眼鏡なら何でも好き説
魚屋でアジを買った。とにかく焼き魚が食べたかったのだ。小旅行というか夢の中では、肉と草しか食べなかったから。
だがしかし、魚などさばいたことがないことに気づく。買ったのは切り身ではなく、頭から尾まで、内臓もしっかりついたままのアジである。食べられ、ない? いや発想の転換だ、頭から尾まで内臓ごと丸かじりしてはいけない理由があるか? ない。だが鱗は取らねばならないのでは? 爪でガリガリ剥がす? あれ?
こんなときこそ頼れるのは、料理のできる友人だ。友人Yの喫茶店でコーヒーを頼み、ついでにこれを焼いてくれと買ったアジを渡した。ぼったくるけどいいのならと言われた。だ、大丈夫……王子さんに迷惑料の名目でいくらか宝石を渡されたから……。
昼時を過ぎたからか、春照の店内に人はまばらだ。常連のロマンスグレーさんに、白髪オールバックさん、見知らぬカップル、見知らぬぽっちゃり……いやデブ……いや、まあ眼鏡の男性。
眼鏡はいい。眼鏡はいいよ、眼鏡なら大抵のことは許せる。よく見たらかわいい感じの顔だし、清潔な感じのするデブだ。
目があってしまって、何もなかったようにそらそうとしたら、先に目をそらされた。何だてめえ。ガン見されるのも文句あんのかてめえこらって思うけど、慌ててそらされるのも、何だかなあ。出てきたコーヒーに口をつける。
「宝くじ当たったらどうする?」
「は? 何で?」
友人Yこと春照唯以からの突然の問いに顔をあげる。
「さっきメグちゃん来てたの」
包丁で魚を削るようにしながら、唯以が言う。それが何の作業かわからない私は、やはり、彼女に任せて正解だった。
「メグ? え、日夏めぐみ?」
「うん。宝くじ当たったから家建てようと思うんだけど、いい土地ないかって。うちは不動産屋さんじゃないっていうのに」
「家? なに、結婚すんの、あいつ。ついにナツメグからの脱却? は? ズルい」
名前コンプレックス同盟から一人だけ勝手に抜けるとか。ふざけてんのかあいつ私に断りなくとかふざけてんのかズルい。
「ううん、ペットと暮らせる家を建てるんだって。ぼかされたけど、大型の爬虫類みたい」
「ペットとは……あいつ色んなことを諦めたの?」
「拾っちゃったんじゃない? 昔からそういうとこあるよ。ちょっと触れ合うと情が出ちゃう」
「どこで拾うんだよ大型爬虫類」
お城のお堀で泳いでたとか? 私の小旅行先でもなかなか見かけなかった。このあたりは我々と同種族しか生息していないと王子さんは言っていたけれども。
「それで、話は戻るけど、宝くじが当たったら?」
「私? 家建つくらいの大金かあ。別々の銀行に最大一千万ずつに分けるかな、まずは。それから、今度の発表会用のドレスがいるし、ああそうだピアノも買おう」
「ピアノ二台あるんじゃ?」
「あ、あとあれパイリダエーザ? 唯以が前に言ってたやつ。やってみようかなあって思ってる。おもしろいって語られたから」
ガタッと音がして、そちらを見る。眼鏡の人が水のグラスを手でテーブルに押し付けていて、倒しそうになったがセーフ、と推測した。そんな感じの表情をしている。あ、また目があった。またすぐそらされた。
唯以に目を戻す。
「すごい、におい、する」
「あなたが魚をさばけと言うからでしょう。ほら」
片手を私の鼻先に寄せてくるので嗅ぐと、生臭い。おうあ、と眉間にしわが寄る。どうやら内臓を取っているらしかった。お世話になります。ありがとうございます。
「パイリダエーザするなら案内してあげようか? 私も蛍も、他人に教えられるくらいにはゲーム内を把握できたから」
「ああ、いいよ。合流は後にしよう。初心者の面倒を見てくれるあては、見つけたから」
「へえ、そうなの」
珍しいね、と言ったと思う。唯以の声は、魚の内臓を洗う水音で半分かき消されていた。
魚を手に唯以は奥へ消えて、かと思ったら顔だけ出した。
「塩、どのくらい?」
「辛くして」
「はーい」
「あ、あと、ごはんとお味噌汁もくださーい」
「はいはい」
今度こそ奥へ行ってしまったので、店内を見回す。店内をというか、主に、眼鏡の男性を。私がそちらを見れば、目があって、そらされる。今度は逃がさない。
椅子から立ち上がって歩き出せば、ヒールが床に叩きつけられる度に、彼は肩を揺らした。だから、どうして、何をそんなに怯えられなければならないのか。そりゃあ、多少ガラが悪い自覚はあるけれども。だが、取って食いやしない、というやつだ。
「マオちゃん」
息を飲む音がした。顔を伏せて、私を見ない。
「来ないかと思ったけど」
「え、えっと……顔バレしてないから、こっそり見に来ても、気づかないと、思ってその」
その挙動不審はバレなかったとしても怪しい人だよマオちゃん。それに、目をそらす時の表情が、自称魔王のマオちゃんと一緒だった。気づいてしまうよ。
「名前、言ってなかったね」
「えっ、あ、はい」
「雨降野レイン」
「は?」
「二度言わせんなよ。これ、本名だから。そっちは?」
マオちゃんは一瞬、ためらってから、名刺を差し出した。そこに並ぶ漢字のインパクトにやられて、つい読み上げてしまった。
「……四十九院、真央。……はっ、同士か!」
名前コンプレックス同盟にぜひとも迎え入れようではないか! 勝手にコンプレックスがあると決めつけたけど、あるよね? いや、マオと名乗っているのだから特に気にしていない可能性? びれそん?
がっちり握手を交わすような熱い展開でもよかったのだが、マオちゃん的には違ったらしい。握手をと差し出した手に、マオちゃんは触れたものの、おそるおそるで手の甲を上に向けられ、ナイトがレディにするかのようにキスをする真似をした。
「……なんでしないの?」
「キモい、かと思って」
「ああ、うん、まあ、眼鏡じゃなかったら蹴ってた」
「う……」
マオちゃんが絶句する。気にするな、誰がやっても大抵キモいからな。だが、意外に深く言葉が刺さったようで、マオちゃんは黙りでうちひしがれている。仕方がないので、やんわりフォローを入れた。
「冗談。今さら、マオちゃんを嫌いになんてならないって」
「……でも、リアルは」
「リアルって、別にデブがみんなキモいわけじゃないし。心の問題ってこと。まあ、短い間だったけど、あれでけっこう救いにはなってたし。それに、言ったよね」
「え?」
「私、眼鏡に弱いの」
「……うん?」
マオちゃんがはてなマークを出したところで、唯以がやってきて、マオちゃんの座っている席の隣にトレイを置いた。ごはん、お味噌汁、焼き魚、あと付け合わせ。席に座って、手を合わせる。
「いただきます」
「ところでマオちゃん、その手元のデバイス何? 何してんの? ゲーム?」
「えっ、あ、はい。パイリダエーザです」
「フルダイブでは? 昔の?」
「あの、えっと、携帯機器でも遊べるんで、す。据え置き型と携帯機器の、連携とか持ち出しとかは、別に新しい発想じゃないんだけど、フルダイブVRゲームではパイリダエーザが初で。素材集めとか、レベル上げとかは、携帯機器でも、できる。やっぱフルダイブで作業ゲーになるの辛いんで、これ画期的なやつで」
「もぐもぐ(聞いてない)」