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師走祭りの新たな試み

作者: 結城 刹那

 笛と太鼓の荘厳な音色が室内に響き渡る。


 私は音色に合わせて手に持った神楽鈴を鳴らし、歌舞を演じる。

 一緒に演じる同級生の暦と呼吸を揃えて、時には向かい合い、時には背中を見せながら鏡のように同じ動きをする。


 明日に控えた『師走祭り』の祭典で披露する神楽の練習は終盤を迎えていた。今回初めて神楽を舞う私と暦は、だらしなくズレていた初期と比べて、見違えるくらい上手くなった。最初は口出しばかりしていたお母さんも、今ではただただ笑みを浮かべて見ているだけだった。


 やがて楽器の音が消える。私たちは最後まで気を抜かずに舞を踊り切った。


「はい、終わり。いい神楽だったわ」


 お母さんが一拍叩いたところで私は膝から崩れ落ちるように床に腰を下ろした。何度も何度も練習したため足はヘトヘトだ。


「やればできるじゃない。流石は私の娘だ」


 私に近づきながらお母さんは呑気に笑う。


「暦ちゃんもありがとう。娘の練習に付き合わせて悪かったね」


「いえいえー。私にとっても、いい練習になりましたので。それにしても、彩乃ちゃんは物覚えが早いねー。私なんて覚え切るのに一ヶ月かかったのに、二週間で覚え切っちゃうなんて」


「でも、彩乃はやる気になるまで二週間もかかったんだから同じようなものよ」


「はあ……しょうがないでしょ。はあ……私はスロースターターなんだから」


 呼吸を整えながらも二人の会話に混ざる。


 正直言って、私はお母さんから神楽を受け継ぐことに反対だった。伝統的な祭りとは言え、私には関係のない話だ。私は禎嘉王も福智王も歴史を学んだくらいで、その容姿や人柄を知らない。家業だからと言って、見知らぬ人たちを会わせる行事に自分の時間を削って取り組むことに納得がいかなかった。


 それでも、祭り二週間前になって練習し始めたのは、他に候補者が見つからなかったからだ。個人的な都合で、暦を含めた祭りの関係者全員に迷惑をかけるほど心は穢れていない。でも、来年は絶対にやりたくない。


 私が休憩しているうちにお母さんと暦は片付けを行う。あれだけ練習したのに、てきぱきと動く暦に感嘆した。


 片付けを終え、私たちは練習場所として使っていた集会所を後にする。


「また明日。暦ちゃんの袴姿を楽しみにしているわ」


 暦と私の家は逆方向にあるためここでお別れだ。お母さんの挨拶に暦は「明日はよろしくお願いします」と浅くお辞儀した。私たちは「じゃあ」と互いに手を上げて簡素に挨拶する。仲が良くないわけではない。むしろ信頼し合っているからこその挨拶と言えよう。面倒くさがり屋の私とのんびり屋の暦にはこれくらいの挨拶が一番楽なのだ。


「彩乃がやる気になってくれて本当に助かったわ。これで私も安心して引退できるね」


「まだ本格的にやるとは言ってないから。今年は仕方なくやるだけ。来年は絶対にやらないから」


「本当にやりたくないの?」


「見ず知らずの人に人生の時間を使うくらいなら都会でキラキラな日々を送りたいの」


 SNSを開けば、自分と同世代の人たちが大都会で甘酸っぱくて素敵な青春を彩っている。そんな彼らに羨望を浮かべながら神楽を舞い続ける人生は嫌だ。


「そっか。まあ、それは叶わないけどね」


「うざっ。いいじゃん。娘のわがままくらい聞いてよ」


「これに関しては私には、どうにもできないからね。まあ、我が子に生まれてしまったことを呪いな」


 お母さんはしみじみとした口調で言いながら夜空を見上げる。空には綺麗な星たちが輝いていた。冬のこの時期は空気が乾燥しているためか星たちが鮮明に見える。ここに住んでいて唯一良かったと思えるのは都会では絶対に味わえない風景が見えることだ。


