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作者: ( ¨̮ )

ジェンダーにおける偏見


最近、ジェンダーフリーという言葉をよく耳にする。

この間なぜそもそもこの偏見があるのか考えてみた。


男女間には能力の違いがあって、そこから互いの見方に違いが生じた、というのはわかる話だ。


男女はそれぞれやはりどうしても体の作りからして違うのだから全く一緒に扱うことはできないと思う。


むしろ馬鹿正直にジェンダーフリーっていう言葉を受けて、男女を全く一緒に扱ったら顰蹙をかいかねない。




まぁそれはさておき、「男は外で働いて、女は家の中で働く。」っていうのは少し前には当たり前だったことで、今は古い、悪いと淘汰されつつある考えだ。


だが私はこの考えは今の時代にはあっていないが、とても自然的、動物的な状況なら寧ろ受け入れられるべきなのではないかと思う。


そりゃ例外も沢山あると思うが、この考えに乗っ取って暮らしている動物は多いのではないか。


人間を動物と一緒にするな。と言われたらそれまでなのだが、私たちの祖先はずっとこの考えをもって暮らしてきて、そして今も生き残っているのだから、間違いだとは強く言えないと思う。


今でこそ日本などでは治安が良くなってきて、女がお金を持って1人では歩いても普通は大丈夫で、暴力に訴えると警察沙汰になるが、昔は違ったと思う。

そんな時代に女が外で働くだなんて女からしたら勘弁してほしいと思うのではないか。




こう考えたらとても自然的だと思うのだが、「偏見」という言葉が生まれたのは、男が単に身体的アドバンテージがあるからと言って、女を尊重しなくなったからなのではないかと思う。


訓練してない男女が戦ったとして、ほとんどの場合に男が勝つと思うが、その勝ちに目を向けすぎてしまったのだと思う。


力で勝てたって頭脳で勝てるなんていう証拠は1つもないのに。

(寧ろ力が強い方が偉い、だなんていうスタンスでいったら、人間はライオンやらサメやらを王様に据えるべきなのでは?)



私は、人間は他の生き物に比べて、考える、能力に秀でていると思う。実際、その能力がなかったら他の人間より力の強い生き物に滅ぼされていたのではないか。


だから、その能力を存分に使って、相手を尊重するために、相手の優れているところを沢山見つけてていったらいいと思う。


相手の優れているところを見つけ、それを認めるというのは、自分ができないことに気づき、時には嫉妬心を覚えるかもしれないが、より多くの人が幸せに生きるのにはとても大事なことだと思う。


皆が心がけたら、偏見だなんて言葉すらも過去の言葉になるのではないか。

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