閑散とし過ぎているわよね。機材は運び出されているみたいだけど、雰囲気的には研究室とかかしら」
もしそうならば、いや、仮に違っていたとしても、これ見よがしに置かれているカプセルを確かめないという選択肢は存在しない。
ミレイが警戒しつつ近付くと、カプセルも遺跡同様まだ稼働しているらしく、わずかながら振動が検知される。
だが、トレージャーハンター的には小躍りどころか跳び上がって喜びたくなるその事実よりも更に驚くべきものが、分厚く積もった埃越しにミレイを出迎えた。
「こ、れはっ……!?」
カプセルの中に揺蕩っていたのは、一人の青年であった。
外見年齢は二十代の前半、目蓋は閉じられているので瞳の色は分からないが、黄色がかった皮膚や首筋にかかるかどうかといった長さの黒髪から人種を推測するに、黒目である可能性が高いだろう。
カプセル内に満たされた薄緑色の液体に一切の着衣が排除された直立状態で浮かんでおり、死んだように身じろぎ一つしない。
というか、本当に“断絶”前の人間であれば、寿命その他の理由から死んでいるのが当たり前と考えるべきだ。
けれども目の前で漂っている青年の姿は、死んでいるとは到底思えないほど生々しく、吸い寄せられるようにフラフラと歩み寄ったミレイは、彼女にしては珍しい話ではあるが、ほぼ無警戒でカプセルに触れてしまっていた。
途端、ピッという電子音が鳴り響き、ミレイの思考回路を通常状態へ引き戻す。
慌てて視線を手元へ落とせば、埃に覆われていたせいで見落としてしまっていたが、パネル上のボタンに指がかかっているではないか。
己の迂闊さに舌打ちしたいのを堪え、反省よりも対処を優先して注意深く周囲を見回す。
ごく稀に見つかる“断絶”前の遺跡においては、ふとした拍子に警備設備を起動させてしまい、お宝を前にして命辛々逃げ帰ったという展開が定番だからだ。
酒の肴として時々聞かされる際は間抜けっぷりをケラケラ笑い合うのだが、いざ自分が同じ立場に置かれると笑える要素など何一つ無い。
十秒が一時間に感じられる短くも長い沈黙の後、部屋のどこからも攻性の防衛機構が出現しないのを確認すると、ミレイは大きく息を吐き出し、臨戦状態にあった全身から力を抜く。
そのため、すぐ背後で起きた異変への対処が一呼吸遅れてしまった。
カプセルが無音で開いたかと思うと、浮かんでいた青年ごと中の液体を吐き出したのだ。
「うひゃあああっっ!?」
粘り気のある薄緑色の液体を首筋からぶっかけられ、ついでに倒れ込むように寄りかかってきた全裸の青年に、ミレイは恥も外聞もなく素っ頓狂な声を上げてしまったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
眩しい。
目が覚めた時、彼が最初に抱いたのはそんなありふれた感想だった。
遺伝子に刻まれた本能に従い、遥か頭上で燦々と輝く恒星――太陽へ手を伸ばす。
陽光を受け止めた指と指の合間からこぼれる赤い色が、まるで命の色そのものに思えてどうしようもなく見入ってしまうが、突如視界の外から割り込んできた影によって光は遮られ、覚醒後初の体験は呆気なく中断を余儀なくされた。
「あ、目が覚めたみたいね。生体反応があったのだけでも驚きなのに、まさか意識まで戻るなんて、シーシャったら吃驚し過ぎてひっくり返るんじゃないかしら」
影は人影で、しかもまだ十代と思われる少女であった。
流れてくるポニーテールを青年の顔にかかってしまわないよう片手で押さえながら、興味津々といった様子で覗き込んでくる。
「君は……誰だ? ここは……どこだ?」
敵意の類は感じられず、どちらかというと好奇心の色が強い眼差しは、相手によっては不快と受け取る者もいるだろう。あるいは逆に、美少女に見つめられるなんてご褒美だとのたまう者も。
まだ頭に靄がかかったような感覚が拭えない青年はそのどちらでもなく、ゆっくりとした口調で自分の置かれている状況について問うていた。
「嘘っ! 言葉まで話せるの!? じゃあじゃあ、もしかして、私の言っていることも理解できたり!?」
肯定の意を込めて頷いてみせる。
少女はどこかへ向けて盛大なガッツポーズを決めると、コホンと咳払い一つですまし顔を作り、握手を求めて手を伸ばしてきた。
