Page. 26 語っちゃいます(1)
こんにちは。
『Suminote』に遊びにきて下さってありがとうございます。
今日は語っちゃいます。
少し前の活動報告をUPしてからいろいろと考えていました。そして結局悩んじゃうけど、「これではダメだ!」と奮起した澄乃です。
以前からいろいろ思うところもありました。
それは執筆についてもそうですが、文字で伝える、伝わる難しさについてもです。
まず執筆についてですが、表現をもっと豊かにしていきたい。語彙を増やしたい。文章を美しく、描写を丁寧に描き、物語に幅をもたせたい。余白を……など、言いだしたらキリがないほどです。
そういうのってどうすれば向上していくのだろうと考えてみました。
多くの本を読む?
映画や舞台、絵画などの芸術に触れる?
確かに本を読んだり芸術に触れることは大事だと思いますが、ただ読むだけでは触れるだけでは意味がないのかな? と思います。
その本を芸術を栄養にして吸収する『力』が必要だと思うのです。
『読解力』というか。
その読解力はどうやって養われるのでしょう。
それは数を熟すのではないように思います。
感性を磨くことが大切なのかな、と思います。
では感性を磨くにはどうすればいいのでしょうか?
小さなことにも気を配れる、気づける『こころ』を持っていればいいのかな?
思いやりのあるひとは、相手の気持ちが解るひと。
相手の気持ちが解るのは、そのひとの立場に立って物事を考えられる『感性』のあるひと。
繊細で感受性豊かなひとは、他人の痛みが解るひと。
そんな風に思います。
誰でも自分が可愛い。それは解ります。
だけど、相手の気持ちも考えずに自分本位に振る舞いたい。相手が合わせてくれればいい。
そんな考えでは、いくら素晴らしい文章を書いていても、素晴らしい構成で褒め称えられる物語を紡いでいたとしても、「ああ、よかったね」で終わってしまい、きっと心に残る、心に沁みる物語は紡げないのではないでしょうか。
なぜかというと、ひとの心の痛みが解らないひとの文章は、切ないシーンを描いていても、表現が美しくても、薄っぺらい印象になってしまうからです。だって、他人の心が解らないのですもの。自分の理解できないことを表現できますか? きっとできないでしょう。
想像で書けるって?
こういう言い方をすると、「相手は傷つくだろうな」「嫌な感じを受けるだろうな」ということすら想像できないひとに、何が想像できますか?
相手の気持ちになって考える「想像力」のないひとに、人間の心理を描けるはずはありません。
どこかで見聞きした程度には書けるかもしれませんが、自分の言葉で作品を紡ぐ、『深いお話』を描くのは無理なのかなと思います。
多くのことを経験し、感動し、心を震わせる。
そして自分の中でよく消化し、昇華することができればいいなと思います。
って、こんなに語っちゃって、自分ができているかというと自分では解りかねますが、そうありたいとは思っています。
お読み下さりありがとうございました。
また遊びに来て下さいね♪