82 故筆頭聖魔導師の妻の呟き
「どうして」
幸せが詰まって膨らんでいた腹をどれだけ撫でても、萎んで薄いままで、急に指先が冷えていく様に感じた。
今朝はお腹の中で、確かに動いていたのに、どうして。
「助けられなくて、ごめん」
震える私の手を握り、涙をこらえるあなたの目はひどく充血していて。
これは夢などではなく、本当のことなのだと思い知らされる。
空っぽになった腹を撫でては泣いて。
膨らみを思い出しては泣いて。
この腕に抱く夢を見て泣いた。
怖いのに、もう失いたくないのに、それでもどうしても、この手に我が子を抱いてみたかった。
あの人に血の繋がった家族を作ってあげたかった。そして、その子を抱かせてあげたかった。
諦め切れず、次こそは元気に産み育てることが出来るんじゃないか、と再び妊娠した日には夫と共に手を取り合って喜んだ。
楽しみと喜びで浮かれたい気持ちを我慢して、少しの変化も見逃さないよう気を付けて。
少しずつ変わっていく様々な変化を心待ちにして、今度こそ、と大切に大切に時間を過ごした。
なのに、新しく宿った命の火は、あっという間に消えてしまう。
その後は、何度孕んでも腹に定着せずに流れてしまい、とうとう医者からもう無理だと言われて。
しばらくは何を見ても何をしても思い出してしまい、泣いてばかりいた。
何かいけなかったのか。
王家に生まれ、何不自由なく育てられたのがいけなかった?
聖魔導師としての実績は、民の生活を楽にしたと喜ばれたが、足りなかった?
善行が足りない?それとも知らず知らずのうちに悪行を行った?
ならば、授かった命を取り上げられる程の悪行とは、どの様なものなのか。
どれだけ祈っても、私の胸にポッカリと開いた大きな大きな穴は、塞がりようがなかった。
「案外、ミレー様の腹の中の赤ん坊も、どこかの世界に召喚されたんじゃないか?」
「あぁ、因果応報と言うしな。召喚した分されてるのかもな」
透けるように薄い布を、何枚も何枚も貼り付けるようにして、どうにか穴が見えないように塞いで。
日常を取り戻した様に平静を装った。
けれども、ただ外側から見えないよう、取り繕っただけの胸の奥の穴は、些細なことで姿を現して。
喪失感と言う大きな穴は、これ以上広がりもしなかったが塞がりもしなかった。
だから、見たことのある魔導師達が、笑いながら話す軽口など聞流せば良かったのだ。
悪意ある言葉を吐く人達はどこにでも存在するのだから。夫のしていることも、概ね分かっていたのだから。
なのに。
「どこかで召喚されて取り上げられたのならば、呼び戻して取り返せばいい」
命の火が消えてしまったことを頭では理解していても、心がずっとそうではないと思いたがっていた。
だから、すり替えてしまった。
どこかに召喚されて、私から取り上げられた命を取り戻すための、私達夫婦のための聖女召喚なのだと。
それから夫と共に教会本部に知られないよう、少しずつ少しずつ魔法陣の条件を変えていった。
非公式に召喚された聖女を死んだことにして匿い、古代語の解読に協力してもらった。
帰還の魔法陣を作ることと、今回の召喚を最後の聖女召喚にすることを条件にして。
元々、こちらの世界の命なのだから、元の世界に執着などない、親兄弟などもちろん居ない、私の子供達。
言葉はもちろん、こちらの者と結婚しても困らぬよう健康体で等、念入りに魔法陣を整えた。
最初に言葉を交わした者に絶対服従、なんて文言はもちろん一番先に消去した。
私達の子供を取り返すまで、あと少し。
 