「私はミレイ=鈴乃瀬。端的に言い表すならあなたの第一発見者よ、ネスト・ヒュンマークさん。あなたは私が発見した遺跡の中で眠っていたの。あ、服に関してはサイズが合っていないかもだけど我慢してね。生存キットに入っていた簡易防寒着だから」
「ネスト……?」
「あれ? あなたの入っていたカプセルの台座に刻まれていたから、てっきりあなたの名前だと思ったのだけど、もしかして間違ってる?」
聞き慣れぬ響きに首をかしげれば、自信満々だったミレイが慌てて尋ねてくる。
くるくるとよく変わる表情に見つめられながら、青年は少しの間だけ目を閉じて記憶を探ってみたが、全てが曖昧模糊としており、確たるものはこれっぽっちも掴めなかった。
「……分からない」
「それは、自分の名前が、って意味?」
「名前も含めて、自分が何者なのか分からないんだ……すまない」
自分でもあやふやな返答をしている自覚はあるので、つい謝罪の言葉が口を衝いて出る。けれどもミレイは、器用に片目をつむってウィンクしてみせると、きっぱりとした口調で言い放った。
「あなたが謝る筋合いじゃないでしょ。私の親友の見立てが正しければ、あなたは特殊な薬液で超々低代謝を維持することで、あの“断絶”を乗り越えてきたのだもの。記憶に多少の障害が出たところで、それは許容すべきリスクというやつよ」
おそらくは事実を述べているだけなのだろうが、それを口にさせているのは少女の心根に他ならない。
青年は感謝を告げる代わりに、静かに目礼を返した。
「でもまあ、これから先ずっと名無しっていうのも不便だし、せっかくだから本当の名前を思い出すまでの間、ネスト・ヒュンマークを名乗っちゃうのはどうかしら」
「……そうだな。そうさせてもらおう」
一瞬、そんな適当な理由で大丈夫か躊躇してしまったが、かといって他に妙案があるわけでもない。
それに仮にネスト・ヒュンマークなる固有名詞に別の意味があるのなら、それを知る者を誘き寄せる餌の役割も果たしてくれるかもしれないではないか。
「そうだ、もう一つだけ質問しても構わないだろうか。さっきの君の言葉の中に、理解できない単語があったのだが」
「もちろんどうぞ」
「感謝する。では、“断絶”とは何だろうか?」
「え、本気?」
真面目に尋ねたはずなのに目を丸くして聞き返されてしまう。不思議に思いつつもネストが頷きを返すと、ミレイは口元を押さえてぶつぶつと呟き始めた。
「待って待って。まさか“断絶”を知らないなんて……あ、でも、“断絶”前にスリープモードに入ったのなら、記録されていなくても仕方ないかも。ええ、“断絶”そのものの知識が無いのは残念だけど、関連する情報はサルベージできるかもしれないから、方針に変更無しで大丈夫よね」
「ミレイ?」
一応の結論は出たのか、ネストが呼びかけると、ミレイはパチンと両手を叩き合わせて仕切り直す。
「“断絶”について説明すると長くなるから、まずは私が拠点にしているコロニーに帰りましょうか。そこでなら私一人と話すよりも精緻な情報のすり合わせだってできるし、それにあまりコロニー外で野営を続けていると、何に襲われるか分かったもんじゃないし」
「……襲われるのか?」
“断絶”などという意味不明な単語よりも、よほど重要性の高そうな一言をさらりと発したミレイを、今度はネストの方が凝視する番だった。
「ええ、はぐれの変異生物くらいだったら、グレイブギアがあれば心配いらいないけど――」
そう言って、やや離れた位置に駐機してある愛機を振り仰ぐ。
全体的な印象としては人型なのだが、個々のパーツをクローズアップしてみると、どれも人体とはかけ離れた構造をしている異形のマシン。
変異生物なる存在は非常に気にはなるが、確かに十メートル近い鋼鉄の塊が相手となれば、大抵の野生動物では太刀打ちできまい。
しかし、それよりも注意を払うべきなのは、まるでグレイブギアがあっても襲撃してくる相手が存在しているかのような物言いの方だ。
「砂賊が相手となると、向こうもギアを持っている場合が多いから、一戦も交えずとはなかなかいかないのよね」
「それは危険な連中なのか?」
「命の一つや二つ奪うのに欠片も躊躇しないくらいには」
肩をすくめての返答に思わずネストが言葉を失う。
青年の緊張を察したミレイが、強張りを解きほぐそうと口を開きかけ、
キィーン! キィーン! キィーン!
