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翌日、バリス様とファリダ様はゆっくりと朝を過ごされた。
朝市にやってくる同じ村の人の帰りの荷馬車に乗せてもらう事になっているので、朝市が終わるくらいまで余裕があるそうだ。
ゆっくり朝ご飯を食べて、朝湯もしちゃう。
そうしているうちに、いい頃合いになった。
お帰りにはいつも通りスタッフみんなでお見送りする。
「長い間生きてきて、最後にこんなにいい思いをさせてもらって、子供たちにもだけど、みなさんにも感謝ね、ありがとう。後もう少し頑張ろうって気になったわ」
ファリダ様が笑顔でそうおっしゃってくださった。後半ちょいブラック気味だけどね☆
お元気に長生きしてください!
「こちらこそ、そう言っていただいてありがとうございます。これからも精進いたします」
スタッフ全員で頭を下げた。
「バリス様、ファリダ様、またのお越しを心よりお待ちしております。お気をつけてお帰りくださいませ」
「「お気をつけてお帰りくださいませ」」
「また来られたら嬉しいわ。ちょっと頑張っちゃおうかしら?」
最後まで茶目っ気たっぷりのファリダ様は、やっぱり可愛らしかった。
ちなみに、今回は出勤ではなく帰宅なので「お帰りくださいませ」になった。
その辺は使い分けている☆
見上げれば、夏の青い空。今日も暑くなりそうだ。
道中お気をつけて!
◇◆◇◆◇◆
去年と今年は、まぁまぁ元気に六月を乗り切れたようでよかった。
毎年六月になると、コハルさんは少し元気がなくなる。
「大丈夫大丈夫!季節の変わり目は疲れやすいのよ。三十過ぎると回復が遅くなってやんなっちゃう!」
なんて笑いにして、それでみんなも納得してるけど、ずっと見てきたからわかる。
六月は、コハルさんが生まれ育った国からこの国に飛ばされてきた月だ。
きっと元いた場所や家族や友人を思い出しているんだろう。
去年はエラムが『リョコウダイリテン』というものを立ち上げたり、シリル殿下の観光業が始まったり、それに伴って宿屋従業員の教育を任されたりと忙しかった。
今年はユーリンとシリンのつわりに気が気じゃなかったようで、(二人には悪いけど)それで少しでも気がまぎれたのならよかった。
そういえば、あの時来ていた料理人。あれ絶対コハルさんに気があったよな。
たった四~五日でガッチリ心をつかんでしまうコハルさん、恐るべし…。
コハルさんという人は、一目惚れされるタイプではない。と思う。
好きな人をこういうのはナンだけど、目を引く美人という訳ではないし、男心を惹きつける魅惑的な女性という訳でもない。
コハルさんの名誉のために言うと、女性の魅力に乏しいというのではない。
それよりも母性というか…、根拠もなくこちらを受け入れてくれると思わせる慈愛に満ちているというか。
関わっていくうちに、その内面に触れて、人柄から惚れられていくタイプだ。
やっぱり恐るべし。
「サイード、なんか失礼な事思ってない?」
「え! 思ってないよ! なに急に…」
「その動揺があやしい」
ちょっとだけギクリとした。
いや、失礼な事は思ってない筈。失礼な事は。
たまにコハルさんって鋭いんだよな。何なの?女の勘ってヤツなの?
「いやぁ、コハルさんモテるなって思いだしてたんだ」
「は? そんな訳ないでしょ。やあねぇ、サイードったら」
動揺したせいか、言わなくていい事を言ってしまった。失敗。
「コハルさんはモテるよ」
ジダンがボソッと言う。
え。誰に?
「そうね。私もそう思う」
マリカが言って、ユーリン達も頷いている。
だから誰に?
