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話してみてくださいとは言ったけど、推定悪人。
クバードが「ほうっておけ」と言う事も、ルナの『やめておけ』という視線もわかる。
時間は夕方で、お客様の夕食の準備がある。
話を聞く時間も、クバードたちに納得してもらう時間もないのだ。
そこでナディムさんにはもう一度、スーさんの結界をくぐってもらう事にした。
結界が発動しなければ話を聞く。変わらず発動したら悪だからさようなら。
ナディムさんが敷地内に入れたら、悪心を持ってないと証明できるでしょ?
そう言って、クバードとルナには納得してもらった。
ナディムさんには、忙しい時間だから話を聞くなら後になる。それでもいいならついてくるようにと言って、私たちは先に住人用の通路から中に入った。
結果からいうと、ナディムさんは後から続いて内側に入れたよ。
あの告白は本当で、ほかに隠し事もないと証明された。
クバードとルナを見ると、二人は無言でため息をついたよ。
とはいえ、お宿のすべてを見せていいかは別だ。ナディムさんには家の方で待ってもらう。
クバードたちがしっかり監視をするって。
そうしてからようやく、私はお宿の厨房に戻れた。
「コハルさん何だったの?」
「大丈夫だった?」
「まぁとりあえずは何とかした。おいおい話すけど、お料理の方はどこまでできた?」
一人抜けた分は大きい。うちは家族経営だからね!
まずは話よりお料理だ。お客様をお待たせできない!
それからしばらく厨房は大わらわになったよ!
お客様に夕ご飯を出し終わって、また明日と離れを下がり、後片づけをして、家の方に戻ってきてから、忘れていたナディムさんを思いだした。
いや、思い出したというか、家の中にいたから、あ。という感じね。
「みんな今日もお疲れ様。先に食べてて」
「うん。ユーリン、シリン、手伝って」
「「は~い」」
マリカが二人と台所に行く。
女子チームには、お宿にいる間にナディムさんの事は話してある。私はご飯の支度をせず彼と話をする事になっているのだ。
「ナディムさん、ご飯食べました?」
一応ナディムさんの分も運んでもらったから、あげずに自分たちだけ食べちゃう事はないと思うけど、なんせ推定悪人(まだ事情を聞いてないから)クバードはそういうとこ厳しそうだからなぁ。聞いてみた。
「いただきました。 …とても、美味かったです」
おや、言葉遣いが変わっている。
「どうしました? なんか、夕方とは雰囲気が違うような?」
「あんなに美味い料理を作れるなんて、心からすごいと思いました。
素性も分からない俺に飯を食わせてくれるのも、事情を聞いてくれるといってもらえたのも、コハルさんは懐の深い人だと…。待っている間に、自分が恥ずかしくなりました」
あら。う~ん…。
これはどう反応していいかわからないぞ。
あぁ、でもそうだ。
「夜も遅くなっちゃいますから、とりあえず事情を話してください」
とにかく事情を聞かないとね。
ほら、そこ!呆れた顔をしない!
いつもならとっくに帰っているナルセとクバードが居残っているのは、ナディムさんを警戒しての事なんだろうなぁ。
そしてナディムさんがどうにかならないと帰らないんだろうなぁ。
「手前勝手な理由で申し訳ないですが、じつは…」
と話し出したナディムさんの、うちの前に居座っていた訳と、お宿に入れなかった理由とはこういうものだった。
ナディムさん、隣の町の宿屋のご主人だそうだ。隣の町といっても、ここと同じく外壁に囲まれた領だけどね。
馬車で一日、歩きだと二~三日離れた場所にある。とはいっても町としては一番近く、隣という位置になるんだって。
ちなみに間にいくつか村はあるそうだ。
ナディムさんの宿屋は、親の親の、そのまた親の代くらいから続いていて、隣町では中堅どころだそう。食べるには困らない、そこそこ繁盛している宿屋だったらしい。
ところが二年ほど前、ナディムさんが後を継いだ頃から、だんだん経営が傾いてきた。
今までと変わらずやっている筈なのに、何が原因かわからない。
町に出入りする人の流れ、旅人や冒険者や行商人など、宿泊するような人たちの数が減っているように思える。ほかの宿屋も活気がないようだ。
どうした事かと何が何やらわからず困っていた。
そんな時に、たまたま泊り客の酔った大声で、うちの事を知ったと…。
「この町への人の出入りが増えたのは、隣の町の分がこっちに流れていたからか。
このお宿に泊まった客がほうぼうで自慢してるからな。おかげでこの町の宿屋の質が上がったともっぱらの噂だ。泊まるなら誰だっていい宿がいい。俺が暮らしている宿屋もずいぶんよくなった」
「俺の暮らしている宿屋もだよ。客はいい宿屋に流れるもんね。客を呼び込むために、どこの宿屋も改善したって聞いたよ。この町の宿屋なら、安くてもそれなりに質のいい宿屋ばかりになってるって」
宿屋暮らしのクバードとナルセが言うと
「そうなんです!この町の宿屋はどこも質がいいと、周りの町から人が流れているんです。その中でも中心がこのお宿だと聞いて、その秘訣を知る事ができればと…、やって来たという訳です…」
ナディムさんが悲痛に叫んだ。
というか、そんな事になってたの?
「町中で宿屋の質が底上げされたって事?」
マリカも同じ疑問を持ったらしい。
しかしそうか。私はニンマリした。
「質の向上はいい事だね!うちを見習って?くれてるなんて嬉しいじゃない♪
お客様には選ぶ自由がある。お客様に来ていただきたいなら、努力しなくちゃだよね!」
「私たちはお客様に喜んでいただけるよう、おもてなししてるもんね!」
「キギョウ努力よね!」
シリンとユーリンが自慢そうに言う。
ユーリン、私が言う企業努力、君わかってないね?
ユーリンを見ると、そっと目をそらした。
「あの…。 厚かましい事と重々承知ですが!そのキギョウ努力というものを、ぜひ教えてください!」
企業努力って概念ないのかな?ナディムさんも知らなそうだ。
ナディムさんが期待する、秘訣とかいうもんじゃないんだけどな。
「特別な事をしてる訳じゃないんですよ?どこでもやってる事だと思います。
宿を清潔にして、美味しい料理を出して、おもてなしの思いでお客様をお迎えする。
他と違うところは、うちは建物がちょっと贅沢にできてる事と、あとは他の宿にはない名物をつくった事です。そんなところかな」
私がそう言うと、間髪入れず言葉が続く。
「清潔のレベルが違う」
「美味い飯のレベルも違う」
「ちょっとじゃねーし。あんな贅沢な建物、めったにねーよ」
「ほかで温泉を見た事はないよ。あれはマネできない名物だな」
クバードとナルセだけじゃない、ジダンとサイードも呆れた声で言う。
なんで呆れる!もっと誇らし気にいっておくれ!
「贅沢な建物はムリだ。そもそもオンセンが何だかわからない…」
ナディムさんはガックリした。
今日何度目だ?
「できない事を嘆くより、できる事をやらなくちゃ!掃除に料理におもてなし!それはとても大事ですよ!
この町の宿屋さんだって、(たぶん)既存の建物のままだし温泉はありません。それでもお客様は呼べるんです!」
ナディムさんはハッとした。
「そうですね…」
それから強く決意したように、声を絞り出した。
「女将さん、そのレベル違いの掃除と料理と、あと『オモテナシ』っていうものを教えてください!重ねて厚かましいお願いに恐縮ですが、うちの町も見習っていかなくちゃ先がない!もちろんただとは言いません。大変失礼ですが、教えていただいたお代はお支払いします!」
……なんだって?