鼓膜に突き刺さってくる大音量が、会話に唐突に楔を打ち込んだ。
「!? 何だ、この音は!!」
「警報よ。念のため遺跡の入り口付近に仕掛けておいたんだけど、役立っちゃったわね」
耳を押さえて表情を歪ませるネストに、「あちゃー」と言いたげに頭を振るミレイ。
「警報だって!? 一体、何が……」
「話は後! 今は脱出が最優先よ。とっとと私のグレイブギアまで走って!」
色々と事情説明を求めたいところではあるが、切羽詰まった雰囲気のミレイに気圧され、ネストは言われるままに人型機械の元へと走ろうとする。
だが、手足がまるで自分のものではないかのように重く感じられ、五十メートルかそこらの距離だというのに遅々としか進まない。
目が覚めた直後という条件を差し引いても不可解な話ではあるが、理由を考察している時間は与えられていなかった。
「何してるの! 早く来てバックパックの中に避難して! ちょっと手狭かもしれないけど――」
『ヒャッハーアァ! 到着っとおぉー!!』
一度はコクピットに乗り込みエンジンに火を入れたミレイが、もたもたしているネストを見かねて駆け寄って来たまさにその瞬間、ホイールが地を噛む耳障りな音と共に、迷彩色をしたグレイブギアが一機、瓦礫を乗り越えて姿を現したのだ。
ミレイに説明されるまでもなく直感する。あれが砂賊なる輩に違いない。
『さーてぇ、大事なマップを盗んでくれやがった不届き者はどこかなあ……っと、なんだよ、逃げ遅れてやがったのか。ちぇっ、つまらねえなあ』
外部スピーカーから拍子抜けした声が漏れる。
派手に警報を鳴らしてしまったので、獲物はとっくに逃げ出した後だと予想していたのだろう。実際、ネストが遅れていなければそうなっていた公算が高い。
かと言って大人しく逃がしてやるつもりなどあるわけもなく、即座に追撃をかける予定だったのだが、予想外に居残っていたため逆にやる気が削がれたといったところか。
『ま、手間が省けたと思っておくかね。んじゃ、あばよ』
白けてしまったせいで普通のテンションに戻った砂賊が、退屈そうにギアの左腕を持ち上げる。外付けオプションとして装備されている対人用の機関銃は、ブレることなく真っ直ぐにネストへと向けられており、そして砂賊が引き金を落とすのに瞬きほどのタイムラグすら無かった。
そこから先の数秒は、ネストにとってあっという間であったはずなのだが、まるで時間が無限に引き延ばされたような経験となった。
まずは、もう駄目だという諦念と、まだ死ねないという生存本能がぶつかり合い、何がどう作用したのか、思うように動かせなかった四肢にようやく力が入る。
けれども時すでに遅く、このまま蜂の巣になるしかないかと思われた刹那、ほんの少しだけ早くミレイの手がネストの手首を握り込んだ。
彼女を銃撃の巻き添えにするわけにはいかないと、どうにか振り払えないか試みるも、想像以上の握力で保持された腕は頑として緩まない。
それどころか、逆に凄まじい腕力で引っこ抜かれて宙を舞ったネストは、ほんのわずか滞空した後に地面に投げ出されていた。
勢いに抗わず転がることで辛うじて衝撃を分散させるが、散らばっている小石が体中に食い込む感触までは軽減できない。
だが、かえってその痛みが気付けとなって意識を繋ぎ止めたネストが顔を上げた時、視界に映ったのは、容赦ない機銃掃射により全身を撃ち貫かれたミレイが残骸となる光景であった。
つい先程まで言葉を交わし、身を挺して銃弾の致死圏から救い出してくれた相手が、自分の代わりに惨たらしくズタズタとなる。湿った音と共に地面に投げ出されたミレイはぴくりとも動かず、抱き上げて脈を診るまでもなく生命活動を行っていないのは明白であった。
「うあああぁぁぁっ!!」
自分でも信じられないほどの絶叫が、ネストの喉から紡ぎ出される。
慟哭にも聞こえるそれは、しかし悲嘆のみならぬ様々な感情の混ぜ合わせであった。
その内の一つである憤怒に焼き焦がされながら、ネストは即座に跳ね起きるや、起動準備の完了しているグレイブギアのコクピット目掛けて突進した。
ミレイが降りてきた際に使っていた乗降用のラダーを片手に掴み、垂れ下がったロープのように揺らして機体に接近したところで、装甲を蹴って登る勢いを増す。
結果、数秒とかからずコクピットに滑り込んだネストは、誰に教えられるわけでもなく、座った際に手を置く位置にある野球ボール大の球体を握り込んでいた。
