魔女が居たお店
まず初めに、あれから二十年以上経過しているため、この不思議な体験の当事者である僕の記憶が曖昧で、どこまでが現実でどこからが空想なのか僕自身が把握していない、ということを念頭に置いて読んでほしい。
小学校を卒業するまで住んでいた街で、僕は魔女を自称する女の人と会い、交流を持ったことがある。
小学一年生の時のことだ。
当時の僕はゲームにはロクに興味を示さず、家に帰ってやるべきことを済ませたら、暗くなるまで自転車で街中を駆けずり回っているような子供だった。
忘れもしない。
そんな僕が自称魔女の『お姉さん』と出会ったのは、春先のまだ肌寒い日のことだった。
進級を間近に控えた僕だったが、その日もいつものように愛用の自転車で走り回り、五時を告げるチャイムを聞いてそろそろ帰ろうかと思い始めた時だ。
住んでいる家がある住宅街の片隅に縮こまるようにして、一軒の店があるのを見つけた。
真っ白いモルタル壁が印象的な、こじんまりとした店で、二階が居住スペースになっているようだった。
自転車を停めると、小さなショーウィンドウに男女一組のぬいぐるみが椅子に座らせてあるのが分かった。
可愛らしいデザインだったが、帯びているオーラというか、纏っている雰囲気にそれだけでは終わらない物を感じ、引き寄せられていたのだと思う。
ショーウィンドウの前にしゃがんでまじまじとぬいぐるみを見ていると、不意に横から「ぼく、どうしたの?」と声を掛けられた。
顔を上げると、すぐ横にエプロン姿の女の人が立っていた。
黒い髪を長く伸ばし、優しそうな顔と朗らかな声をしていたのをよく覚えている。
「お姉さん、誰?」
僕が尋ねると女の人は「私は魔女」と答えた。
魔女といえば、絵本に出てくる皺くちゃの老婆でイメージが凝り固まっていた当時の僕は、そう伝えた上で「からかってるの?」と女の人に疑いの目を向けた。
するとその人は「じゃあ逆に聞くけど、もしぼくが見た目を変える魔法を使えたら、よぼよぼのおじいさんになりたいと思う?」と聞いてきた。
僕が首を横に振ると、女の人は「そういうこと。私は見た目よりずっと年を取ってるの」と言った。
だが、まだ納得がいかない僕は引き下がらなかった。
「魔女なら他にも魔法が使えるでしょ。見せてよ」
これ対して女の人は「魔法は無闇に使う物じゃないし、見せびらかす物でもないの」と答えた。
だが僕も僕で「お姉さんが魔法を見せてくれなきゃ、魔女だって信じない」の一点張りで、話は平行線になった。
ついに僕の「簡単な魔法でいいから」という言葉に女の人が折れる形で、「じゃあ、あなたの家の屋根でカラスを三度鳴かせてあげる」と言い、僕も本当にそうなったら信じるということになった。
その日はそのまま家にまっすぐ帰ったが、自転車を軒先に置いた直後、屋根からカア、カア、カアと三度鳴き声が聞こえた後、暗くなり始めた空をカラスが飛んでいくのを見た。
翌日の放課後、僕はお店に行って、女の人に魔女だと信じると伝えた。
これが僕と『お姉さん』の交流の始まりだった。
それからというもの、僕は毎日のようにお姉さんのお店に通い詰めるようになった。
お店はアンティーク系の品を扱う雑貨屋のようで、覚えている限りでは、外国の文字を象ったシンプルな銀製のアクセサリー(確かルーン文字)、店の隅に傘立てでまとめられていた甘い香りのする木の枝(名前は忘れた)、それと同じ匂いのする木でできた魔除けの置物(色々な国のものがあった気がする)、様々な色をした丸い石が付いたお守り(複雑な紋様が刻まれたものが多かった)といったものが僕の興味を惹いた。
そんな風に店の中にある品物を眺めては、気になったものについてお姉さんに訊ねていた。
他にも雑貨屋というには若干不気味な品物もあった覚えがあるが、それらにはあまり近寄らないようにしていたし、お姉さんもあまり触れてほしくなかったようなので、どういう物だったかまでは記憶にない。
不気味といえば、お店の向かいにある家の屋根にいつもカラスがとまっていて、僕達を見守ってくれているようでもあり、また見張られているようでもあったのはなぜか鮮明な記憶がある。
他にもカウンターの前にテーブルがあって、そこでたまに手作りらしいお菓子を御馳走になったり、宿題を教えてもらったりということもあった。
お菓子はクッキーやプリンといった軽いものの他、一度だけ僕の誕生日に小さなホールケーキを作ってくれた覚えがある。
また、両親は毎日僕が自転車で街をうろついているということまでは知っていたが、僕はお姉さんのお店に行っているということは知らなかったし、言おうとも思わなかった。
言ったら最後、「二度と行くな」と言われるという確信があったからだ。
そんなこんなで二年ほどが過ぎたある日、別れは唐突に訪れた。
その日、いつものようにお姉さんのお店に行くと、出入り口のドアに『テナント募集』の貼り紙が張られ、覗くと店の中はすっからかんになっていた。
向かいの家の人をわざわざチャイムで呼び出して「この向かいにお店が無かったか」というようなことを聞いたが、「あそこは十年くらい前からずっと空き家だよ」と返された。
前の日もお姉さんに会ったのにそんなはずはないと思って、店の様子やお姉さんのことを家の人に話しても信じてもらえず、結局僕は諦めてその場を去った。
お姉さんの行方は今も分からない。
お姉さんは本物の魔女だったのかもしれないし、本当は普通の人で僕をからかっていただけなのかもしれない。
もしかしたら、お姉さんもあのお店も僕の空想の産物だったのかもしれない。
だが、電線や木や家の屋根にとまっているカラスを見る度になぜか思い出す。
あの不思議なお店でのお姉さんとの日々を。
この他にも不思議な体験は幾つかしたが、この話とは特に関係ないので、気が向いたら、またいずれ。