「うー、さむー」


 冬風が露出した肌を打つ。練習を開始した昼間に比べて気温が下がり、練習中に掻いた汗が乾いたことで寒さが一層極まったようだ。足を早めながら私たちは帰路を歩んでいった。


「ただいまー」


 家に帰り、寒さを凌ぐためにこたつのある和室に入るとお父さんの姿が目に入る。彼の前には一人の客人がいた。


 スーツを着た若い男性。彼はこちらに顔を向けると丁寧に会釈した。反射的に私も会釈で返す。先ほど暦がお母さんにしたのと同じようにかしこまった挨拶だった。


「この人は?」


「こちらは橋田さん。『師走祭り』での新たな試みに協力してくれる方だよ」


 橋田さんと言われた彼は腰を上げると私、ではなく後ろにいるお母さんに深くお辞儀をした。


「はじめまして。私、RVC社の橋田と申します。本日は、こちらで開催される『師走祭り』が我々の『TCP』にご協力いただけることになりましたので、来訪させていただきました。明日はよろしくお願いします」


「はじめまして。妻の道枝です。こちらは娘の彩乃です」


「明日の『師走祭り』は盛り上がること間違いなしだと思いますので、ぜひ期待していてください」


 橋田さんの熱気に気圧される。この場から立ち去ろうと「汗掻いたからお風呂入ってくるね」と一言添えて部屋を後にした。自分の部屋で着替えを手に取り、洗面所へと足を運ぶ。服を脱ぎ、ジップロックでスマホを閉じて浴室に入った。湯船に浸かると暖かいお湯が全身の疲労を緩和してくれる。気持ちよさに負けて「はぁー」と甲高い声を漏らした。


 ジップロックの上からスマホの画面をタップして操作する。橋田さんの話にはアルファベットが多すぎた。理解が追いつかなかったので、ブラウザを開いて彼の会社について調べてみることにした。


 ****


 RVC、通称『Real Virtual Contact』は現実世界と仮想世界をつなぐ活動を行っている企業だ。橋田さんが行っているTCP、通称『Traditional Culturelization Project』は伝統芸能や古代建築物といった日本の文化に焦点を当てたプロジェクトみたいだ。


「うー、さむー」


 師走祭り当日。以前は私服姿で臨んでいたが、今回は神楽を舞うため袴姿で臨まなければならなかった。冬の寒さが服の隙間から縫って入り、肌に染みる。雲の合間から流れる日差しの暖かさが唯一の救いだ。

空を見上げるといつもよりクリアに見える。乾燥した空気の影響ではなく、つけているゴーグルのレンズを象った眼鏡の影響だ。メガネのアームの部分には骨伝導式のイヤホンが取り付けられていた。お父さんに言われ、私を含めた神職みんなが同じ眼鏡をつけている。


 一体何の役割があるのだろうか。そんな疑問を抱きながら比木神社組を迎え入れる準備に視線を注いだ。すると、祭具であるフクロガミの上に見慣れない物を発見した。


 緑色の小さな炎。ネットでよく見る人魂だ。


「こ、暦……あれ……」


 隣にいた暦の肩を強く叩く。恐怖のあまり人魂に目が釘付けになり、彼女に顔を向けることができなかった。暦は「痛いよー」と言いながら呑気に私が指差す方を見る。


「わあー、すごいリアルだねー」


「リアルっていうか、本物だよね?」


「いや、あれはバーチャルだよ」


 私の問いかけに答えてくれたのは暦ではなかった。隣に顔を向けると昨夜自宅で見かけた顔があった。橋田さんだ。


「昨日ぶりだね。そっちのお嬢さんははじめまして。橋田と申します」


「はじめまして。甲斐暦です」


「彩乃ちゃん、試しにゴーグルを外して見てごらん」


 橋田さんに言われた通り、人魂のある位置を見ながら眼鏡を外してみる。イヤホンが引っかかって外すのに手間取った。

裸眼で見てみると、先ほどまで鮮明に写っていた人魂がたちまち消えた。


「すごい。もしかして、これ『霊視眼鏡』ですか?」


「はっはっは。確かに見方によってはそう取れなくもないね。でも違うよ。これは『MRゴーグル』って言って、仮想世界で作られたものを現実世界で見ることができるのさ。あっちを見てみて」


