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さて。離れにご案内して、いつものように室内とお風呂の説明する。
サーム様は今までのお客様同様、驚いたり感心したりしている。
リマ様は見えないからリアクションは小さいよね。
それでも温泉に手をつけて
「これが万病に効くという薬湯…」
小さな希望が聞こえる声で言った。
あぁそうか。うん、そうだよね。
やっぱりお二人はリマ様の目が見えるようにと湯治に来られたんだ。
予約は一週間の連泊だった。
リマ様の目、早く見えるようになったらいいな。
夕食はリマ様に食べやすくした。介添えもする。
サーム様はいつもどおりのお料理を召し上がっていただく。
介添えを申し出ると、リマ様はしきりに遠慮していたけど、こんな風に言ってみた。
「お父様にゆっくりお食事を楽しんでいただきましょう」
「……はい。ありがとうございます」
また涙ぐんで、それから恥ずかしそうに続けた。
「外で食事をしたことがないので、よろしくお願いします」
か~わ~いい!!
健気&謙虚&清らかさ!!思わず表情が緩んでしまう!
はっ!
笑顔のサーム様が私たちを見ていたよ!
表情を引き締めて(今更遅いけど!)介添えを続ける。
その後、夕食の時に聞いた話で何となくご来宿事情がわかってきた。
サーム様リマ様親子は隣町、一昨年ご来宿された(宿泊はしてないけど)ナディムさんの住む町の人だった。
それでうちの事を知ったけど、その時は噂話くらいにしか聞いていなかった。
まぁね。うちは湯治と、たまの贅沢ご褒美お宿がうりだけど、どちらかというと贅沢ご褒美の方で名が通っているし、大ケガや大病の方が湯治にいらした事もなかったからね。
だけどその後、昨年ご来宿されたタハミーネ様の話が広がって来た。
長く患っていた貴族のお嬢様が、お宿の薬湯で完治された。
家から出る事もままならなかったお嬢様が、社交界デビューをしてダンスもできるまでになった。
娯楽の少ないこの世界、どんな事もニュースになるし、センセーショナルな事なら余計に国中を巡るんだろうなぁ。
一度お礼状はいただいたけど、うちにはその話が聞こえてこなかったから知らなかったわ。
タハミーネ様、ぶじ社交界デビューできてよかった。
話を戻して。
という訳で、うちの薬湯には大病を癒す効果があると、大病を患っている人たちの間で話題になった。
話が本当なら、子供を、親を、連れ合いを、健康にしてほしい!
しかし予約を取ろうにも平均半年待ち。
日々生きるためにぎりぎりの生活をしている人なら宿代をためるのにも時間がかかる。
お金がたまっても仕事を休んで泊まりに来るのは難しい。遠い町からなら尚更だ。
じつは、タハミーネ様がご来宿されたしばらく後から今まで、病気やケガをした方々のご来宿が増えていた。
これはそういう事だったんだね。
湯治は元々お宿のコンセプトだ。どんどんいらしてほしい!
いらしてほしいけど…。
宿代とは別に、移動に日にちがかかるとか、仕事を休めないとか、来る事自体が厳しい人が多いのか。切ないなぁ。
サーム様とリマ様は隣町だから他所よりは近いし、(とはいえ馬車で一日の距離だけど!)何より娘の目が見えるようになるのなら!と、サーム様は仕事を辞める覚悟でうちに来たらしい。
幸いサーム様の雇い主はリマ様の事をよくわかっていて、長期のお休みを了承してくれた。
いいご主人じゃないか!
この世界には長期のお休みなんてない。
長期どころかお休み自体がない。
病気もケガも軽ければ休むなんて考えもないし、重くなったら死ぬのを覚悟で休むのだ。
なんて恐ろしいんでしょ!
ほんとに!リマ様の目が早く見えるようになりますように!!
夕食後、少し食休みをしてから入浴の介添えをする。
この国の庶民に入浴の習慣はなく、男性は頭から水をかぶったり、女性は濡れ布巾で身体を拭くなんていうお風呂事情だ。
お客様には最初のお風呂の説明と一緒に入浴の作法もお伝えするけれど、目が見えないんじゃ一人で入れないし、お父さんが年頃の娘さんの入浴の世話をするのはお互いに恥ずかしいよね。
私だったら断固拒否だ!!
という訳でお風呂のお世話も申し出たんだけど、食事の時と同様、お二人ともずいぶん申し訳なさそうに了承していたよ。
ではお風呂に入りましょうか。
リマ様に椅子に座ってもらって、私は髪を洗う。
身体は自分で洗ってもらう。たっぷりの泡を立てたタオルを手渡すと、泡の感触が面白かったのか、リマ様は楽しそうに洗っていたよ。
可愛い。
髪と身体を清めたら温泉につかってもらう。
長い髪はタオルでターバン巻きだ。
私は湯船の縁に座ってリマ様を見守る。
リマ様はお湯の感触を楽しんだり、すくって目にかけている。
温泉につかりながら、リマ様はポツポツ話してくれた。
リマ様は生まれた時から目が見えなかったそうだ。盲目の娘のためにと、お母さんは生活するすべての事を厳しく仕込んでくれた。
だけどそのお母さんはリマ様が十歳の時に亡くなってしまう。以来男手一つでサーム様がリマ様を育ててきた。
「母は亡くなる時、自分が死ぬ事より私の事ばかり心配していました。父もずっと私を心配しています。冗談のように言うんです。先に死ねねえなぁって…。本心ですよね。
私、父に安心してもらいたい。目が見えるようになりたい」
祈るようにお湯を目にかけるリマ様。
二十年見えなかったなら、見えるようになるまで少しかかるかもしれない。
宿泊予定は一週間だ。できるだけ早く見えるようになりますように。
なんて思っていましたが!
三日たっても五日たっても何も見えないらしい。
なんで? どうして?
タハミーネ様の時を思い出す。
タハミーネ様は身体が悪かったんじゃなくて気持ちの方だった。
リマ様もそうなの? 目が見えないのに心になんかあるっていうの?
わからない!
わからないから、毎度困った時の救世主、スーさんに聞いてみよう!!
『コハル、あの湯が万病に効くといっても、効かす元がなければ効かせようがない』
「とは?」
『その娘、生まれた時から目が見えぬというのだろう?見える筈の元がないのだろう。
ないものには効果も出ようがない』
え…?
「閉じてる目蓋の中に眼球がないって事ですか?!」
怖っ! なにそれ、ホラーじゃん!! それともこの世界ではありなの?!
『おかしな想像をするな。普通の人間なのだろう?眼球はあるだろう。
…そうだな。元々の機能がない、持って生まれてない、そういえばわかるか?』
え…。
そんな!それじゃリマ様は、何をどう頑張っても見えるようになる事はないの?!
そんなの、そんなの…、あんまりだ。
黙り込んだ私に、スーさんは言った。
『わたしはその娘を直接見てないからわからぬが…、五日もあの湯につかって何も効果がないというのなら、そうかもしれぬという事だ』
「…そうですね!あと二日ある!奇跡がおこるかもしれないし!」
私は、奇跡と言っている時点で望みが薄いという事に気づいていなかった。
気づいているスーさんは、何も言わなかった。