それが搭乗者の半生体ナノマシンとグレイブギアを仲立ちする、俗に言う体外神経接続装置であると、初めてグレイブギアに乗ったネストが知るわけもない。ゆえにここまでは疑う余地の無い偶然であったが、そこから先は必然であった。
「っ!?」
無数のイメージがネストの頭の中を瞬時に蹂躙し、それらの残滓が暴力的にたった一つの真実を刻み込む。
すなわち、戦わなければ死ぬという戦場の真理を。
理解すると同時に、ネストはコクピットのハッチを占める手間すら惜しんで、ミレイのグレイブギアを急発進させていた。
バックパックをパージして身軽になった機体を向かわせる先は、逃走ではなく闘争。ミレイを殺した砂賊の操るグレイブギアだ。
『俺に挑む気か。そいつは蛮勇ってもんだぜえ、小僧っ!!』
荒々しい哄笑と共に、敵グレイブギアが左手の機銃を連射する。
対人用なので通常ならば装甲に弾かれて有効なダメージは望めないが、ハッチを開いたままのネストであれば、十二分に致命傷となるという判断だ。
ただし、命中すればの話であるが。
左右の足が膝関節部から前後に分岐し、実質的に四脚に近くなっている機体構造を利用して、脚裏のホイールによる疾走を保ちつつも、上体を七十度近く傾けて射線を躱す。
人間であれば到底不可能な挙動を駆使しながら、ネストはそこに更なる動きを足し合わせた。
倒れ込みつつ走っているに等しい状態ながら、三か所の関節を持つ主腕を思い切り伸ばし、人間大の瓦礫を左右対称七本指のマニピュレーターで掴み取ったのだ。
と同時に、これまでバックパックの保持に使っており文字通り手が空いた副腕で地面を叩き、反動を利用して傾けていた上体を本来の位置に戻す。
無論、それだけで終わらせるつもりなど毛頭なく、ネストは脚部のホイールを左右で逆回転させると、わざと機体をスピンさせて捻出した遠心力までたっぷりと乗せ、拾い上げたばかりの瓦礫を渾身のサイドスローで投擲した。
『そんな馬鹿、ぐわっ!?』
驚愕する砂賊の音声は、高速で飛来しコクピット付近を直撃した瓦礫によって強制終了させられる。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた敵のグレイブギアが、完全に沈黙してぴくりとも動かないのを見届け、ネストはようやく息を吐き出すのを思い出した。
荒い呼吸に噴き出る冷や汗。戦闘時間は一分にも満たなかったはずなのに、ガチガチに固まり切ってしまった両手を体外神経接続装置から引き剥がすのにたっぷり三分はかけた後、ネストはいまだ震えの残る手の平を凝視しながら、自分が何をしたのか理解できずに混乱していた。
無我夢中だった。それだけは間違いない。
だが、勢いに任せてグレイブギアに飛び込み、体外神経接続装置に両手を置いた瞬間、装置を通じて送り込まれた大量の情報に脳髄を掻き乱され、どのように機体を操れば良いかだけが頭の中に残っていたので、それに従って敵を排除して――
「自分が……やったのか……?」
ようやく追いついてきた実感が、呆然とするネストに自問させる。
どうしてあんな芸当ができたのか、これは悪い夢ではないのか、そして、人を殺してしまった自分は裁かれなければならないのではないか。
それら全てに応えてくれる相手を求めて、ネストは無意識に呟いていた。
「ミレイ……」
『呼んだ?』
コクピットに備えられている通信機から、絶対に聞こえるはずのない声が聞こえた気がして、ネストは硬直してしまった。
空耳だ。ミレイはさっき、自分を庇って撃ち殺されている。
それを悔やむのは理解できるが、まだ彼女が生きているかのように錯覚するなど、死者に対する冒涜でしかない。
そう、だから―
弾かれるように振り返ったら、穴だらけで倒れ伏している彼女の遺体の隣で、投棄したバックパックから這い出してきたもう一人のミレイが五体満足で元気そうに手を振っているなど、絶対にあり得ない。あってはいけないのだ!!
「ひぃっ、お化け!?」
『失礼ね、そんなに驚くことないじゃない』
コクピットの座席にしがみついて恐れおののくネストに、そこはかとなく気分を害したらしき少女は、腰に手を当て語気も強めに言い放った。
『コロニーの外はいつ何が起きるか分からないんだから、必ず予備のボディを持って携行すること。これくらい、アンドロイドなら常識でしょ?』