 そう言って橋田さんは祭りの参加者に指を向ける。彼らは各々スマホを掲げて私たちと同じところを見ていた。


「ゴーグルをかけていなくても、スマホのアプリで見ることも可能なんだ。経費事情でMRゴーグルは神職用しか用意できなかったからね。比木神社組にも同じものが配られているはずだよ。ただ、彼らが見ているのは人魂ではないけどね」


「何を見ているんですか?」


「それは秘密。会ってからのお楽しみだよ。じゃあ、私はこれで」


 橋田さんは小さく手を振った後、祭具の準備をするお父さんの元へと歩いていった。


 向こうでは一体何が現れているのだろうか。楽しみに思いながら私は祭りに臨んだ。


 ****


 出迎えである私たち神門神社組はあぶら田渕で昼食を取った後、比木神社組と合流予定の伊佐賀神社を訪れた。ここには福智王の弟である華智王が祀られている。


「おおー、マジか」


 比木神社組がやってくる様子を眺めていると祭具を携えた神職の後ろに豪華絢爛な衣装を身に纏った勇士の姿があった。試しにゴーグルをとってみると姿が消える。どうやら彼が橋田さんの言っていたお楽しみのようだ。再びゴーグルをかけると彼と目が合う。彼は私に微笑みかける。整った容顔に惚れ惚れとしてしまい、思わず会釈した。相手はバーチャルだというのに、私は何をやっているのだろう。


「すごいねー」


 感想を口にする暦にただただ頷くしかなかった。私の目はすっかり釘付けになっていた。

彼は前にいる人魂に向かい合う形になる。晴々とした笑みには、うっすらと涙が浮かんでいた。そこで私は全てを察した。


 彼は比木神社に祀られた福智王に違いない。そして、私たちが連れてきた人魂は神門神社に祀られた禎嘉王であろう。


 師走祭りは離れ離れになった福智王と禎嘉王が年に一度再会するために設けられた祭りだ。その祭りの醍醐味が今叶えられたのだ。


 普段なら、何も思わず祭典を見ていた。しかし、涙を流す福智王に感化されてか何だか心にジーンと来るものがある。鼻を啜る音が聞こえる。私と同様、この出会いに感動を覚えたものがいるようだ。


 伊佐賀神社での祭典と神楽が終わり、次の目的地である塚の原古墳に向かう。


 禎嘉王と福智王を先頭に神門神社組、比木神社組が続く。


「福智王ってとても格好いいんだねー」


 隣を歩く暦が先頭を歩く二人を見ながらそんなことを言う。


「そうだね。銅像よりも断然こっちの方がいい。色合いの問題だったりするのかな?」


「彩乃ちゃん、福智王に見惚れてたよね。もしかして恋した?」


「ははは……そんなまさか……でも、何で禎嘉王は人魂なんだろう」


 図星を突かれたため、悟られないように話題を変える。恋したかどうかは分からないが、彼に微笑みかけられてからドキドキが止まらないのは確かだ。


「どうしてだろうね。制作場の都合かな?」


 暦はうまく話題に乗ってくれた。

ボケなのか本気なのか分からない彼女の回答に「そんな生々しい話はないでしょ」と呆れながら反応する。色々な考察に花を咲かせる私たちだったが、少しして疑問は晴れることとなった。


 目的地である塚の原古墳に着いたと同時に禎嘉王の人魂は人型へと変貌した。福智王と同じ豪華絢爛な衣装が現れる。彼の容顔は小難しい顔をした皺の多い渋男だった。


 塚の原古墳には禎嘉王の墓がある。どうやら神社に祀られていた王の人魂は当人の墓に近づくことでその姿を曝け出すようになっているようだ。


 ****


 太鼓と笛の音色が周囲に響き渡る。練習で流したスピーカーの音に比べて生の音は迫力が違う。目の前で奏でられる楽器音の振動が直に伝わる。振動に合わせるように舞う神楽はまるで楽器と一体になった感覚だった。


