02 恋人
席に来たのは先程案内してくれた男の店員……ではなく、いかにも「看板娘です」と主張している美人の女性店員が、顔を赤くして注文を取りにきた。
「えっ……と、ご……ご注文はお決まりでしょうか?」
女性はビルの顔をチラチラ見ながら緊張した様子だ。この店のメニューは壁に書いてある。それを見ながらビルはいつも通りの真面目な顔で淡々と注文した。
「温かいもの、ある?」
「あっ温かいものですね。ではっ、スープとか……温かい肉料理がオススメです」
「じゃあ……肉野菜スープとレッドバイソンの鉄板焼き。それとパンもつけて。ホリーもそれで良い?」
「うん。それで」
「かしこまりました。肉野菜スープとレッドバイソンの鉄板焼きを二人分ですね。先にパンとスープを持って参ります!」
スタイルも良く可愛らしい顔の看板娘は、真っ赤な顔をして店の奥へと入って行った。
私は改めて目の前の男に目を向けると、心の中でため息をついた。「またか」と。
「相変わらずだね」
ビルの美形ぶりは男も女も惹きつける。少し顔向けて話すだけで相手は落ちてしまうのだ。
「髪が茶色なのが珍しいだけじゃないか?」
「……本気で言ってる?」
シランキオ人は黒い髪と瞳が特徴的。たまに居るのが茶色の髪に瞳を持つ人だ。たまたまビルがそうであり、親友であるミックも同じ茶色だ。ただし、ミックの顔は精悍な顔だが貴族の中では平凡の部類。「この人何言ってるの?」って顔にもなる。
「……そんな顔しないでよ、ホリー。冗談だからさ」
ビルはツンツンと私の眉間に指を当てる。知らないうちに眉間にシワが寄っていたらしい。すぐに私はビルの手を振り払った。
「私は美形じゃないから、ビルの気持ちが分かりません」
私はさほど珍しくもないストレートの黒の髪と瞳。顔も貴族の中では平凡顔。身体も棒の様に真っ平ら。ついでに家も子爵の下の田舎男爵。……つまり良いところが一つもないのだ。
一方ビルはストレートの茶の髪と瞳を持ち、上位貴族に匹敵するほどの美形。下位貴族である子爵家だというのに、整った顔は見るもの全てを惹きつける。
この国の階級は上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵だ。伯爵より上が上位貴族で、子爵以下が下位貴族。基本上位貴族の方が見目麗しい方々が多いとされている。一方下位貴族は平民と結婚出来るため、見た目がやや上位貴族より劣るのだ。
私は劣っているなんてもんじゃない。正直先程の看板娘の方が美人だった。つまり私の容姿は平民以下。なのに、ビルが恋人に選んだ相手は私。
楽しいデートだというのに、私の頭はビルに対する疑いしかない。
「ねぇ。どうして私と付き合う気になったの? ……婚約者にもなれないのに」
「それは父上が硬いんだよ。婿にいけるだけでも運が良いのに……」
普通貴族の令息令嬢が付き合っていれば、婚約するのが一般的だ。しかし私達は婚約者ではなく恋人。その理由は、ビルの父親のロッドフォード子爵だった。
「あまりビルに近づかないでくれるかな? 上と縁を結びたいのに、君の様な人がいては……ビルの価値が下がるじゃないか」と、以前王城のパーティーで王女の護衛をしていた私に、ロッドフォード子爵がわざわざ近づいてきて、耳元で囁いたのだ。
言われた翌日に別れを切り出したのだが、ビルは頑として譲らなかった。
ビルは子爵家の次男。嫡男ではないので後継になれない。貴族の次男以下は後継がいない家に婿に行くのが一般的だ。
私は田舎男爵だが、たまたま男兄弟がおらず私と結婚した人が男爵を継ぐ予定。なので普通は結婚相手として申し分ないのだが、ロッドフォード子爵が行く手を阻む。
なので今だに私とビルは恋人のまま。「このままで良いのか」と私は日々葛藤している。
しかしビルは私の密かな葛藤よりも、さっきの質問に真剣な表情で答えた。
「それよりホリーと付き合う気になった、きっかけだったっけ? ……俺と普通の会話が出来て楽しかった事かな」
「は? それなら誰でも出来るでしょ」
「それがそうでもないんだな。普通の令嬢は俺と会話をしてくれないんだ。自分の事ばかり話してね。ホリーって珍しいんだよ?」
「私を珍獣みたいに言わないでくれる?」
「俺にとっては希少で捕まえなきゃいけない女性なんだって。あとは……キスかな」
「キス……」
「自分から求めるキスって、初めてだったんだ。……たまらなく良かった。ホリーとのキス」
するとパンとスープを運んできた看板娘が、盛大に床にぶちまけてしまった。
ガシャガシャガッシャーン!!
「もっ……申し訳ございません」
「ん? ……コラ! 何をやってるんだ!! 申し訳ございません。お客様、お怪我はございませんか?」
店長と思われる男が奥から慌てて出てきて謝罪してくれた。看板娘はというと、呆然とした顔で固まっている。
「大丈夫ですか?」
私が看板娘に声をかけると、こちらに目を向けて「……大丈夫です」と苦笑いを浮かべていた。