今夜来ているクバードとアゼルは無表情だけど、フォークを動かす手が早まった。
うん、こっちはわかる。
「マジか。まさかのモテ期到来!」
コハルさんは、あっはっはと、おかしそうに笑った。
嬉しそうに、というのじゃないところがコハルさんらしい。少し安心する。
「「マジマジ」」
子供たちが合わせたように言う。
「アラフォーなのに?」
「コハルさんは十は若く見えるよ」
「それにしてもアラサーじゃん。(結婚)適齢期はすぎてるわ」
「実年齢アラサーじゃないからね。なに詐欺まがいな事言ってるの!」
「詐欺!!」
マリカのツッコミに噴出したコハルさん。
そのままみんな大笑いになる。
ちなみに。アラサーとかアラフォーとか、コハルさんの国の言葉はうちに浸透していて、みんな普通に使っている。
しかしそうか。やっぱりコハルさんはモテるか。みんなにもそうとわかる何かがあるのか。
少し焦る。自分の知らないところで親密な誰かが出来たら困る。知らないところでは競いようもない。
チラリとクバードを見る。
視線を受け止めたクバードは不敵に笑って
「コハルはいい女だもんな。俺だって惚れるくらいだ、他のヤツの気も知れる」
堂々と言い切った。
「クバードったらまたそんな事言って!お代わりしちゃう!何がいい?」
コハルさんが笑いながら流す。
ホッとし… ちゃダメだ!
クバードもこの秋を待っている。
負けられない。俺だってずっとコハルさんを好きなんだ。
だけどどうしたらいいものか…。
「サイード進んでないよ?夏バテ?」
コハルさんから声がかかる。
いけない、悩むのは後だ。
「全然!」
俺は笑顔で食事を再開した。
◇◆サイードの回想の中にあった、コハルさんに気があったという料理人の話◇◆
シリル殿下というお方は、やっと成人したばかりの若干十五歳だ。
十五歳であの威厳。王子様ってお人はそういうもんなのか?
俺らを見渡す目の力。目標と理想を語る声。
熱意ある話を聞いているうちに、俺は若く野心があった頃のように力が湧いてきた。
この国は小せぇらしい。俺は他の国に行った事もねぇから知らねぇけどよ。
シリル殿下は、その小せぇ国を豊かにしたいと言った。そのために俺たちに手伝ってほしいと言ったんだ。
国のためなんて大それた事はよくわからねぇ。だけど美味い料理を作ってくれと言われたんならやれるってもんだ。これでも俺は少しは名の知れた料理人だからな。
そうして、宿の名物になる珍しい料理を習いに行ってこいと言われた。
俺が、俺の持てるすべての力を使ってお仕えしようと決めた殿下に、一目置かれているという人は、噂のお宿の女将をやっているという女の料理人だった。
あのお方が認めている人だ。どういうお人か見極めようじゃねぇの。
まぁ、初日の料理を作る前から驚きは始まったね。作り出して一品目でもう完敗した。
勝ち負けなんかじゃねぇけど、少しは名の知れた、なんて粋がってたのが恥ずかしくなるくらい惚れ惚れする料理だった。
コハルさんは手先の器用さだけじゃなく、料理の繊細さ、客の体調なんかで味の加減をする細やかな心づくしなんか、今まで考えもしなかった事を当然のようにやっていた。
一緒に働いている娘たちもよく仕込まれている。
いい事ばかり聞く噂は大きく盛られているんだろうと思っていたが、こりゃあ本当だったと脱帽した。いや、惚れた。
コハルさんは一緒に料理をすればするほどいい女だった。
料理の世界では女の料理人なんてほとんどいねぇ。料理人のいねぇ古い宿屋なんかで、婆さんが飯を作って出す、なんてところくらいだ。
そんな世界で、コハルさんはこんなにものびのびと美味い料理を作っている。
最初は料理に惚れたけど、一緒に働くうちに中身もいい女だと思うようになった。
こんな嫁がほしい。
娘はいても、亭主の姿は見えねぇ。死に別れでもしたのか?一人もんなら一緒になっちゃくれめぇか。
たった三日でそんな事を思っていた。
かなり本気で思ったが、よく考えたら、いやよく考えなくても、俺には新しい宿で料理人の仕事がある。コハルさんにはこのお宿がある。一緒になるのは無理だ。
俺はシリル殿下の力になるって決めたから、どんなに惚れた女ができたとしてもそいつはゆずれねぇ。
コハルさん、あんたの事は忘れねぇ。
この先も、お互い料理人として頑張っていこうじゃねぇか。
なんて、小春の知らないところで始まるかもしれなかった恋が終わったのだった☆