 前回までなかった禎嘉王と福智王の視線に緊張が走る。場内には間違えてはいけないという雰囲気が漂っていた。私の勘違いだろうが、祭りの主である二人の存在はそれだけ場内に緊張感をもたらしていたのだ。


 神楽鈴を高鳴らせ、一挙手一投足に集中して神楽を舞う。一緒に踊る暦はこの場の緊張感を全く感じていないようで向かい合うと笑みを含んだ目元で私を見る。彼女の心境が移ったのか緊張によって固まった体が緩まった気がした。


 最後までうまく踊り切り、私たちの役目は無事終了。終わったことに安堵の息を漏らす。

二人の王に視線を向けると彼らは拍手を送ってくれていた。何だか照れ臭く感じた。


「案外、いい神楽だったじゃん」


 暦と静かに感想を言い合っていると隣から見知った声が聞こえた。見ると幼馴染の栄治の姿があった。彼もまた私と同じように比木神社の後継としてこの祭りに参加していた。出番は明日に行われる夜神楽のため、今日は背中に『祭』と書かれた白い法被を着ていた。


「褒めるなら、ちゃんと褒めなさい。福智王は笑顔で拍手をくれたよ」


「メインと同じ扱いにしないでくれよ。それにしても本当によくできたアバターだよな」


「アバター?」


「化身って意味。ゲームとは違ってプレイヤーというわけではないけど、関連情報をデータとして取り込んで現実にいた姿を模倣するようにAIアバターを作ったんだろうな」


「じゃあ、実際の福智王もあんな感じなのかな?」


「さあ。でも、多少はずれていると思う。今の時代とは違って、昔は細部までデータを残せるようになっていたわけじゃないからな。不足している部分は理想の人物像のデータを反映させているんじゃないか」


「栄治って意外とそういうの詳しいんだね」


「まあな。それよりもさ、これすごくね?」


 栄治はそう言って自分のMRゴーグルのアームを手に取る。栄治は中学時代に眼鏡をかけはじめていたので、ゴーグル姿は違和感がなかった。


「すごいよね。私、さっきこうやってゴーグルを上下させて『いるいない』遊びしていた」


 私たちの会話に暦が茶々を入れる。ゴーグルのアームに取り付けられた骨伝導イヤホンを外すと両手で上下させる。その姿がおかしくて私たちは息を殺しながら笑った。笑わせたことに満足したのか暦は胸を張る。


「それとは毛色が違うけど、MRゴーグルってさ、今見ている景色を一気に変えられるんだよ。一つ試したいことがあってさ。俺にとっての今回の楽しみは明朝なんだよ」


 軽い雑談を交わしているうちに野に火が放たれる。この場所を出発する際の決まり事だ。昔、敵軍の目を晦ますために野に火を放ったという故事に則り行われている。冬の時期には焚き火代わりの寒さ対策にもなる。


「はあー、次はみそぎか」


「頑張れよ。少年!」


 ため息をつく栄治に対して、私は彼の背中を力一杯叩いて励ましてあげた。

 みそぎは旅で取り付いた悪霊を落として身を清める行事だ。極寒の中、湖に入る勇士の姿を私は毎年哀れな目で見ている。あの姿を見ると女に生まれて良かったと思う。


「女子はやらないから良いよな」


 栄治は不貞腐れながら自分の列へと戻っていった。私は彼の背中を見つめながら福智王の姿を見る。ちょうどそのタイミングで彼も私を見た。微笑む彼に思わず視線を背けてしまった。体の暑さは野に放った日の影響だけではないだろう。


