どうやったらそんなふうになれたの?
「ちょっと元気ないんじゃない?」
姉にそう言われて我に返った。目をあげると、ブラウンの大きな目が、こちらを心配そうに見つめていた。
「大丈夫だよ」我ながらばればれの嘘。ぼくの声は、自分の本心を、そのまま表していた。
「何かで悩んでるなら、相談してね。ひとりで抱えこむ必要なんて、ないもの。」
姉の優しさには心からありがたく思うけれど、今悩んでいることを話しても、何にもならない。やっぱりこれは自分の問題なのだ。
姉の手がぼくの頭を撫でる。少し抵抗はあるけれど、その手を払いのけるようなことはしない。
「大丈夫だってば」力強さを意識しながら言った。
今度はそれなりに説得力があったようで、姉はほっとしたように手を下ろした。
「ならいいの」そっとほほえみながらそう言った。
姉は母そっくりだ。笑ったときにできるえくぼまで。まるで若い頃の母の写真でもみているかのようだ。
「もうそろそろブルーベリーのケーキができあがる時間ね。飲み物はなにがいい?」
「紅茶がいい。たっぷりミルクの入ったやつ。」
オーケー、といって彼女はキッチンへ行った。ぼくは、また白昼夢の続きを見始めた。
昨日の朝、ぼく宛に手紙が届いた。正確には、封筒に入っていたのは、日記のページが切り取られたもの。
どうやら、差出人は偽名を使っているようで、ぼくはその相手と知り合いらしい。書かれていた内容からそう思った。そこにあったのは一昨年の夏の出来事。
あの夏の、この町で行われたお祭りのこと。海辺にはたくさんの出店が立ち並び、かなり賑わった。また、たくさん催し物が開かれた。その中には、若者が参加する音楽イベントがあって、ぼくらきょうだいもそれに参加した。
兄がギター、姉がピアノ、ぼくがヴォーカル担当でバンドとしてパフォーマンスした。ぼくらはみんな音楽が心から好きだし、ずっと一緒だから息もぴったり。
そのパフォーマンスのあと、それなりに反響があって、今でもときどきライブをやっている。
お祭りのとき、かなりの数のひとがいたが、その中に日記を書いたひともいるのだ。そのひとは、ぼくらの演奏を聴いて、いい音楽だって思ってくれてたようだ。でも、その文面から、微かに、それでいてはっきりと、嫉妬が感じられた。
自分の作ったものがいいものだと感じてもらえたのはとても嬉しい。でも、嫉妬という感情は向けられて嬉しいものじゃない。
誰が、どんな目的を持ってこういうことをするんだろう。不安な感覚が胸を塞ぐ。
不意に玄関先で物音がした。鍵の開く音とともに、母の声。母が出かけ先から帰ってきたのだ。
母は手に紙袋を持っていて、その中から何やらふんわりといい匂い。何買ってきたの、と訊くと、パンを買ってきたの、セールだったから、と笑顔で答えた。
セールという言葉にぼくはそれほど反応を示さなかったけれど、姉は違った。
「パートンさんのお店でしょ?今セールやってるの。ここじゃあんまり売れなくなって引っ越すらしいって聞いたわ。」
姉の言葉にはなんだか、すこし棘を感じた。そしてそれが、胸にいやな予感を感じさせた。
「まあエミリー、どこでそんなこと聞いたの?わたしもその噂なら聞いたことあるけど、信じたくないわ。正直に言って、パートンさんのお店がこの町一番のパン屋さんだもの。あなただって、あのお店のシナモンパンはお気に入りだって、言ってたじゃない。パートンさんだって、感じがいいし、」
「パートンさんも、パートンさんの作るパンもいいけど、あの娘、リリーはどう?あの子、すごく感じが悪いのよ!パートンさんのお店があんまり売れなくなってきたのはあの子のせいだって、みんな言ってるわ。」
「それは、あの子もずいぶん雰囲気が変わってしまったけど、本当に悪い子じゃないと思うわ。エミリー。昔は一緒に遊んだことだってあったでしょ?表面的なものでは、こころまで量ることは出来ないわ。」
姉は、うつむいて、フローリングの床をにらんだまま。
不意にチーンと音がして、マフィンの出来上がりをオーブンが知らせた。母は、にっこり笑って、おやつにしましょうと言った。姉も少し気をとりなおしたように、オーブンに向かった。
ぼくは、泡立った波のようなこころを必死に鎮めようとしていた。