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翌日、労働者の朝は早い。
朝ご飯にもずいぶん感動していたセリク様を見送りに、スタッフ全員で玄関先に並ぶ。
「セリク様、ご来宿ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」
言って腰を折る。
頭を戻して見えたセリク様は、泣き出しそうな顔をしている。
「こ、こちらこそ、俺なんかみたいのに、ありがとう、ございます。
俺…。
噂で聞いたこの宿に、泊まってみたかったんす。
ガキの頃からずっと貧乏で、親は早死にしたし、いい事なんてちっともなくて。
俺、意気地がないんでダチといえるようなヤツもいないんす。
なんとなく…、生きていてこの先いい事あるのかな。ないよなぁって思うようになって」
いきなり重い話が始まったよ!!
爽やかな朝の空気が全く似合わない話だよ!!
ユーリンとシリンとローラは引いちゃってるし!
マリカは…、おや?お怒りですか?
「でも、昨日からこんなに親切にされて。いや、客だからってぇのはわかってるんす。でも、それでも嬉しくて。飯も、夢みたいに美味かったし。
俺、またここに来られるようにがんばってみようって気になりました」
切ない!!切なすぎる!!
あまりにささやかな生き甲斐に、涙がこぼれそうになったよ!
だけど…。
そう思ってもらえる事は、とても光栄な事じゃないだろうか。
厳しい暮らしの中で、生きる喜びみたいなものを感じていただけたのがこのお宿なんて、こんなに嬉しい事はない。
「そんな風に言っていただいてありがとうございます。何よりのお褒めの言葉です」
引いていた三人娘も、お怒りだったマリカもそう思ったようで、私たちは心からの笑顔になった。
「ではセリク様、またのお越しを心よりお待ちしております。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「「お気をつけていってらっしゃいませ」」
「はぁ…? はいぃ!いってきまふ!」
あ。かんだ。
セリク様は真っ赤になって、足早にお帰りになった。
ん?と思った皆様。
そうなんです。他のお宿ではなんて言うかわからないけど、うちではお見送りの時に、一般的な
「ご来宿ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」と言った後に
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」と続ける。
本当は「お気をつけてお帰りくださいませ」と言いたいところなんだけど、これから仕事に向かう人たちばかり。帰る人なんてほとんどいないんだよね。
いや、ここから帰るという意味では合ってるんだけど、何だかしっくりこない。
という訳で「いってらっしゃいませ」になったのだ。
ちなみに「おかえりなさいませご主人様♪」は言わないよ☆
五月になった。今月はテオスのお誕生日があって、彼はその日で十五歳になる。成人だ。(早っ!)
この国は、十五歳の成人で巣立ちをして自立する。家業を継ぐ長子なら居残って親元で修業したりもあるらしいけど。
まぁなんにしても大人の仲間入りだ。
通常ならテオスもこの家から巣立つ事になるんだけど…
「テオスはもうどこか住むところは決めてあるの?」
お宿のお休みの日の夕ご飯時に聞いてみた。
こういう時じゃないとゆっくり話せないからね。
「まだ。伝手もないし時間もないし。俺らみたいな後ろ盾のないもんに部屋を貸してくれる人がいるかわからないし…。店のご主人が保証人になってくれれば借りられると思うけど…」
ご飯を食べていたサイードが顔を上げる。
「お金はあるの?」
「部屋を借りるくらいはある」
「借りたら余裕はないって事ね。まぁ見習いの手間賃だけでよく貯められたよ。偉い偉い」
笑顔で言ったらテオスは不機嫌な顔になった。
ちょっと赤くなってるから、褒められて恥ずかしいのかもしれない。
「じゃあさ、来年の一月までうちにいなよ。それまでお金を貯めて、余裕をもって家を出たらいい」
「えっ! なんで、いっ、一月?!」
テオスと、アイシャも赤くなった。
「何言ってんの? え?内緒にしてたつもり?みんな知ってるよ? ねぇ?」
テーブルを見回すと、みんなうんうんと頷いている。
「マジかー!」
テオスはますます赤くなって天を仰いだ。
反対に、真っ赤になったアイシャは俯いた。
「来年アイシャが成人したらすぐ一緒になるの?それとも、余裕をもってゆっくり進めるの?」
「俺はすぐ一緒になりたい。アイシャもそう言ってくれてる」
テオスが男らしく言い切った。
アイシャもこくこく頷いている。
「そう、それじゃあやっぱり来年二人で家を出るまでいなよ。それでお金を貯めなさい。お金はいくらあってもジャマにはならないよ」
テオスとアイシャは見つめ合って、何やら考えているようだ。
「家を継ぐわけでもないのに十五にもなって家にいるのは…、なんだか…」
あぁ、世間の常識的な事?
「あっはっは。他所は他所!うちはうち!世間様が何をしてくれるって?幸せになる努力は自分でするんだから!」
笑い飛ばしてやった。
小春さんは忘れてないよ!君たちの乾いた笑いや、諦めたような声を。
「エラムは自分で進む道を拓いたよ。秋にはローラだって」
ローラを見る。ローラはギラギラと頷いた。
おぉ自信満々じゃないか♪
「兄さん、君はここの子たちの長男だよ。幸せのお手本を見せてやってよ」
「…うん。ありがとう、幸せになるためにアイシャと頑張るよ」
「コハルさん、ありがとう」
気が早いけど、みんなほんわりおめでたムードになった。
「長男は俺じゃないんだ…。俺ってまさかのおじさんの位置?」
サイードのちょっと情けなさそうな顔を見て、思い切り吹いちゃったよ!!
その場は大爆笑になった。サイードったら!
まぁそういう訳で、テオスはもう半年ほど実家暮らしをする事になった。
真夜中、子供たちが寝静まってからルナと源泉に行く。
ルナは私を守ってくれているらしい。スーさんの結界の中ではまったく危険はないんだけどね。
「スーさん、スーさん。今は大丈夫ですか?ど~ぞ」
『……なんだコハル?今日はどうした?』
「じつは…」
テオスとアイシャの事を報告する。
『おぉそうか!そんな事になっているとは全く気づかなかった!めでたいな!』
「はい!」
おめでたい話というのはいい。
「お宿の方も大きな問題もなく順調です」
ついでに営業報告もしておく。
『そうだろうな。あのレベルのサービスをされて嬉しくない客などいないだろう』
「ありがとうございます!魔獣さんたちもよく働いてくれて助かってます」
『そうか、それはよかった。コハルの料理が美味いのだろう。 わたしも食べたい…』
「あら、いつでもお出でください♪それともルナに運んでもらいますか?」
冗談っぽく言うと、いや、スーさんには冗談にならないか。
『それは嬉しい。ぜひ頼む』
ほらね! 私は笑いながら言う。
「はい!では、今夜はもう遅いので、明日の朝ご飯を持っていってもらいます。魔王様の分と二人分がいいですか?」
「そうしてくれると助かる。一人分だと奴にとられそうだ」
そんなに!?
「わかりました。では明日の朝ご飯を二人分、ルナにお届けしてもらいますね。おやすみなさい」
『あぁ、楽しみにしている。おやすみ』
ふふふ。
おめでたい報告が出来て、いい夜になった♪
そういえば…。
朝ご飯とはいったけど、こっちの時間とあっちの時間って同じなんだろか?