 私たちは塚の原古墳を出て、みそぎをした後、神門神社で迎い火を行った。そうして一日目が無事に終了したのだった。


 ****


「あれ。いない……」


 師走祭り二日目。あまり寝付くことができず、六時半ごろに目が覚めてしまった。

 仕方なく布団から起き上がり、部屋を出ると来客用の部屋が空いているのが目に映る。中を覗いてみると、おじさんたちの中に栄治の姿はなかった。


 そこで昨日『明朝が楽しみ』と言っていたのを思い出す。一旦部屋に戻って、上着とMRゴーグルを手に取って外へと出た。

MRゴーグルは師走祭りが終わるまで各々が所持することとなっていた。


「多分、あそこだろうな」


 幼い頃からの付き合いからか、栄治の行動パターンは何となく検討がついた。冬のみ訪れる彼がこの町で行きたいところといえば、あそこしか考えられない。


 鼻からゆっくりと呼吸し、朝の透き通った空気を堪能しながら山道を歩いていく。


「やっぱり、ここだ」


 予想通り、栄治は『恋人の丘』にいた。

 恋人の丘は文字通り、恋人が集う観光スポットとして有名な場所だ。ここには南郷地区の街並みを見渡せる六角形の東屋、『百花亭』がある。


 百花亭は、百済最後の都市である泗沘のあった扶餘に建てられたものを再現して作られた。そこにある『絆の鐘』を鳴らすと一緒に鳴らした相手と強い絆で結ばれるらしい。観光客のほとんどが恋人同士で鳴らす。だからここは『恋人の丘』と呼ばれたりするのだ。


 そんな百花亭だが、栄治の目的はそれとは別にあるに違いない。なぜなら、彼の恋愛事情なんてたかが知れているからだ。昨夜、栄治のお母さんが「息子に彼女ができなくて困っている」と相談しているのを聞いた。最終的に私を嫁がせようとしてきたのは嫌な思い出だ。代わりに暦を推薦しておいた。


「お目当てのものは見えたかな?」


 百花亭に繋がる階段を上りながら自然豊かな町並みを眺める栄治へと声をかける。彼は私の声に惹かれるように体をこちらに向けた。目にはもちろんMRゴーグルをかけていた。


「何も見えないじゃん」


 彼と同様にMRゴーグルをかけたものの景色は全く変わらない。レンズが間に入ったことで少しだけはっきり見えるくらいだ。


「はあー、これだから機械音痴は……」


「悪かったわね、機械おんっ!」


 怒気を孕んだ声で喋ろうとすると彼は目の前にMRゴーグルを差し出してきた。不意の行動に呆気にとられて言葉を失う。ゴーグルを受け取ると代わりに自分が嵌めていたゴーグルを彼に渡した。


「いらねえよ」


「持っていてって意味。二つも持ってたらかけれないでしょ」


「そういうことね」


 納得してくれたようで栄治は私のゴーグルを受け取る。片手が自由になったので両手でゴーグルを握り、耳にかけた。


「うわあー、なにこれ。すごっ!」


 緑に彩られた町並みはあれよあれよと消え去り、白い雲に埋め尽くされる。

 恋人の丘は雲海の見える絶景名所として知られている。でもそれは毎年九月から十一月に見える景色であって、一月の今は見えない。なのに視界にはまるで本物のように雲海が浮かび上がっていた。


「『エニタイムビュー』っていうアプリがあるんだけど、ARを使って視界に映る景色に関してオールシーズンの景色を堪能できるんだ。だから十一月に日付を設定さえすればこの場所で雲海を楽しめるってわけ」


