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初夏になった。
去年の事を思い返すと、そろそろ王都の貴族の方々が避暑地に向かいだす頃だ。
このお宿にも何名様かお出でくださった。
シリルのあの感じだと、きっと今年もよこすだろう。
成人前といっても王子様だ。勧められたら断りにくいよね。
それにどうせ通り道(からはちょっと外れるけど)だし、料金も庶民価格だから負担をかけないし。
うちは貴族だからって特別扱いはしないよ!
同じお代をいただくのだから、皆様同じおもてなしをする。
お宿の基本コンセプトだ♪
貴族がお泊りの時は、お宿は貸し切りになる。
主人と従者は同じ部屋に泊まらないから、東と西に分かれる。
結果、貸し切りになるって感じね。
あ、特別な事がひとつあった!呼び出しベルの貸し出しね。
離れどうしは離れているから(ダジャレじゃないよ!)声が届かないし、手持ちのベルでも音が届かない。
そこでお宿のベルを使ってもらう事になったのだ。
離れから離れは本館を通って行く事になるんだけど、普段からそういう仕事をしているからか、従者の皆さんは一分足らずで主人の元に着く。すごいなぁ。
その従者さんたち、主人と同格の部屋とか同じ料理を食べるとか、最初は頑なに固辞していた。
だけど他に部屋はないし、私たちは別にご飯を作る事もしないので、めちゃくちゃ恐縮しながら受け入れたよ。
あれじゃあ癒されないだろうなぁ。
うちは癒しのお宿なんだけどな…。
まぁ色々あるけど、このお宿に泊まる事を勧めているのはこの国の王子様だからね。
声をかけられた貴族の方々は断れないだろうし、慣れてもらいましょう!
後々、主従関係のいい家では、うちに連れてくる事を従者のボーナス的な扱いにしているとか。
随従する方も、選ばれる事が誉れに(認められているって事だからね!)なるとか。
王都でちょっとした流行りになっているとシリルから聞いた。
そんな風に思ってもらえるなんて、こちらこそ誉れだわ♪
貴族の方々が来られるようになって、スーさんに駐車場も(馬車も車の字がついているから間違いじゃないよね?)作ってもらった。
毎度お世話になってます!
お願いしたその夜のうちに、整地されたなかなか立派な駐車場ができたよ!
お馬の厩舎まであったのには驚いた。
馬車なんて縁がなかったからなぁ。お馬の事まで気が回らなかったよ。さすがスーさん!
普段お泊りに来られる町の皆様は、仕事上がりに徒歩でいらっしゃる。
だから駐車場っていらなかったんだけど、貴族の方々は王都から馬車移動だもんね。
とまぁ、こんな感じで貴族の皆様をきちんと受け入れられるようになっているよ。
話は変わって。
この二年半ほどの間に、何人か結界にはじかれた人がいたけれど、今回はまたちょっと事情の違う、お宿に入れない人があらわれた。
昨日おひとり様のご予約があったんだけど、スーさんの結界にはじかれた。
どんな悪心かわからないけど、そんな人の事は考えないし気にしない。うちに入らなかったらいいのだ♪
そんな事も忘れた翌日の午後、そろそろ本日の夕ご飯の支度をしようとみんなで厨房に立っていると、勝手口のドアが開いてクバードが顔をのぞかせた。
「コハル、門戸の外に男が一人座り込んでいるぞ。ここと関係あるか?」
「ん? 座り込んでる人がいるの? 何で?」
「それは俺が聞いている事だ」
あぁそうね!