「勝手にアプリをダウンロードして良いの?」


「バレなきゃ大丈夫だって」


「犯罪者予備群だ。最低。言いつけてやろ!」


「絶対止めてくれよ!」


「朝から仲がいいですね」


 喧嘩口調で喋っていると後ろから見知らぬ声が聞こえてきた。「誰が仲がいいものか」と言ってやろうと思ったが、百花亭に上がってくる人物を見て自重した。

それは禎嘉王と福智王だった。豪華絢爛な衣装は一日経ってもなお、汚れることなく健在していた。


「ふ、ふくちおう……」


 私はどう身をこなせば良いかわからず、恐れ慄くような声をあげてしまう。私の様子を見て福智王は朗らかな笑みを浮かべた。


「畏まらなくて大丈夫ですよ。自然体でいてください」


「は、はい。でも、どうしてここに?」


「ここには『絆の鐘』があると聞きましたので、父上と鳴らそうかと思いまして」


 栄治と顔を見合わせると、私たちは各々逆方向に逸れ、二人に道を譲った。「感謝します」と軽い会釈をされたので私も会釈で返す。


 このまま帰るのも失礼に当たるかと思い、私は彼らの後ろについて景色を堪能した。栄治も同じ考えだったようで私の隣にやってきた。王の邪魔にならないよう小声で話す。


「まさか王がここにくるとはね」


「まったくだ。でもこれで、何でMRゴーグルが回収されなかったのかに合点がいった。祭り行事以外でも彼らと話せる機会を作れるようになっているんだな」


「なるほどー。でも、流石に話しかけづらいよね。あんなに仲良く話してたら」


 前にいる二人は、『絆の鐘』を鳴らした後、百花亭から見える風景を堪能しながら会話に花を咲かせていた。福智王は興味津々に禎嘉王に尋ね、禎嘉王は真摯に福智王に教える。その姿はまさに親子だった。柔和な笑みを浮かべる二人を見ていると心が温められる。


 本国の内乱の末、日本に逃げてきた禎嘉王と福智王を含めた百済王の家族は、途中で船の状態が悪くなり、二手に別れることを余儀なくされた。二人の王はそれぞれ別の浜に辿り着き、禎嘉王は南郷で、福智王は木城町で、平穏に暮らしていた。しかし、数年後、百済王の存命を知った本国が追手を日本に向かわせ、やってきた彼らに禎嘉王は命を奪われた。戦中、福智王が駆けつけ、二人は再会を果たしたものの、禎嘉王が命を落としたことで今のような平穏な状況での再会は叶わなかった。


 だからこそ、一年に一度だけ会うことを許される師走祭りをとても心待ちにしていたのだろう。私は歴史上の知識ではなく、今話している彼らの表情を見て初めて、そう強く思うことができた。


 十分にここでの会話を楽しんだ二人は階段を降りるため私たちの方へと歩いてきた。


「二人の空間を邪魔してしまい、すみません」


「「いえいえ、私たち恋仲じゃないんで」」


「はっはっは。息がぴったりじゃないか。そういうのを仲がいいと言うのだぞ」


 一字一句違えない台詞に禎嘉王が高笑いする。福智王も持っていた扇子で口を隠して笑っていた。


「そういえば、君は昨日、祭典で神楽を舞っていたね。いい神楽だった」


「ありがとうございます。今日は彼が夜神楽を舞うので、楽しみにしていてください」


 急に褒められたことに、なんて言っていいか分からなかったため栄治にバトンを渡す。まさか振られるとは思っていなかったようで、栄治は驚くとともに冷たい視線を送ってきた。


「そうか。それは楽しみだ」


「よ、よろしくお願いします」


 栄治は照れたような仕草で応答する。王は「また祭事で」と言って階段を降りていった。


「おい、彩乃。急に俺に振るなよ」


「いいじゃない。これでいい緊張感持ってやれるでしょう」


「むしろ緊張しすぎるくらいだよ。それにしても、本当によくできたアバターだよな」


「うん。多分、アバターって言われなかったら分からないと思う。そんなわけないか。あんな衣装で町を歩く人なんていないしね」


 王の姿が見えなくなるまで私たちは彼らをまじまじと見つめながら話を続けた。


 ****


 二日目が終わり、祭りは最終日を迎えた。

 お別れの式を終え、窯でできた炭を顔に塗る『ヘグロ塗り』が行われた。


「あのなあ……」


 栄治との別れを惜しむという名目で彼の顔にたくさん炭を塗ってやった。栄治は呆れたような視線を私に向ける。


「へグロ塗りは涙を隠すために塗るんだぞ。おでこに塗っても意味ないだろ!」


「あんたはおでこの汗を隠すべきなのよ。夜神楽の時、緊張で大量の汗を流してたの忘れたの?」


「あれは精一杯神楽を舞ったが故の汗だよ」


「嘘つきなさい。舞う前に掻いてたんだから」


「はいはい。二人とも夫婦漫才はそこまでね」


 私たちの喧嘩に暦が割って入ってくる。彼女は私の両頬に墨を塗った。


「へグロ塗りは別れの涙を隠すために塗るの。私たちは同じ町なんだから別れないでしょ」


「はいはい」


「こらあ、おでこに塗るな!」


「ほら見ろ。おでこに塗られるの嫌だろ」


 手でおでこを触ると微かに炭が取れる。最悪だ。こんな姿を見られたらお嫁に行けない。


「まあまあ、福智王も塗られてるんだから」


 暦が王のいる方へと指を差す。彼らもまた私たち同様、顔に炭が塗りたくられていた。


「へえー。流石はMR。炭も塗れるようになっているのか。俺たちも塗りに行こうぜ」


 栄治の提案に賛成し、私たちは炭を持って王の元へと向かった。順番に塗りたくる町民の列に並んで順番を待つ。


「彩乃さん、来てくれたんだね」


 自分の番が回ってくると福智王が私の名前を呼ぶ。知っていることに驚き、返事が空回りしてしまった。おそらく栄治と一緒にいた際、彼が私の名前を口にしていたので、その時に覚えたのだろう。


 福智王の顔はすでに真っ黒になっていた。しかし、禎嘉王との別れの時間が迫っているためか目尻からこぼれた涙が彼の顔に塗られた炭を消していく。涙を隠すための炭なのに涙で消されてしまっては意味がない。


「別れに涙は似合わないですよ」


 私は涙が通ったと思われる滲んだ箇所に炭を塗りたくる。私の動作に反応してか、炭で描いた箇所が黒く塗られた。感触はまったくのないのに、おかしなことだ。


「これでよし!」


「ありがとう。彩乃さんの言うとおりだ。別れに涙は似合わない」


 彼はそう言ってはにかむ。その表情を見て、照れ臭くて顔を逸らす。この祭りの間に何度かされたが、結局、慣れることはなかった。

三十分間、大いに別れを惜しんだところで比木神社組は神門神社を後にした。


 別れの際は『くだりまし』と言われ、行きとは逆に比木神社組が先頭となって歩く。


「オサラバー」


 歩いている途中、後ろを振り返ると神門神社から炊事道具を持った町民が大きな声を上げながら大きく手を振る姿が見える。


 オサラバーは韓国語のサラボジャーから来ていると言われており、『生きて再び会いましょう』と言う意味である。


 私たちは最後に塚跡地へとやってきた。


 ここで禎嘉王と福智王は最後の別れをする。


「父上、また会いに行きます」


「ああ。また一年後、お前と会えるのを楽しみにしている」


 王であり、親子である二人が別れの挨拶を交わす。私たちもまた神門神社組と比木神社組に分かれて向かい合った。二人の姿を見ていると、彦星と織姫を思い出す。二人もまたこのように別れを惜しんでいるのだろうか。


 別れの挨拶が終わり、比木神社組が福智王を連れて比木神社へと戻っていった。

 栄治ともここでお別れだ。互いに言葉にはしないものの身振りで挨拶を交わした。


 去る最中、福智王が私を見た気がした。一瞬呆けた表情をしてしまったが、すぐに顔を引き締めると穏やかな笑みで彼に手を振った。栄治と同様、福智王とも次に会うのは来年だ。


 歴史の知識でしか知らなかった百済王族たち。アバターではあるものの、彼らの容姿と人柄を知ったことで、この『師走祭り』をより身近に感じることができた気がした。


「ねえ、お母さん」


 私は神職ではないものの娘の晴れ衣装を見にやってきていた母親に声をかける。


「何?」


「また来年も神楽やってみようと思う」


「本当!? どう言う風の吹き回し?」


「それは秘密」


 三日間行われた師走祭りはどの日も晴天に包まれていた。しかし、三日目の今日が一番日差しが強く暖かく感じられた。

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