何だかわからないけど見に行ってみよう。
夕方にはお客様がいらっしゃる。不審者だったら困る。
という事で、料理は娘たちに任せて、クバードと一緒に行ってみた。
ルナもしっかりついてくる。
住人用の通路から垣根の外に出て見れば(お客様通路とは少し離れている)クバードが言ったとおり、門戸の前に知らない男の人がいた。
「あら、ほんと。誰だろ?」
「俺も見知った顔じゃない。この町のものじゃないな」
「なんでうちの前にいるのかわからないけど、お客様がいらっしゃったらジャマになるわね。どいてもらおうか」
一歩踏み出すと、ルナが裾を引いた。
「ん?なぁに?」
ルナは私の手に頭を押し付けた。
彼は触れた人の考えを読み取る事ができるんだけど、逆もできるのだ。
『昨日お宿に入れなかった客だ』
ルナはまだ声に出しての人語は話せないけど、一緒に暮らしていくうちに学習したようで、思っている事を人の言葉で伝えられるようになったのだ。
最初の頃はそれすらなかったから、意思の疎通ができるようになって本当によかったよ♪
「げっ。悪いヤツじゃん。クバードどうしよう」
クバードはお宿が結界で守られている事を知っている。悪心を持っている人が結界にはじかれる事も知っている。
もう長い付き合いだからね。
「俺がどかそう。コハルはここにいろ。ルナ、コハルを頼む」
そう言うと、男の人に向かって歩いて行った。
「おい、お宿に何か用か? 用がないなら去れ。そこにいられると迷惑だ」
クバードは剣の柄に手をかけて、低い声で言った。
身体の大きな強面の圧。一般人はビビるよね!男の人は顔を青くした。
「よ、用はある! いや、あるというか…」
「あるなら言ってみろ」
「あんた、このお宿の関係者か?」
「……そうだ」
その間は何だろう?
おっと、気にするのはそっちじゃないか。
男の人は必死に言い募っているけど、声は震えてるし、見てわかるほど身体も震えてる。
そんなに怖いのに引き下がらないなんて、何か理由があるのかな。
「ナディムさん、ご用を聞きましょう」
予約にあった名前で問いかけた。
悪いヤツに敬称は必要ないけど、もしかしたら今後関わり合いになるかもしれない。
一応さんづけにしておこう。
「あんたは?」
「お宿の女将です」
はい、ここで自分の宿におをつけるなんて非常識じゃないかと思われた方!
普通だったらそうなんだけど、うちの宿は特に屋号がなかったので『温泉お宿』が屋号のようになり、通称『お宿』になっているんですね。説明終わり☆
「俺、俺は…。変な事を聞くようだけど、昨日このお宿に泊まったか? 泊ったような気はするんだけど、よく思い出せなくて…」
あら困ったぞ。
今までも結界にはじかれた人はいたけれど、こんな風に問いかける人はいなかった。
結界にはじかれる人はみんな、何かしら悪い事を考えて来ているからね。記憶は曖昧でも、手元に何もなかったら失敗と思ってそのまま去っていくのだ。
そう考えると、この人は泥棒系の悪人ではないのかも。
とはいっても結界にはじかれた時点で悪人だけどね!
「ナディムさんは、何故うちに泊まりに来たんですか?」
直球勝負で聞いてみた。こっちは夕食作りで忙しいのだ。早期解決したい!
「…… …… ……。
人づてに、いい宿だって聞いたんで、 …泊ってみたいと、思って…」
ちょっとキョドり気味なナディムさんをじっと見る。
嘘は言ってなさそうだけど…。
本当の事も言ってないというか。
本当は違う理由があるというか。
無言で見続けると、ナディムさんはガックリと膝をついた。
「すまない!あんたのとこの、このお宿の人気の秘訣を探りに来たんだ!どうか頼む!人気の秘訣を教えてくれ! いや、教えてください!!」
膝をついたまま、ガバリとひれ伏した。
わー! 人生初、リアル土下座を見た!!
あまりの衝撃に、なんて言われたかすっ飛んだよ!!
「やだ!立ってください!!」
慌てて近寄ると、ナディムさんに触れる前にクバードの手とルナの身体が間に入った。
あぁ、事情も何も分からないけど、この人は結界にはじかれた推定悪人だった。
三年近くこっちの世界で暮らしていても、平和ボケした日本人感覚は簡単に変わらないらしい。
二人の呆れた顔を(ルナよ!君もか!)見て、ちょっと冷静になった。
「ナディムさん、立ってください。それから、わかるように事情を話してみてください」
ちゃんと離れたまま言ったのに、クバードに大きくため息をつかれた。
それを見たルナ、真似しなくていいから!




